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八朔日の贄  作者: 絶山蝶子
十九話・つきはじめ
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つきはじめ・その4

 


 翌朝、歩けるほどに回復した私は、室内に設置されたシャワー室で2日ぶりのお湯を浴びることが出来た。


 安物のリンスインシャンプーをこれでもかと泡立てこびり着いた汗と百足の体液を洗い流す。

 汚れが排水口に抜け毛と共に絡まって落ちる様子を見て、心から深い安堵を吐息とともに吐き出した。


 ――――やっと生き延びた実感が涌いてくる。


 噛まれた腕を確認するとそこはやはりいつも通りで跡形も傷は残っていなかった。


 晦はどうしているだろう。



龍首たつかべさんは行かなくていいんですか?」



 あの時、私は呼ばれなかった。


 怪我をした恋人を招集すれば非難される、ただそれだけの理由で。

 普段人の視線など気にも留めないくせに、どうして……――――

 あの虫けらの卵が全国に……――――世界中に産み落とされているのに黙って見ていることしか出来ない。


 温かなお湯に打たれながら瞼を閉じる。


 暗闇の向こう側で一つ目の招き猫がこちらを視ている。


『心配するなよ、それ程じゃないって事だよ。』


 どれだけ今までの害獣と力の差を見せつけた所で、彼にとっては然程取るに足らない害虫でしかないのだろう。

 本当に家に百足が出た程度の事なのだ。



 彼の口ぶりから、神と畜生共の関係は想像するよりそんなに深刻なものではないように思える。


 彼は例えるならば、誰もが忌み嫌う「《《話が通じる程度の知能を持ったゴキブリ》》」を憐れんで「自分の家に出て特定のゴミ箱に捨てられた残飯を漁ってもいい代わりに他所の家には出没するな」と言い聞かせているようなモノなのだろう。

 決して可愛がってはいないし、無闇に殺すのは可哀想だからと多少の繁殖を見逃しているだけで、ゴキブリの数が増えれば殺虫剤を撒くし、逆に好んで放置している益虫を巻き込んではいけないと耐え忍んで共存に甘んじている。


 彼の慈悲を理解できないゴキブリは調子に乗って好き放題に残飯を漁る。

 ゴミ箱の外に溢れた残飯を"家の中にあるのだからセーフだろう"と勝手に解釈を広げ、汚らしい足で部屋中を徘徊しているのだ。冷蔵庫の中に眠る新鮮な食材に「賞味期限が近いよ」と唆しながら。


 増えすぎた害虫の駆除が追いつかなくなっているから友人の手を借りている。

 彼にとって、《《あくまでその程度のノリでしかないのだ。》》


 本当に私が行くまでもないのか。


 それとも何の力も使えない私程度はお呼びではないのか。



 シャワーを出ると氷見が50代の相澤という細身の中年女性を引き連れて、着替えと化粧道具を用意して待ってくれていた。

 氷見の扱う化粧品は安物過ぎて私の肌には全く合わないのだが、ノーメイクで外に出るよりマシだと言い聞かせその善意に預かることにする。

 簡単に化粧を済ませ用意されたピンク色のトレーナーを手渡される。氷見や相澤が着ているヨレヨレのものと違い比較的新しいものであったが、所詮は人が着崩したお古だった。生心地は悪く肌に触れる度に怖気が走ったが助けを求めてこの場にいる手前、わがままなど言えるわけもなく嫌悪感が顔から出ないように必死で袖を通す。




 その後、私は二人に連れられ施設内を案内された。


 私が収容されたのは女子棟と呼ばれる北東に設置されたブロック状の建物で、そこには現在20人ほどの女性が寝食を共にしているようだった。

 根っからの信者は7,8人程で他はDV被害から逃げてきたり公共のセーフティーネットからこぼれ落ちたりと、様々な訳あり事情を抱え施設に身を寄せているそうだ。

 この棟への入口は渡り廊下一つしかなく、その先に家族棟、祈祷室、懺悔室、会議室と繋がり、部長がいる男性棟へはその都度の閑所で何回も身分証明を行わなければ入れないようになっていた。


 家族棟には現在3家族、男性棟は10人前後、教団のスタッフや食堂のシェフ、清掃員など外注の職員を合わせればそれこそ地方の大きめな病院程の人数がここで生活を送っている。

 この数や顔色は流動的で、根っからの信者以外はあまり長居することはないのだという。しかし大きな施設ではあるがこれだけの規模と人数を賄える財力が一体何処から出ているのか正直不思議でしょうがない。よほど太いパトロンでもついていない限り難しいのではないか。


「村上さんのご一家も10月の頭ぐらいまで家族棟で生活してたのよ。弟さんは引きこもって談話室にも祈祷室にも顔を出すことはなかったわね。でも図書室には人のいない時間を見計らって何度も訪れてたみたい。……まーここの生活って本当に暇だからねえ……思春期の男の子には耐えられなかったんじゃないかしら……」


 自慰すらままならないでしょう?と語る相澤の口ぶりに背筋が凍るような気持ちの悪さを覚え思わず口元を抑えた。

 氷見もそうだが相澤……――――いやここに所属する全員が皆一様に口が軽い。


 他人から聞いた、見て知った出来事をさも自分の体験談のようにベラベラと話す様子は見ていて心地の良いものではない。


 私の一挙一動もこうして施設内で出回っているのだろう。


 全員で状況を把握し、その中に嘘を混ぜて撹乱させる。

 皆があけすけに何もかも話すから隠し事も下手な動きもできない。

 世間話で互いに監視し合っている。


 唯一スマホの使用許可が出るロビーはいつも人で賑わっていた。

 よほど切羽詰まった事情がない限り外出許可は容易く降りるようで、家族棟から10代の少年少女が付き添いの職員に連れられて学校に通っている姿も見かけた。


「一応、外出する際には何人か付き添いを派遣する決まりになっています。外で身内と出くわしても、その身を安全に守るために多少の武術を心得た者たちをです。」

「雇うにしても育成するにしても、手間隙かかるだろうに……どっから資金を得てるの?ここにいる人達のお布施じゃあ絶対に足りないでしょ?」

「――――世の中には憐れなものを守りたいと申し出てくれる富裕層が一定数存在するのですよ。普段よっぽど身に覚えがあるのかしら、生前に少しでも善行を積んでおきたいと願う方々が。」

「ふーん、偽善だねえ。」

「あら、善とは偽善の積み重なった結果に寄るものですよ。此世に代償や見返りを伴わない事柄は有りませんわ。」


 氷見はまるで自分のことのように誇らしげに話す。


 施設の規模は大きいだろうが、世界的に見れば小さな宗教団体だ。

 カルト、と私が蔑む理由は氷見のように信仰に身を寄せるあまり視野が狭まり物事の本質……――――村上八朔の本性などが、視界に入らなくなっている姿があまりにも愚かしいからだ。

 また、彼らは困った人を助けたいと口にするくせに、本当に困っている人に手を差し伸べようとしない。

 多摩が施設内で村上を騙り麻薬を配っていた事を、見て見ぬふりを決め込んだ連中が善良な信仰心ある宗教家にはとても見えない。


 用事があった氷見と別れ、相澤に一番最後に案内されたのは建物中央に位置する祈祷室だった。

 温泉宿の宴会場を更に大きくしたような畳張りの拝殿の上座に丸く大きな鏡が祀られている。その鏡に背を向けた信者が各々に平伏し祈りを捧げていた。




 ――――思わず息を呑む。


 私の視線は鏡ではなく、その上に鎮座する黒く丸い形をした”《《なにか》》”に奪われた。




 なんだ?あれは……―――――




 半径5M程の大きさの真っ黒な球体。

 赤い縦縞が入り真ん中に大きな1つ目がキョロキョロとあたりを見渡している。


 下半分から無数の管が飛び出し足元に寝転がる首のない、ヘビの尾を持った虎と、正反対に生首だけの大犬と、ニケの像のように腕と首をもがれた天使のような女性からそれぞれ何かを吸い上げていた。



 彼の地元、朔日村で祀られた祠の中の招き猫にそっくりなあの”異形”





 …………―――――《《つごもりではない》》。



「西さん?」


 呆然とその場に立ちすくんでいると聞き覚えのある声が耳に飛び込んでくる。

 振り返ると車椅子に乗って青白い顔をした部長の姿がそこにあった。


「部長ッ!!」


 思わず近くに駆け寄ると彼はつぶらな瞳を細めてニッコリと私に微笑んだ。


「西さん、無事だったのか?」

「はい、部長も……その、大丈夫ですか?」


 私が着ているピンクのトレーナーとは違い薄い、部長は水色の病院服のような羽織を身にまとい点滴がついたままの状態で今にも死にそうなか細く震えている。付き添いに支えられ車椅子に乗った彼は本当に入院患者にしか見えなかった。


「わからないなぁ……どんどん息苦しくなるんだよ……――――でも体は何処も悪くないんだ……これがあの百足の呪なのかもね……」


 そう言って部長は自らの胸をさすりながら苦しそうに呻く。

 ――――これが本当に土壇場の演技だとするなら大した役者だ。とても私など敵いそうもない。


 相澤は私達が再会した様子を無言で見守り終えた後、スリッパを脱いて畳に上がると、「ごめんなさいね。」と断りを入れて他の信者たちと一緒に祈祷を始めてしまった。

 残された私は部長の付き添いのスタッフから車椅子のハンドルを預かり、入口付近に移動して賽銭箱の真横に座る神主の様な衣装に身を包んだ若い男性に軽く挨拶をする。


「すみません……会報に載せたいので何枚か写真撮ってもいいですか?御神体と信者さんは移さないようにしますので……」


 部長は息も絶え絶えな様子で写真撮影を申し出た。

 こんな状態……――――演技かも知れないが……でもオカルトオタクの野次馬根性を捨てない姿は呆れを通り越して尊敬すら覚える。


「勿論、勿論!どうぞ、ほら!」


 断られるかと思いきや男性は笑顔であっさりと承諾した。

 なんなら僕は平気だからとピースまでこちらに向けてきた。

 ご厚意に甘えて2,3枚写真を撮る。

 車椅子の部長は畳の上には上がれないので後ろから入口付近の板間に移動する。


 鏡に背を向けている信者たちがまるで自分たちに頭を下げているような光景が広がり、感慨でも茫然でも無いため息が口から漏れ出す。


「なんで神に背を向けるのだろう……」


 ぜえぜえと荒い息を繰り返しながら部長はボソリと呟いた。

 信者たちは深く頭を下げると拝殿に背中どころかケツを向けてしまっている。

 これは神道でなくとも本来なら大変失礼な行いのはずだ。


「……そう言えば、恋人も同じ様な風習があると言っていました。」


 憶測でしか無いが、私に猪の話をしたのは晦本人ではない……――――あの忌々しい紛い物も実家に伝わる大晦日の儀式について『鏡に背を向けて柏手を8回打つ』と言っていた。

 罪を犯した穢れなのだから神にあわす顔がないという意味合いだと文献には載っていた気がする。

 ツイタチは祭神を名乗りながらもその意味について全く理解していなかったようだった。恐らく、晦本人に聞いても同じようにまともな答えは帰ってこないだろう。


 ……――――風習や信仰とは所詮人が作る、人の法。

 祀られた神が強制したわけもなく人間が勝手にやり始めた対処法だ。


「人が作った因習を、神はようわかっとらんと思うなあ。なんかしょうるなぁぐらいにしか……」





 瀕死のふりをしながら写真を撮る部長や熱心に祈り捧げる信者たちの素振りから、あの球体は私にしか見えていないようだった。

 ゴウンゴウンと一定のリズムで刻む機械が回るような音も私にしか聞こえないのかも知れない。管で繋がれた首だけの大きな犬が退屈そうに欠伸をする。


「色んな施設に足を踏み込んだけど、ここは本当に落ち着くね。」


 一体何をほざき始めたのかと部長を振り返る。

 ひいひいと息を切らしながらつぶらな瞳を目一杯輝かせて部長は鏡を眺める。


「神社や教会とか宗教施設って相性があるんだけど、ここはなんというか……《《穏やか》》なんだね。」

「……穏やか?あれが?」

「少なくとも敵意のような威圧感は全く感じられないね。僕は君や三次さん、神辺くんのように直視できる程霊感はないけれど、そこに在るなにかの感情くらいは読み取れる。空気のようのなものかな。……――――今まで見てきた新興宗教の施設の中でこんな穏やかな空間はなかったよ。」

「……そうでしょうか……――――」


 確かに言われてみればピリピリとした威圧感は全く感じられなかった。


 ふと、朔日村の大社を思い出す。


 晦と共に参拝した時、拝殿から覗いた中は「空っぽ」であった。

 晦が祭神である宇摩志多智花津隠里比古神であるならば、確かに祀られているだけで本体はそこには存在していない。

 しかし空っぽながらも霊験あらたかな空気があった。

 ピンと張り詰められた緊張があった。

 人々が長い年月をかけ大事に慈しんだ畏怖が、確かに社の中を満たしていた。


 あそこで祀られる玉には空っぽどころか、あの中にはなにもない。


 管の先の者たちも、そこに意識は存在しない。

 時折獣らしい反応をするものの、あれはただの”知恵”の塊だ。


 あの玉は”知恵”を吸い上げる機械だ。


 神格も、威厳も、畏怖もない。

 只の機械でしかない。


 畜生のような生も……いや、あれはそもそも生き物で「すら出ない。




 氷見たちが言う「ツイタチ様」の本体なのか?




 あれが神か?


 意思も意図もなく管に繋がれ給餌をされるだけの塊が?



 ――――なんだあれは。


 こいつらは何をしている?

 あんなものに熱心に祈りを捧げて何になる?



 三次の言葉を思い出す。

 どれだけ話が通じても所詮異形の産物に縋る狂信者でしかないのだと。

 いや、信仰心は関係ない。

 部長ですらも疑っていない。



 嗚呼、

 ここにいる連中は皆、あんなもの(紛い物)つごもり(本物の神)の区別もつかないのか!



 ――――怒りを通り越して呆れ果てる。


 力が抜けてハンドルを握りしめていた両手がだらりと重力に従って垂れ下がった


「西さん?」



 ああ、わからないはずだ。


 村上もそうだったのだろう。


 理解できるはずがない。




 ――――その違いが解る私は、やはり人ではないのかもしれない。

 その場にしゃがみこみ両手で顔を覆い隠す。


 あれはなんだろう。

 ギョロギョロと瞳だけ動かして自分に背を向けて平伏する人をなんの感情も抱かずに只眺めている。

 あの球体は違和感に項垂れる「私」に気づこうともしないのだ。


 神も畜生もあのよくわからない球体も、人間からすれば”得体のしれない超常現象”でしかない。


「大丈夫?西さん……」


 どう説明すれば良い?

 この悔しさを、一体どうすればいい?


 本当に縋るべき相手はここには居ないと。

 お前たちが頭を下げているのは畜生ですら無いのだと。


『気にしすぎじゃ。知らんほうがええこともある。』


 暗闇の先で1つ目の招き猫が囁く。

 そもそも彼は無頓着すぎた。信仰を必要としないからとは言え、限度があるだろうに。

「つごもり」ではなく、「ツイタチ信仰」と呼ばれ始めた時点で異を唱えるべきだった。――――あまりにも、信仰を人の手に委ねすぎてしまっていた。


『お前だって、俺とツイタチの区別が全然ついてなかろうが。』


 そう言われるとぐうの音も出ない。


『人の好きにさせときゃあ、ええ。――――俺等はやるべきことをやるだけよ。』



 だから……――――

 貴方は、その”やるべきこと”に呼んでくれないじゃないか!




「誰か来て下さい!彼女、気分が悪そうなんです!」


 部長が演技を取り払うような大きな声を上げる。

 こちらの様子に気がついた相澤が慌てて側に駆け寄ると項垂れた私の肩を支えた。


 首のない虎が大きく背筋を伸ばし、繋がれた管を踏みつけながらぐるりとその場を一周して再び伏せる。



 呼ばれなければ、私の”知恵”も奪われいずれ《《ああ》》なってしまうのか。


 ――――ここに長居すべきではない。


 警告にも似た恐怖を覚え、耐えきれずその場に嘔吐する。


 相澤の悲鳴を真横で聴きながら、私は意識を暗闇に委ねた。




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