94 後悔
私は呆然とする。
今、目の前で起きていることが理解できない。
何故、シャルが血を流して横たわっている?
何故、カレンがシャルを抱きしめながら泣いている?
何故、目の前の男はシャルを見て嘲笑っている?
「よかったなカレン。これで仲間と仲良く、あの世に行けるぞ」
カレンが目に涙を浮かべながらニアを見上げる。
歯を噛み締め、拳を強く握りしめながら、怒りで震えている。
「ふざけるな……。何てことしてくれたんだ!」
カレンがニアの胸ぐらを両手で掴む。
カレンの手にはシャルの血がべっとりと付いていた。
「汚い手で触るな。俺の服が汚れたではないか」
ニアがカレンの手を振り払った。
そしてすぐさまカレンがニアに殴りかかろうと手を振りかぶる。
「そう焦るな。次はお前の番だ。そして最後はそこに横たわっている女だ」
ニアはシャルを刺した剣をカレンに向けた。
途端にカレンは振りかぶった拳を止める。
「……頼む。あたしのことはどうしたって構わない。……でもヒナタだけは助けてほしい。……もうこれ以上、あたしの仲間を傷つけないでくれ……」
カレンが俯きながらニアに言う。
ニアはカレンを見つめ、何かを思いついたように私の方を向いた。
「……そうか。カレンはこの女が傷つくのを見たくないんだな。そこで死んだ女のように……」
ニアはカレンを馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべていた。
シャルはどうなった……?
私は気配探知スキルでシャルの反応を確認する。
…………反応がない。
え? シャル?
……嘘でしょ?
今、この状況が理解できない。
あの男はどうして笑っていられる?
本当に人間なのか……?
あの男への怒りが最高潮に達する。
…………いや冷静になれ。
この状況で怒りに任せても、さらに状況が悪化する可能性もある。
私は自分を落ち着かせようと深呼吸をする。
……うん。先程よりかは落ち着いた気がする。
とりあえず、私が伏兵がいるという可能性を考慮していなかったことからシャルが犠牲になってしまったが、今はこれ以上の犠牲を回避するのが優先だ。
カレンまで死なせるわけにはいかない。
反省は後にしよう。
それにカレンの様子を見たところ、冷静ではないのが分かる。
とは言ってもシャルが目の前で、それに自分を庇って死んだとなれば冷静でいられるはずがない。
シャルとの付き合いはカレンの方がずっと長いんだから。
しかしカレンは足枷を嵌められている為、動くことはできない。
だからこそ、私が1人でこの場にケリをつけなければならない。
自分のミスは自分で責任を取らないと。
……でもこの状況だと私も手加減できるか分からない。
力加減を間違えてニアを殺してしまう可能性もあるから注意しないと。
衛兵やら騎士団に引き渡す際に、貴族を殺したことが露見すれば私まで牢獄行きになる可能性だってある。
それに私はニアのウルレインでの奴隷売買の証拠書類も持っている。
もし私が失敗して死んだら、全てが闇に葬られる。
こいつには罪を償ってもらわないといけない。
私の上に乗っている男の生死はどうでもいいけど、ニアだけは生かして引き渡さないといけない。
それに先程までのカレンとニアの会話を聞いていると、こいつが何をしようとしているのか大体察しがつく。
この2人を始末する策はあるが、この配置だと少々博打になる可能性もある。
さっきはカレンを囮にする形にしたから、こんな事になってしまった。
なら次は、再度予想外のことが起きても対処が可能な、私自身を囮にしなくてはならない。
私であれば物理攻撃は効かないのだから。
次は失敗できない。
だからこそ、作戦を成功させるために私に注意を引かせるべきだ。
「カレン、ダメだよ! そんなこと言ってもそいつは言うことを聞かないよ!」
「お前は黙ってろ!」
私はカレンに向かって叫んだが、すぐに私を拘束している男から頭を殴られる。
さらには私の首元にナイフを突きつけてきた。
でも物理攻撃耐性を常時発動させているため、万一切りつけられても影響はない。
とりあえず最初にやるべきことは、ニアの標的をカレンではなく私に向けさせるべきだ。
ニアや私の上に覆い被さっている男なんて私の敵ではない。
しかしニアに関してはカレンの真横に立っているからこそ、私が不意に魔法を行使したら焦ってカレンに矛先が向く可能性がある。
私が怪しい行動をすれば、カレンに何が起こるか分からない。
だからこそ、ニアにはカレンの傍から離れてもらってから魔法で倒した方がいい。
「威勢が良い女だな。それにカレンと違って今の状況をよく分かっているようだ」
ニアの言う通りだ。
カレンが私を庇ってくれるのは嬉しいが、ニアはカレンの要望など聞かないだろう。
どちらかというと、よりカレンを絶望させるために思考を働かせている。
だからこそ考えられる行動はひとつなのだ。
「お前らなんか、私が殺してやる!!」
私はニアに向けて叫んだ。
もちろん挑発するための作戦だ。
「……ふん、生意気な女だな。よし、その女を押さえておけ。こいつから始末しよう」
ニアは嘲笑うかのように私に向けて発した。
「なっ……! やめろ、ヒナタは関係ないだろ?!」
「この場所を知られたからには生かすわけがないだろ?」
「……頼む。ヒナタまで殺さないでくれ……」
カレンが跪き、そして声を震わせながらニアに懇願した。
私はというと……予想通りの展開で安堵している。
これでニアは私を殺そうとカレンの傍から離れてくれる。
敵が私の周囲に集まってくれれば、私の作戦を実行できる。
「……さて、銀髪の女よ。先程は俺を馬鹿にしてきて、あんなにも威勢がよかったのに今では惨めな姿だな。それで? その状態でどうやってこの俺を殺すと?」
そんなことを言いながらニアは私に一歩、また一歩と近づいてきた。
私はニアを油断させようと、まるで恐怖を感じているように顔を引き攣った。
私の演技大丈夫かな……。
「ふっ……。威勢がいいのは口だけか。まぁいい……すぐに楽にしてやろう」
ニアは私の前に辿り着き、見下ろしながら言う。
どうやら私の演技でもニアには通じるようだ。
大根役者だと思っていたけど、案外演技の才能もあるみたいだ……。
「さあ、カレン。お前のせいで仲間が全員死ぬことになった。怨むなら過去の自分を怨むことだな……」
そう言ってニアは持っていた剣を私の首に目掛けて振り下ろした。
「死ねー!!!」
「やめろー!!!」
カレンがニアに向かって叫んだ。
でも私にとっては好機だ。
私を間違いなく殺せると思ったこの瞬間が、ニアが一番油断しているはず……。
反撃するのはこの瞬間しかない。
「なっ……!」
私は自分の真下に風魔法の魔法陣を展開させて、私に馬乗りになっていた男と共に勢いよく天井に向かって舞い上がる。
以前、飛行魔法の練習でやっていた、ロケットをイメージして自分の身体の真下に風魔法を送り込み飛行するというものだ。
押さえつけられたこの状況で、女性の筋力ではどう頑張っても起き上がれない。
身体強化スキルでなら起き上がることができる可能性もあるが、あくまで可能性だ。
それにこの状況で形成逆転をするには、相手の度肝を抜いた方が効果的だろう。
そのため以前にも検証済みである飛行魔法の失敗作を適用し、押さえ付けられたこの状況で発動させる。
ニアもこんな事をするなんて流石に思わないだろう……。
「ごふっ……」
そして高さ5メートル程度の天井に男を叩きつけたことで、男は天井にめり込む。
物理攻撃耐性と男がクッションになったおかげで私は衝撃を全く感じない。
そしてそのまま落下と同時に、右手をニアに、左手を天井にめり込んだ男に向ける。
……さぁニア。自分の権力を驕った結果がこれだ。
貴様の敗因は、この私を怒らせたこと。
今まで貴様の手によって犠牲となった、何の罪もない被害者達の怨恨を代行し……貴様に罰を与えよう。
己の犯した罪を……未来永劫、悔い改めろ。
「罪を償え。今世だけでなく、来世までも……」
私はニアの目を見ながら、右手からは空気弾を、左手から魔力弾を展開させて同時に放った。
「がっ!」
「うっ……」
空気弾はニアの頭に命中して地面に叩きつけられ、加減せずに放った魔力弾は天井にめり込んだ男の胸を貫いた。
歯を食いしばりながらニアを殺したい気持ちを抑えて、空気弾で気絶させる。
いくら罪人とはいえ、貴族だ。貴族殺しは大罪になり得る。
そのため、外傷がない空気弾を使った。
私は着地し、倒れたニアのそばに寄り様子を確認する。
……うん。気絶してる。
「終わった……」
制圧を終えた私はカレンのもとに駆け寄る。
「ヒナタ……よかった。……本当によかった」
カレンが安堵したのか、泣きながら私に声を掛ける。
とりあえず全ての元凶のニアは気絶させたから、あとは衛兵でも呼んで状況を説明するべきだ。
でもその前に……私はカレンに目線を合わせるように屈んだ。
「カレン……、ごめん。……全部私のせいだ。私があいつを挑発したせいで……。もっと冷静に対処していたらこんな事にはならなかった」
私はカレンに頭を下げて謝罪する。
あの時、ニアを挑発しなければよかった。
あの時、ニアの態度から伏兵がいることを考えればよかった。
あの時、不意を突かれても冷静に対処すれば魔法でニアを気絶させることができた。
私がもっと冷静だったらシャルが犠牲にならずに済んだ。
「……ヒナタのせいじゃない。悪いのはニアだ」
「でも……」
「ヒナタ、あたしはあいつのことが許せない。最後の始末はあたしがやる……」
やっぱりカレンならこう言うと思った。
ニアへの憎しみを、殺すことで復讐しようとしている。
でも、そんなことをしたらカレンは罪人になってしまう。
いくら違法な奴隷売買をしていても、シャルを殺したとしても、この場で殺すのはいけない。
こいつには法の裁きによって罪を償わせなければならない。
「カレン、そんなことをしたらこいつと同じ罪人だよ。私は絶対にカレンを罪人になんてしたくない。……それにそんなこと、シャルは望まないよ……」
「……だったらどうすればいいんだよ……! あたしのこの怒りは、どこにぶつければいいんだよ!」
「……カレンの怒りをこいつにぶつけるは難しいと思う。でもこの男の罪を告発すれば国が裁いてくれる。自分が犯した罪を償わせることができる」
正直、私だってこいつを殺したいほど憎い。
でも、感情だけで殺してしまっては、こいつと同類になってしまう気がする。
それに復讐は何も生まない。
ニアを殺したとしてもシャルが戻ってくるわけでもないんだから……。
……とは言っても、このままではカレンが暴走する可能性がある。
私の言葉だけで説得は難しいかもしれない。
だから、私は続けてカレンに言う。
「……でもね、私だってこいつを許すことができないよ。……だからさ、一発だけおもいっきり殴ってから衛兵に差し出さない?」
これくらいしか私達の復讐は果たせないだろう。
この怒りを鎮めるのは難しいけど、殴って少しでも解消できればいい。
流石に殴って死ぬことはないだろうし、私もほんの少しだけこの怒りをニアを殴って解消したい。
「……そうだな。確かにヒナタの言う通りだ」
「ありがとうカレン」
カレンは奥歯を噛み締め、悔しそうではあったがなんとか思い留まってくれた。
そして私はカレンの足枷を外す。
カレンは気絶して横たわっているニアのそばに行った。
「こいつのせいでシャルが……」
カレンはニアの胸ぐらを掴んで、拳に力を込めて顔面目掛けて大きく腕を振りかぶる。
瞬間、ニアがおもいっきり吹き飛び、後方にあった側壁に衝突する。
うわー。
思ったよりもカレンの怒りが篭ったパンチが凄すぎた。
一瞬だったけど、カレンの拳がニアの顔面にめり込んだように見えた。
更には勢いよく吹き飛んだからか、側壁が少し凹んでる……。
なんか拍子抜けして殴る気がなくなってしまった。
「……えっと、少しはスッキリした?」
「……いや全然。こんなことしてもシャルが戻ってくるわけでもないしな……」
確かにそうだけど……。
でもこれで我慢してもらわないといけない。
私はとりあえず、ニアのそばに行って土魔法で手足を拘束する。
ニアは鼻血も出て、歯は何本か折れている。
このまま衛兵に引き渡しても大丈夫かな。万一にも貴族への傷害罪とかで訴えられないよね?
んー、ちょっと心配だ。
カレンもこっちを見ていないことだし、今のうちに無限収納から回復薬を取り出し、ニアの顔面に掛ける。
うーん、顔の外傷は回復したかな……。でも流石に歯は治らない。こいつがサメだったら治ったかもしれないけど。
よし、これは元々折れてたことにしよう。
「カレン、近くに衛兵所があったから行こう」
「あぁ……」
カレンがシャルを見つめながら涙を流している。
多分、私もカレンもこのことを一生後悔する事になるだろう。
大切な仲間を死なせてしまった後悔を。
決して時間は戻らない。
でもいつまでも後悔していても仕方ない。
私達は前を向いて進まなければならない。
それがシャルのためでもあり、私達のためでもある。
だからこそ私達は今回のことを受け入れ、シャルの分も含めて幸せにならないと、天国へ行ったシャルに合わせる顔がなくなる。
「カレン、行こうか……」
「……」
カレンは黙って頷いた。
そして私達は衛兵所へと向かおうと歩き出した。




