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八朔日の贄  作者: 絶山蝶子
十九話・つきはじめ
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つきはじめ・その9


 連れて行かれた先は円形の広い部屋だった。


 中央に3つの手術台とトレイが乗ったテーブルが置かれ、心拍数を図る機械がその電源をつけられて鎮座している。


 手術台には先客がいた。

 妊娠した若い女性で手足を固定されぼんやりとした表情で天井に取り付けられたライトを眺めている。


 私と日吉はそのうち残った2つに寝かされて同じ様に手足を拘束される。

 未だ薬が抜けきれず言葉を発することも出来ないまま、同じ様に天井のライトを眺めるしか出来ない。


「かつて、全ての動物を慈しむ一柱の女神がおりました。」


 カツカツとヒールを鳴らし膨らんだ下腹部を撫でながら氷見は私の寝かされた手術台の真横まで近付く。


「その女神は動物たちを深く愛し、この世界を彼らが手を取り合って助け合う豊かな国にしたいと考えておられました。」


 彼女は点滴を取り出すとスタンドにぶら下げ、長い爪で脱脂綿をつまみ私の腕に塗りつける。


「神の都合で飼いならされる家畜ではなく、自分の足で立って歩んでほしいと……自らの”知恵”をお与えになったのです。」


 私の右腕を縛り上げると肘の静脈に針を突き刺す。一瞬の痛みのあと冷たい液体が私の中に流れ落ちた。点滴の落ちる速度を調節しながら氷見は続ける。


「”知恵”を与えられた動物たちは舞い上がりました。憧れの神に近づけたのだと。……女神は言いました。『リーダーを決めなさい』。皆で協力し合うために最も強い種族を選び彼らについていきなさい、と。――――その言葉を聞いた動物たちは争い始めました。長い長い戦争の末、一種類の猿が勝ち残りました。猿は二本足で立ち、自由になった前足を器用に扱い、群れの皆で協力して他の動物達を圧倒しました。」


 眼球が少し動くようになって、視線で点滴の管をなぞる。

 黄色い液体が入った袋に頬を寄せた氷見が蠱惑的に微笑み返す。


「百獣の王になった猿はとても健気で可愛らしいものでした。一部始終を眺めていた他の神達は、こぞって猿を愛するようになりました。ですが、猿は神に対し健気な態度を取る一方、他の動物達を虐げ蔑みやがて搾取するようになりました。」


 視線を横に向けると、日吉が同じ様に点滴を施されている。

 私より強い薬でも打たれたのか、だらりと開いた口から荒い呼吸を繰り返しぼーっと天井を眺めていた。


「女神は悲しみました。みんなで手を取り合って助け合って欲しかったのに……やがて猿は猿同士で争いを始めました。多くの猿が殺し合い罪のない個体が死にました。」

「誰が……考えたの、その、チャチな神話。」


 唇と喉が動けるようになり、私は吐き捨てながら氷見に問う。

 氷見は驚いた表情を見せた後、私の顔を覗き込んだ。


「あら?薬の効きが鈍かったのですね……まあ、いいでしょう。退屈しないようにお話したのですが、飽きてしまってはしょうがないですね。」


 氷見はふうとため息を付いてその身を起こすと私の頭の隣に腰掛ける。


「何をするつもりなの……?」

「まあもう少し付き合って下さいませ。――――猿を含め”知恵”を与えられた幾ばくかは、その寵愛を我が物にしようと猿を襲うようになりました。猿は自らの種で争いあい、そして他の動物達に食い荒らされて数を減らしていきました。女神様の夫は神の中でもひときわ猿を愛していて、とてもとても嘆き悲しみました。そして……」

「他の動物に制約をかけたんでしょう?自分とこの信者だけ喰って良い代わりに罪を犯した者を襲うなって。御使いを遣わしてその時代の法を参考にして。そうやって人と畜生を飼いならしたんだろ。知ってるよ。」

「……では、女神がその後どうなったのかはご存知で?」

「…………人や畜生に”知恵”を与えて過剰な進化を促した罰で、黄泉の牢獄に叩き込まれた。」

「その通り!」


 氷見は両手をパチパチと合わせて良く出来ました、と幼子にするように褒め称えた。

 自由になった口元を歪ませて盛大に舌打ちしてやると、彼女はすっとその表情から笑みを消して私を見下ろす。


「女神……八百禍津朔耶事代比売やおまがつさくやことしろひめは何故罰を受けねばならなかったのでしょう?」

「…………さあ?」

「おやそこまでご存知ではない?……随分勝手ではありませんか、人に”知恵”を授けるのを最初は黙認しておいて、争うようになってから横から口を挟むなんて。罪だと言うなら、何故もっと早く捕まえて罰を与えなかったのです?」

「今の私は《《知らないな》》。残念ながらその部分の”知恵”が無いものでね。」

「まあ、神々の考えることなど、下々の私達の理解及ばざるものと言ってしまえばそれまですけども。」

「それで、そのクソ女神の話をどうしてするの?」


 クソの部分を強調させながら尋ねると、氷見はくくっと声を漏らして笑う。


「ツイタチは小江本家の人間が、彼女をモデルにして作ったそうですよ。」

「なんだって?」


 逆光に照らされた氷見の輪郭が薄い幕のように浮かび上がる。口元は笑みを浮かべていてもその瞳は笑っていなかった。


「私も詳しいことは存じませんが、人の為に人の手で人の都合がいい神を創造しようとしたとか……人に優しく、人を愛し、人を慈しみ、人を守ることだけを考えてくれる。残忍さも軽薄さもない、人に都合の良い神を。あのSNSのアカウントも、作ったのは本朔の奴らです。試運転ですね。うまく運用出来なかったので力を制御できなかったようですが……」

「馬鹿げてる。」

「ええ、全く持って同意いたしますわ。」


 氷見は手術台からぴょんと飛び降りると私達を取り押さえた男たちの元へ歩み寄る。くるりと踵を返しこちらに向くと両手を広げて高らかに謳う。




「我々、『教団つきはじめ』は《《つごもり信仰の信者》》!」




「宇摩志多智花津隠里比古神うましたちばなつごもりひこ様の慈悲の元、相手を許し赦されるもの!」


「霊長の頂点としてその身を律し良き隣人たるべし!」


「つごもり様!」


「つごもり様!」


「つごもり様のご加護あらんことを!」


 運動会の選手宣誓のように全員で声を揃えてつごもりに賛美を送る。

 あまりの馬鹿馬鹿しい光景に思わず開いた口が塞がらなくなった。


「そこの日吉勝のご両親を始め小江本家の暴走に耐えきれなくなった者たちの集まり、それが我々です。」

「つごもりの信者だって?」

「はい。晦彦神社に伝わる正当な教えを守る為に教団から分裂しました……――――神を作ろうなど愚の骨頂。最も罪深い行いですわ…………――――村上くんはそう仰ってました。」


 氷見はマスカラで盛られたまつげを伏せると膨らんだ下腹部を優しく撫でた。


「私は一度禍津物に食い殺されかけた事があるのです。」

 まるで母親が子供に語りかけるような優しい声色で氷見は続ける。


「罪状は……理由は伏せますがあの獣は現れた……」

「…………」

「真っ白なハクビシンのような大きな獣。難癖を付けて私の腹を裂こうとして……ものすごく恐ろしかった。先程まで死のうとしていたのに、震えが止まらなくなった。……――――村上くんが駆けつけてくれて私を許してくださったおかげで命をとりとめました。それでもあの獣は名残惜しそうに私を睨み続けました。朝も昼も夜も四六時中ずっと……村上くんは耐えきれなくなった私にここを紹介してくださったんです。」

「あれ?村上が捕まってからここに入ったんじゃないの?」

「いいえ、もっと前ですよ。…………誠司がここで薬を配り始めるより、ずっと。」


 時系列が間違っていたのか?

 氷見は顔を上げると私に配置別もくれずまっすぐ前を見つめる。

 隣りで縛られている日吉が口が動けるようになったのか、「なんだコレ」とボヤき始める。


「村上くんは仰っていました。つごもり様はちょっと自分勝手な所はあるけれど、出来る範囲で人を守ろうとして下さる、他の神とは違って直接関与して下さる、尊いお方なのだと。最初は信じておりませんでした。それより本朔の方々のように都合の良い神を生み出せば良いとすら思っていた……でも……」


 カツカツとヒールを鳴らし氷見は再び私の側まで近づいてくる。私の髪を一束持ち上げると親指の腹で優しくなで上げた。


「本朔が創る”都合の良い神”とは、結局全ての人じゃない。ツイタチ信仰を信じるものだけの内輪だけの話。村上くんはそこが気に入らないようでした。たとえ信仰を持っていない人間でも救われるべきだと。つごもり様はやむを得ず信者を差し出したけど、それは全ての人類に等しく救われるチャンスをお与えになったのだと。」

「どうだろう。つごもりはそこまで深く考えてないと思うけど?」

「貴女からしたらそれは取るに足らないことでしょう。ですが我々人類にとってかの慈悲がどれだけ救いになるか。――――正直、今もそれ程信仰深くはありません。でも、村上くんがやろうとしたことの、意思を継ぎたい。」

「あなや!愚かな!」


 首が少し動けるようになったので声のする方角に向けると、天井を見つめたままの日吉が吠えていた。


「そこまで敬っておきながら、貴様らは紛い物をつごもりと呼び、背を向けて頭を下げておったというのか!」

「紛い物ですって?」

「あの拝殿に鎮座するは偽物!本朔が作りしツイタチそのもの!まさか……気づいてなかったのか?」

「いいえ、あそこにおわすのは本物のつごもり様です。貴方方こそ、その区別もつかないのですか?」

「馬鹿なことを言うんじゃねえ!俺がかいを見間違うわけねえだろ!!」

「氷見さん、本気なの?あそこにいるのが本物だって、思ってるの?村上が、そう言ったの……!?」


 氷見がまるで泣き出した赤子をみるような目で私達を見下ろす。乳か小便かただの眠気か、ぐずる理由を探す母親の視線そのものだった。


「お労しいわ。そんなこともわからなくなってしまったのね……」


 氷見が人差し指をぱちんと鳴らすとぞろぞろと手術着に身を包んだ男が入ってくる。

 私達の周りを取り囲むと手袋をはめて両手の手の甲を外に向ける。


「なにを……!?」

「百足が出ました。」


 氷見が手術着の男たちにその場を譲りながら答える。


「あれから身を守る術は人類にはない……――――我々は貴女方に……つごもり様に縋るほか無いのです。」


 手術着を来た男たちとは私と日吉ではなく、先に捉えられた女性の周りを取り囲む。カチャカチャとなにやら音を立て準備を整えていく。


「麻酔を。」

「何をしようとしているの!?」


 指が動かせるようになっても、拘束を解くことは叶わない。


「貴女方には、百足を退治するために”知恵”を取り戻して頂きます。」


 氷見が青いマスクを口にかけながら手を消毒している。


「答えて!京子!!何をするつもりなの!?」

「あなや!斯様な……ああ、人とはこうも酷な所業が出来るのか……」


 神の比ではないと日吉が嘆くと、氷見は神よりマシですよとバッサリと切り捨てる。


「貴女の所為ですよ。千鶴さん。」

「え?」

「貴女が”知恵”を取り戻さないから、こうせざるを得ないのです。」


 カチカチと時計の音が鳴り響く。


 氷見は、言っていた。


 丁度いい贄が手に入ったと……


 それは村上朔也ではないと……


「貴女方には、人を辞めて頂きます。」



「やめて!!」


 何をしようとしているのか、理解した。


 氷見は私達人でなしに馳走を与えようとしている。



 ――――《《堕ろした胎児を食わせようとしている》》。






「お願い!!やめて、京子ちゃんッ!!!」



「この女は《《私同様》》、《《父に強姦されました》》。」


 静かな声色で氷見が続ける。


「子供に罪はない。よく聞く謳い文句です。そうでしょうか?宿った時点で罪なのです。此世で最も無垢で罪深い生命。これぞ至上のつみしろですよ。貴女方の目を覚ますに相応しい、よい馳走でしょう?」


 氷見が般若面のように大きく口を歪ませて笑う。


「本当にやめて!!お願い!!」


「何を嫌がっているのです?お前達だって人間に風習を植え付けてつみしろを作り出し贄として貪っているじゃあありませんか!その生命と何が違うのです!?」

「違う!違うのぉッ!本当にやめて、お願い!!お願いします!!」

「千鶴さん、貴女には私の子を差し上げましょう。全部召し上がってくださいね。」

 泣いて懇願しても男たちはその手を止めようとしない。


「食しなさい、人でなし!……人を……救いなさい!!」



 刹那、猿叫が部屋中に響き渡る。




 日吉がブチブチと拘束を引きちぎると、隣で寝かされている女性の腹に手をかざす。



「拙僧は、赤子が好きである。」


 ずるりと、腹から赤黒い塊を引きずり出す。

 日吉は大切なものを扱うように胸に抱きしめると深々とその頭を垂れてまるで猿のように天井のライトに飛びついた。

 手術着を着た男たちは一瞬呆気にとられるが、すぐに捕まえようと台の上に上がって両手を伸ばす。

 日吉はするするとその手を交わしながらライトより更に上の天井にへばりつく。


「母体の腹の中で自ら食らうのを好むのであって、外で無理やり食わされるものは良しとしない。」


 俯いた顔をゆっくりと上げると、そこにはいつもの猿顔ではなく猿の仮面が張り付いていた。

 まるで中国の伝統舞踏「変面」で一瞬で切り替わるあの面が、紺色の紐で皮膚に縫い付けられている。


 日吉の手のひらの赤黒い塊が徐々にその大きさを増していく。

 片腕に抱けるやっとの大きさになると、ぱっかりと割れて中からまるまるとした赤子が現れる。




「――――愚弄しおってからに、不愉快じゃ。」



 そう言って日吉は赤子を放り投げる。

 腕の拘束が不意に外れる。

 全身の力を集中させて起き上がると、氷見を押しのけて弧を描いた先に滑り込み赤子を両手で受け止める。


 ほぎゃあ、と赤子が腕の中で産声を上げた。




 ――――生きている。


 ああ、と声を上げて赤子を抱きしめる。


 生きている。


 誰にも祝福されず、神の餌にされかけた生命が生きている。

 瞳から先ほどとは違う涙が溢れ出す。

 赤子の顔に頬を寄せる。

 ほのかに甘い香りがした。



「やってらんねえ、帰る。」


 日吉はそう呟くと一度地面に降り立った後、バネのように跳ね返り天井を突き破る。

 そして少年漫画のキャラのように5階分をぶち破り空へと消えていった。

 降り注ぐ破片から赤子を庇うように身をかがめ、背中にあたるセメントの破片の痛みに薬が抜けたばかりの体で耐える。



 暫く、全員が呆然と立ちすくんでいた。


「まだ……まだよ!まだ、贄はここにある!」


 はっと意識を取り戻した氷見が声を張り上げる。

 先程の手術で使われたメスを握り大きく振り上げるが、同時に何かがぶつかってその刃は腹に突き刺さることなくカランと音を立てて床に落ちる。


 メスの隣に親指大の大きさの石が転がっている。

 投げられた方角に目を向けるとモップを手に持った男と大柄な女が立っていた。

 つぶらな丸い瞳、長く突き出た前歯、分厚い瓶底のようなメガネ、ワックスで塗り固めた七三分け、げっ歯類のような顔立ち。


「部長……」



「助けに来たよ!西さん!!」


 ――――鋒部長と三次だった。


 二人は廊下の光を背に浴びて駆けつけたヒーローのように片手を前に突き刺している。


「ああ……」


 二人は私の腕の中で泣く赤子に気がついて駆け寄って崩れそうになる私の体を支える。


「西さん、大丈夫?……その赤ちゃんは……」

「贄だよ……――――つみしろだ。こいつらこの子を私に食わせようとした!」

「……ッ!?」


 三次が絶句しながら腕の中の赤ん坊を見る。

 先程まで摘出されたばかりの胎児だったとは流石に口に出せずぐずる赤子を抱き胸に寄せる。


「おい!」


 手術着を着て真っ赤なゴム手袋をつけた男が叫ぶ。


「なんなんだお前たちは!どこから……ッ」

「……西さん、行こう!外に援軍が来る!」


 部長は私の腕を掴むとふらつく足を無理やり立たせて出口へ引っ張る。


「ここは私に任せて、二人は早く外へ!」

「三次ちゃん!」


 パァンッと右の拳と左の平手を叩き合わせると三次は機関車のようにこちらに駆け寄ろうとする男たちに突っ込んでいっった。


「三次ちゃん……ッ!」

「行こう、西さん!三次ちゃんは本当に強いから大丈夫!その子を早く安全なところへ……ッ!」


 部長に促されるまま私は赤子を抱え直すと出口へ向かって走り出した。

 一度首だけ振り返って後ろを確認すると、こちらに向かおうとする男たちを掲げては投げ飛ばす三次の姿が目に入りホッと一息安堵が漏れる。


 ――――部長は援軍が来ると言っていた。

 それまで持てばいいのだが……――――武器を出されない限りあの様子では大丈夫そうだ。


 ごめん。

 ありがとう。


 心の中で三次に感謝を述べると私は足に力を込めて全力で駆け出した。

 

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