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妖魔の幸福  作者: ふぁる
8/21

一旦落ち着こう

 腫れあがったほっぺたを撫でながら、ヴィートリヒは馬車を操っていた。先ほどから何度も小さくため息を吐き、ぶつぶつと「どうして俺がこんな目に」と呟いているので、隣に座っているイーヴァはその度に「ごめんなさい」と返した。


——昨夜の出来事をイーヴァは思いだした。


 アランに布団をはぎ取られ、身を隠していたイーヴァの姿を見られた途端、アランはぎょっとして、「直ぐに替えの物をお持ちします!」とバタバタと寝室から出て行った。


「……替えの物?」


 と、ヴィートリヒが不思議に思って見降ろすと、イーヴァは元の幼女の姿へと戻っていた。


——しかし、シーツがぐっしょりと濡れていた。


「イーヴァ、そなたもしや……! やらかしたのか!?」


 いくら幼女の姿になっとはいえ、元々は数百年生きた妖魔だ。それだというのにおねしょとは……


パコ——ン!!


 ヴィートリヒの頬がイーヴァの小さな拳で殴りつけられて、悶絶した。


「そんなわけないでしょう!? 水よ、水っ!!」


 見ると布団の中に空になった水瓶が転がっている。どうやらイーヴァが水瓶を持ったままであることに気づかず、布団の中に押し込めてしまったようだ。


「アランったら、きっと誤解したに違いないわ! どうしてくれるのよ、おねしょだなんて思われて。恥ずかしくて生きていられないわっ!」


 幼女姿のイーヴァはわんわんと声を上げて泣き出し、ヴィートリヒはおろおろとした。幼女だろうと美女だろうと、泣かれるとどうにも弱い。イーヴァに殴られて痛む頬を撫でながら、ヴィートリヒは必死になって彼女を宥めた。


「落ち着け、アランも話せば分かるだろうから。誤解は直ぐに解けようとも!」

「それならヴィートリヒさんが漏らした事にしてよ!」

「バカを言うな!! 水を零したで良いだろう!」

「信じて貰えないかもしれないじゃないっ」

「俺が漏らした方がよっぽど信用せんだろうし、何故嘘をつく必要があるというのだ!?」

「……確かにそうだわ」


突然冷静になったイーヴァに、ヴィートリヒはホッとしてため息を吐いた。


「まずはだな、何故元の姿に戻ったのかを考えねばならん」

「そうね。大きくなったり小さくなったり突然しだしたら困るもの。服は魔法衣だから大丈夫だけれど」


 イーヴァの言う通り、彼女の身体のサイズに合わせて衣服も伸び縮みする為、破れて困るということは無いようだ。

 結局のところ朝まで二人で頭を悩ませたものの、イーヴァの身体が戻る理由については分からなかった。


 依頼をこなしにヴィートリヒは出かけなければならない訳だが、イーヴァを邸宅に残していくわけにもいかず、仕方なく彼女を連れて出たというわけだ。


 普段は馬での移動だが、イーヴァを連れての遠出となる為、アランに頼んで馬車を用意させた。お陰で荷袋にはどっさりと菓子が詰め込まれているので、イーヴァは上機嫌であるものの、腫れあがった頬を撫でつけるヴィートリヒの様子には、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 流石に自分だけ悠々とキャビン内でくつろぐ訳にもいかず、こうしてヴィートリヒの隣の御者席に座っているというわけだ。


「ねぇ、アランには本当の事話しても良かったんじゃないかしら」


 イーヴァの提案にヴィートリヒは「ならぬ」と即答した。


「そなたの討伐を依頼したのは王だ。それなのに、依頼を全うしたかに見せかけてそなたが生きている事を知ったのなら、どんな罰が下るかわからん。アランも勿論のこと、邸宅の者は誰もそなたに危害を加えぬだろうが、だからこそ巻き込みたくは無い」

「共犯者になっちゃうってこと?」

「うむ。依頼について咎められるのは俺一人で十分だ。邸宅の者には関係ない」


 ヴィートリヒは今までもそうして全ての責任を一人で負ってきた。だからこそ依頼書を捌けるような技能を持った執事を敢えて雇おうと動かなかったし、どんな依頼をこなして来たかという話も邸宅内でほとんど口にすることをしなかった。

 ただ、アランには妖魔の討伐依頼があった場合のみ、武器のメンテナンス上必要となる情報だけを伝えていた。


「お人好しなのね」

「どうだろうな。ただ面倒事を嫌っているだけかもしれん」

「それで? 今日はどんな依頼を捌く予定なの?」

「うむ」


 ヴィートリヒは頬を撫でつけていた手で小脇に抱えていた鞄を取り、イーヴァに手渡した。皮製のずっしりと重い鞄を開くと、依頼書の束がごっそりと詰め込まれている。


「これ、全部今日やるつもりなの!?」

「いや、数日かけて捌くつもりだ。昨日そなたの協力のお陰で依頼地別に仕分けできたのでな。遠方から邸宅に戻る形で依頼を捌こうと思う。今日は移動のみで終わるだろうな」

「私、野宿なんて嫌よ!? 虫が嫌いだもの!」

「馬車のキャビンで眠れば良い。どちらにせよ宿のような人目がある場所にそなたを晒す事はできぬだろう? いつ何時(なんどき)姿が変わるか分からんのだからな」


 チラリと馬車のキャビンを見つめ、イーヴァはふぅとため息をついた。狭い場所が彼女は苦手だった。かつての奴隷として牢に閉じ込められていた頃を思い出すからだ。


「帰りたいわ……」


 と、イーヴァは不貞腐れて唇を尖らせた。埃だらけの古城とはいえ、狭いキャビンに比べれば随分マシだ。

 御者席の上に小さな膝を抱え込んだ状態で項垂れて、イーヴァはヴィートリヒにもたれかかった。


「捕まっておらぬと落ちるぞ?」


 ヴィートリヒの注意も聞かず、イーヴァは大あくびをし、うつらうつらと居眠りを始めた。身体が小さくなって体力のキャパも下がった上、昨夜はあまり眠れなかったのだから無理もない。


「……だからキャビンに居ろと言ったのに」


ヴィートリヒはため息をつくと、イーヴァを片手で支えながら馬を操った。風邪を引かないようにと自らのコートを脱いでかけてやる様子は、恐らく傍から見ると父親の様に見えるに違いない。


 日が落ちて暗くなって来きた為、ヴィートリヒは馬車を止め、ぐっすりと眠っているイーヴァをキャビン内へと寝かせた後、野宿の準備をし始めた。火を起こし、自分の寝床の用意を終えて携帯食を持ってイーヴァの様子を覗き込んだが、彼女は昏々と眠り続けている。

 いくら縮んで体力が落ちたとはいえ眠り過ぎではないかと心配になり、そっと小さな肩に触れて「腹は減らぬか?」と声を掛けた。


「……空いた」

「携帯食で悪いが用意してある。今日は気候が良いとはいえ夜は冷えるからな。火の側で食事としよう」


 窓から射し込む月明かりが、むくりと身体を起こしたイーヴァの姿を照らし出す。

 彼女は瞳を擦りながら「もう暗くなっちゃったのね」と呟いて、ふっと欠伸を洩らした。ヴィートリヒは馬車から降りる時の段差が小さなイーヴァにとって危ないだろうと思い、彼女を抱き上げようと腕を伸ばした。


「む?」


 ——サイズが大きい。


「イーヴァ、また元に戻っておるぞ?」

「え!? あら、ほんとだわ」


ぐぅ~~~と、イーヴァの腹が空腹を訴えた。ヴィートリヒはぶっと吹き出すと、美しくも妖艶な美女に手を差し出して、「食事にしよう」と微笑んだ。野宿にして幸いだった。他の目を気にしなければ、彼女の美しい姿を存分に見つめる事ができるのだから。


「ヴィートリヒさんは、お話に出て来る王子様のようね」


 ヴィートリヒの手の上にそっと白い指先を添えると、イーヴァは真っ赤な唇を横に引いて微笑んだ。何度も読み返し、ボロボロになってしまった本を古城に置き忘れてしまったことを後悔したが、彼女の目の前には夢にまで見た素敵な男性が居るのだ。

 無造作に束ねた赤毛に、琥珀色の瞳をした彼は、埃まみれの古城から経験した事も無い物語の世界へと彼女を連れ出した。


「囚われのお姫様を助け出す、王子様よ」

「古城に帰りたかったのでは無いのか?」


 火の側に毛布を敷いてやると、ヴィートリヒはわざとらしく意地悪を言った。イーヴァは毛布の上に腰かけると、白く長い脚を組んでクスリと笑った。


「狭いところが苦手なだけよ。それに、いくら契約の魔術を結んだとはいえ、貴方の事を完全に信用しきったわけではないもの」

「人を簡単に信用せんほうがいい」

「知ってるわよ。それでも、貴方は私に嘘をつけないでしょう?」


ヴィートリヒがイーヴァに嘘をつこうものならば、彼の身はたちまち焼かれてしまうのだから。


「なんにせよそなたをあの古城へ帰してやるわけにはいかぬがな」

「どうして?」


 イーヴァに携帯食と水を手渡しながら、ヴィートリヒは眉を寄せた。


「そなたが戻った事を知れば、再び俺に討伐依頼が来るだろうからな。まあ、その前に俺は依頼を失敗したとして王にこっぴどく叱責を受ける事になるだろう。どんな罰を受ける事になるか……」


 それなのに、幼女の姿になったイーヴァを殺す事などヴィートリヒには出来なかった。そして彼女の事を知ると、悪事を働いてもいない者を消す事は正しくはないと、正義感溢れるヴィートリヒは自分の行為は間違っていなかったと考えた。


 イーヴァは携帯食を(かじ)ると、その妖艶な姿には似合わず小動物の様に小さく顎を動かして噛んだ。チラリとルビーの様な大きな瞳でヴィートリヒを見つめ、瞬きをする度に長い睫毛が鳥の羽が羽ばたく様にフワリと揺れる。


——それに、こんな美しい生き物を殺せるはずがない。

 ヴィートリヒはため息をつき、ゆらゆらと揺れる炎へと視線を向けた。例え王にばれて罰せられる事になろうとも、今更彼女を退治する事などできはしない。

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