真の勇者は戦場を選ばない
私こと風待愛美のクラスには勇者がいる。
「なんだ、お前。お前はこの学校のルールを知らないのか?」
「あいにく俺は転校してきたばかりでな」
身の丈にあわない正義感を掲げた勇者が。
「じゃあ、お前から処刑な」
そんな勇者に向かって悪の拳が振り上げられた。
◆ ◇ ◇ ◇
転校生がやってきたのは、冬の寒さが和らいできた春先の出来事だった。
「――それじゃあ転校生。これからクラスメートになるみんなへ挨拶を」
「紅一華です! よろしくお願いします」
担任の先生に促されて名乗りを上げた紅くんが頭を下げた。
顔を上げた紅くんの顔立ちは控えめに言っても整っていたので、クラスの女子生徒たちからは黄色い声があがった。男子生徒は面白くなさそうな顔をしているか、興味なさそうかのどっちかだ。
私は女性だけど後者だ。
高校では特に親しい友達もいない。かといって浮いているわけでもない。
数あるその他大勢の一人。それが私だ。
異性との交際経験もない私に、この輝く転校生はあまりのも眩しすぎる。
狙ったところでどうにかなるわけでもない。
それよりか周りに目を付けられないように、卒業までのあと一年と半年を乗り切った方が無難だ。
私は転校生で盛り上がる教室を見ながらそんなことを考えていた。
なにせ私の通う学校はあまり治安が良くない。
学費は安いし、立地もいい、教育内容だって悪くない。
ただ治安が良くない。
素行に問題がある生徒は多いし、いじめだってある。
町の半グレ集団の集会に出入するような輩だっている。
このクラスだって例外じゃない。
窓際で真ん中の私の座席。
私の隣の席のろくでなしの男子生徒が、わざと紅くんの通り道に足を差し出しているのがいい例だ。
紅くんは何も言わず、ただそれを軽く跳び越えたが、その際に、彼のポケットからハンカチが落ちた。
足を躱された男子生徒は舌打ちすると、わざと落ちたハンカチを足で踏みつぶした。
綺麗な桜色のハンカチが、男子生徒の足裏で灰色にくすんで汚れたのは少し悲しかった。
男子生徒がハンカチから足を離す際に、わざとハンカチを蹴り飛ばすものだから、紅くんのハンカチが私の机の足元へと滑ってきた。
私は窺うようにおそるおそる後ろを振り返るが、紅くんは何も気がついていないようだった。
ただ紅くんは何事もなかったかのように、先生に指定された私と同じ窓際の列の最後尾の座席に座った。
紅くんの紹介の後は、通常通りの授業が行われた。
この日の最初の授業は科学だった。
一緒に作業をすることになった女子生徒が、実験の際に手順を間違えて少しヒヤッとしす場面があったが、なんとか私で立て直せる程度の間違いだった。ペコペコと謝る女子生徒に、気にしないでと伝える。それよりお互いに怪我とかなくてよかった。
次の休み時間。
「きゃあぁぁああ」
紅くんは女子生徒に囲まれていた。
それは私のクラスメートだけじゃなかった。
どこから噂を聞きつけたのか、他のクラスの女子生徒も紅くんを覗きにやってきており、廊下の窓から教室を覗き込んでまで立ち見する女子生徒が現れるほどだった。
私は足元に落ちていた紅くんのハンカチを拾うと、お手洗いへと向かった。
汚れてしまったハンカチを水で洗う。
ハンカチを洗いながら、
「私、なんでこんなことしてるんだろう……」
自嘲するような笑みが漏れる。
それでも、汚れを落としたハンカチを広げると、いい仕事をした気分になった。
それに、その模様と刺繡は質素だったけど、不思議と私の眼を引くものだった。
「いけない、いけない」
教室に戻ったとき、授業を始める鐘が鳴り響いた。
その鐘の音を合図にして、紅くんを囲んでいた女子生徒たちは、名残惜しそうに自分たちのクラスと座席に戻っていく。
私は紅くんの机の上にそっとハンカチを忍ばせて、自分の机へと戻った。
恩には着せたくなかったし、他の女子生徒に目を付けられたくもなかった。
「ありがとう」
後ろから小さな優しい声がしたが、私はそれに気づかないふりをした。
私の意図を汲んだのかはわからないけど、それ以上は声をかけてくることがなかった。
注目を集めずに済んで、私はホッと胸をなでおろした。
紅くんのお礼の言葉になんだか耳が熱くなった。
文学の時間。
紅くんが教科書の朗読に指名されたが、彼の朗読はとても耳に気持ちが良かった。
彼に関心がない女子生徒であってもウットリさせる声だった。
彼の後で朗読に指名された私は、緊張して思わず声が裏返ってしまった。恥ずかしい……。
休憩時間になると、またあっという間に女子生徒に囲まれて紅くんの姿は見えなくなった。
数学の時間。
紅くんは数学にはからっきしのようだった。
珍回答を連発して、教室の笑いを誘った。イケメンで声もいい彼だが頭脳まで完璧、というわけではなかった。
お昼休み。
事件はここで起きた。
転校生と食事を共にしたい女子生徒に囲まれているところに、
「おい、邪魔だ。どけ」
ろくでなしの二人の上級生たちが教室に姿を見せた。
それだけでさっきまで騒いでた女子生徒たちも静まり返る。
教室の外から立ち見していた生徒たちは逃げるように、散っていった。
普段はクラスで粋がっている男子生徒も今は教室の背景と化していた。
ヤバイとわかっている先輩に絡むような勇者は私のクラスにはいなかった。
そんなやつはただの馬鹿だ。
先輩が胸ぐらを掴んで無理やり座席から立ち上がらせると、
「おい! おめぇ、金持って来いって昨日言ったよな?」
「す、すみません。で、でも、急だった――」
「言ったよなぁッ!!」
「ひ、ひぃッ、す、すみません」
上級生がクラスメートの男子生徒を殴り飛ばした。
世の中に正義なんてものがあるのかはしらないけど、こいつらは間違いなく悪だ。
「――その辺にしておいたらどうです?」
私のクラスには勇者がいた。
「なんだ、お前。お前はこの学校のルールを知らないのか?」
「あいにく俺は転校してきたばかりでな」
身の丈にあわない正義感を掲げた勇者が。
「じゃあ、お前から処刑な」
先輩が紅くんの下まで歩み寄ると、悪の拳が振り上げられた。
紅くんの体が吹き飛ばされる。
その拍子に紅くんの机を含む座席が、音を立てて散らかる。
倒れ込んだ紅くんの体の上へ馬乗りになる上級生。
紅くんは両腕で顔を防御しているが、その上から容赦なく殴り始める。
昼食を取る時間でもある昼休みは長い。
誰も昼食を取っていなかった。取れなかった。
人が人を殴る音と、上級生の荒い息だけが無情にも教室内に木霊する。
――見て見ぬふりをするんだ。
わかっている、ここで安い正義を振りかざすのは簡単だ。
でも、その先にあるのはきっと報復だ。
――私には誰かを助けることなんてできない。
ふと、視界の中で桜色に色づいているものが映った。
それは私が拾って彼に返した、あの美しいハンカチ。
『ありがとう』
彼の優しい声が脳に木霊した。
――やめて、やめて。やめて!
私には二人の間に割って入る勇気なんてなくて。
そんな力なんてもってなくて。
私は座っていた椅子を両手で握ると、
――誰も下にいませんように!
近くの窓際のガラスへと叩きつけた。
窓ガラスが割れると、その破片が教室の外へと舞う。
陽の光を受けてキラキラと輝くそれは、不謹慎だけど幻想的だった。
その直後、けたたましい警報音が教室に響き渡った。
耳障りな警報音と共に、
『窓ガラスの破損を検出。窓ガラスの破損を検出』
機械音声が教室内に木霊する。
「おまッ!? 女、お前、何してんだッ!」
「おい、やべー、先公たちがくる」
「ちッ……」
上級生たちは私を物凄い形相で睨みつけたあと、教室を後にした。
私は椅子を持ったまま腰を抜かして、その場に尻もちをつくのだった。
◆ ◆ ◇ ◇
あのあと先生に呼び出されて、めちゃくちゃ怒られた。
両親にも連絡したとのことだったので、帰ったら両親にも怒られるのだろう。
――窓ガラスの弁償っていくらくらいするのだろうか。
そんなことを考えながら説教を受け終えて、トボトボと教室へ戻ると、
「あっ! 風待さんが帰ってきた!」
「おかえり風待さん!」
「風待さんがあんなことする人なんて思わなかったよ!」
クラスメートが私を歓迎した。
授業中だというのに先生もただ優しく笑って、壇上からみんなが騒ぐのを黙認していた。
私はクラスメートの歓待に面食らいながらも、自分の席へと戻る。
その途中で、窓際の一番後部座席が空席であることに気がついて、足が止まった。
「紅くんなら今ごろ保健室だよ!」
「本人は大丈夫って言ってたけど、顔とか腕とか腫れてたしな」
「紅も風待もあんな怖い先輩に逆らえるのすげーよ」
私は別に逆らったつもりはないんだけど……。
ただ止めたかっただけで。
「紅は勇者だよな。俺は部活で武道かじってるけど、あんな真似できないわ」
「俺も。ってか喧嘩沙汰の問題なんか起こしたら部活追放だわ」
クラスで体育会系の男子生徒が口々にそう言うと、私の胃はキリキリと痛くなる。
褒められているのだろうけど、そんなヤバい人たちに逆らったと思われているんじゃないかと。
私が座席に座ると授業が再開されたが、私の脳内は私のしでかした身の丈に合わない正義感によって怖い人たちに目を付けられたんじゃないかと思うと、気が気ではなかった。
◆ ◆ ◆ ◇
結局、紅くんは最後まで授業に帰ってはこなかった。
彼にとっては転校初日であると同時に、とんだ厄日なのかもしれない。
授業をすべて終え、放課後を迎えると私はなおも私を褒め称えるクラスメートの話を笑顔でぶった切り、速やかに教室を後にした。
この日は一刻も早く家に辿り着きたかった。
下駄箱まで競歩でたどり着くと、体を曲げて素早く靴を履き替える。
校内足から下足へと履き替えて、体を上げると、
「おめぇ、このまま帰れると思ってんのか?」
――ですよねー……。
そこには昼休みに紅くんを痛めつけていた上級生がいた。
私はそのまま、屋上に連れていかれた。
さながら死刑台に登る囚人のような気持ちで階段を上がる。
屋上の扉の先には、私をここまで連れてきた上級生と変わらない不良たちがたむろしていた。
ここまで来るころには、一周周って冷静さを取り戻していた。
――不良ってなんでこんなに学校好きなんだろう?
「どうしたんだその子? かわいいじゃん」
「俺に楯ついてきたんだよ。おかげで危うくパクられるとこだったぜ」
「は? まじ?」
「そりゃあ許せんよな!」
――話を盛るな! それでお前たちは盛られた話に乗るな!
「どうする? 犯っちゃう?」
――それだけは本当に勘弁して欲しい。
口には出さないけどそう思った。
口に出すとこういう輩はつけあがりそうな気がして言わなかったが。
こんなところで、こんな状況で、こんな相手に貞操を散らせるなんて惨めすぎる。
「――お前たちはどう思う!?」
私を連れてきた不良は、奥に座っていた女性の不良たちにそう声を掛けた。
――同じ女性なら気持ちわかるでしょう! お願い!
代表格と思われる女不良は左手で親指を立てて見せた後、
「犯っちまいな」
立てた親指をくるっと下に反転させた。
それを見ていた他の女不良たちはケラケラと笑っていた。
私はちっぽけな正義感の代償に、ここに貞操の危機を迎えていた。
男の不良の腕が私に伸びる。
――あ。おわった。
と、思っていたら凄まじい音がして、屋上のドアが蹴破られた。
「あ”?」
不良たちが一斉に振り返った。
私も振り返った。
屋上にいる生徒たちの視線と夕日を浴びて輝いていたのは――紅くんだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「――ったく、つまらないことをするなぁ」
紅くんは物怖じすることなく、不良の輪に進み出た。
「あ”ん?」
座り込んでいた不良たちも一斉に立ち上がって紅くんを睨めつける。
「俺に文句があるなら、俺に手を出せばいいだろう?」
「教室で俺に手も足も出なかった奴が何言ってんだ、ばかかおめぇ!」
やっちまえ! と汚い声援が飛ぶ。
「それにこの人数差。物語の勇者にでも憧れたのか馬鹿が!」
「そうだな。真の勇者は戦場を選ばない。人数差なんて跳ね除けて見せるさ」
その発言を挑発と受け取ったのか、私をここまで連れてきた不良はこめかみに青筋を立てた。
「ここには先公たちも寄り付かねぇ! 泣いて後悔してもおそいからなぁ!」
「――それはよかった」
紅くんはふっと軽やかに笑っていた。
「え?」
それは私の声だったのか、不良たちの声だったのか。
「はい、次」
紅くんの左手が動いた、と思ったら殴り掛かった不良が糸の切れた人形のように地面に倒れ込んだ。
それをすぐ傍で見ていた別の不良も紅くんへと殴り掛かるが、
「なんだ、てめぇ――ふぁ」
「はい、次」
またしても、すぐに糸の切れた人形へと変わる。
そこにはは上流に置いた葉が流れに従って下流へと流れるような滑らかさがあった。
さらに別の一人の不良が音頭をとって、
「お、おい。囲んでフクロにすんぞ!」
集団で囲むように襲い掛かるが、
「はい、次、ほい、次」
すぐに、全員が床へ倒れることになった。
気がつけば男の不良は一人を残すだけにその数を減らしていた。
最後の一人は足搔くようにあたりを見渡すと、私と目が合った。
――やばい。
そう思ったときには、男の手は私の首に回っていた。
「きゃあッ!」
男の腕で首が締まって苦しい。
「こ、こいつがどうなっても、い、い――」
しかし、私を捕まえた不良は最後まで言葉の続きは言えなかった。
息をするのがいっそう苦しくなる。
しかし、これは不良の腕に首を絞めつけられたからじゃない。
紅くんだ。紅くんが怒っていた。
直接その意識の矛先を向けられた訳じゃないのに。
ただその矛先の近くにいるだけで背筋が凍りつき、息が苦しくなるこの感覚。
それを直接向けられた不良は私から手を離すと、倒れ込むように腰を抜かした。
私も正直に言うと倒れ込んで楽になりたかった。
ただ、この場から立ち去りたい気持ちがそれを許さなかった。
不良から解放された私を見て、
「わかればよろしい」
紅くんはパッと輝くような笑顔を見せた。
紅くんは残った女性の不良たちを一瞥すると、
「お前たちもつまらん男とつるむのはよせ。女の幸せは男で決まる。だけど、それは男に振り回されろということじゃない。お前たちでお前たちに相応しい男を見つけ、育てていくんだ。こんなろくでなし共とつるんでお前たちの価値を損ねちゃダメだ」
――なんだコイツ。
助けてもらっておいてなんだが、途轍もなく気障なことを言い放った紅くんへそう思わずにはいられなかった。
その途轍もない気障なセリフが、途轍もない顔面偏差値の高さから放たれたのだから、効果はバツグンだ! さらに昼と夜が入り混じった夕焼けの空の背景もまたいい味を出していた。
不良女たちの目がとろんとしているのは何も気のせいじゃないだろう。
「――さて、風待さん。ごめんね。なんか巻き込んじゃって」
「う、ううん。助けてくれてありがとう、ございます……」
恐くて思わず敬語になった私を誰が攻めようか。
「ははは、ため口でいいよ。クラスメートじゃない。怖がらせちゃったかな?」
「か、かなり……」
「ははははは! 風待さん。君は素直でいいね! 俺は君と友達になりたいな」
そう言って紅くんは私に真っ直ぐに手を差し伸べた。
人生で初めて受ける異性からの友達申請に、私は戸惑いながらその手を握った。
握った手はゴツゴツした男の人の手だった。
「え、えっと、はい。よろしくお願いします?」
「じゃあ、今から俺たちは友達だ。まずは一緒に帰ろう。送るよ」
――な、なんだ。この輝くイケメン。本当に同い年か!?
次の日から学校では紅くんと一緒にいることが多くなった。
彼の転校初日に起こした武勇伝はあっという間に学園中に広がった。
誰がもらしたのか紅くんが言った『真の勇者は戦場を選ばない』という言葉も武勇伝と一緒に広まり、紅くんが親しみとからかいを込めて”勇者”と呼ばれるようになることに時間はかからなかった。さらに本人が好意的に肯定したことによって、その呼び名はすぐに定着した。
そんな勇者は、出会って以来なぜか私に興味を持ってくれた、持ち続けてくれた。
授業のペアにはいつも指名してくれるし、昼ご飯だって他の女子生徒からの誘いを断って私を選んでくれた。
周りがどんなに冷やかしても、紅くんは笑って私を肯定してくれた。
あっという間に私の自己肯定感は満たされた。
それどころかこのままだと紅くんに、
「ぬ、沼りそう……」
「あー、姫がのろけてるー!」
私は勇者である紅くんに助けられた経緯と、勇者が何かと私を指名することから、いつからか”姫”という、名誉なんだか不名誉なんだかわからない呼び名で呼ばれるようになった。
「姫じゃないよー」
なんて言っても無駄。誰も私の話なんか聞いちゃいない。
彼女たちは私に集まっているんじゃない、彼の隣にいる存在に集まっているんだ。
「あっ。勇者が来たよ。勇者、姫はこちらです」
クラスメートがふざけてこういうのも最近は見慣れてきた自分が怖い。
「うむ。苦しゅうない――なんてね。風待、お待たせ。帰ろう」
いつ見ても紅くんは腹が立つくらいに整った顔立ちをしていた。
それでいて性格も優しく、それでいて強い。
困っている人がいれば無償で手を貸し、泣いている子どもがいれば泣き止むまで傍にいて、いじめがあれば率先してその解決に手を貸す。
彼の存在はまるで物語の中の人だった。ここまでくると嫉妬すら湧かない。
そんな彼と下校中に通りかかった公園。
風船が木に引っかかって泣いている女児が私たちの視界に入るや否や、
「助けてきていい?」
「……穏便にね」
私のクラスには勇者がいる。
↓↓↓の広告の下にある☆をいっぱい頂けると励みになります。
よろしくおねがいします。