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妖魔の幸福  作者: ふぁる
第一章 ――喪失――
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不幸だけれど幸せです

 地下室の扉を開けると、眩い程のエメラルドグリーンの光に包まれた。思わずぎゅっとイーヴァが瞳を閉じ、ヴィートリヒが指を鳴らすと、その光はすぅっと収まって、部屋の様子が確認できる程の明るさへと変わった。


 室内には棚がいくつも設置され、弾薬がぎっしりと収納されていた。ヴィートリヒはいつもこの部屋でたった独り、マナの泉から魔力を吸い上げながら弾丸に込めているのだろう。


 簡素な作りの作業台と椅子が端の方に置かれており、作業台の上には手巻き煙草用のシャグが置かれていた。執務室にも主寝室にも喫煙道具が一切置かれていない為、ヴィートリヒはここで一人きりで作業をする時だけ手巻き煙草を愉しんでいるのだろう。


「座るか?」


 室内に一つだけある簡素な椅子を勧められたが、イーヴァは「平気よ」と、断った。

 部屋の中央には石で囲われた泉が滾々(こんこん)と湧き出ており、わずかにエメラルドグリーンの光を放っている。先ほどは眩いばかりの光を放っていた泉が、ヴィートリヒの魔術で一瞬にして押さえられたのだから、彼がこの泉を扱える能力があることは容易に理解できた。


「泉の水に触れてはならぬぞ? クライバー家以外の者が触れたのなら、身体の中の魔力が拒絶反応を起こし、身体が燃え尽きてしまう」

「ヴィートリヒさんは王様のお兄さんなんでしょ? ってことは、王様も泉に触れるの?」


イーヴァの質問にヴィートリヒは少し驚いたような顔をしたが、「アランから聞いたのか?」と言い、イーヴァは頷いた。


「誤解せんように言っておくが、俺は王位にこれっぽっちも興味がない。それに、この国の民は王に兄弟が居るとは知らぬ」


 コホン、と咳払いをすると、ヴィートリヒはイーヴァの頭を優しく撫でた。


「王は……どうだろうな。この泉に触れたことなどないだろうから。俺の曾祖母はマナの泉の魔力を抽出して、魔法薬や魔法具を作っていたらしいが」

「じゃあ、ヴィートリヒさんはそのひいおばあちゃんに色々教わったの?」

「……いや。日記を読んだだけだ。俺が生まれた時には既に亡くなっていたからな」


 たった一人でこの広い邸宅に置き去りにされ、寂しさを紛らわす為に邸宅中の書物を読み漁った。もしもヴィートリヒの曾祖母が生きていたのなら、彼を可愛がってくれていただろうか。恐らくそんなことを想像しながら、(すが)る様に日記を読みふけったに違いない。


「ヴィーちゃん、あたしで良ければずっと側に居てあげるわよぉ?」


 普通の感覚ならば断固拒否するようなナイトメアの申し出に、ヴィートリヒは「それは心強いな」と笑うと、イーヴァが白い手を伸ばし、ヴィートリヒの頬に触れた。


「私もずっと古城で寂しかったの。ヴィートリヒさんの側にずっと居たいわ」


 吸い込まれそうな程のイーヴァの美しさに見惚れながら、ヴィートリヒは唇を噛みしめた。


「……そなたは、俺とは居られぬ」

「え?」


 ルビーの様な瞳を見開いて驚くイーヴァの手を掴み、自分から放すと、「では早速始めるとしよう」と、ヴィートリヒはマナの泉の(ほとり)に膝をついた。


 ——え? どうして? ヴィートリヒさんは、私と一緒になんか居たくないの?


 ヴィートリヒが詠唱しながら両手を差し伸べて、マナの泉の水を(すく)った。パッと光の粒が舞い散って、手のひらに抄った水を、ヴィートリヒがこくこくと飲み干した途端、彼は苦痛に満ちた呻き声をあげ、身を縮めた。

 ポタポタと赤い雫が床に零れ落ちる。


「ヴィーちゃん……。拒絶反応が無いわけじゃないのね」


 イーヴァの首から下げた首飾りから、ナイトメアが言葉を放った。苦痛に悶えるヴィートリヒの様子を見つめながら、イーヴァは自分の頬を涙が伝うのを感じた。


——子供の頃のヴィートリヒさんは、もしかして死を望んでその水を飲んだのかな……?


 イーヴァの目には、悶えるヴィートリヒのその姿が小さな子供の姿に映った。行き場を失い、寂しさと哀しみに身を焼かれながらも必死に耐える小さな小さな子供だ。

 両目から流れ出る赤い涙や鼻から零れる赤い血液が、彼の心の痛みを表しているのだと思え、居たたまれずに両腕を伸ばし、ヴィートリヒの肩に回すと、優しく抱きしめた。


「見苦しい姿を見せてすまぬ……」


 イーヴァに優しく抱かれながらヴィートリヒは掠れた声でそう言った。


 ヴィートリヒは今まで誰にもこんな姿を見せない様に隠してきたというのに、なぜイーヴァには見せたのか、自分の行動が疑問でならなかった。誰かに知って欲しいという願望が自分の中にはずっとあり、イーヴァとの別れが近いということからこの行動に出てしまったのだろうと自己分析し、己の弱さを情けなく思った。


「ねぇ、ヴィートリヒさん。教えて」


 イーヴァはヴィートリヒを優しく抱きしめながら言った。


「私のことが嫌いだから、厄介だから、側に居たらいけないの?」


 ヴィートリヒは答えに迷った。もしも本当の事を伝えたのなら、イーヴァは身の危険も省みずここに残ると言い張るだろう。弱い自分をこれ以上曝け出すのはもう十分だ。彼女の事を思うのなら、嘘をついてでも離れた方がいい。


 「ああ、そうだ」と、言葉を発しようとした時、喉の奥から熱を感じた。激しい耳鳴りに襲われ、思わず口を閉ざす。


「ヴィーちゃん。貴方、契約の魔術を使ったこと忘れたのぉ? ヴィーちゃんはイーヴァに嘘をつけないのよぉ?」


 ナイトメアがネックレスの中でケラケラと笑った。


——しまった……! まさかあの契約がこんなところで仇になるとは……

 と、さぁっと青ざめたヴィートリヒに、イーヴァは小さく笑った。


 ヴィートリヒがイーヴァに嘘をつけないのなら、ヴィートリヒの本心を確かめる為に、それを利用しない手は無い。


「じゃあ、どちらかで答えて。私が好き? 嫌い?」


 ヴィートリヒはぎゅっと瞳を閉じた。

 心の中で葛藤し、しんと辺りが静まり返る。


 暫く間を置いた後、呟く様に声を放った。


「…………好きだ」


 ヴィートリヒの言葉にイーヴァは何も答えなかった。


 そぉっと恐る恐る瞳を開くと、イーヴァがルビーの様な瞳にいっぱいに涙を溜めているので、ぎょっとした。慌てて「すまぬ!」と謝ろうとすると、それより先に「私も好きよ!」と、イーヴァが言い、ヴィートリヒの唇をイーヴァが自らの唇を重ねて塞いだ。


 ヴィートリヒの身体に蓄積した魔力がイーヴァへと雪崩の様に流れ込んでいく。


 イーヴァの額の宝玉が、薄紫色から真紅へと色を変えた。

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