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大切な人が亡くなったとき、私達は後悔しかできない  作者: 九傷


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2/2

大切な人が亡くなったとき、私達は後悔しかできない(後編)

 


 内心はともかくとして、表面上は何事もなく平穏に過ごせていた休日は、たった一本の電話で狂ってしまった。

 動揺したお母さんは悲痛な叫びを上げ、お父さんも半ば茫然としているのか頭の回転が少し鈍っているように見える。


 それでも、時は一刻を争う状況だ。

 全員が休日を家で過ごしていたため外出の準備は一切できていないが、すぐにでも病院へ向かうべきだろう。

 残念ながら、我が家は全員免許こそ持っているが、車には5年以上乗っていないペーパドライバーしかいない。

 バイクで向かうワケにもいかないので、移動手段は電車かタクシーを利用するほかないだろう。

 そして、電車を使うのであればどうしても時間がかかるため、今の状況ではタクシー一択となる。


 しかし、休日ということもあって地元のタクシーはほとんど出払っているらしく、手配できるのは30分後になるそうだ。

 どうしようもないこととはいえ、この状況で30分はかなりのロスである。

 焦りは募るばかりだ……





 ――それから数時間後、私達は兄の入院している病院に到着した。

 ギリギリ深夜料金にはならなかったものの、それでもタクシー代は数万円と今まで払ったことのないような額となった。

 正直手痛い出費だけど……、そのお陰もあって私達はなんとか間に合った。



「血圧が下がっており、自力で呼吸もできない、非常に危険な状態です」


「そんな……」



 兄はかなり重度な脳梗塞であるらしく、既に右半身が機能していない状態なのだそうだ。

 これは仮に意識を取り戻したとしても回復する見込みはないらしく、二度と普通の生活には戻れないらしい。

 原因は一つではないが、大きな理由として血糖値の高さが指摘された。


 兄は以前仕事を辞めて引きこもっていた時代に糖尿病を患い、その後も継続的に投薬治療を行っていた。

 しかし、ここ数か月はその投薬を絶っていたようだ。

 理由は本人に聞いてみないとわからないが、恐らくは金銭的な面が大きいと思われる。

 お金もないんだからタバコは控えろと忠告したのに、一番大事な薬の方をやめるなんて、本当に兄らしい……


 血糖値が高い場合、脳梗塞になる確率は通常の約3倍になるのだという。

 さらに、三種類ある脳梗塞のタイプの内、より重い症状になりやすいのだそうだ。

 投薬などの治療にも影響を受けるようで、死亡率も高くなるのだとか……



「本当に、どうにも、ならないんですか……?」


「我々もできる限りのことはするつもりです。しかし、それでも厳しい状況だからこそ、こうしてご家族をお呼びしたことをご理解ください」


「ああ……」



 当然だが、お医者様に罪はない。

 ここまで状態が悪化してしまったのも、全ては兄の自業自得だ。

 しかし、家族である私達は、その一言で簡単に片づけることはできない。

 ……何故ならば、私達はそれを補える立場にあったからだ。



「今後の方針についてお話をさせてください――」



 私達は一旦別室に案内され、お医者様から今後の対応について説明を受けた。


 まず、現状自発呼吸が困難な状態であるため、人工呼吸器をより強力なものに切り替える必要があるとのことだ。

 これは私達の許可を得ればすぐに可能であるらしく、迷うことなく切り替えてもらうようお願いした。


 次に、それでも状況が改善されない場合、延命治療を行うかを確認された。

 漫画やドラマなどではよく目にするが、まさか実際に自分達がそれを決めることになるとは思いもしなかった。



「それをすれば、助かる可能性はあるんですか?」


「いえ、実際の延命治療とは文字通りただ失われる命を繋ぎ止めるだけの治療となります。そこから回復する見込みはほぼありません」



 フィクションの世界では、数年の延命治療から奇跡的に復活するなんてことは割と普通に起こりえる。

 しかし現実の延命治療は、呼吸を無理やりさせ、強制的に心臓を動かすような治療であり、既に死んだ機能が復活することはあり得ないらしい。

 果たして、それを生きていると表現していいのだろうか……?

 聞くところによると、欧米などでは既に延命治療自体が禁止されているらしい。

 日本でも、延命治療費より年金受給の方が多いことから、損得勘定で無理やり延命する人もおり問題視されているようだ。

 無論私達とは条件が異なるが、延命治療とは本質的に治療される本人のためではなく、それを望む親族側の都合であるという点では同じと言える。



「延命治療の装置は、一度装着すると基本的に取り外すことはできなくなります。また、意識がない以上本人がそれを感じ取ることはないと思われますが、管を直接喉に通すこととなるため非常に辛く、苦痛を伴います」



「「「…………」」」



 意識が戻っていない以上痛みを感じることはないハズだが、絶対に感じないとは言い切れないらしい。

 さらに、延命治療の装置を取り外せる条件は、意識が戻るか、死亡が確定するかのどちらかしかないのだそうだ。


 ……正直私は、絶対行うべきではないと思った。

 理由は単純に、これ以上兄を苦しめたくないと思ったからだ。


 兄は自分勝手だし、ダメなところも多い人だったが、良いところも沢山あった。

 特に人を喜ばせることが好きだったので、兄の周囲には友人も多かった。

 私も別に嫌ったりはしておらず、むしろ世間的に見ればかなり仲の良い兄妹だったと思う。

 多分だけど、兄も家族の中では私に一番気を許していて、色んな相談に乗ったこともある。


 仕事を辞め、実家で引きこもっているあいだ、兄はよく「生きているのが辛い」「毎日がしんどい」と弱音をこぼしていた。

 それでも、「自ら命を絶つ勇気はない」「ダメな兄でゴメンな」と……

 その言葉を思い出すと、楽に死なせてあげることこそ、兄にとっては幸せなのかもしれない――と思わずにはいられなかった。


 でも、それを口に出して、本当によいのだろうか?

 たとえそうだとしても、こんな形での別れは兄だって本意ではなかったハズだ。

 お母さん達に、薄情だと思われないだろうか?


 そんな葛藤が、頭の中で繰り返され、言葉を発せられずにいた。

 ……でも、決断は早くしなければいけない。

 私は覚悟を決め、口を開く。



「私は、これ以上兄さんを苦しめたくない」


「美凪……」



 私は二人を動揺させないよう、兄の弱音については触れず、自分の考えを語った。


 恐らく、延命治療には膨大なお金がかかる。

 それを支払うのは私達三人になるが、実家のローンは残っているし、二人の年金や私の給料だけで支払うことはとても難しい。

 さらに兄は、細かいながらもあちこちで借金をしていた。

 子どもの借金を親が払う義務はないが、確か一部は連帯保証人になっていたハズなので、もしもの場合は支払い義務が発生する。

 兄はそれにも負い目を感じていたので、これ以上お母さん達の負担になることを望まないだろう。


 ……もちろん、これは私の勝手な想像なので真実はわからないけど、兄の性格については二人もよく知っている。

 納得してくれたのか、反論されることはなかった。



「……わかりました。私も立場上確認せざるを得ないため確認しましたが、ここから持ち直す可能性も十分にあります。全力で治療にあたらせていただきますので、宜しくお願いいたします」


「「「こちらこそ、宜しくお願いいたします」」」









 幸いなことに呼吸器の取り換えで血圧が安定したため、ひとまず峠は越えてくれたということになる。

 ただ、危篤状態から脱したのはよかったが、代わりに病院にはいられなくなってしまった。

 そのため、その日はとりあえず兄の住んでいるアパートに泊まらせてもらうことにする。

 危篤状態ではなくなったと言っても、いつ容態が急変するかわからないため実家に帰る余裕はなかったからだ。


 そして翌日再び病院に向かうと、兄の容態は大分落ち着いているようであった。

 出ていなかった尿も排出されたようで、体の機能も僅かながら回復しているらしい。

 しかし、この状態になると通常の患者と同じ扱いになるため面会は禁止になってしまった。





「じゃあ、私は一旦帰るね」


「うん、気を付けてね」



 兄は未だに意識を取り戻していないため、お母さん達はこのままここに残ることになった。

 大家さんに事情を説明すると、しばらくここで生活するのは問題ないとのことだったので、落ち着くまではこのアパートで暮らすことになる。

 正直清潔な空間とは言えなかったが、少なからず兄の努力を感じられる部分もあって、なんだか少し微笑ましい。


 私は仕事があるため、一人で実家に戻ることとなった。

 久しぶりの電車で少し緊張したけど、昔は電車通勤だったのですぐに当時の感覚を思い出した。


 それからしばらくは、実家と兄のアパートを行ったり来たりすることになる。

 体力的にも金銭的にも負担は大きいが、気持ち的にはそこまで苦に感じなかった。

 ただ――、



「っ!?」



 スマホの電子音が鳴るたび、ドキリとさせられる。

 実のところ、あれから何度も病院から電話がかかってきており、私もお母さん達も心臓に悪い生活をしていた。

 食事も基本的にスーパーやコンビニで買った総菜ばかりだし、健康面もあまり良い状態ではない。

 それでいて仕事も普通にあるのだから、「こんな生活いつまで続くのだろう?」と弱音をこぼすこともあった。


 今日も数時間かけて実家に帰ってきて、コンビニで買った弁当を温める。

 明日はまた仕事なので、忙しないが色々と準備もしなければならない。



「はぁ…………、っ!?」



 長いため息をついた直後、スマホから電子音が鳴り響く。

 実家に戻ったばかりだというのに、最悪のタイミングだ。



「もしもし!? 穏和(やすかず)が、また危篤だって!」



 流石に今から再び兄の元へ向かうというのは厳しい。

 私は電話越しに声をかけさせてもらい、無事を祈るしかなかった。



「本当、タイミング悪すぎだよ……、私、さっきまでそこにいたんだよ?」



 こんなことなら、有休を取ってでもアパートに残れば良かったと思ってしまう。

 でも、それは不安が勝ればこその行動であり、ポジティブに考えるのであれば私の行動は間違っていない。

 そう自分を正当化しながら、眠れぬ夜を過ごした。





 ――そして翌日、仕事中に再び電話がかかってきた。

 昨晩は結局持ち直してくれたとのことだったので少し安心したのだけど、これだけ短い間隔で連絡が来ると嫌な予感がしてくる。

 そして、その予感は的中してしまった。


 兄の心臓はもう、いつ止まってもおかしくないという話だった。

 私はすぐさま仕事を早退し、タクシーで病院へ向かった。

 我ながら最速で行動できたと思うし、実際到着もこれまでで一番早かったと思う。

 ……でも、間に合わなかった。



「……心臓は止まっていますが、呼吸はしています。まだ耳も聞こえていますので、どうぞ声をかけてあげてください」



 確かに、兄はまだ呼吸をしていた。

 それは呼吸器により強制的にさせられている状態ではあったが、確かにまだ胸は動いていた。



「私、間に合った、よね?」


「っ! うん、うん……! 美凪は、間に合ったよ……!」



 兄の心臓は、私が到着する1時間前に止まったのだという。

 なんとか間に合わせようと向かっている私に、お母さんはどうしても知らせられなかったのだそうだ。

 だから、私は間に合ったことにすると決めた。

 ……いや、事実、私は間に合ったのだ。



「兄さん……」



 涙は、流れなかった。

 兄さんが倒れてから今に当たるまで、一度も……


 悲しくなかったワケじゃない。

 覚悟ができていた――、というのも少し違う気がする。

 ただ、私はどこかで諦めていたんだと思う。





 ……元々兄は、そこそこ給料の良い企業に勤めていた。

 しかし、人間関係はあまり良くなかったらしく、ある日転職をすると言い出したのである。

 安定した給料を得られているのに転職するのはリスクじゃないか? とは思ったが、それでも転職したいと思うほど今の職場が嫌なのであれば、兄の気持ちを尊重すべきだと――その時は思った。

 しかし転職した先はいわゆる求人詐欺であったらしく、欲しかったのはあくまでもスタート直後の即戦力で、兄は1年もしないうちに追い出されることになってしまったのだ。


 恐らくあの転職から、兄の人生は狂い始めたのだと思う。

 仕事を辞めた兄は引きこもりとなり、そのあいだに健康を害した。

 借金も作るし、人の言うことも聞かないため、家族関係もどんどん悪化していった。

 そして、段々と居場所のなくなった兄は、家を飛び出したのである。


 あのとき私は、出ていく兄を必死で止めた。

 滅多に流さない涙まで流し、普段は恥ずかしくて口に出さないような感謝や思いを伝えた。

 そこまでしたのは、このまま兄が出ていけば、確実に死に別れることになるだろうと思ったからだ。


 恐らくお母さんもお父さんも、そこまでのことは考えていなかったのだと思う。

 二人の態度はどこか冷めていたし、多分自分でなんとかしろという気持ちの方が強かったんだろう。

 私とは違い、金銭面で直接迷惑を被っていたのはお母さん達なので、その心情もしかたなかったと言えるだろう。


 しかし、兄から度々相談を受けていた私は、二人よりも正確に兄の状態を理解していた。

 だからこそ私は、これで最後になるかもしれないという覚悟で、兄を止めたのである。

 ……しかしそれでも、兄に私の言葉は届かなかった。



 あの瞬間、私の中で何かがプツリと切れたのだと思う。

 これまでのように親身になって兄の相談に乗ることもなくなり、時折やり取りするメッセージの内容も淡泊なものになっていった。

 兄が最後に送ってきた弱音と謝罪のメッセージに対し……、私は、返事すら返していない。



「ごめんね……」



 この謝罪の意味は、きっと二人にはわからないだろう。


 正直なところ、私ほどではなくとも、二人だってある程度は覚悟しているものと思っていた。

 兄の健康状態のことは知っていたハズだし、一人になれば悪化するであろうことは目に見えていたからだ。

 だから、こうなる未来も想像くらいはしているだろうと思ったのだけど、私が見る限り二人にそんな雰囲気は一切なかった。

 ……多分だけど、お母さん達は兄のことを良い意味で信頼していたのかもしれない。



 そう考えると、やはりこの結果は防ぎようがあったように思えてしまう。



 もしあのとき転職を止めていれば、兄の人生は狂わなかったかもしれない。



 その後のメンタルのケアにもう少し協力的であれば、兄は病むことがなかったかもしれない。



 借金に気づいた時点でもっとしっかりと対処すれば、金銭的に苦しむこともなかったかもしれない。



 健康が損なわれないよう定期的に私達がチェックしていれば、もっと軽症で済んだかもしれない。



 家族内でちゃんと話し合い、情報共有できていれば――、兄が家を出ていくのを止めることもできたかもしれない。



 ……私があのメッセージに返信をしていれば、こんな結果にはならなかったかもしれない。



 どれもこれも、決して仕方がなかったとは思えず、後悔ばかりがあふれてくる。

 そういえば、以前もう一人の家族である愛犬が亡くなったときも、こんな風に後悔ばかりしていたっけ……

 それ以上に良い思い出だって沢山あるハズなのに……、私はあれから、全く成長していないのかもしれない。








 ――その後も、慌ただしい日々は続いた。

 葬儀の調整、相続などの手続き、契約関係の更新など……、やることは本当に沢山あったし、それは今もなお続いている。

 それでも、こうして実家に兄のお骨を持ち帰れたのは、私の中で何かが終わったような――、一つの区切りとなった。



「……おかえりなさい、兄さん」



 お骨の前で手を合わせ、私は心の中で兄に謝罪をする。

 きっとこれは、これから先もしばらく続く習慣になることだろう。

 この後悔も、薄れることはあれど、恐らく一生消えることはない。


 人生において、こういった経験は今後も増えることになるハズだ。

 そのたびに、私は同じように後悔することになるのかもしれない。

 できるだけそうならないようにはしたいものだが、はっきり言って自信はない。


 ……それでも私は、私達は、亡くなった人への後悔を抱えて生きていくしかないのだ。






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― 新着の感想 ―
私にも兄がいるので重ねながら読ませて頂きました。 想像するだけで泣いてしまいそうになります。 日常に忙殺されているうちに、大切なひとたちのことをどれだけ大切にできているだろう。 後悔は絶対にしてしまう…
最後の一行に、主人公の想いが詰まっていますね。
 死んだ人に対する後悔…確かにありますね。  祖母が死んだ日、鷹羽は大学で特別講義を受けていて、帰りが遅くなりました。  もし、「遅くなる」の電話を入れていたら、死んだことを聞けたはず、という気持ちを…
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