約束
「……どうしよう」
行く当てもなく、イーヴァはナイトメアと共にクライバー家の邸宅の前で立ち尽くしていた。アランやケーテになんと説明すべきかと考えて、悩みあぐねいて途方に暮れ、随分な時間が経ったことだろう。
「見て、イーヴァ。馬車が止まっているわ。誰かお客さんが来ているんじゃないかしらぁ?」
ナイトメアが首飾りの中から声を掛けた。見ると、確かに邸宅の横に馬車が停まっており、見慣れない顔の者が馬の世話をしている様子が見えた。馬車には貴族の紋章が刺繍されたタペストリーがぶら下がっており、それはイーヴァにも見覚えのある紋章だった。
依頼書で何度も見た、ランベルツ家の紋章だったからだ。イーヴァの脳裏に金髪のツンと澄ました顔の男が浮かび、思わず眉を寄せた。
「うわぁ。私、あの人嫌い……」
「タイミングが悪いような良いような。兎に角、ちょっと行ってみましょうよぉ」
ナイトメアはベネディクトの顔見たさに浮かれている様子だった。
——顔はイケメンかもしれないけど、嫌い……。
と、イーヴァは重い足取りで邸宅の扉を叩いた。
「はいはい。どなた様でしょうか。今当家の旦那様は留守なのですが……」
慌てた様子で顔を出したアランを見た途端、イーヴァはぶわりと顔を崩した。
「おや、お嬢様?」
「アラン!! ヴィートリヒさんがぁ!!」
うわぁああああん!! と、声を上げて幼女さながらに大泣きし、アランは驚いてオロオロとし、その巨体をさっと屈めてイーヴァを抱き上げると、誘拐犯の如く大急ぎで邸宅内へと連れ込んだ。
客室のソファに座らされ、泣き止まないイーヴァの前には様々なお菓子が用意され、どこから持ってきたのか、やれ人形だ、玩具だと所狭しと並べられた。
ようやく落ち着いたイーヴァが、自分が妖魔であること、ヴィートリヒがメフィストフェレスを自らの身体に封印し、乗っ取られてしまった事をアランに話した。アランは頷きながら、時折ハンカチでイーヴァの涙を拭い、親身になって話を聞いてくれた。
「成程。理解致しました」
「アラン。私が全部悪いの! ヴィートリヒさんを返してもらいにいかなくちゃ!」
「その為には、お館様の御身に封印されていた妖魔達を再び集めなければならないということですね?」
「話は全て聞かせていただきましたっ!」
バン!! と、客室の扉が開き、ケーテが室内へと駆け込んできた。ぎょっとしたアランを弾き飛ばし、そっとイーヴァの小さな手を握った。
「ワタクシ、どぉーしてもお嬢様にお伺いしたいことが!!」
「な、なに?」
ルビーの様な瞳を瞬いてイーヴァが言うと、ケーテは眼鏡をキラリと光らせた。
「ヴィー様のキッスは如何でしたか!?」
——ヴィー様? きっす……?
「あの甘いマスクにあのお優しい性格にあの素晴らしい肉体ですから、きっと天にも昇る心地だったのでは!?」
「えーと、それはもう相当なテクニシャンで……」
「何の話をしているんですか!!」
アランが顔を赤らめて止めに入ると、「そのようなプライベートなお話はお館様に失礼でしょう!!」と、バタバタと太い両腕を振って会話を遮った。ケーテが「ちっ」と舌打ちし、イーヴァから手を放すと側にある椅子へと腰かけた。
「アラン、あんた旦那様を助けにお嬢様と出かけなさいよ。妖魔集めをしないと、旦那様を取り戻せないのでしょう?」
ケーテはそう言うと、悔しそうにため息を吐いた。
「元傭兵だったんだから、生かせばいいじゃない。ワタクシは残念ながら妖魔と対峙するような能力は無いもの」
——そうかな? 私より強そうですけれど。
と、アランは心の中で思ったが、言わないでおいた。
「話は途中から聞かせて貰ったよ!!」
ケーテにより開け放たれたままの扉からひょっこりと顔を出すと、ベネディクト・ランベルツがグッと親指を突き出して、笑顔を向けた。キラリと白い歯が輝いているが、イーヴァは「でた……」と、うんざりしたような顔を向けた。
「途中からってどこから聞いていたのよ」
ため息交じりに言ったイーヴァに、ベネディクトはハン! と鼻を鳴らした。
「途中からと言ったら途中からさ! ヴィートリヒを探しに行くんだろう?」
——つまり、殆ど聞いて無いってことじゃない。
「丁度良かったですわ。ではランベルツ卿の馬車を使いましょう」
サラリと提案したケーテに、ベネディクトは深緑色の瞳を見開いて眉を寄せた。
「……は!? 何で僕が……」
「あら、では今までの依頼書の見積もりが甘かった分をきっちりお支払いいただかなくてはなりませんわね。当家では全て写しを保管しておりますので、少々お待ちあそばせ!」
「わ! わわわ!! 待った待った!!」
ベネディクトが大慌てでケーテの前で両腕を振った後、コホンと咳払いをした。
「分かった。心の広い僕が、ヴィートリヒ探しの馬車くらい出してやろうじゃないか」
「ついでに旅費も宜しくお願いいたしますわね、出資者様」
ケーテがニコリと微笑み、ベネディクトがひくひくと頬を引きつらせながら「勿論だとも」と微笑んだ。
つまり、それほどに今まで引き受けた依頼の見積もりが、酷いものだったということだ。
「当然だけれど、僕も同行するからね!」
「どういう風の吹き回しですか? ランベルツ卿はお館様を嫌っておいでかと」
アランの突っ込みに、ベネディクトは「うん、大嫌いさ」と素直に頷いて、腰に両手を当ててため息を吐いた。
「僕が気に入った妖魔をヴィートリヒが封印しちゃっているみたいだからね。だから僕はあいつの身体を切り刻んででも彼女を解放してやるつもりさ」
——こいつ、さらりと今恐ろしいこと言った!?
と、ベネディクト以外の全員が考えて、ゴクリと息を呑んだ。
「あんたなんかにヴィートリヒさんが負けるわけ無いわ!」
イーヴァは頬を膨らませて言うと、ベネディクトがハン! と鼻を鳴らした。
「何とでも言えよ、ちんちくりん! 僕には地位も名誉も富も美貌も備わっているんだからね! あいつになんか、負けるものか!」
ケーテが怒り狂い、ジロリとベネディクトを睨みつけた。その凄まじい眼光に、パリンと眼鏡が音を立てて割れ、ベネディクトは驚いて飛びのいた。
「はぁああぁああ!? ヴィー様が、あんたに負ける? はぁああ!?」
「ケーテ! 腹立たしいのは分かりますが、お館様がお戻りになった後の事を考えるのならば、今は堪えてください! 相手はランベルツ卿ですよ! 国王陛下の再従弟ですよ!!」
アランが慌てて殴りかかろうとしたケーテを取り押さえ、ケーテはアランに両腕を拘束されながらも足をばたつかせ、とても言葉に表せないような暴言をベネディクトに向かって吐き出した。
余りにも酷い暴言に、ベネディクトは半べそをかきはじめ、イーヴァは半分も言葉の意味が理解できなかったが、もしもその場にヴィートリヒが居たのなら、慌ててイーヴァの耳を塞いでいたことだろう。
その日はクライバー家の邸宅に一泊し、翌日準備を整えて妖魔集めに出かける事とした。
イーヴァはベッドの中で寝つけずに、窓の外に浮かぶ月を見つめていた。月を見つめていると、琥珀色のヴィートリヒの瞳を思い出し、ヴィートリヒ恋しさにイーヴァは込み上げる涙を必死にかみ殺した。
——誰も居ない孤独より、大好きな人を失った孤独の方がずっと辛いわ……。
しくしくと、声をかみ殺しながらイーヴァは泣いた。
——お願いよ、ヴィートリヒさん。帰って来て、私の側に居て!! こんな寂しさを味わわせるだなんて、貴方はなんて酷い人なのっ!?
コツコツと、窓を叩く音がしたかと思うと、漆黒の翼がバサリと開かれる様が、窓の外から射し込む月の光に照らされて、室内に影を落とした。
「メフィストフェレス!!」
イーヴァはベッドから飛び起きると、大急ぎで窓を開け放った。白く細い両腕が、いつの間にやらイーヴァが元の姿に戻っている事を知らせる。
メフィストフェレスは唇に人差し指を押し当てると、「シィ」と言い、音を立てないように気遣いながら静かに窓縁に腰かけた。
「イーヴァ。俺だ、ヴィートリヒだ」
「え!?」
優しくイーヴァを見下ろすその瞳は、琥珀色だった。しかし、背には漆黒の翼が生えており、彼は寂しげに頷いた。
「月明かりの下では、メフィストフェレスは眠りにつくようだ。だからそなたもそうして元の姿に戻る事ができるというわけだ」
「どういうことなの? 私が縮んだのは、ヴィートリヒさんに魔力を吸われたからなのに」
「どうやらそれだけでは無いらしい」
ヴィートリヒはふぅと小さくため息をつくと、悲し気な眼差しをイーヴァへと向けた。
「あやつは俺がクライバー家の者であると知り、そなたをどうにか連れて行かせようと企んだのだ。マナの泉があれば、そなたの魔力が直ぐに溜まると分かっていたからな。だから、そなたが幼女の姿になってしまったのは、メフィストフェレスの魔術のせいだということだ。そなたの身体に残る魔力量によって、その姿を変えられるようにな」
「それじゃあヴィートリヒさんも、月明かりの下では元に戻れるの?」
「メフィストフェレスが眠っている間はな。あやつはいつでも目を覚ます事ができる」
イーヴァは手を伸ばし、ヴィートリヒの頬に触れた。ルビーの様な瞳から涙を溢れさせ、「ごめんなさい」と声を放った。
「どうした? 何故謝る?」
「だって、私のせいでヴィートリヒさんが!!」
ヴィートリヒは優しくイーヴァの頭を撫でた。
「案ずるな。メフィストフェレスも必死になって解き放たれた妖魔を集めるべく翻弄しておる。俺の苦労をあやつも味わうことになるのだから、なかなかに悪くはない」
「私も、アランやベネディクトさんと一緒に、妖魔集めを手伝うわ! ヴィートリヒさんはきっと早くここに帰って来れるはずよ!」
ヴィートリヒはプッと笑うと、「何故ベネディクトが?」と眉を寄せた。
「ケーテが、ベネディクトさんを出資者って言っていたわ」
ヴィートリヒはベネディクトが今まで依頼料を誤魔化していたツケを、ケーテがここぞとばかりに払わせようとしいるのだとすぐに理解した。
「成程、ケーテらしいな」
頷きながらそう言った後、ヴィートリヒは月を見上げた。
「……さて、もう戻らねばな。メフィストフェレスが目覚めてしまう」
「何処へ行っちゃうの?」
不安気にヴィートリヒを見つめるイーヴァに、ヴィートリヒは優しく微笑みかけながら、「直ぐ近くにいる」と言った。
「メフィストフェレスの目的は、あくまでもそなたの宝玉の力だ。遠く離れる事は無い。そなたが危険な目に遭わぬ様、近くで見守っている。何かあれば必ず助けに来るから、案ずるな」
すっと立ち上がろうとしたヴィートリヒの手をイーヴァが掴んだ。
「やだ。行かないで……!」
ヴィートリヒは困った様に微笑むと、腕を伸ばし、イーヴァを優しく抱き寄せた。そしてその唇にキスをすると、イーヴァを幼女の姿へと変えた。
「俺はどこへも行かぬ。メフィストフェレスと共に、そなたを近くから見守っている」
バサリと漆黒の翼を広げると、窓枠を蹴り、ヴィートリヒは闇夜へと飛び立った。その後ろ姿を見つめながら、イーヴァは『絶対に早く妖魔達を集めて、ヴィートリヒさんを返して貰うわ!』と、心に誓った。




