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第六話

「あっさり裏切りやがって、モトキヨの馬鹿……! っつーかなんなんだよあの女! この速さでモトキヨが俺様を裏切るほど惚れこませるって、やっぱあいつ危ないやつじゃないか!?」


「主、ルクレシア・カーライル嬢は素晴らしいお方です。主のそれは、おそらくは未知の感情に対する恐れでしょう。かの方は、誰もが恋をせずにいられない程魅力的なので。ですがご安心ください。悪いことではありませんし、悪いことは起きませんから」


「もうダメだ、モトキヨが壊れた……! どうしたんだモトキヨ。お前、なんであいつのことに関してだけそんな饒舌なんだ! っつーか、お前、そんなにいっぱい喋れたのかよ……!」


 ハリーファは、己が一番信頼している忠臣がすっかりおバカな犬みたいになってしまったことに、涙を流したとか流さなかったとか。



 さて、本日の主役はハリーファではあるが、彼はまだ一一歳になったばかり。

 いつかは帝位を継ぐと定められてはいるが、現状はまだ何かを成したわけでも、なにかを成せる権力を有しているわけでもなく、まだまだ勉強中の身である。

 よって、ハリーファ自身と話すことというか話せることというのはそう多くはなく、一通りの挨拶が終わった後は、多くの者は皇帝である兄の所へと向かって行った。


「……ジェレミーといっしょに、兄様の方に行かなくて良かったのかよ。むしろ行けよ。なんなら俺様から兄様に時間とってやってくれって頼んでやるからさぁ」


 ぶすりとした表情で、できるだけその攻撃力の高すぎる整った顔面を見ないように気を付けながら、ハリーファは自分の所に単身残ったルクスにそう切り出した。

 ハリーファの後ろにはモトキヨが立って控えているが、モトキヨは『ルクレシア・カーライル嬢があまりに美しいからと、照れてしまって。おかわいらしいところもあるのだな』とばかりに、ニコニコと主を見つめている。


 事前に『照れているのでしょう』とモトキヨから説明を受けていたルクスは、不器用な年頃の少年のそんな態度は、もちろん気にもかけない。

 ちょっと年上の綺麗なお姉さん=(ルーシー)には、どう接したら良いかわからなくなっても仕方ないよなと、ルクスは本気で思っているので。


「おい、なんだお前ら。揃ってニヤニヤしやがって。気持ち悪い」


 そうまで言ってもちっとも響いてなさそうな二人に、ハリーファはうぐぐとうなる。


「なんなんだよほんとにもう……。モトキヨがモトキヨのくせに、俺様の言うこと聞いてくれないし。おいお前、なにが狙いなんだよ! この国をどうこうしたいならふつーに兄様のとこ行けよ! どうせ、相手にされないだろうけどな!」


「いえ、特に皇帝陛下にもこの国にも興味がありませんが……。そもそも、妻のいる方に相手をしていただくことを望んでいるだなんて、ありえません。ルクレシア・カーライルを安く見ないでいただきたいですわ」


 やけくそ気味にハリーファが叫んだ言葉に、ルクスはスッと表情を消して冷たく返した。


 かわいい(ルーシー)を、いくら神聖帝国の皇帝とはいえ、既に妻がいる男になどくれてやるものかよ。妹を唯一絶対と信奉できない奴など、妹の取り巻きの一人にすらふさわしくない。

 そんな怒りの籠ったルクスの表情は、土台が美しいだけに、この上ない迫力がある。


 息を呑んで固まってしまった主に代わって、モトキヨがフォローに入る。


「申し訳ありません、ルクレシア・カーライル嬢。ハリーファ様ご兄弟は、父君とその妻たちが起こした騒ぎの後遺症なのか、どうも女性不信のきらいがありまして……。私から、謝罪させていただきます」


「……悪かったよ。でも、だって、実際みんな、誰も彼もが兄様に媚びを売りに行くじゃないか。今だって、俺様の元に残ったのはモトキヨとお前だけだ」


 深々と頭を下げたモトキヨに申し訳なくなったのか、ハリーファは不承不承謝りはしたものの、拗ねた表情で言い訳めいたことを続けて言った。


 今日の主役だというのに、今は、隣国から祝いに駆けつけてきたはずの友人(ジェレミー)も、敬愛する兄も、誰もこの一一歳の少年の近くにはいない。

 こういった場では大人は子どもを置き去りにし大人だけで固まって話をしがちなのはよくあることではあるのだが、よくあるからといってそれを子どもがつまらなく思わないわけではない。

 要するに、拗ねて意地の悪いことを言ってみたのだろう。


「謝罪を受け入れますわ。私も、感情的になってしまい申し訳ございませんでした」


 納得したらしく苦笑してそう告げたルクスの生ぬるいまなざしに、居心地悪そうにふんと鼻をならしてから、ハリーファは口を開く。


「どうせみんな、兄様が聖守護騎士の候補者に選ばれると思ってるんだろ。そしたら、いくら兄様が言ってたって、次の皇帝は俺様じゃなくなるからな。聖女だって、きっと兄様を選ぶだろうさ。聖女と兄様の間の子こそ、次期皇帝にふさわしい」


「既に妻のいる方が、候補に選ばれるとは考えづらいかと……」


「いや、俺様やその子孫のため、とかなんとかって、皇帝が複数の妻を持って良い法が、そのままにされてるんだよ。兄様は、聖女と結婚できないわけじゃない。まあ、兄様夫婦の関係にヒビ入れるようなこと、本当はあって欲しくはないけど……」


 ルクスが宥めようとしても止まらず、ハリーファはぶつぶつと愚痴めいたことをこぼした。

 そこから一段ヒートアップし、彼は続ける。


「けど、この国の皇族から候補者が一人も選ばれないなんてことがあったら、神聖帝国なんて名乗っておいて女神に見捨てられたのかって話になるじゃないか! そんなのは……」


「この国からは、ハリーファ様が選ばれると思いますわ」


 感情的に叫ぼうとしたところに、ふわりと柔らかなルクスの声が重なり、ハリーファはピタリと止まる。


「……は、はあ? そんなの、あるわけないだろ。聖守護騎士の候補者ってのは、性格含めあらゆる面で優れているが、特に戦う力が秀でているものなんだよ。兄様を差し置いて、モトキヨにすら簡単に転がされているような俺様が、聖守護騎士の候補者に選ばれる? ないだろ」


「いいえ、あります。ハリーファ様は、聖守護騎士の候補者に選ばれますわ。絶対に。例え兄君が結婚していなかったとしても、ハリーファ様こそがこの国の誰よりも候補者に相応しい方かと」


 ぎこちなく再起動をかけたところに更に自信満々に返されて、ハリーファは今度こそ言葉を失った。


「才だけで考えれば、十二分にありえるかと。確かに、陛下はこの上なくお強いですが、ハリーファ様の歳でそこまで動けていたかどうかは……。私は、ハリーファ様であれば、いずれ陛下を越えると思っております。ルクレシア・カーライル嬢、さすがのご慧眼ですね」


 モトキヨまでうんうんと頷きながらそう言って、ハリーファはルクスたちがどこまで本気でそう言ってるのかを探るように、彼らの顔をちらちらと窺う。

『だって、(ルーシー)がそう言っていたし』と確たる根拠と自信を持つルクスも、ハリーファを主と定め深く敬愛しているモトキヨも、一切揺るがず、ハリーファこそが選ばれると確信した表情をしていた。


「ふ、ふん。まあ、俺様だからな。おまえらがそう思うのも、仕方ないかもな。でも、兄様は本物の天才なんだよ。あの人は、本当にすごいんだ。一五歳になるかならないかの頃に、なにもできない赤ん坊だった俺様のことまで護りきって、この国の頂点に立ったんだから」


 だから、自分は彼を越えることなどできない。

 そう言いたげなハリーファに、ニコリと、実に美しく、あまりにも堂々と、ルクスは微笑む。


「そうですね。そしてハリーファ様は、そんな皇帝陛下の弟君です。生まれの条件が同じ以上、お兄様のできることがあなたにできない道理などないでしょう。そこに努力を重ねれば、お兄様よりも上に至れないわけがありません」


「……は?」


「私にも、とてつもなく美しく愛らしく特別で格別な女神様に愛されたとしか思えない素晴らしく有能なきょうだいがいるので、自分などまだまだだと思ってしまう気持ちはよくわかります。けれど同時に、そんなあの子と同じ血が流れている己が、とても誇らしいのです」


 ルクスはこの時完全に(ルーシー)の話をしていたが、ここで妹とはっきり言ってしまうとマズイことはわかっていたので、一応『きょうだい』という表現にとどめておいた。

 一段笑みを深めて、ルクスは畳みかける。


「あの子のきょうだいとしてふさわしい自分でいたい。あの子が誇れる自分でありたい。あの子が愛してくれる自分ならば、きっとこのくらいできる。なんだってできる。私は、いつだってそう、思っております」


「俺様は、兄様の弟だから、なんだってできる……? 兄様は確かに、俺様を愛してくれている。いつだって褒めて、認めてくれていて……、そんな特別な俺様なら、聖守護騎士の候補者に選ばれることくらい、できる……?」


「ええ、その通りです! 兄とは先を行く者。下の子は、そこから学び、より高みに至れるはずです。きっとお兄様も、あなたのためによろこんで力を貸してくれるでしょう」


「そう、かも……。それで、兄様にとって、自慢の弟に……、ああ、なりたいな。そうか。腐ってる場合じゃない。女神も認めずにはいられないくらい、もっと、もっと、もっと努力して、兄様のように、いや兄様以上に、強くてかっこよくてすごい男に……」


 ルクスに促されるままにハリーファはそこまで言葉にして、けれど優秀な兄の背中をずっと見て来た故の自信のなさから『なってやる』とまでは断言できずに、うろ、と視線を泳がせる。

 しかしさまよわせた視線の先には、ハリーファが頑なに目を逸らせ続けていた、魔性が。


「なれますわ、ハリーファ様ならば」

 この上なく美しい笑みを浮かべて、はっきりと、ルクスは断言した。


 とうとう正面からまともに見てしまったその美しい人の、あまりにも美しい笑顔。

 少しもゆるがぬ瞳の力強さとまなざしににじむあたたかさと優しさは、ハリーファを心から信じ肯定してくれていると感じずにはいられない程。

『俺様』などと自称し必死にごまかしてきた自信のなさと兄への複雑な感情を暴かれ打ち砕かれ希望へと変えられたハリーファ少年は、その瞬間に、初恋へと叩き落される。


 落ちる、などと穏やかでも生ぬるいものでもない。

 警戒をしていたからこその落差。

 疑ってかかっていたからこそのインパクト。


 あまりに鮮烈な主の初恋。その瞬間を目撃してようやく、モトキヨは主の直感と『俺様に近づけるな』の言葉が正しかったのかもしれぬと、ちょっぴりだけ思った。

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