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八朔日の贄  作者: 絶山蝶子
五話・村上家について
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村上家について・その2

 

「村上さん夜逃げしたわよ。」


 当日僕は待ち合わ時間より早く着いてしまいまだマンション前でぼーっと弥勒という男が来るのを待っていた。

 マンションがある場所は住宅街で、マンションの手前に少し小さめのスーパーと大手服屋が併設されいた。


 僕はここに何回か来た事がある。

 村上くんの家に上がって、きれいな母親に挨拶して、飼い猫を撫で、TRPGをして遊び一泊停まったことさえあった。

 村上くん一家が住んでいたマンションはあんな事件が起きた事もあって一時期マスコミやYouTuberや物見山が多数押しかけたようだが、事件から半年以上経って元の様子を戻しているようだった。


「あんた、村上さんの上の子とこのマンションに来たことあるでしょう。」

 はあ、と力なく返事した僕を見かけた事があるという買い物帰りの中年女性と村上家の近状を話した。


「マスコミと野次馬とすごかったわよ。連日煩いったらありゃしなかった。村上さんの家の前で大声で怒鳴り散らかす輩もいてね、外出する村上さん親子も石や卵を投げつけられたり……私等も散々注意したけど、度を超えた輩は絶えなくてね、2ヶ月ぐらい前だったかしら……」


 おばさんいわく、野次馬のうちの輩が一人、が玄関のドアを壊したのだそうだ。いつもは関わりたくなくて騒音に黙って耐えていたそうだが、流石に怖くて警察に通報したそうだ。

 既に誰かが先に連絡を入れていたようで部屋から出ないように指示を受け、その1,2分もしないうちにパトカーがマンション前までやってきた。

 おばさんは部屋から顔をのぞかせ固唾をのんで見守っていたらしい。

 するとどうも様子がおかしいようで、警察はバカを捕らえてパトカーに押し込んだあと、戸惑った様子で応援を呼んだ。最初に通報した2階に住んでいる若い男性が困り果てながら事情聴取を受けているのを見た。

 村上家の家の中は、家具を残した状態で誰もいなかったらしい。


「家具にはホコリが被っていて、少なくとも1週間前には逃げていたらしいのよ。身一つで……いえ、最低限のものしか持っていかなかったのね。下の子は退院して以来ほとんど家から出てこなかったし、奥さんも数日見かけていなかった。旦那さんは週に何回か出かけていたわね。買い出しとか仕事をクビになって新しい所を探していたんじゃないかしら。」


 両親の実家は事件発覚から時間を持たず絶縁宣言をし、取材にも一切応じていなかったので夜逃げの事が明るみになるのに時間がかかったようだ。

 朔也くんは重要参考人だ。僕は「大きな騒ぎになっていないということは、警察は引越場所を把握しているかもしれませんね」と述べるとおばさんはそうかもねと答えた。


「恐らくこのマンションの人間はみんな感謝してると思う。」


 小江さんを知ってる?と低く落ち着いた声でおばさんは続けた。


「小江さん家、まだ誰かいるのよ。ほら先日ご両親が亡くなったでしょう?でもその事ではあまりマスコミやYouTuberはやってこなかったわねえ――――――こんな事言うと怒られるかもしれないけど、いい気味だと、正直思うのよ。小江さんにはみんな迷惑していた。迷惑なんてもんじゃなかった。厄災よ。触ってはいけないなにか。お葬式で揉めたらしいけどざまあ見ろだわ。」

「はあ……」


 おばさんは淡々と続ける。


「身内のみにしても結構大きなお葬式をあげていてね、その割にこの間のご両親の葬式はとても小さいものだったらしいわ。詳しいことは知らないの、誰も参列してないもの。――――みんな、あの娘の視界に入らないようしていた。登校時間になるとみんな家に籠もって息を殺してやり過ごした。金欲しさに何人か当たり屋みたいにあの娘に関わりに行ったけど全員憔悴してマンションを去っていったわ。」

「そうですか。」

「私の息子だって……未だにピンク色を見ると顔を引きつるのよ。あいつ、タバコの灰皿で息子の顔を3回も殴ったのよ!4日!意識がなかった!左目の視力が大幅に落ちたわ!傷は一生残るってお医者さんに言われた!お金なんかで解決するものですか。あんな額、渡されたって許せるものですか。」


身内の話題に差し掛かったあたりで当時を思い出したのか、おばさんの顔が茹でダコのように真っ赤に染まっていった。

軽く相槌を打ちながら見ているとおばさんはこちらの冷めた様子に気がついて、声のトーンを少し下げる。


「――――2号のお姉さんなんて優しく道場なんかしたもんだから徹底的に粘着されて朝から晩まであのいかれたご両親に嫌がらせをされて自殺未遂までしたのよ!なのにどれだけ文句を言っても通じなかった。下の子の朔也くんは毎日引きずられて振り回されていつも傷だらけだった。……全く、殺されて清々したわ。八朔くんはよくやったわ。よく弟を守ったわ。」


 だからね、とおばさんは続けた。


「お友達だったんでしょう……八朔くんと。どうか気落ちしないでね。」


 聞いてくれてありがとう、あげるといって缶コーヒーを手渡しおばさんはマンションの入口に消えていった。


 貰ったコーヒーを飲みながらもう暫く待つと、マンション前に黒塗りの車が1台停まった。

 中からいかつい助手席と運転席から黒服の男が二人出てきて後部座席のドアを開けた。


 金色の短髪で顔にでかい一文字の傷が入ったラッパーのような格好をした若い男が先に降り腰を半分降ろし頭を下げた。習うように黒服二人も深々と頭を下げる。

 もう一人、中から、まるでモデルのようにスラリと背が高い男が出てきた。


 ジャケットに腕を通さず肩に羽織りに入れ首に金属の鎖とアクセをぶら下げていた。

 黒い丸渕のサングラスをかけた瞳が見えないにもかかわらず男が随分端正な顔立ちをしているのがわかった。

 足は長く僕より目線がひとつ上だったので恐らく身長は180を超えているだろう。

 髪は上が栗毛下が黒のインナーカラーを入れた短めのワンレンのパーマで、襟足を一部伸ばし長い三つ編みを肩にかけていた。

 おおきくあけた柄シャツからそこそこに筋肉のついた胸板と、腕にかけて入れ墨が見えた。

 パッと見た所、優男に思えたが、サングラス越しの視線が僕に向けられた途端、ゾッと空気がすこしひりつくのを肌で感じた。

 威圧感が、男がモデルでもなければカタギでもないと物語っていた。


「斉東多聞だな?」


 はいと答えると男は手に持っていた黒いカバンから名刺を一枚取り出した。


「はじめまして、弥勒藤太です。」


 そう言って手渡された名刺を震える手で受け取った。


「四代目八幡会本部長 弥勒藤太」と記されていた。


 思ったよりとんでもない奴が来てしまった。


 僕の素性を調べていたりスナックのママの彼氏と揉めたと聞いて、てっきり半グレ上がりかヤクザの下っ端あたりが来ると思っていた。

 小さな声で斉東と申します、と答えながら男を伺う。20代後半といったところか、その役職を背負うにはいささか若い気がした。


「村上から何か聞いているか?」

「荷物を預かれとしか……」

「だろうな。」


 深々とため息をついた男から香水とヤニの匂いが漂う。

 男は他の三人にこの場で待機するように命じると俺についてこいと促した。

 マンションの受付は事情を知っているようで、「お待ちしておりました」と頭を下げ、村上家が住んでいた部屋の鍵を弥勒さんに渡した。

 僕は黙って弥勒のあとをついて行った。


 1階の真ん中から西に2番目の部屋の前で立ち止まる。表札にはなにもなく扉には何度も殴りつけられたような跡があり、壁にペンキで殺人鬼とスプレーで書かれた文字を白く上塗りしていた。

 さらにもう一軒隣をちらりと見る。

 小江と書かれた表札。カーテンを閉めた窓の向こうで人影のようなものがこちらを伺うように動くのが見えた。


「親戚が住んでるんだってな。」


 良い神経してるよ、とぼやきながら弥勒はそちらには視線を向けずボロボロのドアの鍵を開けた。

 スリッパを拝借し中に入る彼の背中を眺めながら、そうなんですか、と返事を返した。彼は首だけ少し振り向いて、僕の方をちらっと見た。横目で見た彼の瞳は翡翠のような鮮やかな緑だった。


 


「手紙、村上からなんて来た?」

  

――――――彼に嘘をつかないほうが良い。


 声色のなんとも例え難い圧力。

 キリスト教系の協会に入ったときの上から落ちてくるあの視線に似ている。逆らわないほうが良い。

 なんとなく、そう直感し手紙の内容のありのままを話した。彼は見るからに不機嫌そうに顔をしかめ大きな舌打ちをついた。


「接見禁止中なのに疑問に思わなかったか?」

「――――――――村上くんからじゃ、ないんでしょうか?」


 村上くんの名を語る誰かがいるということだろうか。弥勒は「いや、」と顔をそむけ前に向き直した。


「村上で間違いない。弁護士通じて誰かに代筆させたんだろ。かわいそうになぁ、お前、唾つけられてんぞ。」


 一瞬なんのことかわからなかったが、ハッとして背筋が凍るのを感じた。日常生活を送る上で、何一つ気が付かなかった。そもそもその原因の半分は、眼の前の男である。


 カーテンは取り除かれているにも関わらず、じんわりと家の中は暗かった。

 玄関の入口の横の二部屋を素通りし、奥のリビングに入る。

 失踪当時手つかずのままではなかったようで、きれいに片付けられていた。

 電源が抜かれた冷蔵庫、動いていない冷房機、空の食器棚、壁に貼ったポスター跡やここに家具があったろう部屋角の色の違い、残っていた家具の上のホコリや部屋の薄暗さも相まってどこも小汚いように思えた。


「招き猫を探せ」と、弥勒さんがカバンからゴム手袋を出し投げてよこした。


「ここは俺が探す。お前は前を見に行け。」


 弥勒は指輪を外すと自分の手にゴム手袋をつけ台所に入り、いささか乱暴に残っていた棚を物色し始めた。

 逃げた所で表で待機している部下に捕まるのオチだ。腹をくくって手袋をはめ台所を後にする。


 リビングにいた村上くんの母親に挨拶をするため歩いた廊下。

 今年に入っての事なのに、ずいぶん昔のことのように思える。

 

 トイレと風呂を通り過ぎ、玄関まで戻ると入口すぐの東側のドアを見る。

 かつての村上くんの部屋だった。

 向かい側が弟の朔也くんの部屋だ。ほずみとひらがなで書かれたプレートがなくなっていた。


 何回か、入ったことがあるのに初めて来たような居心地の悪さが背中を伝う。

 奥からガシャンと何か大きな物が倒れる音が聞こえて、はっと我に返る。

 探しものが見つからない弥勒藤太の機嫌は相当悪いようで、怒鳴り声のような「クソが!」という悪態が廊下にまで響いてきた。


 意を決してドアに手をかける。


 鍵はかかっておらずすんなりとドアは開いた。



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