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妖魔の幸福  作者: ふぁる
第一章 ――喪失――
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伯爵様の愛の告白

「今日の依頼はアンデッド系か」


 馬車の御者席の上で依頼書を広げながら、ヴィートリヒは「ふぅむ」と唸った。


「ヴィートリヒさん! 酷い、どうして私をキャビンに閉じ込めておくの!?」


鍵の掛けられたキャビンの中でイーヴァが喚き、ヴィートリヒはうんざりとしてため息を吐いた。


「ちょっとくらい精液分けてくれたっていいじゃない!! ケチっ!!」

「黙れっ! そなた、二度とそのフレーズを口にするな!!」


 キャビンに向かってヴィートリヒは怒鳴りつけると、顔を真っ赤にして依頼書を握り締めた。

 ナイトメアが欠伸をしながら「初心なのねぇ」と言い、ヴィートリヒは頭を抱えたい気分になった。

 それでなくともイーヴァの見た目は幼女だというのに、その姿で破廉恥(はれんち)な言葉を口にする様子が生真面目なヴィートリヒには堪えられないのだ。尤も、イーヴァ自身にはそれが何を意味するのか全く理解していない様子だが。


「どうして!? なんで!? 何がいけないの!?」

「婦女子が口にしてはならぬ言葉だからだっ! それと、俺の股間を凝視するのも駄目だっ!!」

「ねぇお願い! もう言わないし見ないからここから出して。閉じ込めるだなんてあんまりよっ! 狭いところは嫌なの。お願いよ!」


 ぐすぐすと泣き出すイーヴァに、ヴィートリヒは何やら自分がとんでもない悪い大人な様な気がして、「分かった! 泣くな!」と、キャビンの鍵を開けた。


「ヴィーちゃんたら、ホント底抜けなお人好しよねぇ」


 ナイトメアがニヤニヤしながら言い、ヴィートリヒは「俺は泣かれるとどうにも弱いのだ」と眉を下げながら、イーヴァを抱き上げて、御者席の方へと座らせた。


「む? そういえば、そなた昨夜は元の姿に戻らなかったな」


 ヴィートリヒの言葉に、イーヴァは「そういえばそうね」と、小首を傾げた。


「戻る時刻が決まっているのかと思ったが、そうではないということか」

「魔力が足りなくなっちゃったのかも」

「腹は減ってはおらぬのか? 体の調子が悪いところは無いか?」

「平気よ」

 

 心配そうに琥珀色の瞳でイーヴァを見つめるヴィートリヒは、まるで過保護な父親の様だ。ナイトメアはぶるぶると首を横に振った後、「戻るって何の事よ?」と、二人に問いかけた。


「ヴィートリヒさんに魔力を吸われてこんな姿になっちゃったけど、私は元々ボン、キュ、ボン! のナイスバディだったんだもん」


 イーヴァの物言いにヴィートリヒは苦笑いを浮かべると、「すまぬ」と頭を下げた。


「まあ、別にいいわ。私、今結構楽しいし」


 イーヴァはそう言いながら小さな手でヴィートリヒの服の裾を掴んだ。


「古城でずっと独りぼっちだったから、その時と比べたらずっといいもの。幼女の姿になって良かったくらいだわ」


 ヴィートリヒは優しくイーヴァの頭を撫でると、「俺もそなたとこうして居られて嬉しい」とニコリと微笑んだ。その笑顔を見て、イーヴァはフト自分の顔が熱くなるのを感じ、思わず頬に手を当てた。


「む? どうした。顔が赤いが、もしや野宿をしたせいで熱でも出たか?」

「妖魔が熱なんか出すわけないじゃない!」


 イーヴァの額に触れようとしたヴィートリヒの手を慌てて振り払うと、「子ども扱いしないでよね!」と、そっぽを向いた。

 『幼女の姿になって良かった』という様な発言をしたばかりでそんな態度を取るイーヴァを不思議に思ったものの、ヴィートリヒはただの気まぐれだろうと思い直して気にしない事にした。


 昨日、粗方依頼を片づけた為、今日は帰りがてらに二件程処理すれば十分だ。一件目はナイトメアが蹴散らし、二件目は屋内の依頼だった為、古びた廃屋の側でヴィートリヒとイーヴァは馬車から降りた。


 それは昔の貴族が放棄した邸宅で、随分と長い間人の手が入らずに居た為、屋根はところどころ落ちているし、壁も崩れている個所が見受けられた。

 ここから夜な夜なゴーストが現れて、近隣の村を練り歩くのだそうだ。余程迷惑なのか、最優先依頼として突如ねじ込まれ、ランベルツ卿からの依頼にしては依頼料がそれなりに高値な所が、ヴィートリヒには少々気がかりだった。

 そうは言っても、値段相応では無いだろう。より強力な妖魔が潜んでいる事も十分ありえると考えて、「イーヴァ、用心するのだぞ」と声を掛けながらヴィートリヒ本人も気を引き締めた。


 崩れかけた扉に手を掛け、嫌な軋み音を立てて押し開く。かび臭い臭いが充満している邸宅内へと脚を踏み入れると、一歩歩みを進める毎に床が(きし)んだ。


「床が抜け落ちそうだな……」


 かつては(さぞ)かし豪勢な邸宅だったのだろう。落ちて崩れたシャンデリアの大きな残骸の正面に、雨水で最早顔の判別がつかなくなった巨大な肖像画が飾られている。外観からも想像できた事だが、広間から伸びる複数の廊下やいくつもの扉を見ると、邸宅のその広大さに討伐対象を見つけ出すのは難航しそうだとうんざりした。


「ヴィートリヒさん、あれ」


 イーヴァが小さな手で指さす方向を見ると、白い(もや)がふわりと現れて、扉の奥へと消えていった。まるでこちらへ来いと招き入れているようだ。


「仕方が無い、誘いに乗るとするか」


 ヴィートリヒはホルスターからオートマチックガンを引き抜くと、構えながら慎重に歩を進め、白い靄が消えて行った扉を開けた。

 扉の先には長い廊下が続いており、更に奥へと進んで行くと、再び白い靄が現れて鉄製の扉の中へと姿を消した。

 どうやら地下へと続く階段の様だ。


 漂う並々ならぬ邪気に、ヴィートリヒは唇を噛みしめた。先ほどの白い靄の本体は、相当な手練れだろう。階段に足を踏み入れようとするだけで、全身の毛が逆立ち、命の危険が迫る様子を警告している。

 しかし、ヴィートリヒは妙な違和感を覚えていた。まるで誘い込む様な白い靄の様子が、どうにも不自然だったからだ。強力な妖魔が潜んでいる事には間違いないだろうが、何か深い事情がありそうだ。ただ討伐するだけであるならともかく……と、地下へと続く階段をじっと見つめた。


「あ、あの、ヴィートリヒさん……」


 イーヴァが震える声を発した。


——暗い。地下室……嫌。行きたくない……!


 イーヴァの足が止まり、ぎゅっと唇を噛みしめて震えた。ヴィートリヒも足を止めると、ニコリとイーヴァに優しく微笑みかけた。


「閉鎖された空間は危険だ。イーヴァ、そなたはここで待て」


 それはイーヴァが物怖じした様子を感じ取っての言葉だった。暗い地下へと続く階段は、イーヴァにとって牢獄に閉じ込められた頃の思い出を彷彿させた。


「だ、大丈夫よ! 私……」

「強力な気配を感じる。そなたを巻き込みたくはない」


ヴィートリヒはイーヴァを宥めようと、声のトーンを落として優しく話した。地下室に潜む妖魔は、対峙して適わないと思えば、自分の身に封印しなければならない程の相手であると踏んだのだ。


「大丈夫よ。私、ヴィートリヒさんを守ってあげるから」


 小さな握りこぶしを作って、任せろと言わんばかりに虚勢を張るイーヴァの様子に、ヴィートリヒはふっと笑った。


「それは頼もしい限りだが……」

「私ね、ヴィートリヒさんにはとっても感謝してるの」


満面の笑みを浮かべるイーヴァに、ヴィートリヒは小首を傾げた。


「何故だ? 俺はそなたの魔力を奪ってしまったというのに」


 イーヴァはルビーの様な瞳でヴィートリヒを見上げると、ふるふると首を左右に振った。


「でも、何の見返りもなしに私に優しくしてくれたのは、ヴィートリヒさんだけだもの」


 きゅっとヴィートリヒの服の裾を掴むと、イーヴァは更に続けた。


「自分の身体を犠牲になんかさせないわ。乗っ取られる可能性もあるって、ナイトメアも言ってたじゃない。私、ヴィートリヒさんを失いたくないの」


 一瞬、イーヴァの姿が元の美しい女性の姿になった様に思えて、ヴィートリヒは瞳を擦った。


「ヴィートリヒさん?」


 瞳を擦ったまま、顔を手で覆ったヴィートリヒに、心配になって声を掛けると、ヴィートリヒは顔を真っ赤にして項垂れた。


「そなたは俺を買いかぶっている」

「……どの辺が?」


 ヴィートリヒは耳まで真っ赤にして、顔を覆ったままぎゅっと瞳を閉じた。


「俺は、そなたに一目惚れしたのだ」


 その言葉にイーヴァは唖然として「え???」と、ルビーの様な瞳を見開いた。


「あの美しい姿に心を奪われた。俺はそなたに(よこしま)な気持ちを抱いたのだろう。そのせいで術返しもどこか手を抜いてしまったのかもしれぬ」


 突然の告白にイーヴァは唖然として瞳を瞬いた。そしてみるみるうちに自分の顔が熱くなっていくので、慌てて両手で両頬を押えた。


 傍から見ると、大の大人と幼女の二人が頬を染め合っている異様な光景が出来上がっていた。それも薄気味悪い朽ちた邸宅の中で繰り広げているのだから、普段の冷静沈着なヴィートリヒではあり得ない事だった。


 つまり、彼はこの討伐依頼で命を落とす覚悟を持ったということだ。


「き、急にそんな事言われても! 私、こんなこと初めてで……」

「俺もだ。この様な気持ちになったのは今まで無かったので驚いている。だから、そなたには申し訳ないがここに残って欲しい」

「でも、ヴィートリヒさん!」

「万が一俺の身に何かあったのなら、アランを訪ねよ。あの男ならば必ずそなたを……」


 耳をつんざくような悲鳴が地下から轟き、ヴィートリヒの言葉を掻き消した。ヴィートリヒはイーヴァをその場に残し、パッと身を(ひるがえ)すと、すぐさま階段を駆け下りて行き、突き当りの扉を開け放ち、オートマチックガンを構えた。

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