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出張

作者: 芋姫


私は今、生まれ故郷である街に来ている。


実は私はこの街の事は何も覚えていない。生まれて間もなく、他の街へ引っ越したからだ。


私は産まれてすぐ両親に捨てられて施設で育ったのだが、ほどなくして今の両親に引き取られた。


両親はそのことを私にずっと隠していたのだが、ある日、義理の姉がうっかり口を滑らせたため、


私は自身の出生の秘密を知ることになったのだ。両親は泣きながら隠していたことを詫びたが、私は


今の両親が大好きだったし、捨て子だったことを覚えているはずもないので、驚いたが、ショックは受けなかった。



私は生まれ故郷であるこの街の名前をその時に知ったのだが、自分のルーツに特に興味はなかったので

これまで一度も訪れた事はなかった。 



今回、この街に来たのはただの出張である。


出張先の地名を見た時にどこかで聞いたと思ったら案の定だった。


今の両親が亡くなり、今年で10年目。これも何かの縁だろうか。


出張先での用事を済ませた私は、帰りの新幹線まで時間があるので、少し街を歩いてみる事にした。


実は先ほど、自分が育ったらしい施設を見に行ったのだが、そのような建物はなく、代わりにマンション


が建てられていた。でも、それもそうだよなと思う。何十年も前の事だから。



歩き回るうちに街の雰囲気などはいくらかわかってきたが、今のところ、何もピンとくるものはない。


既視感のかけらも感じなかった。


そうこうしているうちに時計を見ると、けっこういい時間になっていた。新幹線にのるにはまだ早いが


のんびりしていられるような時間もなかった。とりあえずもう駅に行って時間をつぶすことにした。


***************


10分ほど歩き、駅前の広い通りにきた私は少し喉が渇いたので喫茶店に入ることにした。


駅前には何件かカフェのようなところがあったが、あまり時間もないため、比較的空いていそうな

ところにとりあえず入った。


「いらっしゃいませ」バイトと思われる若い男性がこちらに気づいて近寄ってきた。同時にカウンター席の奥にいた年配の女性も振り返って会釈してきた。


私は入り口付近に座ろうと思ったが、西日がまぶしそうだったので奥のボックス席に座ることにした。


腰を下ろすと同時に男性がお冷を運んできてくれた。


「ご注文がお決まりの頃、お呼びください」と言って彼はキッチンに戻って行った。


早速、メニューを見てみる。 ・・・コーヒー、紅茶、ジュースに、ケーキのセットもあるようだ。



とりあえずコーヒーにしようと思い、店員を呼ぼうとしたが、思いとどまる。


メニューの右下隅に”おまかせドリンクメニュー(なにがくるかはお楽しみ)”というのが目に入ったからだ。


こちらに選択権が無いため、値段はいずれも¥300と手頃であった。


なんとなく魔が差したとでもいうのだろうか、私は店員を呼び、このメニューを注文する。



飲み物が運ばれてくるまでの間、私はなんだかそわそわした気持ちになってきた。


・・・実は、店内に足を踏み入れた瞬間から何故か、私は、得体の知れない落ち着かなさのようなものを感じていたのだった。決して具合が悪いとかそういうものでは一切ないのだが、形容しがたい感覚が胸に

こみ上げてきており、先ほどに比べてそれがとても強くなっている。


店内を改めて見回すが、これといって特徴はない。内装もごくありふれたもの、と言う感じだ。

強いていうなら、ところどころ壁紙が剝がれているのが目に付くので(古い店なのかな?)という感想くらいだ。


・・・・・ではこの店の何が私の心をこんなにもかき乱すのだろうか?





そのときだった。お待たせしました、という声にハッとすると飲み物が運ばれてきた。


「ホットミルクでございます」と言って男性がコトリと湯気の出たマグカップを私の目の前に置いた。


「・・・・・ミルク?」飲み物をじっと見つめる私にかまわず、男性は伝票を置いて、ごゆっくりどうぞ、と言いながらさっさと戻って行った。


9月に入ったとはいえ、まだまだ暑い。特に今日などは。冷たい状態で出てくるならまだしも、よりによってホット。


(本当におまかせなんだな)


私はなんだかおかしくなり、ふっと笑った。


少し肩の力が抜けた気がした。 とりあえずマグカップの持ち手に指をかけ、両手に持つと口に近づける。 何の変哲もない白い丸みのあるマグカップからの湯気が顔に当たり少し熱い。でも、同時に甘くやさしい匂いが鼻をくすぐった。


少し息でふう、と冷ましてから、ひとくち。


体が温かくなった。


ふたくち。美味しい。


つづけて飲む。


疲労が取れる感じがして、安心感に包まれる。それはまるでお母さんのお腹の中にいるような。


私はマグカップを持ったまま、目を見開く。


(・・・私は今、なんて?)


体が小刻みにカタカタと震える。


落ち着かない先ほどの感情がまた戻ってきた。


カップを置くと、私は自分を落ち着かせるように深呼吸をする。


落ち着かない、落ち着かない、けど。


私はもう、その感情の正体に気が付いていた。




「大丈夫?」


先ほどの男性とは別の声がし、顔を上げるとそこには女性がいた。カウンターにいた人だった。

彼女は私にティッシュを差し出すと、顔をふくようにと言う。


私は何のことかわからなかったが、自分の顔をさわると、いつのまにか涙が出ていたようだ。


すみません、と言いながら私がティッシュを受け取ると、いいえ、と言って女性は微笑んだ。そして、落ち着くまでゆっくりしていってかまわないとだけ言うと、これ以上は何も聞かずにまた戻って行った。


言われた通り、心が静まるまでしばらく静かに座っていることにした。



深呼吸をする。



(おかあさんは、私を捨てたくて捨てたんじゃなかったんだ。)



深呼吸を、何度も、何度も、繰り返す。


・・・・・・・・・・・・。



そのうちにだんだんと頭の中が冷えてくるのがわかった。


・・・・・・・・・・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


・・・5分ほどしただろうか?


私は冷めかけた残りのミルクを飲み干した後、お冷を少し飲んだ。しばらく待つと、顔の熱が引き、気分も落ち着いてきた。



時計を見る。新幹線にはまだ間に合いそうだ。素早くジャケットを羽織り、伝票を持つと席を立つ。


レジに行き会計をすませると、先ほどの女性にお礼を言った。彼女はさっきと同じように微笑み、

いいえ、と言うだけでやはりそれ以上は何も聞いてこない。



店を出ると日は沈みかけており、入った時より外は涼しかった。



さっきまでミルクを飲んでいたのに今度はもう、新幹線の中で食べる駅弁の事が頭を占めている私は足早に駅に向かって歩き出していた。


























































































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