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妖魔の幸福  作者: ふぁる
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伯爵様は気遣いの紳士

「お館様。ご夕食の用意は如何いたしましょう?」


 執務室の外からアランが声を掛けたので、ヴィートリヒは返事をしながら時計を見た。もうそんな時間になってしまったのか、と思いながら、手に取った依頼書を仕分け終える。

 積みあがっていた依頼書の山は、イーヴァの協力のおかげで全て仕分けられていた。久方ぶりに机の天板を目にした気がするなと思って、ヴィートリヒは満足気に微笑んだ。


 アランに「食堂で用意を頼む」と伝えると、廊下に居るアランは「畏まりました!」と嬉しそうな声を発した。


「イーヴァ、好きな食べ物は何かあるか?」

「人間の食事でしょ? 果物ならかじった事があるけれど、他は食べた事が無いわ。お金が無いと買えないもの」


イーヴァのその発言を聞き、ヴィートリヒはニコリと微笑んだ。

 彼女は魔力欲しさに人を襲う事はあっても、決して盗みを働いたりなどの悪行を今までしたことが無いということだと分かったからだ。

 王命でイーヴァを退治する依頼を受けたとはいえ、今の彼女はかつての妖艶な姿とは打って変わり、ただのいたいけな幼女だ。人を魅了することが罪だと言うのなら、その罪自体は裁いた事になるだろう。


「ふむ。魔力を糧にしているとはいえ、人の食事をして身体を壊す事は無いだろう。味覚というものを楽しむのも良いのではないか」

「私が前に食べた果物、酸っぱくて変な味がしたから、楽しむってよくわかんないわ」


 イーヴァが初めて口にした果実は、不幸にもレモンだった。それ以来、彼女は人の食べ物は口に合わないのだと思い込み、魔力以外を糧とすることを止めたのだ。

 彼女は『孤独』が故に、気の遠くなるほどの永い間、楽しみの無い生き方をしていたと言えるだろう。それほどに人に捕らえられていた幼少期の思い出が彼女には辛く、『食事』の時以外人に近づく事をしようという気にはなれなかったのだ。


「クライバー家の料理人はなかなかの腕前だ。今日は存分にその腕を振るう事が出来て、嘸かし甲斐があることだろう。そなたの口に合う料理もあるかと思うぞ」


 普段は忙し過ぎて、執務室で簡単な食事を口にしながら仕事をこなすのが常だった。イーヴァのお陰で翻訳も苦労せず、依頼書の仕分けだけで数日を要していたところを、一日とかからず終える事ができた。今日は久方ぶりに食堂でゆっくりと食事を摂り、執務室のソファではなく自室のベッドで眠る事ができそうだ。


 イーヴァは嫌に嬉しそうに微笑んでいるヴィートリヒの表情を見て、自分も嬉しくなった事を不思議に思った。こうして食事に誘ってくれた彼の行為にも驚きを隠せずに、イーヴァはヴィートリヒの膝の上でルビーの様な瞳を向けてじっと彼を見上げた。


 僅かに癖のある赤毛を無造作に後ろで結び、長い睫毛で覆われた琥珀色の瞳で熱心に依頼書を見つめている。きりりと結ばれた凛々しい口元に少々やつれた様にも見える細い顎。首筋の筋肉は彼の鍛え上げられた体躯が容易に想像でき、男性らしい喉仏が彼の動きに合わせて僅かに動く。

 身体が縮んだせいで全ての物が大きく見える中、ヴィートリヒの存在もまた大きく見えてしまうのだろうか。彼の事を一生眺めていても飽きないのではと思えた。


「どうした、イーヴァ。そうも見つめられては顔に穴が空いてしまう」


 ふっと微笑んでヴィートリヒがイーヴァの頭を優しく撫でた。その大きな手が温かくて心地が良く、ずっと撫でられていたいとイーヴァは思った。


「ヴィートリヒさんって、結構イケメンなのね」


 イーヴァの言葉にヴィートリヒはぶっと吹き出した。


「幼児にそんなことを言われるのは初めてだな」

「あのね、私がこの姿になったのは誰のせいだと思ってるのかしら!?」

「いやすまぬ。褒められて悪い気はせんが、どうしてもそなたの容姿と使う言葉の不一致に戸惑うな」

「好きで幼児化したわけじゃないわよ!」


 ぷぅと頬を膨らませるイーヴァに、ヴィートリヒは満面の笑みを向けた。


「そうだな、すまぬ。しかしその姿もなかなかに可愛らしいぞ。流石、絶世の美女と言われただけあって、幼少期から既に美しさは健在のようだ」

「私の大きな胸と細い腰を返して!」


 イーヴァはそう言いながら、ケラケラと笑うヴィートリヒの胸を小突いたが、ずっとこの姿でいたとしても、ヴィートリヒの側に居られるのなら、寂しくて悲しむ事も無く幸せなのかもしれないと思った。


「さあ、行こうか。料理長が待ちわびているだろうからな」


 ヴィートリヒはイーヴァを抱き上げると、廊下へと出た。ふんわりと夕食の香りが邸宅中に広がっていて、空腹感を今更ながらに思い出した。


 使用人達が主の姿に皆嬉しそうに微笑み、恭し気に頭を下げる。いつも忙しく慌ただしいヴィートリヒが、可愛らしいイーヴァを抱きかかえて歩く様子が、使用人達の目に微笑ましく映るのは当然の事だ。

 それ程にヴィートリヒは邸宅の使用人達から好かれ、敬われる程に普段から優しく、わが身よりも常に他人を案じ、使用人相手にも人として対等に扱う珍しい貴族だ。

 ヴィートリヒ自身が多忙過ぎる為、クライバー家の使用人になれば死ぬほどこき使われるだろうという思いから敬遠されがちだが、実際クライバー家に雇われた者は、その一生をここで従事したいと思わせる程の良い職場だ。


 食堂にはイーヴァの席とヴィートリヒの席が用意されており、さまざまな料理がテーブルの上に並べられていた。料理長がどれほど大喜びで準備したのかが伺い知れるが、あまりの量にヴィートリヒは少し困った顔をしながら席へとついた。

 彼はとことん無駄を嫌う生真面目な性分だ。特に食べ物を粗末にすることを嫌い、パン一つにもそれを作る為にどれほどの人手がかかり、領民が汗して畑を耕してくれたかを考える男だ。


「アラン、すまぬが今日は給仕をせずに共に食事をとってはくれぬか? それと、ケーテ」


 ヴィートリヒに呼ばれ、一人のメイドが「はい」と返事をした。

きっちりと後ろで束ねられた栗色の髪は一本の乱れも無く、光を反射して光る眼鏡は実直さを物語っている。


彼女の名はケーテ・グリーベル。グリーベル家は代々クライバー家に仕えて来た侍従関係にある家門で、彼女の父はアランの前任として執事を担っていたが、病にかかり、今は療養中であった。

 その為、傭兵出身のアランにはケーテは嫌に厳しく、いつも目くじらを立てて叱るので、アランはケーテが苦手だった。


「イーヴァは少々こういった場が不慣れでな、彼女の隣に座り、共に食事を摂りながらサポートをしてくれぬか」


 ヴィートリヒの気配りは洗練されている。使用人達に見守られる中での食事に戸惑うイーヴァを、恥をかかせない様にと配慮してくれているのだ。


「畏まりました」


 頷きながら、ケーテはニコリと微笑んだ。


 ——流石、我が主。料理長の作り過ぎた食事量を捌きつつ、客人や使用人である私達への気遣いも欠かさない。素晴らしいわ! イケメン過ぎ。ヴィー様素敵っ! 最高!


 と、ケーテは心の中でヴィートリヒラブ演説を繰り広げながらも、冷静な面持ちで準備を始めた。が、アラン用のカトラリーを並べながら、奥歯をぎりぎりと鳴らし、ジロリとアランを睨みつけた。


 ——どうしてあの唐変木がヴィー様の隣なのよ!?


 ケーテに眼鏡の奥から睨みつけられて、アランはその巨体に似合わずたじたじとしながら、ついイーヴァの隣へと腰かけた。


「!?」


 突然隣に山の様な男が腰かけたので、イーヴァは瞳を白黒させ、それを見ていたヴィートリヒは何が起こったのかと一瞬動きを止めた。


 ——成程、アランはイーヴァと仲良くなりたいのだな?

 と、ヴィートリヒは思い込んで頷くと、「アラン、頼むぞ」と一言かけてニコリと微笑んだ。


 さあっとアランとイーヴァの血の気が引く音が漏れ聞こえる様だった。

 イーヴァが恐怖でルビーの様な瞳をうるうるさせながら俯き、ケーテは『よく分からないけれどヴィー様の隣に座れてラッキー!』と、考えながら食卓に着いた。

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