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八朔日の贄  作者: 絶山蝶子
六話・刑務所
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刑務所・その3



 鱗があった。

 蛇だ。



 見えない蛇だ。


 兄は「クソが」と小声で罵ると見えないが触れるならとヘビを掴んで口から引きずり出した。

 ゲホッと男が呻くと母国語で助けを求めた。


『痛い、痛い、痛い助けてくれ!』

 すると今度は視えない蛇が兄の腕にぐるぐると巻き付いてきた。

 腕を振り回し振りほどこうとするも蛇の力は強くミシミシ締め上げて離れない。


「なんてことを!」


 声を上げたのは長老だった。


「見て見ぬふりをしろとあれほど……」

「そんな事はどうでもいい、先生を呼んで電気をつけろ!」


「蛇だ!」


 そう叫んだのは詐欺師の男だった。

 起き上がって後ずさりながら本当に蛇が出た!ともう一度叫んだ。


 残りの二人も布団から起き上がり蛇が出たと入口に向かって走りドアを叩いた。


「失敗だ!開けてくれ!!」


 他の部屋から蛇が?出たのか?と悲鳴のような声があちこちから聞こえてくる。


 ドンドンと扉を叩くと、騒ぎを聞きつけた看守が二人部屋に入ってきた。入口の二人は看守の腰に縋りつきながら「蛇が出た!」と喚いていた。

 看守も一言、蛇っと悲鳴を上げ後ずさったが目を閉じ頭を左右に降ったあと警棒を強く握りしめた。


 その時になって兄は自分以外の全員に男に巻き付くその蛇が見えていたと察したらしい。


 ――――自分だけが、この蛇の姿が見えないと。


「全員両手を頭につけろ!」


 そう言っても誰も従えなかったそうだ。

 長老が祝詞を上げながら男に背を向け深々と頭を下げていた。



 あなうましたちばなつごもりひこのみことかむらぎまもりたまえかしこみかしこみもうす



 一瞬、腕に巻き付いていた力が緩んだ。

 その隙を逃さず腕を大きく振りかぶると、巻き付いていたものがすっと腕から外れた。壁に打ち付けられる音がして、ボチャンとトイレの中に何かが落ちたように水が跳ねる。


 便器からブワッと瘴気のような煙が吹き出したあと、ざーっと蛇が離れた気配がして、男の腕と足が床に落ちた。

 部屋の明かりがつけられ、兄はトイレの中を除いてみた。


 そこには中には何も入っていなかった。


 その後、応援で駆けつけた看守が気絶した男を外に運び出していった。

 無言で兄が上げたゲロを始末すると、残された兄たちに就寝するようにと命令し部屋に鍵をかけ、その場を後にした。




 ――――――、一体、何をあったというのだ。


 周りの囚人が再び「ごめんなさい」と小声で数回呟いた後、皆布団の中に戻っていった。

 なんなんだ!説明をしろ!と叫んで問い詰めたくなるのをぐっとこらえ、兄は彼らに習い再び布団の中で眠りに入った。




 朝を迎え、休息時間に兄は長老に問い詰めた。


「ありゃあ、”おつかいさん"だ。出るもんなんだよ。」

「おつかいさん?」

「年に一回、一番愚かで救いようのない人間が、おつかいさんに殺される。あれは口とケツから中に入って犯しながらじわじわ殺す。毎年最低一人、そうやって死ぬ。」


 毎年というのは、多すぎる数だ。

 絶対に問題になるだろう、と問い詰めると長老は首を静かに降った。


「どれだけ調べても、朝には傷一つ無い心臓麻痺の遺体が出来上がるだけだ。蛇の締め付けられた後も朝には綺麗サッパリ消えてしまう。鱗の欠片も見つからない。アンタには見えてなかったろう?大抵のやつは見える。餓鬼の腕程でかいアオダイショウが4匹。2匹が体を固定して、もう2匹が口の中から侵入する。アンタみたいに見えない人間が一定数いるな。看守にも見えているやつと見えてないやつがいる。まあ、見えていたところで、銃で撃ち抜こうがナイフで刺そうが引きちぎろうが、アイツラらは死なないがな。朝には消える。跡形もなく。そうなるともう調べようがない。」


 それでも……と納得がいかなかった兄に、老人は軽くため息を付いた。


「いつからこの刑務所に出るのか、儂も知らん。でも儂が入った時にはもう既に”しきたり”があった。俺も先輩から対処法を託されたんだ。もしかしたら刑務所が立つ前からかもわからん。俺より先に居た男が失敗した年、看守を含めて複数人死んだ年もあったと言っていた。だから……」

「毎年最低一人生贄を作るってわけか、薬を盛って恐怖心を奪って……」

「……」


 罰が悪そうに老人は押し黙っった。


「アイツは連中の気配を察していた。怯えていた。最初は薬を盛るのが先でその副作用かと思ったが、逆だ。アイツの気配に怯えないように、大人しくなるタイプの薬を盛っていたんだな?そうでもしなければ、恐怖に怯えて自分の罪を反省しちまうからか。」

「――――――よく観察していたな。」

「散々贖罪しろと言っていたな。しつこく言われれば言われるほど、人間嫌になるってもんだ。悪人なら尚更。――――それともなんだ?助けたかったと、今更のたまうか?流石に見殺しにしてないって上っ面だけ並べることもその"しきたり"とやらに含まれてるのか?」

「………………アンタにはわからんだろう。そうするしか……」


 なおも言い訳をしようとする老人に兄は笑いながら吐きつけた。


「いや、違うね!死にたくなかったんだろ?アイツが改心すれば、次誰が贄になるかわからなくなる。囚人も看守も含めてだ。だからアイツが調子に乗るように仕向けたんだろ?必死に助ける素振りだけ見せて、自分は反省してますって面して、そうすればいい子になれるからな。見てぬふりをしていたんだ。違うか?」

「……――――ほう、随分とご立腹じゃねえか、旦那よぉ。そんなに情が湧いたか?」

「それもある。だが、お前俺に何も教えなかっただろ。」


 兄は、胸ぐらをつかみ男の顔を真正面から覗いた。看守にバレないように、すぐに手を離し身を引いて長老を見下す。


「――――――てめえ、俺を替え玉にしてやがったな。」


 長老は罰が悪そうに眉を潜め、顔をそらした。


「仕方がなかったんだ!誰だって死にたくねえ、そうだろう?」

「わかるよ。だが俺だって死にたかねえ、蛇に絞め殺されて死ぬなんざまっぴらだ。」

「反省しなかった順なんだ!一回失敗すると、次誰が殺されるかわかったもんじゃない、囚人か、看守か、面会に来た家族や弁護士が死んだことだってある!助かるためには犠牲が必要なんだ!」

「だから新参の俺をダシにしようってか?」

「お前みたいなヤクザのカスがいるから、俺は……俺はこんな所に……ッ!!」


 汗を吹き出し声を荒げる長老を兄は静かな目で見下ろしながら顔面に唾を吐いた。

 

「それは残念だったな!俺は来年にはここを出る。…………お前の娘、まなみだっけか?ただで済むと思うなよ。」

「あぁ……!」


 長老は頭を抱えながら床に崩れ落ちた。

 ぐうだのううだの呻き声をあげて兄の足元にうずくまる。


「……――――惜しいなあ、お前さえ居なければ、今年は失敗なんかしなかったのに……」


 翌日、別室の若い囚人が心臓発作で亡くなったそうだ。

 兄はその年の12月に刑期を終えて出所した。


 出所後、あの時襲われた男の安否を確認すると搬送先の病院で亡くなった事がわかった。

 気になっていただけでどうでもいいと言っているが、その声色はどことなく寂しそうだった。



 気分が悪い話だ。

 確かに彼氏が話した事件と、どことなく似ている。


 罪を犯したものが、動物に殺される所と、対処法は、ただ謝ること。


「みんなで謝れば、誰も死なずに済んだんじゃないの?」

「それが出来るやつが、刑務所に入ると思うか?」

「ああ……まあ、うん。」

「もちろん、中には悔い改めるやつもいるさ。そういう奴は最初から狙われないんだ。自分は悪くない。悪いのは看守や他の連中、被害者や世間、法律だと心の底で思ったやつが食われる。最初に蛇に狙われた時に全員で上辺だけでも悔い改めれば、違った結果があったろうさ。――――だが連中はそれをしなかった。」


 ”最初”を間違えたのだ、あの土地の人間が。


「一人、犠牲を払うことで残りの身を守る。そういう選択をした。そういうしきたりを作った。それがその土地に深く根付いて、やがてそれ以外で対処する術を失った。被害を最小に食い止めるために、刑務所が建っても続いている。いや、あえて刑務所を建てた気もするなあ。毎年必ず一人死んでくれるんだ。どうせ死ぬなら悪いやつの方が良い。囚人をまとめる抑止力にもなるし、定員が一人確保できるんだからな。」


 そこまで聞いて、やっぱり引っかかる事がある。

 そんな風習が受け継がれた刑務所が存在するなら、絶対噂になるはずだ。

 こんな情報が溢れた世界で、出所する人が全員黙っているはずがない。

 兄の話を聞きながら刑務所をざっと調べてみたがそんな話は見つからない。


「人から聞いた話を多少、盛って話した。」


 そう笑う兄の真意はつかめない。

 作り話だろうか。彼の話を真似て、自分なりに改変して似たような話を私に聞かせたのだろうか。

 ――――――こういう意地の悪い、茶目っ気が、昔はとても好きだった。そう、昔は。


「お兄ちゃん。作り話かどうかは置いといて、ツイタチ信仰の因習が生まれる条件って何?」


 冒頭に話を戻して、兄に尋ねてみた。

 兄は、ああと思い出したように


「教えに従った熱心な信者が最低一人、そこにいる事だ。」


 ――――――ツイタチの使いは、信者を目当てに、山から降りてくる。


 最初の一人とは誰だったのだろう、と兄に聞くと「知らん。」とそっけなく返事をされた。


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