告解・その6
「つごもり様は、最初から俺なんか眼中になかったんだなあ……」
喫茶店を出て夕焼けに染まりはじめる商店街を並んで歩きながら村上が呟く。
奴はいつもの気味の悪い薄ら笑みに戻っていたが、さんざん泣き腫らしたその目は赤く染まっていた。
店員には不審な目で見られてしまった。もうあの店には二度と足を運べそうにない。
「つごもり様の守りが張られた時、確かにあの方の声が聞こえたんだ。―――――『朔也、大丈夫?』って……――――あの時助けたのも、弟を救う為だったんだろうね。俺と両親なんか見ちゃいなかった。最初から選ばれたのは弟で、俺なんかじゃなかった。」
村上朔也は晦が用意した馳走だ。
優先順位は人間よりは上だろう。
どれだけ人間を慈しんで愛していても、所詮家畜……――――良くて愛玩の域を出ない。
「たまに、弟も斉東のように突然涌いて出たんじゃないかって思う時もあるよ。俺の14年間の記憶はこの1年以内に植え付けられたもので、最初から弟はいなかったんじゃないかって……」
「それは無いと思うけど。」
そもそも人でなしが《《そういう》》顕現の仕方をしている事に納得したくなかった。
――――私自身の人生をどうしても否定したくなかった。
「それでも、あの子は俺の弟なんだ。俺が命にかえても守るべき最後の家族だ。――――なあ、西くん……」
くるりと村上は足を止めてこちらを振り返る。落ちかけた日の光を反射した黒い瞳に光が宿っている。
人形でもなければ能面でもない、血の通った人間。
「鋒先輩や三次くんから聞いたよ、君はあの施設に弟を助ける為に潜入したんだね?」
「……そうだよ。」
写真の中で寂しげにこちらを見つめる少年の顔を思い出す。
私と同じ、酷い兄に人生を狂わされた子供。
これから先、頼る宛もなく一人で生きていかねばならなかった、小さな命。
「私は人でなしだけど、人であることを手放したくない。」
ただ神に食い荒らされる為だけに、生かされた生命。
――――彼を救いたかった。
「吉川の様な人を、もう一人も見捨てたくない。畜生に食い荒らされる人も、ツイタチに惑わされる人も、もう人をあんな目に遭わせたくない。そうでなければ……ッ」
「君を信じていいかい?」
村上が尋ねる。
本当に、今の今まで私を信じていなかったのだろう。
私が、斉東のように人を食らう神だとずっと警戒していたに違いない。
「本当に、弟を救う手助けをしてくれると……――――信じてもいいんだな?」
村上が右手を差し出す。
今朝は握られて怖気が走り払い落としたその白い手を、今度は迷いもなく握り返した。
「私こそ、信じても良いんだね?貴方が朔也くんを助けてくれるって。」
「勿論、この命に変えても。」
かつて「人喰い」だった、男はふわりとした優しい笑みを浮かべる。
この男はつまらない人間だが、その善性だけは本物だ。
――――人間にはいろんな側面がある。
どれだけどす黒い本性を抱えていても、土壇場で他者を許すことだって出来るのだから。
『本当に、人間ちゃんは尊いなあ。』
瞼の裏で、晦が呟く。
晦は、人のやることに関心がない。
どれだけこの男が尽くそうとしても、弟を救うべく奔走しても、これから先興味を抱くことは決して無いだろう。
村上はそのまま手を握って歩こうとしたので、調子に乗るなと慌ててその手を払う。
「酷いなあ、いいじゃないか。デートなんだから。」
「冗談じゃない。私、彼氏いるし。」
軽口を叩きながら歩き出す。
この男なら、もしかしたらきっと……――――兄を止めることが出来るかも知れない。
夕焼けが長い影を落とす。
オレンジ色に染まった彼の頬。
綺麗だなと、その日初めて思った。