イーヴァの正体
「酷いわ! ヴィートリヒさんっ! どうして私をキャビンに閉じ込めるの!?」
鍵の掛けられた馬車のキャビンからイーヴァが喚いた。ああ、この展開。何故か既視感を覚えるな、と思いながら、ヴィートリヒは御者席でため息をついた。
「キスの一つや二つ別にいいじゃないっ! ケチっ!!」
「黙れっ! そなたは俺を殺す気か!?」
昨夜の魔力を込めたキスで、イーヴァは調子に乗ってヴィートリヒの魔力を吸い尽くした。おかげでヴィートリヒの魔力がからからに乾ききってしまい、その場で気絶した為、ナイトメアとイーヴァの二人でヴィートリヒをベッドまで運んだのだ。
朝になり目を覚ましたヴィートリヒは、メフィストフェレス戦に備えて再びマナの泉から魔力を抽出しなければならず、朝っぱらから苦しみ、血塗れになることを余儀なくされた。
それなのにイーヴァときたらキスがよっぽど良かったのか、ヴィートリヒにせがんで離さないので、仕方なくキャビンに閉じ込めたというわけだ。
「ヴィーちゃんたらぁ。そんなに上手なのぉ? あたしにも今度お願いしようかしらぁ~」
——馬面にどうやって……?
と、突っ込みを入れたくなったが、ナイトメアには世話になっているので、あまり失礼な物言いは控えようとヴィートリヒは言葉を飲み込んだ。
「お腹空いたわ!!」
ぐぅ~~~っと、イーヴァの腹の音が御者席にまで聞こえてきた。
アラン達にイーヴァの姿を見られないようにと、朝早くから邸宅を出て来た為、朝食を食べ損ねた。ヴィートリヒは仕方なく携帯食を取り出し、御者席とキャビンを繋ぐ小窓からイーヴァに手渡そうとした。
「お腹空いたからキスしてっ!」
「黙れというに!!!!」
「いやぁ! キスしてくれなきゃお腹空いて死んじゃうっ!! ヴィートリヒさんは私を飢え死にさせる気なんだわっ!」
「そ、そうでは無い! しかし朝っぱらから……!」
「朝昼晩キスしてくれないと嫌ぁっ!!」
——イーヴァはひょっとして、キス魔か……? いや、そんな妖魔は存在するのか?
と、ヴィートリヒはガックリと項垂れた。
馬車はイーヴァが塒にしていた古城へとたどり着いた。キャビンの鍵を開けた途端、イーヴァが飛び出して来てヴィートリヒに抱き着こうとするので、ヴィートリヒはサッと避けた。
「酷いわ! どうして避けるの!?」
「そなた、少し落ち着け!」
「この姿だったら犯罪じゃないからいいでしょ!? 何が悪いの!?」
イーヴァは豊満な胸を反らせて、ヴィートリヒに詰め寄った。ヴィートリヒは「そういう問題ではない!」と、慌ててイーヴァから離れると、うんざりした様にため息を吐いた。
「これからメフィストフェレスと対峙するのだぞ? そなた、分かっているのか?」
「ええ! やっと人間にして貰えるわ!」
イーヴァは嬉しそうに満面の笑みを浮かべてそう言った。
——大人の身体に戻ったし、ヴィートリヒさんは私を好きだし、これで人間になれたらもう、幸せまっしぐらじゃない!?
イーヴァのその様子にヴィートリヒは頭痛がした。彼女はキスを食事としか思っていない。願いが叶って人間になり、魔力を必要としなくなったとしたら、一体どうするつもりなのだろうかと不安に思った。
「隙あり!!」
イーヴァはぐいっとヴィートリヒの襟首を掴むと、濃厚な口づけをかました。
——よせ!! と、心の中で叫びながらも、ヴィートリヒの身体から魔力が奪われていく。
慌ててイーヴァから逃れたものの、ヴィートリヒの魔力は半分程イーヴァに吸われていた。どっと疲れが生じて項垂れるヴィートリヒとは別に、イーヴァは満足気に微笑んでいる。
「……全く、そなたときたら。さあ、ほら。古城へと行くぞ」
ナイトメアを馬車番に残し、二人は古城へと脚を踏み入れた。
城内は相変わらず古びた様子で、空気も淀んでいる。イーヴァは先ほどまでの浮かれた気分はどこへやら、眉を寄せて浮かない顔をした。こんなところに何百年もたった一人で住んでいたのかと思うと、我ながらゾッとする思いだ。
——私、もうここには戻りたくなんかない。人間になったら、大手を振って堂々とヴィートリヒさんと一緒に居られるんだから、あと少しの我慢よ。
「イーヴァ、メフィストフェレスは一体どこに居るのだ?」
「礼拝堂だと思うけれど。私も最初の契約で一度会っただけだから」
「そうか……」
——さて、どうでるか、メフィストフェレス。
と、ヴィートリヒは警戒し、ふっと息を吸った。
半壊した白い像が中央に聳え立つ礼拝堂へと足を踏み入れると、ステンドグラスから射し込む弱い光だけでは明かりに乏しく、ヴィートリヒは魔術で周囲を照らした。
「メフィストフェレス。そなたに話があって来た。どうか面通り願いたい!」
ヴィートリヒは良く通る声でそう言い放った。イーヴァはヴィートリヒが初めて古城を訪れた時の事を思い出し、わざと間抜けな素振りをして見せた彼の様子を思い浮かべて、クスリと小さく笑った。
——ヴィートリヒさんったら、あの時もやたらと叫んでいたっけ。
『やれやれ、我は光を愛さぬ者だというのに』
鈴の音の様な音と共に声が響いた。バサリと鳥の翼が白い像の背後から伸びる。ヴィートリヒは慌てて魔術の光を消した。
「非礼を詫びよう」
深々と頭を下げたヴィートリヒの前に、白い顔に銀色の瞳を細め、メフィストフェレスが姿を現した。堕天したとはいえ神々しく見えるその姿に、ヴィートリヒは最大限の敬意を払った。
『お前はヴィートリヒ・クライバーだね?』
「俺を存じているのか?」
『勿論。妖魔の天敵と言っても過言ではないからね』
赤毛に琥珀色の瞳を持つヴィートリヒと、銀髪に銀色の瞳を持つメフィストフェレスは、対極の様であり、イーヴァの瞳にはどちらも神の遣いであるかの如く美しく見えた。
「今日はこのイーヴァの事で知りたい事があって来たのだ。答えてくれるか?」
『契約の事ならば、契約者本人としか話せないよ』
ヴィートリヒは頷くと、イーヴァの頭を優しく撫でた。
「そなたの言う通り、宝玉が真紅に染まる程の魔力を集めきった。イーヴァの願いを叶えてやって欲しい」
『……』
メフィストフェレスが答えなかったので、イーヴァはヴィートリヒの質問を復唱した。
「貴方の言う通り、魔力を集めたわ。願いを叶えて頂戴」
『良いだろう』
嫌にあっさりとメフィストフェレスは頷くと、イーヴァの額にある真紅の宝玉に触れようとすぅっと手を伸ばした。
『随分と長らく待たせてくれたね、カーバンクル』
メフィストフェレスの言った言葉に、ヴィートリヒは眉を寄せた。
——カーバンクルだと? メフィストフェレスは今、イーヴァの事をそう呼んだのか……?
カーバンクル——額に埋め込まれた宝玉を手に入れた者の願いを叶えると言われている、伝説の幻獣だ。イーヴァは『古城のサキュバス』と言われていたものの、サキュバスではないことは分かっていた。しかし、まさか彼女がカーバンクルであるとは……
——妙だ。イーヴァがカーバンクルなのだとしたら、願いを叶えるのはイーヴァ自身であるはず。ならば、メフィストフェレスの言った契約とは一体……?
まさか……!!
ヴィートリヒは咄嗟にイーヴァの腕を引き、メフィストフェレスの前から引き離すと、ホルスターから素早くオートマチックガンを抜いて構えた。
メフィストフェレスは銀色の瞳を細め、じっとヴィートリヒを睨みつけた。
『どういうつもりだ、ヴィートリヒ・クライバー』
「誰の願いを叶えるつもりだ? メフィストフェレス」
ヴィートリヒは銃口を向けながら静かに問いかけた。メフィストフェレスはフっと笑うと、細く長い指を伸ばし、ヴィートリヒに向けてゆらりと揺らした。
『我が契約したのはお前ではない』
「契約の証が無い。そなたは何を代償に契約をしたのだ?」
ベネディクトが召喚したリッチが、『前払い』だと言っていた事をヴィートリヒは思い出したのだ。
メフィストフェレスはニヤリと笑った。ヴィートリヒはハッとして銃のトリガーを引いた。放たれた弾は闇に消え、ヴィートリヒの横へとパッと姿を現したメフィストフェレスの攻撃を身をよじって交わしながら、ヴィートリヒは更に数発打ち放った。
イーヴァが悲鳴を上げて両耳を押えて蹲り、ヴィートリヒは彼女を庇うように素早く身を寄せた。
メフィストフェレスは翼をはためかせてヴィートリヒの放った弾丸を、いとも簡単に弾き飛ばし、跳弾から守る為、ヴィートリヒはイーヴァを庇う様に抱きしめた。
「ヴィートリヒさん。私、人間になれないの?」
震える声でイーヴァが言った。
——嫌っ!! 私、人間になってヴィートリヒさんと一緒に居たいのにっ!!
ヴィートリヒは優しく微笑んだ後、「案ずるな」と囁いて、イーヴァの頭を優しく撫でた。
「メフィストフェレス。そなたも寂しい存在だな」
『貴様に同情される覚えはない』
ヴィートリヒはすっと立ち上がり銃をホルスターへと納めると、琥珀色の瞳でメフィストフェレスを見上げた。
『何をする気だ? ヴィートリヒ・クライバー』
銀色の瞳で訝し気に見下ろすメフィストフェレスに、ヴィートリヒは掌を掲げた。
「我は汝を祓い清める。おお、不敬なるメフィストフェレスよ。汝、この行為を虚しくも誇れ……」
ヴィートリヒの言葉を聞いた瞬間、メフィストフェレスは眉を寄せた。
『貴様、我を封印する気か!!』
ポタリ、と、イーヴァの頬に生暖かい水滴が落ちた。見上げると、ヴィートリヒの頭部から鮮血が流れ、脇腹が紅く染まっていた。メフィストフェレスが弾いた跳弾を、イーヴァを庇い彼が受けたのだ。
「ヴィートリヒさん……?」
恐る恐る震える声を放ったイーヴァに、ヴィートリヒはニコリと微笑みかけた。
——メフィストフェレスは俺に任せろ。そなたは、そなたの願いを成就させよ。
「待って!! ナイトメアが言っていたじゃない。これ以上封印したら、ヴィートリヒさんの身が持たないわ!!」
イーヴァの叫びも虚しく、ヴィートリヒの掲げた掌から光が発せられ、メフィストフェレスがその光に包まれ断末魔の叫びを上げた。




