act.4 BACK TO BACK〈Part 2〉
佐々木稜のリオとしての力量は、まあ良いほうだろうとあたしは最初の飛行で及第点をつけた。
ミラヤマの経験はないそうだが、何よりもまず、勘がいい。女だってことであたしの判断をおろそかにはせず、きちんきちんとデータを揃える。ときにはかゆいところに手が届くってやつで、口に出す前にキーボードをたたいてやがることも、ある。
彼をスカイ計画に推したのがシャイヤンド大将の副官のハン少佐らしいってのも、なんとなくうなずけた。
人間としての相性はともかく(あたしはまだ女! 発言にはこだわっている。じいさんらに言わすとかつては航空部と呼ばれていた、いわゆる空軍にはわりと女性が多いものの世界女性機構の干渉などでパイロットは少ないために、よくまあ女性が、という敬意とフェミニズムの現れらしいが)作戦をして九割までは成功をおさめさせてくれるパートナーなのかもしれない。
九割、だ。残り一割の不確定領域はあたしに非がある。
だが──。
得体の知れないある種の不安をあたしは感じている。
いきなり、さああの人の手を取ってとケツをせっつかれて、正確無比なダンスのステップを踏めるペアがいるだろうか? それがプロだという訓練が、結果としてあたしに生涯かけても拭い去ることのできない想いを刻みつけ……取り返しのきかない犠牲を強いたのだ。
もちろんあの敵機チームを相手取って全勝を挙げているのはあたしたちの実力だと、うぬぼれてはいる。しかしどこか釈然としないのだ。何かが、変だ。
スカイで飛んで三日目にあたしは推論を出した。
あたしとジェードのペアはうまくいきすぎているからこそ、成功の背中合わせに大きな爆弾を抱えている、と。小さな爆発をいくつか繰り返していたら、爆発そのものに対する処理はふたり一緒に覚えてゆけるだろう。だが、最初の一発がもろともに吹き飛んでしまうほど大規模なものだとしたら……お手上げだ。
赴任してから二度目の土曜日が巡ってきていた。あえてジェードを誘わずに、あたしはDゾーンへ行った。
「話があるの。いいかしら?」
思ったとおり、目当ての奴らはそこにいた。カウンターではなく奥のテーブル席で、人喰い鬼みたいに口紅を塗ったくった女たちを侍らせてはしゃいでいるとこへ割って入ると、男は始めに顔をひきつらせた。それから、ようやっとぎくしゃくした笑いに口元を歪め、応える。
「いいとも」
相棒が何か言おうとしたのを止めて、逆に合図を送る。そいつがあきれたような目をしながらもうなずくのをあたしは見た。
「……外へ出ましょう」
ねえちゃんたちの刺すような視線はきっぱり無視して、先に立ってDゾーンを出る。心にやましい行いをしているという自覚はないが、こいつらと話しているところをあんまり人には見られたくなかった。
「ずいぶんと深刻な話のようだな、ええ? 中佐どのよ」
人目を避けようと裏通りのそのまた小路に入ると、ベラドンナの野郎がせせら笑いやがった。ほざけってんだ。
「男と女の密談はベッドの中で、ってのが相場じゃないのか?」
とたんに下卑た寝言をぶったのは、当然イプシロンである。てめえは、それしか考えられんのかっっ。
一喝してやりたい衝動を、辛うじてこらえる。
「そんなにベッドが好きなんだったら、病院のを世話してあげるけど?」
わざと静かに言うと、ふたりは同時に鼻白んだ。
「……聞こうか」
睨み合っていたイプシロンがうながすまであたしは黙っていた。人選を誤ったという気は、しなかった。
「ジェードのことだ」
あまりにもうまくいきすぎていて怖いくらいだという気持ちを維持し、警戒を緩めないためにはやはり第三者の意見が必要だと思う。
リオとしてのジェードをあたしよりも知っていて、かつ、あたしのことを心配しない人間というとこの連中くらいしか思い浮かばなかった。
「単刀直入に、訊く。空軍でのあいつはあんなにもパーフェクトなリオだった?」
意外なことに、この一言であたしをただの女と見下していたイプシロンの顔つきが変わった。ベラドンナのほうは相変わらず冷めた眼で、油断なくあたしの隙をうかがっているが……半分、鼻の下をのばしていたはずのイプシロンは、パイロットの顔で応えた。
「あんた……自分のリオを信用できないんなら、いますぐおりちまったほうがいいぜ。後釜に座りたい人間なんて、くさるほどいるんだからなあ」
例の宣戦布告なしで、正面からあたしは攻めた。
「質問に答えるつもりがないんだったら、そう言いな。無駄足を運ばせたのは悪いと思うけれどあたしの話はこれで終わりだ」
もちろん、それで素直にこいつらがあたしを帰すとは思っちゃいないがねぇ。幸いあたりに人影はなし。いつかの決着をいま、つけてやってもいいさ!
じりじりっとベラドンナが体を動かした。あたしの背後にまわりこむつもりか? まっすぐイプシロンに向けていた目を動かしてその動きを追うと、相棒の意図に気づいてヘビ男は奴を止め、ため息をついた。
「せっかちなねえちゃんだぜ、まったく」
あきらめにも似た思いが、その目の色に現れていた。これはひょっとすると、勝った、かな?
不承不承という体を装うことすらせずに、あっけらかんとイプシロンは言った。
「他人の言葉をあてにするより、信頼関係ってのは自分自身の手で、いやあんたの場合はからだで、築いたほうがいいと思うぜ?」
とっさに言葉が出てこなかった。
邪道として表向きはタブー視されていることだが、パイロットとリオが気持ちを深めるために関係を持つことは、両者が異性同士ならそう珍しいケースではない。プライベートには誰が誰とどうつきあおうと自由なのだ。勤務時間中でないかぎり、それによって処罰されることもない。
イプシロンはあたしをおとしめようとして言ったのではないと、思った。
しかし、あたしにそれをしろというのか?
パイロットであるあんたが!
「……もし仮にあんたがリオだったとして、そういう理由で女を抱きたいと、思うかい?」
胸くその悪さに正比例して、あたしの声のトーンがおちていた。イプシロンがニヤリと笑う。
「そいつぁ女によりけり、と言いたいとこだが、いささかロマンチックじゃねぇよな、そういう設定は」
ベラドンナに同意を求める。
けっ! ロマンチックが赤面しちまうぜっ。
「おかしなところで、意見が合うようね」
言いおいて、歩きだす。
「中佐」
すれ違いざまにベラドンナが答えた。
「奴には、それなりに癖がありミスもあった。人間は機械にはなれない。後ろにいるのは喋るコンピュータでもレーダーでもないってことを、忘れないでくれ」
「……ありがとう、大尉」
ふたりに向かって、あたしは礼を言った。
次の週から、飛行コースにおまけがついた。
モーグ基地を発って指定空域で敵機チームと空中戦にもつれこむ、ここまでは一緒なのだが、終わってからスカイチームは大紅海まで出て航空母艦〈シュミット〉へ着艦するのだ。空軍の人間はもとより、宇宙軍艦へのアプローチに慣れてしまっているあたしには、必要な訓練だ。これが完璧にできないとスカイ計画は完了しない。
『クィーニーが来るぜ』
“E-5”のイプシロンが律義にも通信を入れてくる。
今日のあたしの僚機は彼らと、ピーチマン&フライデイの“W-8”だ。
「誰をお供に連れてるか、わかる?」
ジェードに、訊く。
「カボッションとビッグリバー」
打てば響くように返ってきたね、お答えが。迷わずに中の一機へと機首を向けた。
「あたしがクィーニーをやる!」
有言実行の順序を入れ替えて、実行しだしてから宣言する。
スカイチームにかわってからというもの、毎日あたしは女王さましている。誰よりも先にターゲットを選んでしまうのだ。躊躇して、攻撃への間を空けるのが嫌だった。
『なんか中佐に恨みでもあるんスかねぇ?』
開いたままの通信回線から、おそらくフライデイからピーチマンへの内緒話が聞こえてきた。
『女の恨みは恐ろしいぞ』
妙にリアルな感じのするピーチマンの返答。イプシロンが爆笑する。あたしの後ろでもジェードが軽く吹き出していた。
『あ、あれっ。つながってるんですか?』
フライデイがうろたえる。
「覚えとくわ」
厳かに言い放って通信回線をクローズした。
「奴の予想針路は?」
機内通話装置はオンのままなので、すぐにジェードはシミュレートしたのをあたしのディスプレイにのせてきた。ついでにコンピュータが選んだスカイ“Z-3”機のベストコースも被せてくれる。あたしが択ろうと思っていたものと大差がない。
「首と舌に、気をつけるように!」
本能で操縦桿を動かすときの注意は、しないよりはマシ程度なのだが、一応しとく。首がもげたり、舌をかんだりなんてのは、誰だってやりたくないことには違いないでしょ。
思ったよりはすんなりとクィーニーのシュペル・ルージュに紅をさしてやれた。“E-5”はカボタージュと相討ち、“W-8”はビッグリバーにしてやられた。
早く済ませた順に〈シュミット〉を目指したので、あたしが一番先に大紅海に出た。
大紅海といっても海全体が赤いわけではない。広さは地球の大西洋を三倍したくらいなのだが、大陸棚に生えている海藻類が海岸線を赤く縁取っているためにつけられた名称らしい。
空とも海ともつかぬ青い中に、しみのような空母の鈍いグレイを発見して、そっとあたしは息をついた。こんなところで機位を失うなんてまっぴらごめんだ。
「あれが、〈シュミット〉……」
呆然とした、ジェードのつぶやきが聞こえた。
「お互い迷子にならなくて、良かったわね。さらにありがたいことに、あたしたちはあの小さなゴマ粒に降りるのよ」
つとめて平気な声で、あたしは言った。緊張の度合いはどちらが上、ってことはないだろうが、かすかに荒くなったジェードの呼吸が気になった。
『あんなところへ?』
「ほら、ちゃんとビーコンには乗ったのよ。目隠し鬼ごっこをするよりは楽につかまえられるでしょ? ほんとは〈シュミット〉ってものすごくグラマーなんだから」
海の上の空母を針のようだと表現するパイロットもいる。言いたくもない冗談を言わせただけの働きはしてもらうわよっ。あたしが着艦に全神経を集中するサポートは、あんたにしかできないんだ。
〈シュミット〉から通信が入る。
『感心な僚機ですな、中佐どの。レディファーストとは』
ランディングオペレーターはのほほんとした口調で、毒にも薬にもならないことを言った。声がいいので、実のない発言そのものは許容してやろうと、思った。
「そのようね」
とりあえず、応える。
『コースはたいへん結構です。機首はもう少し上げて。うつむいていては美人がだいなしです……あなたのリオは、無口なんですねぇ』
無口どころか、後席から聞こえてくるのは青色吐息というか──汚い表現だが、ゲロを吐く人間がその直前までこらえてる、そんな喘ぎだ。
空間識失調?
リオが? いまさら?
すでにスカイ“Z-3”機は最終進入をしている。甲板という名の地面に、降りられるんだぞ?
「……ぃや……だ」
突然、佐々木稜が悲痛な叫びをあげた、いや、あげようとした。第一声は、弱々しく途切れた。しかし次に彼はそれに成功し、そして……逃げた。
「イヤだっ! あんなせまいところにおりるのは、いやだあっ!」
目の前の現実から、奴は逃げた。
空母へ最終進入している戦闘機から、射出装置で飛び出したのだ。極限下の緊張を克服することをあきらめ、階級が上でしかも女性であり、そしてなによりも現在のパートナーであるあたしを置き去りにして!
後席の射出は“Z-3”の角度を変えるに充分な衝撃だった。
一本目のワイヤーをアレスターが拾わなかったことを認識するよりも先にあたしはアフターバーナーに点火していた。レベルは5、マキシマムだ。
スカイ“Z-3”機は肉食獣のバネさながらの敏捷さで再び碧空へと飛び立った。
燃料にはまだ余裕がある。着艦する目標も、ちゃんと眼下にある。あせることはない。
「……他のスカイを先に降ろしてください」
周回コースをとりながら、あたしはオペレーター氏にお願いした。
大丈夫だ。声は震えていない。
怒るにしても泣くにしても、それはこれから〈シュミット〉に降りてからのことだ。
六年間、あたしはひとりで飛んできた。
「それと……海におっこちたあのばかったれを、拾っておいてください。後で話がありますから」
はたしてあたしはいったいどんな話をするのか。
別れ話か説教か……自分でもわからないままにそう言って、奴の救助を正当化しようとしているあたしがいた。
── BACK TO BACK ───────
マジックポイントも必要かもしれない……?