伯爵様は最強戦士
「遅いわねぇ~」
イーヴァが身に着けている首飾りの中で、ナイトメアがバフンとため息を洩らしながら呟いた。
ヴィートリヒの身体から解き放たれてしまった妖魔達を回収すべく、イーヴァ達はベネディクトが出資した馬車に乗り込み旅に出たわけだが、流石にナイトメアに馬車を引いてもらうわけにもいかず、首飾りの中で大人しくしていた。しかし馬車を引く馬の余りの鈍足さに耐えきれずに不満を漏らしたのだ。
馬車は四頭の馬で引かれていたが、乗り心地を重視したベネディクトの要求でカッポカッポとゆっくりと進んでいた。これには馬達も苛立っている様で、美しく手入れされた尾をばっさばっさとしきりに振っている。
「ホント、こんなんじゃいつまで経っても妖魔集めが終わらないわ」
馬車の御者席でイーヴァが不満を言った。隣に座るアランがチラリと小窓を除き、キャビン内のベネディクトの様子を見ると、ベネディクトは大いびきをかいて眠っている様だった。
「少し位速度を上げても大丈夫そうですね」
アランが手綱を操り、舌を鳴らして馬に合図をすると、馬は待ってましたとばかりにテンポよく進み出した。
揺れが少しばかり強くなった為、心配になってキャビン内を覗いたが、ベネディクトは気にも留めずに眠っている様だったので、ホッとした。
「あの人邪魔……」
「まあ、そう言わずに。彼はあれでもお館様が心配なのですよ」
「はぁ!? どの辺が!? だって、ヴィートリヒさんを殺そうとしたのよ!?」
イーヴァの声の大きさに、アランは慌てて「しぃ!」と、人差し指を唇に当てて言った。ベネディクトはそれでもぐっすりと眠っている様子だったので、ふぅと胸を撫でおろす。
ヴィートリヒの身体から解放された妖魔には、痕跡が残っているらしい。つまりは、人の匂いであり、ヴィートリヒの血の匂いだ。ベネディクトが言うには、それを追えば必ず妖魔に出会うはずだと、自慢げに魔法具を見せつけながら言っていた。
ベネディクトの手により地図に印がつけられ、アランはその場所に向かって馬車を操作しているのだ。
「確かに、魔法具の使い方も分かんないし、ベネディクトさんが居ないと困るんだけれど。でもなんだかとっても気分が悪いわ」
腑に落ちない顔を向けたイーヴァの頭を、アランが優しく撫でた。
「ランベルツ卿は、お館様に無理難題の依頼をされるわりには、偶にああして邸宅を訪れてお館様の様子を伺いに来るのです。本気で殺そうとするはずがありません。恐らく、何か理由があってのことだと思います。探し求めている妖魔の事だとは思いますが……」
アランには、イーヴァが妖魔であることは告げたものの、ベネディクトが探し求めているのは自分であるということを話してはいない。
気まずそうに俯くイーヴァの隣で、アランは言葉を続けた。
「もしかしたら、お館様がその妖魔に惚れこんだのではないかと心配していたのかもしれませんね。ランベルツ卿が惚れこむ程の方なのですから」
ふっと笑いながら言うアランに、イーヴァは顔を真っ赤にした。
——確かに、一目惚れしたって言ってくれたけれど!!
「恐らくランベルツ卿の言うとおり、お館様はその妖魔を封印なさったのでしょうね」
——失敗したけどっ!
苦笑いを浮かべるイーヴァを不思議そうに見て、アランは「どうしましたか?」と、小首を傾げた。
「う、ううん! なんでもないわ!」
「お館様は情に篤い方ですから、不憫な者を見ると、例え相手が妖魔であろうと放っておけません。ですから、お館様の身体に封印されている妖魔達は、皆なんらかの事情がある者達ばかりなのですよ」
「え? ヴィートリヒさんが戦って敵わないくらい強い相手だからじゃなかったの?」
イーヴァの言葉にアランは「とんでもない!」と、首を左右に振った。
「ドラゴン相手にも引けを取らないお館様が敵わない相手など、そうそう居ませんよ! 情にほだされ、討伐できなくなった妖魔を、お館様は仕方なく御身に封印されているのです」
「ドラゴン!?」
驚いてルビーの様な瞳を見開いたイーヴァに、アランはこくりと頷いて見せた。
「私とお館様が初めて出会ったのは、王命によるドラゴン討伐隊が結成された時ですから」
アランはそう言うと、「少し昔話をしましょうか」とニコリと微笑んだ。
——七年前——
王都を下級ドラゴンが襲い、甚大な被害を被った。王城も半壊し、街は散々たるもので、沢山の人命が失われた。
王は直ちにドラゴン討伐として兵を招集し、それは王命として貴族全員へと強制的な参加を命じられた。
貴族達の反応は様々だった。
王への忠誠を心から誓う者は自らが、もしくは嫡男が家の代表として名乗りを上げ、腕の立つ騎士達を引き連れて参戦する。そうでない者は身代わりを雇い入れ、傭兵たちを戦地へと送り込んだ。
下級ドラゴンとはいえ、その力は凄まじく、人間が立ち向かう事は困難と思えた。吐く炎は鉄をも溶かし、羽ばたく翼は風じんを巻き起こし、振るう尾は大木ですらまとめてなぎ倒す破壊力だった。
散々たる戦況の中、次第に誰もが疲弊し、立ち向かう気力が折れていく。遠巻きに荒れ狂うドラゴンを見つめ、絶望が皆の心を支配し始めたその時だった。
「皆、気を引き締めよ。我らが落ちては、そなたらの大切な家族をあやつに食われるのだぞ!!」
声を上げ、振るい立たせ、檄を飛ばした男が居た。
彼の名はヴィートリヒ・クライバー。当時十八歳の彼は、赤毛を無造作に結び、琥珀色の瞳に強い意思の光を灯らせて、二丁の銃を手にたった一人でドラゴンへと立ち向かって行った。
誰もが彼を嘲笑った。剣ですら歯が立たないドラゴンの固い鱗に、小さな銃程度が何の役に立つというのかと。
——しかし。
ヴィートリヒの打ち込んだ弾丸はドラゴンの肉を抉り、内部で爆発を起こし、断末魔の叫びが轟いた。尾を振り苦しみ暴れる様を素早く交わし、彼は更にドラゴンの身体を打ち抜く。
それは正に、圧倒的な力の差を見せつけるが如くの戦いぶりだった。
ヴィートリヒはドラゴン討伐の為に、弾薬に魔力を込められるだけ込めた。血が焼ける程の痛みを味わいながらも作ったその弾薬は、大砲ですらその威力の比ではない。
遠巻きに見ていた騎士や傭兵達も次第に参戦し、討伐隊はドラゴンに勝利する事ができた。
アランはその時、ヴィートリヒに命を救われていた。勝利に酔いしれて皆が凱旋する中、ヴィートリヒは戦場に残り、負傷した者達の手当や救護を買って出たのだ。
私財を擲ち他人の命を救う様は、まさに神の御使いと言っても過言ではない。
アランはヴィートリヒの側で仕える事を決め、忠誠を誓った。騎士でも何でもない己の忠誠など嬉しくもないだろうと思ったものの、ヴィートリヒは申し訳なさそうに琥珀色の瞳を細め、「俺なんぞについても損ばかりだぞ」と言った。
クライバー領の邸宅へと身を寄せたアランは、執事として召し抱えられ、ヴィートリヒの為にガンスミスとしても役立つようにと随分な努力を重ねた。
そんな時、王都から賓客が訪れた。豪華な馬車に乗り、沢山の従者を引き連れて来た為、ドラゴン討伐での偉業を称える為の遣いであると、アランは大喜びで出迎えた。
急いで茶の準備をしていた時、ロビーで凄まじい音が鳴り響いた。ぎょっとして駆け付けたアランの目に、杖で酷く頬を叩かれ、床に膝をついた主の姿があった。
「お、お館様!!」
「来るな、アラン! ……俺は平気だ」
——お館様の声が震えている。ちっとも平気そうでは無いではありませんか!!
ヴィートリヒの頬を叩いた男は、金髪に鮮やかな紺碧の瞳をした、この国の王だった。
「貴様と血が繋がっているなどと、余は認めぬ」
ヴィートリヒは王に向かって深く深く頭を垂れた。
「認める必要などございません。髪色を見てわかる通り、俺は下賤の者です」
「はっ! 己を良く理解していると見えて結構なことだな! 貴様は余の家臣だ。薄汚い犬だ、分かるか!!」
「はい。国王陛下」
王は、ヴィートリヒの頭をぎゅっと踏みつけた。
「犬には地位も名誉も要らぬ。そうであろう?」
「……もとより望んだことすらございません。烏滸がましいことです」
「分相応だな!」
王は踏みつける力を強めた。ヴィートリヒは簡単に耐える事ができたはずだというのに、わざと屈して額を床に打ち付けた。
アランは、その時握りしめた爪が掌に食い込み、肉を抉り、指の骨が折れた。
国王一行が帰り、ヴィートリヒはアランの手当をした。悔しさが通り越し、腸が煮えくり返り、行き場のない感情を涙を流すことでしか発散できないアランを、ヴィートリヒは驚く程穏やかな笑みを向けて宥めた。
「嫌な物を見せてしまってすまなかったな、アラン」
「お館様は悔しくはないのですか!? 偉業を成し遂げたお館様にあのような……!! 私は、悔しくて、憎い! 王が憎いです!! 本来であれば、お館様が王となるはずでしょう!!」
「滅多なことを言うものではない」
ヴィートリヒは優しくアランの肩を叩くと、小さくため息を洩らした。
「ですが、お館様!」
「アラン、俺はもうとっくに諦めているのだ。自分というものはこの世に不要なものであると」
「そんなことは決してございません! 私にとってお館様こそ英雄なのです!」
「有難う、アラン。だが……」
ヴィートリヒは僅かに間を置いた。眉を寄せ、小さく震えるような声で「そうでなければ心が持たぬ」と言った。
自分という存在を諦めなければ、耐えられない程の人生を、この方は今まで送って来られたのだ、と、アランはその時理解した。
ニコリと微笑むと、「暫くは療養せよ」と言って、ヴィートリヒは去って行った。
王は、栄誉をヴィートリヒに与える事で、彼の出生が明らかとなることを恐れたのだ。ヴィートリヒこそが王位継承者であり、ドラゴン討伐の偉業を成した男であることが明るみに出たのなら、己の失脚は免れまいと恐れた。
それから王は妖魔の討伐依頼となると、その殆どをヴィートリヒへとあてがった。まるで死を望むかの如く、次々と激しい戦いを強いたのだ。
しかしヴィートリヒは淡々とそれをこなし続けた。身体が壊れようとも、寝る時間すらも惜しんで彼は戦い続けた。王命である以前に、ヴィートリヒはそれにより助かる命の尊さを良く知っていたからこそ、己を振るい立たせる事ができたのだ。
——だが。
ベネディクト・ランベルツ。王の再従弟に当たる彼は、クライバー領の隣に領を構えていた。王は彼にそっと耳打ちしたのだ。
『ヴィートリヒ・クライバーに理不尽な依頼を多量にせよ』と。
——アランからそこまで聞くと、イーヴァは怒りに震えた。
「王様からの命令だから、どうにもできないって事なの!?」
イーヴァの問いに、アランは困った様に首を捻った。
「どうでしょうね。……それからというもの、お館様は日々お窶れになっていきました。王命であれば、滅多な依頼ができません。少なくとも王城内では噂となりますから。ですが、ランベルツ卿からの依頼となれば別です。次々と見積もりの甘い依頼を押し付けられ、到底お独りでは捌ききれない量を熟していくお姿は、まるで本当に自分を傷みつけ、死のうとしている様に思えてなりませんでした」
——それなのに、彼はとっても優しかったわ……。
イーヴァはヴィートリヒを想い、小さな手をきゅっと握りしめた。アランはイーヴァの頭を優しく撫でると、ニコリと微笑んだ。
「お嬢様には、邸宅の全ての使用人が感謝しているのですよ」
「どうして?」
ルビーの様な瞳を見開いて不思議そうにアランを見上げると、アランは馬を操作しながら頷いた。
「お嬢様が邸宅に訪れて、お館様は食堂でお食事をお召し上がりになり、寝室でお休みになられました。ゆったりとした時間を過ごすお館様を見たのは、皆初めての事だったのです」
イーヴァはアランの手を小さな手できゅっと掴んだ。
「じゃあ、早くヴィートリヒさんを助けて、また皆で楽しくお食事しましょう! 私も、彼と一緒に居られることが幸せなんだもの!」
「ええ。私はお館様の幸せそうな笑顔がまた見たいです」
馬車のキャビン内で、ベネディクトは二人の会話を聞きながら小さくため息を吐いた。
——ヴィートリヒ。いつか僕がお前を……




