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妖魔の幸福  作者: ふぁる
7/21

つべこべ言わずにキスせんかい!

 室内に差し込む月明かりが、イーヴァの白い顔を照らしている。彼女は喉の渇きを覚えてむくりと起き上がると、寝ぼけたままキョロキョロと辺りを見回した。


「あら? ここはどこかしら……」


 そう呟いて、そういえばヴィートリヒに連れられてクライバー家の邸宅に来たのだった、と思い出した。

柔らかく寝心地の良いベッドのサイドテーブルに、アランが用意してくれたのか水が入った瓶が置かれているのを見つけ、イーヴァは手に取ってグラスに注ぐ事もせず、直接ゴクゴクと飲んだ。

 ふと、ベッドの隅で死んだように眠っているヴィートリヒの姿を見止め、イーヴァは唖然とした。


——死んでる!?


 ピクリともしないヴィートリヒは、上半身だけをベッドの上に預け、下半身はだらりとベッドの下へと落としたままという異様な姿のままだった。生きているにしても腰に相当な負担がかかる体制だ。


 恐る恐るイーヴァがヴィートリヒを覗き込むと、すやすやと寝息が聞こえたので、心の底から安堵した。


——さて、彼から魔力を奪う絶好のチャンスだけれど、流石にこの体制のままは可哀想ね。


 そう考えたものの、幼女の身となった自分では、とてもではないがヴィートリヒをベッドの上に引きずり上げる事は難しいだろう。

 さてどうしたものか……と、小首を捻り、水瓶を握りしめた時、白く長い自分の腕にイーヴァは小首を傾げた。


——元の姿に戻ってる!? え!? なんで!? どうして!?


 驚いて自らの身体を見下ろし、豊満な胸に細い腰。スラリと伸びた見慣れた手足であることにさっと青ざめた。


 元の姿に戻っては、ヴィートリヒに退治されてしまうと思ったからだ。


 折角アランとも仲良くなり、このままクライバー家で過ごす事を夢見たというのに、すべてが無かったことになってしまうと、イーヴァは泣きたくなった。

 それだというのに、ぐぅ~と、イーヴァの腹が空腹を訴えたので、カクリと彼女は項垂れた。身体が元に戻り、キャパが広がった為に空腹になってしまったのだろう。

 とはいえ、とてもではないが食事をする気にはなれない。今、ヴィートリヒから魔力を奪おうものならば、退治理由を与えてしまう事になるのだから。

 どうすれば幼女の姿に戻れるだろうかと、頭を抱え、必死に考え込んだ。


 再びイーヴァの腹が「ぐう~~~」と音を発した。あまりに大きな音だったので、死んだ様に眠っていたはずのヴィートリヒが「む……?」と、声を上げて瞳を開けた。


 イーヴァは大慌てでヴィートリヒの顔に枕を叩きつけた。


「む……ぐ……」

「み、見ちゃダメっ!!」


 元の姿に戻った事を悟られてはならない。と、イーヴァは必死だった。


「い……息が」

「そのまま寝てて! 大丈夫だから!」


 大暴れするヴィートリヒの顔を懇親の力を込めて枕で抑え込む。


「死……」

「おやすみなさい! 永遠にっ!」

「………」


 シンとして藻掻く事を止めたヴィートリヒに、ホッとしてイーヴァは枕を押える手の力を緩めた。


「何をするのだ!? そなた、俺を殺す気か!?」


ガバリ!! とヴィートリヒが起き上がり、顔に押し付けられた枕を跳ねのけると、涙目になってベッドの上に座っている美女の姿を見てピタリと動きを止めた。


「……イーヴァ?」


 ポツリと確認するように言葉を放ったヴィートリヒに、イーヴァが小さく頷いた。


「そなた、何故戻った!?」

「わ、分からないわっ! どうしよう、私、貴方に殺されちゃうの!?」


 ルビーの様な赤い瞳からイーヴァはポロポロと涙を零し、その涙が彼女の豊満な胸の上へと落ちた。薄紅色だった額の宝玉は薄紫色へと変わっており、溜め込んだ魔力がすっかりと無くなっている事を表していた。

 ヴィートリヒは慌てて首を左右に振ると、「いや、もう俺はそなたを退治しようなどと思ってはいない!」と言い、しかしどうしたものかと大混乱する脳内を落ち着かせようと、必死になってわしわしと赤毛の頭を掻きむしった。


「そもそもそなたは退治されるような悪行を働いていないのだ。王も解ってくれるだろう……」


——いや、分かってくれないか……。

 と、ヴィートリヒは心の中ですぐさま否定の言葉を発した。物分かりの良い王であるならば、ヴィートリヒに依頼が集中するような状態の中、わざわざイーヴァの討伐を王命として指示するはずが無いのだ。

 この国の王をよく知るヴィートリヒは、乾いた笑いを洩らした。


「なんなのよその不安気な顔は!? 余計心配になるじゃないのっ!」

「うむ……そうだな、うむ……」

「ちょっとぉ!! 一体私はどうすればいいの!? 酷いわっ!! わぁ——ん!!」

「泣くな! 俺がなんとかするから!」

「なんとかってどうするつもりよ? 私、退治されちゃうんだわっ! いざとなったらそうよね、私なんか要らない存在なんだものっ。どうせ独りぼっちでずっと生きて来たんだものっ!」


 泣き喚くイーヴァにヴィートリヒは困り果ててしまった。そもそも女性の扱いに不慣れなヴィートリヒにとって、泣き喚く女性程厄介なものはない。


「俺がここへ連れて来たのだから責任は取るつもりだ。そなたを苦しめる様な事などせん!」

「そんな事言って、人間なんていつも私を騙すんだわ!」


 イーヴァは恐怖でガタガタと身体を震わせた。その様子をヴィートリヒは驚いて見つめた。彼女は大人の女性の姿であるというのに、その怯え方はまるで幼子の様にも思える程に小さく頼りなさげに見えたからだ。


「私が一体、何度騙されたと思ってるのよ! 信じて裏切られた時の気持ち、貴方になんか分からないわっ! 私は一生孤独に生きるしかないのよ。そして貴方に退治されてしまうんだわっ!」


 ヴィートリヒはイーヴァが今までどれほど辛い目に遭ってきたのかを察し、いつも生真面目なヴィートリヒではあるが、彼女に対しては格別真摯でいようと考えた。


「貴方は私と初めて会った時だってバカの様に振舞って騙していたじゃない!」

「うむ。そうだな……うむ……。すまなかった、イーヴァ」


 小さく詠唱をすると、ヴィートリヒの喉が僅かにエメラルドグリーンの光を放った。


「イーヴァ、契約しよう。俺はこの先そなたに嘘をつく様な真似は絶対にしない。もしもそなたに対して偽る事をしたのならば、この身は契約の炎に焼かれる事だろう」


 それは契約の魔術だった。契約と言えば聞こえはいいが、実のところ自らに呪いを施す魔術だ。つまり、ヴィートリヒがイーヴァに嘘をつけば、彼はその身を炎に焼かれ命が潰えるというものなのだ。


「ヴィートリヒさん! バカな真似をして!!」

「これで俺を信じてくれるか?」


 今日出会ったばかりの討伐相手である妖魔に、何故こうも情が移ったのか、ヴィートリヒは自分でも不思議でならなかった。しかし、イーヴァに嫌われたくないという思いが切実な程に強いのだ。


「どうして私にそこまで? あなたに何のメリットがあるというのよ!! 私に嘘をついたら、貴方、死んじゃうのよ!? 分かってる!?」


 イーヴァは驚いて首を左右に振った。そんな彼女を安心させようと、ヴィートリヒはニコリと微笑んだ。


「さて、な。自分でもよく分からぬが、そなたに嫌われては人として終わってしまう気がするのだ」

「ヴィートリヒ……」


 イーヴァのルビーの様な潤んだ瞳が向けられる。僅かに開いた真っ赤な唇が堪らなく色っぽい。ヴィートリヒはイーヴァを安心させようと微笑みながらも、彼女の美しさに完全に魅了されていた。


「それなら魔力を吸って頂戴。そしたら私、また子供の姿に戻れるんでしょう?」

「……え?」


 ヴィートリヒは思わずイーヴァの唇を見つめた。柔らかそうなその唇を見て、ごくりと息を呑む。


「い、いや! それは犯罪だっ!」

「この姿なら犯罪もクソもあるかボケェ!! さっさとキスしなさいよっ!!」

「お、落ち着け! 一旦落ち着け、な!?」

「そんな時間がどこにあるっていうのよ!? キス一つで私は子供になれて、貴方は魔力が手に入ってウィンウィンでしょう!?」


 イーヴァがヴィートリヒに迫り、顔をぐっと近づけると、さあ早くしろと言わんばかりに瞳を閉じた。


 じっとイーヴァを見つめる。瞳を固く閉じた彼女の長い睫毛。白い肌。すっと通った鼻筋。形の綺麗な唇……。見ているだけで吸い込まれてしまいそうな程の美しさに、ヴィートリヒはそっと唇を近づけた。


——いや、待て! これはやはり正しくはない!!


 直前でピタリと顔を止めると、ヴィートリヒは『良く耐えた俺!!』と、心の中で自分を誉めた。


——危うく完全に彼女の術中にハマるところだった。なんて危険な! 流石『古城のサキュバス』と言われただけはある。恐ろしいものだ……


「何してるのよ!! さっさとしなさいよねっ!」


痺れを切らしたイーヴァがヴィートリヒの肩へと腕を回すと、ちゅ、と唇を重ねた。


「!!!!!!」


 柔らかい唇の感触がヴィートリヒに伝わる。

——これは、まずい。かなりまずい。ミイラ取りがミイラになる!!


 ガンガンと寝室の扉が激しくノックされ、その音に驚いたヴィートリヒは大慌てでイーヴァを押し倒し、頭から布団をかけて隠した。


「お館様? 何やら女人の悲鳴の様な声が聞こえましたが、大丈夫ですか!?」


 アランが大慌てで寝室の扉を開けた。執務室で銃のメンテナンスをしていたところ、主人の寝室から聞こえて来た悲鳴に心配になり駆けつけてくれたのだ。


「い、いや。少し(うな)されたようだ。大丈夫。うむ、大丈夫だ。多分……きっと、恐らく……」


 必死になって誤魔化そうとするヴィートリヒを見つめ、アランは小首を傾げたが、(よっぽど日頃の疲労が溜まっていたのだろう。偶にベッドで休んだら(うな)されるだなんて、不憫が過ぎる方だ……)と、主人を憐れむ目を向けた。


「お(いたわ)しや、お館様……」

「な、何がだ!?」

「お嬢様は驚いて起きませんでしたか?」


ベッドへと近づいて来るアランの目から、大きくなったイーヴァのサイズを誤魔化そうとヴィートリヒも慌てて布団の中へと潜り込んだ。


「いや、彼女はホラ、ぐっすりと眠っているぞ?」


 イーヴァの黒髪が僅かに布団から見えている。


「布団に潜って寝られては、息苦しいのでは?」

「いや! この方が落ち着くらしい!!」


 イーヴァの身体の柔らかさがヴィートリヒに伝わり、ドキリと激しく心臓が鼓動した。


「ですが、顔くらい出して差し上げないと」

「問題無い。元気だからな!」


 頼む、それ以上近づくな!! と、ヴィートリヒはだらだらと冷や汗を掻きながら作り笑顔をアランに向けた。


 その笑顔が余りにも凄まじかった。まるで地獄の釜茹でに遭いながらも必死に笑みを作るかのような切羽詰まった様子に見えて、アランは眉を顰めた。


——そもそもいくらお忙しいとはいえ、齢二十五歳にもなるというのに婚約者も居らず、突然幼女を連れて帰った時点で不審に思うべきだったのだ。


……お館様は、もしかしたら本当は変態なのかもしれない。


「お館様、それは犯罪にございます」

「は!?」

「いくら何でも、尊敬するお館様にお仕えする従者として、許すわけには参りません」

「どういう意味だ!?」

「人の道を外れてはなりません」

「何がだ!? 一体何を言っておる!?」


 布団の中でもぞもぞとイーヴァが動いた。


「ほら、お嬢様も苦しがっていらっしゃいます。開放して差し上げましょう。今なら間に合いますから」

「間に合うとは何の事だ!?」


 イーヴァが更に布団の中でもぞもぞと動いた。


——何故動く!? 息の根を止めてやろうか!?

 と、ヴィートリヒは混乱のあまり、それは確かに犯罪行為だという様な事を思い浮かべ、ぎゅっとイーヴァを押さえつけた。


「お館様! おやめください!!」


アランが慌ててそのバカ力で掛布団をはぎ取った。


——ああ、絶体絶命だ……

 と、ヴィートリヒは頭が真っ白になりながら、目玉をひん剥いて驚くアランの様子を見守った。

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