act.4 BACK TO BACK〈Part 1〉
雨が降った。
だから、事故が起こった──きわめて散文的で味も素っ気もなさすぎる言い方であるが、それが帰結である。
何をどうしてつなげれば雨が降ったことが原因となって事故が発生したのかということは、当然の結果としてもたらされた惨劇とともに公開された事故調査報告書に記されている。それはあたしにとって、情報の羅列にしかすぎない。
あたしが感じた現実は、パイロットがひとり、生きて、話していた人間がひとり、死んだということである。
らしくもない感傷に浸りそうになるのが嫌だったので、モーグ基地での密葬には出ないつもりだった。まだ顔見知り程度にしかつきあいのなかった相手だ、別段、礼を欠く行為ではない。
その日、一日だけはフライトなしということが決まったので、あたしは昼まで眠って午後からトレーニングに入ろうと思っていた。
ほんとは葬儀が行われるという知らせを受けた時点でかっきり目が覚めていたのだが、何も考えたくない気分だったので布団にくるまってイモムシよろしく、もぞもぞしてたのだ。
うとうとしかけていたのを起こしたのはビリーだった。旧知がわざわざ部屋を訪ねてきたのだ、起きて会わないわけにはいかんので、とりあえずガウンを羽織ってドアを開けると、室内に入ろうとはせずに彼は言った。
「エテルナ、葬儀に出てくれないか」
「なぜよ?」
我ながら驚くくらいあたしの声音は冷たかった。そらの関係での葬儀というシチュエーションにナーヴァスなのはパイロットならば誰しもだと思うんだが? いかにあたしが鋼鉄の精神を持っていたとしてもミラヤマでのことがある以上、その例外たりえない。それを知らない彼ではないのに。
「奴には、借りがあったんじゃないのか?」
珍しくも、ビリーはあたしの負い目をつつくという手に出た。
「どうしてそれを知ってんのよ?」
かなりむっときたので、ほじくり返してやった。あの直後にあのことを提督が知ってらしたのは、まああのかただからと納得できるのだが、その他には箝口令を敷いたはずだ。まさか、あんまりみっともいいとはいえない退場を余儀なくされた奴らが言いふらしてるわけでもあるまい。ということは?
「あたしに関する情報カルテルでも結んだの」
「実はそうなんだ」
苦虫をかみつぶしたような顔で冗談なんて、やめなってんだ! ビリーを睨みつける。
「ずいぶんとタチの悪い冗談ね、クリソベリル。いいかげんにしないと、本気で怒るわよ」
ほぼ六割がた、あたしはキレかけていた。相手がビリーじゃなかったら手どころか足も出ていたかもしれない。
「エテルナ」
とまどったものの、意を決したようにビリーは口を切った。
「Dゾーンで奴を紹介した夜を、覚えてるよな。あれから、あんたが帰っちまってからあいつ、告白しやかったんだ。あんたに惚れた、って。あのプレイボーイが本気で惚れちまった、って」
だって、あたしはあの日、初めて彼に会ったのよ?
話をしたのはほんの二言、三言だ。それなのに、惚れた、だあ?
「ひとめぼれなんて、信じない」
あたしはまだ、なにも、どんな告白も、聞いていない。
だけど、伝えられなかった想いを託されたからには応える義務がある。だからこそビリーはここへ来たのだ。
あたしはビリーから目線をそらせた。
「エオスっ!」
哀しそうに(あるいは怒って?)ビリーが叫ぶ。
「着替えるわ」
地球連合宇宙軍中佐の、正装で出てやるって言ってんだ。文句なんて、ないわよね。
その顔をまともに見ていられなかったので、そのまま背を向けた。死んだ男のためにできるかぎりの情をつくす、ウィリアム・スミスはそんな男だ。
「先に行く」
「そう」
ドアを閉めて立ち去るビリーを、あたしは見送らなかった。
死んだ男の名はジョー・オリビス。密葬は彼が死んだ夜から二度の夜明けを迎えてからだった。
唯一の肉親は姉だけ。最高速シャトルに乗せられて弟の葬儀に駆けつけた女性は、彼によく似た美しい人で、傍に立つご主人が支えていなければくずおれてしまいそうに儚げだ。
「……ジョー」
こらえきれずに嗚咽を漏らす後ろ姿に、過ぎ去った現実を思い出す。
淡い色合いの金髪をやわらかくまとめたシニヨン、うつむいたままの白い顔──細い肩をかすかに震わせて彼女も泣いていた。
「──」
カーネリアンの姉に、何か声をかけようとして、やめた。親子ほども年が違うのに、昔泣いていた婦人と目の前の女性の姿が重なる。
それは鮮やかすぎるくらいに脳裏に焼き付けられている光景だ。
棺の中、たむけられた無数の白い花に埋もれる少女は眠っているだけのように見えた。細い鼻梁や形のよい唇が、彼に似ていることにそのときまであたしは気づきもしなかった。
ゆるやかに波打つ金髪や深い淵のような緑の目……共通する特徴は一目瞭然のものだったが、偶然の一言であたしは片づけていたのだ。
喩えるならば、彼女は月の女神だ。太陽神とは双子の兄妹でありながらも、同じ血肉を持ちながらも、与えるイメージが違う。それは男と女の違いゆえか、異なるもう半分の血のためか……。
あえかに涙しながら彼女は何かを訊いた。
「ええ、お母さん」
静かな声であいつ──あのひとは応えていた。
とうに自分よりも頭ふたつほども背の高い、あのひとの胸にすがって、ただ泣いていた女性を、いまでもあたしは覚えている。
──あと数歩ばかりまで接近していながら、踵を返した。あたしには何も言うことなど、ない。
きちんと地球連合軍の制服を着て、制帽までかぶっているビリーと進路がかちあった。無言でわきに寄って彼はあたしに道を譲り、敬礼をした。
「ラバウル中佐」
官舎に戻りかけたところで誰かが呼び止めた。クィーニーだ。お世辞にも上機嫌とはいいがたい状態だったので、あたしは振り返っただけで、呼び止められた理由なんて訊かなかった。
クィーニーも、まどろっこしい前置きなんて省略してすぐさま用件に入る。
「健康管理センターにすぐ行ってくれたまえ。それが済んだら次はシャイヤンド大将のオフィスへ」
「シャイヤンド大将?」
地球連合軍の人間でスカイ計画の最高責任者だ。大昔には撃墜王といえば彼の代名詞とまでいわれていたらしいが、いまでは昔気質の口やかましい頑固じいさまとして有名だ。健康管理センターのほうは、何の用か察しがつくが、じいさまはちょっとわかんねぇな。
「エオス」
ある程度は情報を得ているのか、クィーニー中佐どのは真面目な顔で皮肉りやがった。
「女性である、ということに大いに感謝すべきだな君は」
「なっ?」
思わず握りこぶしを固めた。おんどりゃあケンカ売っとんのかよ、うらぁ。
「行けばわかるよ」
クィーニーは目を合わせようとしない。
「連合軍中佐どのにメッセンジャーボーイをしていただくなんて、光栄ですわクィーニー」
わざとその階級を強調してやりかえすと、奴はちょっとだけ頬を赤く染めた。大人気ないことをしたという自覚に、恥じ入ったのだろう。
あたしはというと、あいにくと意識してふりまいた厭味を撤回しようなんて殊勝な人格は持ちあわせてなんかいない。
そのまんま、クィーニーに背を向ける。なんでまた彼が、あたしを刺激するような発言をしたのかその理由は、シャイヤンド大将に会えばわかるだろう。その前に片づけるべき問題は健康管理センターだ。
病気知らずの超頑丈なハードウェアの持ち主といえども、怒りのパワーは血圧をあげてしまう。気を紛らわせるために頭の中で数をカウントしながら歩く。
健康管理センターへの出頭命令そのものが、すでにあたしを怒らせる原因なのだが。
それは女性士官ばかりではなく、婦人警官や消防隊員、アテンダントなど第一線で働く女性に課せられた世界女性機構の干渉の一つだ。月に一度の血液検査をメインとした……身も蓋もない言い方をすると、妊娠しているか否かを調べる検査だ。
【すべての女性は安全と健康のもとに公平に子供を生み出す権利がある】
この実にありがた〰〰〰い憲章のおかげで毎月あたしは屈辱的な検診を受け、やがてはコクピットから引きずり降ろされてしまうわけだ。
妊娠・出産はおろか、結婚する予定もつもりもないのにだ!
結果なぞわかりきっている検診を、それでもあたしは受けてやった。まったく身に覚えがないので、超音波検査は断固拒否したが。
名告るよりも先に、衛兵はあたしの参上を大将に報告した。
『通せ』
老人の不機嫌そうな唸りがインターホンを介して入室を許可する。
「かなり、待っておられたのか?」
年寄りというものは何を焦るのか気が短くっていかんなぁなどと思いつつ、つい衛兵に訊いてしまう。
「いいえ、先程から提督がたがお見えですので中佐どのをお待ちかねというわけではないと思います。大将閣下は、その、お人柄はひと一倍あったかいかたなのですが、言動が少しばかりぶっきらぼうであられるのです」
なるほど。口やかましいうえに口汚い頑固なじいさまのくせに、直属の部下でもない衛兵にフォローしてもらえるだけの人望はあるのか。
何を言われても怒っちゃいけませんよ、という言外の忠告が彼の言葉の中にはあった。それにうなずきかけて、あたしはシャイヤンド大将のオフィスに入った。
秘書兼任の副官が作業中にもかかわらずデスクから離れてあたしに敬礼した。階級章は少佐だ。大将という人は部下の教育に厳しいのだと知れようものだ。
「ラバウル中佐です」
少佐は奥の間のドアをノックして開き、あたしを通して仕事に戻った。
すでに紹介された後だったのであたしは無言で姿勢を正して敬礼した。
衛兵の言葉どおり、室内には連合軍第3艦隊のロドリゲス中将と我が宇宙軍第5艦隊のミルドレッド中将がいらした。向かって正面の巨大なデスクについているのがシャイヤンド大将で、ふたりの提督はその手前の応接セットでテーブルを挟んで向かい合わせに座っている。
「いい年齢をして、子供ひとりよう孕まんとは甲斐性のない女だな、おまえさんは」
シャイヤンド大将閣下の、やかましジジイの、開口一番はそれであった。
壮年のロドリゲス提督が赤面した。
うちの提督閣下は、仕方ないなという表情をなさった。
あたしはというと、そう言ったきり口髭に覆われた口元を堅く結んでみごとに白くなったふさふさとした眉の下からじろりと見つめるじいさまを、射竦めんばかりに睨みつけてやった。
余計なお世話だっ!
ってか、セクハラだし。パワハラでもあるのか? あたしの敬老精神がどこまでもつか、自分自身あやぶんでしまうぞ!
はっきりしてるのは、相手が年寄りじゃなかったなら、発言の直後に提督たちのあいだにある大理石の灰皿が飛んで無礼をただしてただろうってこと。
あたしの怒りが臨界点に達する寸前に、ふっとじいさまは顔を和ませた。いや、表情そのもには変化はないのだが、まなざしがやわらかくなったのだ。このまなざし、見覚えがあるような……?
「ふむ、眼光は昔のままか。どうやらあんたはメスにはならずに成人したようだな、エテルナ嬢ちゃんよ」
エテルナ嬢ちゃん?
「だがえらく美人になったじゃないか。あんたのおふくろさんも、そりゃあ男の騎士道精神をかきたてるようなべっぴんさんだったが、あんたのその気迫はばあさまゆずりだな。髪の黒いとこも。目の青い色は、ジョンにそっくりだ」
威勢のいい老人の口調が、しんみりとなった。
もつれる記憶の糸玉をほぐしながら、あたしはなんとかこの年寄りが何者なのか、思い出そうとした。
誰かに嬢ちゃん呼ばわりされていたのは、物心ついてから初級学校へ入るまでだったように思う。ジョンというのは近所の飼い犬じゃなくてあたしの祖父の名前だ。じいさんの知り合い? してみると、あたしの覚えている顔はもっと若い頃のもののはずだ。
だが、純粋にあたしをいつくしみ、見守ってくれていたあの遠い日のまなざしは、いまのこの人のものと同じだった!
「ア……ステル? アステルじいさん?」
大将のフルネームはアリステア・シャイヤンドである。それを考えたときに口をついてその名が出た。まわらぬ舌であたしはこの人を呼んでいたのだ。
アリステアおじいさん、と。
「よしっ、合格だ!」
アステルじいさんは祖父の戦友で、すでにいなかった祖父母の代わりにあたしや妹をかわいがってくれた。母さまが亡くなってからはあたしたちの養育係を親父の部下が兼任(?)しちまったので、情報部嫌いのじいさんは来てくれなくなったのだ。
大将閣下についての記憶を確認していたあたしは、彼の突然の大音声に何が合格なのかわからないままに背筋をのばした。じいさんが立ち上がってただでさえいい姿勢をしゃんとしたのに倣ったように、ふたりの提督も起立して直立不動になったからだ。
「エテルナ・ラバウル中佐!」
「はっっ」
じいさんの声に反応すると返答が叫びになる。
手にした証書をアリステア・シャイヤンド大将閣下は読み上げた。
「本日付けをもって〈SKY2271〉搭乗を命ずる」
「はっ!」
応えてしまってから何を命じられたのかを認識した。
〈SKY2271〉──スカイに、乗るのか、あたしが?
相好をくずしてアステルじいさんは言った。
「不満かね?」
「いいえ」
「人事のほうが、これ以上はいまのスカイ計画に人材を出せんというし上部は性差なくパイロットの適性を調べろというし、この若いのふたりの推挙もあったがわしもおまえさんには目をつけていたんだ。だけどあんたわしのこたぁちっとも覚えとらんようだったんで、思い出さんかったときは人事に無理を言っても別の女を手配してやろうと思っとった」
うちの提督はさすがに表情をくずされなかったが、ロドリゲス中将ってばいまにも吹き出さんばかりの顔で、苦しそうに衿元をくつろげている。
あたしの緊張をほぐそうとじいさんはわざと冗談めかして言ってるんだろうけれど、あたしは笑えなかった。
「それにしてもあんた、ガキの頃にわしが見込んだとおりの女に育ちおったなぁ。浮いた噂ひとつ立たんという点ではあのオヤジに同情せんでもないが、パイロットとしては最高じゃあないか」
「恐縮です……」
あたしの相槌のつまらなさに気づき、大将はいぶかるようなまなざしをくれたが、気分を害してはいないようだった。咳払いを一つして、話を本道に戻す。
「おまえさんの乗る機体は“Z-3”といってこれまでに墜ちたやつの壊れてない部分を集めて組んであるが、気にはせんだろ?」
いままでに墜落したスカイの、壊れなかった部品で一機、組み立てたのか? そいつぁ見上げた根性。執念、だねまったく。悪運だけは強いってことかい。
「ええ、まあ」
べつにそれが幽霊憑きの機体であったとしても、あたしは気にならないだろう。霊感というものが、ぜんぜん鈍く生まれついてるらしいからだ。
あたしの返事が冴えない理由は、スカイで飛ぶには後ろにリオを乗せなければならないためだ。
あたしが宇宙軍(当時は地球連合附属治安維持軍宇宙部だったが)を選んだのは、そこが親父の息のかからない唯一の部署だったことと……スペースファイターと呼ばれる宇宙空間用戦闘機が単座だったからである。
アステルじいさんはあたしがリオを乗せられない理由を知らない。あたしは、怖いのだ。恐れているのだ!
再び、誰かとともに大空へと飛び立つことを。
アレクサンドラ・ウィラードは、あたしのウラニアは、あたしにとって最初で最後のリオなのだ。
「……中佐」
次第に顔から血の気がひいていくのを感じていた。握りしめた指先が、妙に冷たい。アーサー・ミルドレッド提督の声が遠く、聞こえた。
「君のリオは佐々木稜中尉、ジェードだ」
「おおそうだった。忘れとったよ」
ぱんと手を打ってじいさんはインターホンに話しかけた。
「ハン少佐、小僧を呼べ」
「小僧……」
ロドリゲス提督が苦笑する。じいさんにしてみれば、提督だってまだ小僧と呼ぶ対象なんではなかろうか。
孫娘を諭す老爺、といった神妙な顔つきでシャイヤンド大将は言った。
「あんたも知ってのとおり、運よく奴は生き残り、しかも五体満足なんだが気持ちのほうがどうもまだすっきりしてないらしい。表面にはいまのところ出てきとらんがな。小僧は飛べると言った。だから飛ばす。おまえさんにゃあ貧乏くじかもしれんが、できるとわしは信じとるよ」
それからシャイヤンド大将は、アステルじいさんは、初めてあたしをコードネームで呼んだ。
「エオス──暁の女神の名前だな。疾きこと日輪よりも、暁なるエオス……おまえさんにぴったりだよエテルナ嬢ちゃん」
あたしはまっすぐに頭を上げてスカイ計画の最高責任者を見つめた。
あたし自身の人生と、ジェードのそれと、いまこの時点で岐路に立つふたつの重さを賭けて飛べと彼らはあたしに要求している。運命の裏木戸ではなく、表門から堂々と入ってゆけと言ってくれているのだ。
「どうやら天国へは、行けそうにありませんね」
聖書の一節を思い出した。心がいくらかは軽くなっていた。
「狭き門より入れ、破滅へと至らしめる門は大きく道は広い、か」
どうしてそれがわかったのか、あたしの、脳裏に浮かんだ一節をロドリゲス提督がつぶやいた。運命の門がもし本当にあるとしたら、けっして狭くはあるまいと思ったのだ。きっとそれは運命の女神ににつかわしく、壮麗に造られているだろうから。
「あたりまえだ」
じいさんはあたしの天国云々という発言を笑い飛ばしやがった。
「嬢ちゃんには天使よりも地獄の女王のほうが、似合っとるわい!」
ふたりの提督の、朗らかな笑い声が大将のそれに和した。
to be continued……
m(_ _)m
ヒットポイント足りませんでした。
〈Part 2〉は2022年6月22日12時公開予定です。