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St.Platinum~聖なる白銀~

作者: 夜霧ランプ

白銀の髪と雪陰の瞳を持った17歳の少女の名は、プラチナと言いました。

 朝焼けの空の下。野草を集めに出かけた時だった。ガシャガシャと言う重たい鎧の音をさせながら騎兵隊が馬に乗って行く。頭の周りを守る鎧を着せられた馬達も、これから何があるかを知っているようだ。

 私は茂みの中に身を隠して隊列から距離を取り、彼等を見送った。


 隣国と戦争が始まったと聞いたのは間もなくだ。私の祖母であるイナナが教えてくれた。イナナは週に一度町の教会に行って、その週にあった事を尼僧から聞いてくる。

 戦禍はこの森よりずっと離れた場所らしい。しばらくは安全だが、戦場だけでなく国内も緊張状態だ。私達は、それまで以上に、目立たないように気を配った。


 戦場では、常に物資が不足している。陣地で、ひたすら食べて飲んで体を回復させ、戦線では体力勝負を続けるからだ。

 生産活動は争いが比較的穏やかな場所か、田舎のほうの一般民に任される。食料や物資はどんどん戦場に吸い取られ、国内は次第に困窮して行く。

 私は木の皮を粉にしながら、戦禍がこの森の奥にまで及ばない事を案じていた。戦場からの「物資の注文」は、この土地の町のほうにも送られてきていて、私は戦場で使う幾つかの薬を調合する仕事をしていた。

 イナナは、町の教会に、遠路はるばる運ばれて来た負傷者を手当てする仕事に行っている。決して明るい話ではないだろうけど、帰ってきたら様子を聞いてみよう。


 敵方に強靭な騎兵隊が居るらしい。その隊に鉄槌で殴られ、骨を折られたり肉を潰されたりした兵士達が、教会に集まっていたそうだ。頭を殴られ、もう手の施しようがなかった者も居た。

 国の人間は、出来るだけ「兵士を即回復させて再び戦線に送り出したい」ようだ。

 イナナはその注文を聞いていたが、傷ついた兵士達に圧力をかけるような事は言わなかった。

「今はゆっくり体を治しなさい」と声をかけ、添え木と包帯を巻く前に、骨折の発熱を抑えるための薬を皮膚に塗布した。


 騎兵隊の出撃するような戦いも、一ヶ月も続けば長いほうだ。その一ヶ月は、二週間前に過ぎている。国内の困窮も深まり、不安から生まれる暴動が町で起こった。

 その時の暴動でイナナが死ななかったのが救いだ。暴徒に切りつけられた時、顔をかばった手の平に薄く切り傷がついただけだった。

 イナナはいつも持ち歩いている止血剤を手に塗って帰って来てから、家で自分の手当てをした。煮て消毒してある綺麗な布の中で、乾燥しているものを選んで、傷口をふさぐように手に巻き付けた。


 都合の悪い事に、産婆の仕事が来た。イナナは利き手を怪我しているので、私が代わりに仕事に行った。手を消毒するための幾つかの液体薬の他、お産に必要な薬と道具を用意して。

 妊婦は痛みに苦しんでいたが、比較的落ち着いていた。腹に力を入れやすい呼吸方法を教えて、子宮の収縮を促す薬を使った。それでも、出産には8時間を要した。

 生まれて来た子のへその緒を糸で一ヶ所結んで、胎盤とつながっているほうを鋏で切る。へその緒が取れるまで、結い口をほどかない事と、切った緒の先を毎日消毒する事を母親と尼僧に告げて帰ってきた。


 夜中、眠っている間に、隣のベッドでイナナが起きたのが分かった。

「どうしたの?」と聞くと、「外で火が燃えている」と、イナナは言う。私も、外から入ってくる空気に煙のにおいを嗅ぎつけ、異常を感じた。この森は湿地が多く、焚火をするのには適していない。

 もし、旅人が休憩するなら、もっと地面の乾燥した、寝心地の良い場所を選ぶだろう。

 私達は、家の窓を隠している蔦の間から、確かに火が燃えているのを確認した。100メートルも離れない場所で、大きな炎が上がっている。あの位置は、町に薬を売りに行っている治療師の住んでいた場所だ。

 隠れ家が見つかったのだろう。恐らく、金品の類は奪われ、火を放たれた。

「屋移りの時期かもしれない」と、イナナは警戒心を表した。


 私達は、荷物を持って、住み慣れた家を離れた。私が七つの頃から十年住んでいた家だ。それなりに心苦しさはあるが、命と家を引き換えにしては居られない。

 屋移りの先に目星はつけてあった。廃鉱になった鉱山の一角だ。周りには、目隠しに丁度良い廃墟が並んでいる。

「もう、誰か先に住んでるかも」と私が言うと、イナナも「ああ。こう言う時は、共同生活も悪くない」と答える。

 廃鉱に住むような人間には、それなりに理由と言う物がある。私達のように、「大いなる神に認められない技」を使う者達もそうだ。

 熱心な信仰家にとっては、私達のような者は、「神の子の威厳を損なう悪しき存在」だ。

 全ての治癒は祈りによって、神の意思の許に叶うとされている世界では、木の根や草の実を粉にした物を塗ったり飲み込んだりすることで得られる「治癒」と言うものは、邪悪の所業なのだ。


 廃鉱には、思った通り、先に住んでいる者が居た。墓堀人の家系の物達と、屠殺屋の家系の者達だった。

「まさか、この坑道に『薬師』が来るとはね」と言って、彼等は笑顔を作った。

 薬師としての技術は、廃鉱暮らしの者達に歓迎された。屋移りしたばかりでしばらく仕事の無い私達は、一緒に住む者達の衛生面を整える作業をした。

 屠殺や墓堀の仕事をしてきた帰りは、住処に入る前に手と足を洗い、シャボン草の泡をつけた温かいタオルで、血や土のにおいがしなくなるまで体を拭き、使ったタオルと仕事の時に着ていた衣服は、洗った後で消毒用の鍋で煮る事。

 注文を付けるだけじゃなくて、私とイナナは、彼等が手足や服を洗うための水瓶と、水を被るための洗面器を廃鉱の出入り口に用意した。不衛生な雨水が入らないように、瓶の上に木組みの屋根も付けた。


「今日は仕事に出かけた者は居ないのに、何故お湯を沸かしているんだ?」と聞かれたので、「お茶を淹れようと思ってるの」と答えた。

 廃鉱の周りにある、朽ちた家々の近辺には井戸があった。鉱山の近くの井戸なので、有害な何かも入っているかもしれないが、それを飲まない事には生きていけない。

 気休めにもなるだろうと思い、お茶の葉を投じた水を沸騰させて、香りのよいお湯を飲めるようにしたのだ。


 廃鉱の住人の中には、全身に痛みが走る奇病を持っている者達がいる。重度の者は、立って歩く事すら出来ない。特に、外に出かけない老人や子供にその症状が強く出ていた。

 私もイナナも、水が原因だろうと察しはついた。やはり、廃墟の井戸の水には有害な何かが入っているのだ。

 落盤を起こしたわけでもないのに、鉱山が打ち捨てられた理由の一つは、周りに住むための井戸で得られる水に異常があったからなのかもしれない。

 奇病を持っている者達は、私達に助けを求めた。しかし、私達が思っている推測が原因だとすれば、一時的に体の痛みを和らげるための処置しかできない。

 それでも、病人達は薬の力で体の傷みが緩和されると、安心したような表情をして眠りに就いた。睡眠をとる事もままならないほどの激痛に、常に苛まれていたのだろう。


 どやどやと、誰かが廃鉱の入り口に押し掛けた。武装した兵士達に私達住人は追い立てられ、廃鉱から出て行くことを余儀なくされた。

 争いの最中であるので、持ち出し用の荷物はみんな用意していた。最低限だが、必要な物が運び出せたのは幸いだ。煮沸用に使っていた便利な大鍋は置いて行くしかなかったが。

 自力で歩けない病人達に、まだ足のしっかりしている住人達が肩を貸し、抱え上げ、引きずるようにして町のほうに逃れた。


 墓堀人達は、教会の伝手で仕事をしているので、神父に相談して住む場所を提供してもらった。その時も、建物の中には負傷兵がたくさん集まっていて、敷地には真新しい土饅頭がたくさん並んでいた。

 屠殺人達は、肉屋と牧場主達に理由を話して、夫々が住む場所を決めた。

 イナナと私は尼僧の衣を着て、教会の中で働くことにした。隠れながら薬師としての仕事を行ない、「祈祷」の後で病人に含ませるお湯に薬を混ぜて処方した。


 この教会の「祈祷」は本当に効果があると口づてに広まるようになり、負傷兵の他、難病や奇病を抱える人も訪れるようになった。

 本当に祈りで病が治るのかと言及してくる「噂屋」や、病人への水銀でのうがいは実行しているかと聞いてくる医者かぶれの者も居た。

 その問いかけを聞いていた、ある尼僧が、囁き声でこう聞いてきた。「水銀でのうがいは、何か効果はあるの?」

「歯を全部引っこ抜きたい人には、相応の効果はある」と、私は答えた。


 戦乱の夏が過ぎ、秋を迎えた。私は尼僧の衣からいつも着ていた服に着替えて、外見が分からないように黒いフード付きのマントを身に付けると、薬の原料になる木の皮や草を集めに出かけた。

 以前追い出された廃鉱の近くを通ったので、危険かもしれないとは思いながら様子を見てみた。人気は無く、静まり返っている。

 中を覗いていてみると、息絶えかけている兵士達が十数人倒れていた。廃墟の井戸から汲んだ水を、煮沸せずに飲み続けたのだろう。

 臨終を迎えようとしている兵士達に、声をかける気も、助け起こす気も起きず、私は廃鉱を去った。


 教会の神父と尼僧達は、本物の「教徒」だった。神の教えの通りに、隣人達を助け、博愛に満ちている。私達を匿ってくれているのも、それが神の導きと信じているからだ。

 私はどうあっても「教徒」には成れないだろう。理不尽を与えてくる者に博愛を与えたりできない。自分達を害そうとする者のために祈りを捧げたりは出来ない。祈りで何かを救えると考えられない。

「祈りは、まずあなた本人を救うものよ」と、私より年上の尼僧は言う。「自分のために祈りを捧げてみて。マリーの名前を名乗っている間だけでも」

 私はこの時の彼女からの「教え」を、心の中で繰り返した。


 戦禍はついに、この教会にまで及んだ。治療を受けていた兵士と騎兵達は傷が癒える間もなく、戦場に成った町を走り回った。

 教会に立てこもった町の住民は、外の物音に縮こまり、同じく教会に逃げ込んだ三十人程度の兵士達は、剣や槍を構えて襲撃に備えている。

 イナナが尼僧の一人から何か囁かれ、それに頷いた。私は腕を引かれ、数人の尼僧の手で、神父の部屋の本棚に隠れていた、仕掛け扉の向こうの空間に押し込まれた。

「尼僧の衣は決して脱いでは駄目よ」と、一人の尼僧が私に言い聞かせた。他の尼僧も言う。「私達は祈る事しか出来ない。でも、あなたなら傷み嘆く者達を救える」

「どうか、これからも、あなたに光がありますように」と、私と同い年の尼僧が言って、彼女達は祈る仕草をし、仕掛け扉を閉じた。


 私は、分厚い壁の向こうで、火が放たれたのに気付いた。火炎は教会を囲んでいる。敵は「みんな」を焼き殺すつもりだ。いや、燻り殺すと言ったほうが正しいだろう。

 建物自体は残っても、濃い煙の中で、人間は長時間生きられない。そして、外と遮断されたこの部屋の中の、私だけが生き残るのだ。

「あなたなら傷み嘆く者達を救える」

 さっき聞いた言葉が頭の中をよぎった。

「祈りはあなた本人を救うものよ」

 何度も心の中で繰り返した言葉も思い浮かんだ。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ、と、私の中で言葉が巡った。あなた達はどうなるんだ。誰かのために祈りを捧げられるあなた達が、あなた達が生き残るべきなのに。

 教会のホールから、イナナが私の居るほうを見つめ、首を横に振ったのが分かった。だけど、私はイナナを裏切った。

 私は目を強く開き、背を丸め、心臓を抉り出すように胸を掻きむしると、「力」を解放した。


 イナナは、孫娘の亡骸が「神聖なる者」として埋葬された事に、深い感謝を覚えるしかなかった。

 冷たい土の中に埋められた孫娘は、整った尼僧の衣を着て居るが、その服は亡骸が見つかってから着替えさせられた物で、元々着ていた衣は炎か何かの中に飛び込んだように焼けただれていたと言う。

 そして、倒れていた彼女の胸の中央には、十字の形の火傷があった。

「棺を用意できないのが、悔まれます」と、神父は言っていた。

 生き残りの兵士の中で、外の様子を知っている者達は、「神が降りてきたなんて言ったら、信じるかい?」と言っていた。彼等の目には包帯が巻かれている。

 天から鋭い光が差し込み、その光が教会を覆うと、焼き尽くそうとしていた炎は吸い込まれるように消え、光を放つ何らかの存在が、両手を差し伸べるように降臨した。

 殺し合いをしていた者達は、その存在に目を奪われ、光とその姿が空へ還って行くと同時に、戦意と視力を奪われた。

 自分達は罰を受けたんだと、視力を失った者達は口々に言った。

「イナナ。教えて下さい」と、尼僧の一人が囁いた。「あなた達の『血』は、一体、何なのですか?」

 イナナは無表情なまま答える。「『贄とされる者』。あなた達風に言えば、ユダの血統です。それも、もう、途切れました」

 それを聞いた尼僧は祈りの仕草をし、「では、何故、彼女の胸に聖痕が?」と、問い重ねた。

「すっかり忘れ切っていた弟子が、どれだけ苦しんでいたのかを、分かって下さったんじゃないですか?」と、答えて、イナナはようやく自嘲的に笑んだ。そして、白と青の雑じる空を見上げ、「彼は、救世主ですもの」と続けた。

 それを信じていてもいなくても、イナナは孫娘が連れ去られた先が、安らかな場所であってほしいと願った。

 白い雪は、破壊された町に、音もなく降り積もって行く。聖なる白銀と名付けられた墓の上にも。

神なる何かに命を奪われた彼女が、何を呼び出し、何の世界に行ったのか。それを知っているのは伝承を知る者であるイナナだけです。

贄とされる者として生まれたプラチナは、その命を確かに贄として使いました。

その先の世界があるとしたら、イナナは孫の平穏を願わずにいられないでしょう。


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