act.1 SUPER ROUGE
テラ暦273年(西暦2271年)
地球連合軍は地球連合宇宙軍と共に
全天候・全環境適応型の大気圏突入
可能戦闘機を開発した。
〈SKY2271〉──スカイである。
21時13分、室内には沈黙がもたらされた。
照明は最低限にまでおさえられ、小さなスタンドがぼんやりと陰翳の美学を創りだしている。
前回、来たときにはなかった斑入り観音竹の小鉢が、観葉植物やデンドロビウムの森に仲間入りしていて……これで盆栽がコレクションに加わるころには我が上官どのはめでたくご隠居だな、と思った。
意地が悪い? 当然でしょ。こちとら、休暇中に非常呼集されたのよ。長期休暇はまだ三分の一以上、残っていた。
「エテルナくん……」
「は?」
いきなりしみじみと名前を呼ばれたもんだから、あたしがまじまじと見つめると、上原大佐は羊のような目をしょぼしょぼさせていた。
軍人にしては珍しく温和で気のいい、ほのぼのムードのおじさんなんだが、どういうわけか今日はどんより沈みこんでいるようである。
健康状態が良くない、などということはないだろう。
士官学校を卒業したての新卒少尉よりもよっぽどきちんとコバルトブルーの軍服を着込み、ややたそがれ気味の髪にもびっしり櫛目が入っている。顔の色つやといい、外見的には不調とは思われない。
大佐の次の言葉で、あたしは上官が沈んでいる理由を知った。
「……ミルドレッド准将から、断るように勧めてくれと頼まれたよ」
上原大佐は上官と部下のあいだで、板挟みになっていたのだ。
戦闘機乗りあがりのあたしにパイロット任務を与えれば、あたしは喜々としてそれを受諾する。これは軍の上層部からの命令で、部下もその気なんだから大佐としても振りやすい話といえよう。しかし、彼の直接の上官であるミルドレッド准将は断らせろとのたもうたのだ。
「クラウディアが?」
自分の耳を疑った。よりにもよってクラウディアが、あたしが飛ぶのを止めるなんて。
「いったい」
どうして、と訊こうとしてあたしは口をつぐんだ。人にきくまえに自分でよく考えるべきだ。今回の任務について。
あたしの名前はエテルナ・ラバウル。地球連合宇宙軍中佐である。これまでの任務では宇宙巡洋艦〈グラーネ〉の艦長として艦隊勤務についていた。それが今回は開発中の最新式戦闘機〈SKY2271〉──スカイの飛行運動テスト用仮想敵機のパイロット、だそうだ。
あたしとしては退屈な艦隊勤務よりは昔とった何とか、腕に覚えのあるパイロットのほうがうれしいのだが、それがわからないクラウディアではないはずなのに。
事故を心配しているにしても、あたしが乗るのは軍の飛行訓練学校でも仮想敵機として使用されている〈SUPER-ROUGE〉──シュペル・ルージュだ。テストで飛ばすスカイではない。ってか、むしろあたしはスカイのパイロットとして赴任したい!
と、そこまで考えたとき、上原大佐はしんみりと言った。
「ともかく、よく考えてくれたまえエテルナくん。ただ、ひとつだけ言っておくが、敵機チームのパイロットがすでに三名、死亡している」
あたしは無言で大佐を見つめた。
クラウディアが止めるわけだ。
スカイで飛ぶ地位はさほど高くないが、地球連合・地球連合宇宙両軍から選ばれたバリバリの若手パイロットとリオ(昔でいう無線操作士官からとって、あたしたちはバックシーターのことをこう呼ぶ)とは違い、シュペル・ルージュで飛ぶのはキャリア充分、地位も比較的重いベテランだ。しかも飛行訓練学校において敵機チームはすべて教官である。
そういうパイロットが三人、死んだ?
「……行きます」
あたしはきっぱりと言った。
「エテル、ナくん」
上原大佐がしょぼしょぼ眼をさらにしょぼつかせたが、あたしはかまわなかった。
〈SKY2271〉という言葉を聞いたのは、その日、二度目だった。
ブラックプールからマン島へと、アイリッシュ海を渡る軍用機の中でたわいもない雑談のついでに出たのが最初で、そのときはまさか自分がスカイ開発計画に参加することになろうとは思ってもいなかった。
現在、地球連合が有する軍隊は地球連合軍と地球連合宇宙軍のふたつである。それらが分立する以前、まだ両軍が地球連合附属治安維持軍と呼ばれていた頃から、スカイの開発は始められていたという。
超高度なテクノロジーを駆使した兵器がもてはやされる現代においてなお、人力を最大限に活用せねば飛ばせない戦闘機を新造する目的は……前線基地のない星への侵攻戦力とするためだ。
えげつない目的だと、最初にそれを話題とした人物は言った。
彼にしても血なまぐさい戦場に身を置く将校であり、このマン島の地球連合宇宙軍エウロパ地区本部に呼び出された理由はけっしてえげつなくない目的のためではないはずなのに、彼はそう言った。あたしもそう思っていた。
あたしがもっとも神聖なものだとみなしているそらを、ひとごろしの機械なんかの闊歩する世界におとしめるとは!
いやそれよりも、もっとゆるせないのは翼を持たない人類にそれを与え、大空を飛ぶことをおしえた飛行機を殺人兵器にしてしまったことか……自分も軍人のくせに、あたしはそんなことを考えていた。
しかしそれがどんなに悪辣であろうと、えげつなかろうと、パイロットという任務を目の前にちらつかせられたあたしの意識では瑣末事へと、巧みにすり替えられる問題でしかなかった。目的地へのチケットをようやっと手にすることができた人間が、車輌の汚れを気にして乗らないなど、ありえないじゃないか。
スカイは後に、無情な殺戮機として悪名をはせるかもしれない。はせないかも、しれない。
どのみちそれは、あたしが決めることではない。あたしは単なるデータ対象のひとつにすぎない。だけどそれによって、スカイを使う人間が兵器として扱えないくらいの戦闘機に〈SKY2271〉がなれるのだとしたら……理想としては悪くないと思わない?
クラウディアの気持ちがわからぬでもないが、あたしはいまにかけたい。
あたしはもう中佐だ。この機会を逃したら、おそらくはもう二度と飛ぶことはないだろう。本当の意味において飛べることは……。
豪華な革張りの司令席で命令を下すだけの存在になる前にもう一度、自分が軍人として初めて勤めたコクピットに座りたい。著しく私情が先行してしまっているが、ともかくあたしは飛びたいのだ。
これが最後だとわかっているから。
そう遠からぬ日にあたしは二十五歳になる。
世界女性機構の干渉で、公職では二十五歳になると女性パイロットは第一線から退かなければならない。あたしには、いましかないのだ。
だから、クラウディアの勧めはありがたいが、行くことにした。きっと彼女はあたしらしいといって笑うだろう。
「……気をつけて行きなさい」
とだけ上原大佐は言った。
「ありがとうございます」
あたしは素直に言って敬礼した。
惑星ザキヤのモーグ基地はミヤラマの飛行訓練学校に似ている……降下中の輸送シャトルの小さな丸い窓から見てそう思った。
正確にいうと似ているのはモーグ基地ではなく、その周囲の地形や赤い砂や、干上がった川なんかなのだが、ミヤラマの記憶は思い出すたびにあたしをひどく感傷的にさせる。
軽く頭を振って窓から目を離した。
「まもなく着陸します」
すぐ隣の操縦室からドアを開けて副操縦士が顔を出す。
「わかった」
あたしは仮設シートに体を固定した。
いくら田舎だからって、仮にも宇宙軍の中佐を輸送機の貨物室になんか乗せるなってんだ。おかげですっかり積荷の機材や食糧と親しくなってしまったではないか。
やがてシャトルは進入角度いっぱいで滑走路につっこみ、素敵な急ブレーキの直後に仮設シートは衣料品コンテナに激突した。
……とはいえ、とっさに足を曲げたから、コンテナにぶつかったのはシートの足台部分だけだ。だが、思わず三人のパイロットの真の死亡原因を邪推してしまった。
「だ、大丈夫ですか? 中佐どの」
そこへおそるおそる、先刻の副操縦士が顔をのぞかせる。ちくそーったりめーだ。何かあってたまっかってんだ。
「ああ」
ぶっきらぼうにうなずいた。体を留めていたベルトを外してシートから、立ち上がる。どこも痛くないし、血も出ていない。と、よく見ると副操縦士の奴、額から流血しているではないか。
「あんた、それ」
指さして言うと、でへっとはにかんだような笑い。
「あ、これ? コンソールにぶつけちゃって。でも僕はまだいいほうですよ。機長はムチウチだし、エンジニアなんか舌かみましてね〜」
ム、ムチャクチャだ。えれェところに来てしまったぜ。
一抹どころじゃない不安が胸をよぎったが、あたしはひきつり笑いでそれを押しのけた。へっ、くそったれめ。
ともかくあたしは来たのだ。これしきのことで負けてたまるか、あたしはシュペル・ルージュに乗るんだ!
あたしはシュペル・ルージュのことだけを考えることにした。いずれにせよこいつらとはこの場かぎりでおさらばではないか。
気を取り直して歩きだそうとしたあたしの目に、つま先で床にまるなんぞを書いている副操縦士の姿が映った。
「あ、あのぉー、中佐どの?」
見られているのに気づくと、もじもじしながら切り出す。
「サインをををーいただきたいのですが」
どこにどう隠し持っていたのか、短冊型の色紙を三枚つきつけてくる。
「……ペンは?」
じろりと睨みながらそれを受け取る。どういうわけか、一面識もない軍関係者があたしの名前を聞くなりサインを求めることが、よくあるのだ。
スターをきどるわけではないが、断ってしつこくつきまとわれるよりはマシなので、あたしとしては出血大サービスもののサイン会となる。
「それぞれ、名前を入れてくださいね! このうすい緑のが僕ので、黄色が機長、ピンクがエンジニアです」
拒まれなかったので、気を大きくした副操縦士は饒舌をふるった。
「やぁ、こんな辺境に、中佐どののような素晴らしいかたがおみえになるなんて、えらいことです。会う人ごとに見せて自慢できますよ! 弱冠二十二歳で宇宙功労賞をおとりになる女性なんて、めったにいませんよ。おまけにすごくお綺麗で」
「──」
あたしが口の中でつぶやいた言葉が聞こえていたら、こいつは女性不信になったかもしれない。
「ふたりとも、気の毒ですよね。出発前に声をお掛けしておけば、こうして握手だって、していただけたのに」
はっきりいうぞ、副操縦士くんよ。いま、君がやってる行為は許可なく他人の手を取って振りまくっている、だ。どう考えたって握手ではない。
「まだ二十代で中佐に昇進なさるなんてやっぱり、ご家系なんですよねぇ。お父上は地球連合情報局長でいらっしゃるし!」
あたしは黙ったまま奴の手を振りほどいた。
口は災いのもと、って知らないのか?
不意に冷たいまなざしに射竦められ、男は口をつぐむ。不思議そうに、だが何となく身を引く。
自分が禁忌に触れかけたことを漠然と感じたらしい。
それはそうだ。親の七光りと、奴は半分言ったも同然なのだ。
親父が情報局長であることと、あたしが宇宙軍の将校であるということには、何ら因果関係なぞないのだと説明するまでもないとわかって、あたしは安心した。長生きできるよ、あんた。
「昇降口はどちら?」
低い声で、冷静にあたしは尋ねた。
うろたえながらも彼は操縦室の方へ向かおうとする。
「惨状は見たくないわね」
血を見るのはこいつのだけでたくさんだ。
貨物用のハッチを開けて副操縦士はあたしが外に出られるようにした。タンカをかかえた救急隊員がすれ違いでシャトルに乗りこんでゆく。
そしてあたしは、開いたままのフェンスの傍に彼の姿を見つけた。ゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「……怪我はないようだね」
「提督」
足をそろえて敬礼した。
「相変わらずだ」
あたしの敬礼に応えつつ、そうのたまって提督はふっとお笑いあそばされた。提督のほうこそ、相変わらず貴公子然としたおかただ。なんてったって、あのクラウディアのご夫君だからなぁ。
クラウディア・ミルドレッド准将というかたはあたしの初めての上官だったんだけど、その夫であらせられるこのアーサー・ミルドレッド提督は、御年三十八の若さで宇宙軍中将である。そして、スカイ開発計画において陣頭指揮をとっているただひとりの宇宙軍側の人間だ。
あたしが今回のスカイ計画でこうしてシュペル・ルージュのパイロットとして派遣されたのは多分、提督のおかげなんだと思う。
「クラウディアが」
百九十を越える長身の提督は静かにあたしを見下ろしながら口を切った。
「……心配していたが、君のほうへは何か?」
「特には」
あたしは心ならずも曖昧に答えた。
「そうか」
提督は顔を上げて遠くの方へ視線をやりながら穏やかに言葉を続ける。
「エテルナ、すでに敵機チームで三人、スカイチームで八人の死者が出ている。君には絶対に無理はしてほしくない」
え? シュペル・ルージュの三人は聞いてたけど、スカイで八人? そりゃあ、スカイは複座だから仕方ないが、ちょっと事故が多くないか? 張り合う気持ちはわからんでもないが、あくまでもスカイのテスト飛行だぞ。
クールすぎるくらいにそっけなく提督は言った。
「かつてミラヤマで無敵の撃墜王と呼ばれたエオスの腕前、期待はしているが強要はしない」
エオス(EOS)というのはあたしのコードネームだ。
ミラヤマ──正式名称はオセアニア地区地球連合附属士官学校ミラヤマ飛行技能訓練所。士官候補生ではなく、第一線のパイロットのレベルをさらに高めるための教育機関である──以来、久しく使っていない。
懐かしい反面、悲しい思い出が心の中によみがえってくる。
「エオス!」
その懐かしい名前で女性に呼ばれたような気がした。
錯覚である。
実際にあたしの近辺にいるのは美男の提督だけだ。
「……は」
あたしは息をついた。
「エテルナ?」
心配そうな声に顔を上げる。
「はい?」
提督は怪訝そうにあたしを見つめていたが、やがて納得したのか軽く頭を振った。
「いや……四十五分後に七十三回目の飛行をするが、飛べるかな?」
「あ、はい」
何も考えずに返事をした。あたしは飛ぶためにここへ来たのだ。
「では急ぎたまえ。機体を用意させよう」
にっこり笑って提督が三百メートル前方を指さす。
「敵機チームのオフィス。ロッカーはあの中心の建物の中だ。エプロンは向かってその左、百メートルだ」
敬礼もそこそこに、あたしは三百メートル先の建物までダッシュした。
実際には、あたしは他の敵機チームから二百カウント遅れて発進した。
先に出た三機のパイロットが誰なのかすら知らない状態だった。コードネームは教えられたが地球連合軍のパイロットばかりだ。名前は聞いたことがあっても、面識はない。訓練期間のズレからか、チーム内にはミラヤマの同期もいないので気分的には楽だった。
指定空域に達するまでに撃墜されたシュペル・ルージュ二機、スカイ一機とすれ違った。戦闘情報センターから搭乗機のANSコンピュータに送られてきた情報をもとに高度を八千まで上げる。
ほどなく見つける。
シュペル・ルージュ“104”機とスカイ“X-2”機、スカイ“V-4”機だ。
3ひく2は1、3ひく1は2。数は合ってる。
二対一のところへ加勢とは、冥利に尽きるぜまったく。
「“104”カボッション」
指向性を持たせて通信回線をオンにする。スカイ側に傍受されることはない。
「こちら“111”エオス、だ。一機、もらいうける」
返事も待たずに回線を切り、三つ巴のドッグファイトを繰り広げている三機に降下接近する。
スカイ“X-2”機をカボッションのシュペル・ルージュが追い、それをスカイ“V-4”機が追っかけているところへ。
とりあえずしんがりの“V-4”の後ろについてやったら、“V-4”は急旋回して列を離れた。ほっほっほ、甘いねぇ、青いねぇ。あたしの狙いはあんたらじゃないのよ!
あたしがスカイ“V-4”機を追わないのを見てシュペル・ルージュ“104”機のパイロット、カボッションは“X-2”をあたしに譲った。なかなか、物の道理のわかる奴のようである。
“104”がスカイ“V-4”を追いまわすあいだにあたしは“X-2”を撃墜した。
『“111”』
屈辱の模擬弾AK2型の蛍光ピンクの勲章をくっつけて素直に帰路につくスカイ“X-2”機を見送っていると、“104”から通信が入った。
『まわりこめ』
シュペル・ルージュ“104”機は、追っかけていたスカイ“V-4”機から遠ざかりつつあった。あたしの“111”と針路がクロスする。カボッションが親指を立てたのが見えた。応えて同じ動作をしてみせ、“V-4”を追う。
「若いわ、こいつってば」
思わずうめいた。
バックをとられまいと“V-4”は急旋回を繰り返す。
がむしゃらというか、むちゃくちゃというか、敵機チームにはこんなに急旋回を連続させるようなパイロットはいないだろう。内臓がもたん。首も手足も、もたんっっ。そういうことをやらせてくれちゃってぇ! つきあうあたしもあたしだけど。
うぐぐ、そういえば、あたしにこれをやらせている当の“104”はどこへ行ったんだ? 思うと同時に視野に入った。
上にいる。
それと見て取り、旋回のカーブに合わせて離脱した。あとは“104”の仕事だ。
水平飛行に移ってまもなく、上空から急降下してきたシュペル・ルージュ“104”機にあっけなくバックをとられ、“V-4”はエンジェル・キスをくらった。
「やったわね、カボッション」
キャノピーごしにくやしがるスカイのペアを見下ろしながら、あたしは再び通信回線を開いた。
『おかげさんで』
気さくに応えてカボッションは翼を並べた。マスクを外して、あたしは口元をゆるめる。
「女のくせに、とは言わないのね」
思わずからかうように言ってしまう。
あたしという人間を知らないオトコノヒトって、たいてい始めに言うんだよね「女のくせに」って。あたしが助けちゃったりしたりすると。
『ああ』
こちらもマスクを取ってカボッションは相好をくずしたらしい。声音に笑いが感じられた。
『最初にエオスと名告られたでしょう、中佐どの。伝説は聞いていますんでね』
「ははは」
あたしはただわらった。
伝説、ねぇ。そりゃ確かに昔のことだ。ミラヤマ入りしてまもなくの……。
いまとなっては、かぁいらしい思い出の一つだ。
飛行訓練の初日に、あたしに向かって言った奴がいた。
「女のくせにでしゃばりすぎる。女に助けられるくらいならば撃墜されたほうがマシだ」
あたしにしてもそいつを助けるつもりなんてさらさらなくって、ただ単に敵機を片づけようとしただけ。でもって、そのとき考えた最上策をとったら結果的にそいつを助けちまった。なのにそんなこと言われたもんでムカッ腹が立っちゃって……我ながら惚れぼれするような右ストレートを見舞ってやったらそいつの奥歯が二本折れた。それ以来ミラヤマで女のくせになんて台詞は聞かなくなった。
つまりはそれだけの話だ。
もっとも、あのときアレックスが止めなかったら、そいつはそれだけでは済まなかったかも……。
「……っ」
思わず吐息が出た。
思い出してしまった。アレックス……アレクサンドラ・ウィラード。金髪の、あたしの天文の女神。
『エオス?』
カボッションの声であたしは思惟を断ち切る。
「あ、なに?」
『レディファーストでご着陸を、とお勧めしたいところなんですがね』
「あらそぉ? そいつはありがたいわねぇ」
このパイロット、地球連合軍人にしてはホント、道理のわかるというか、口のきき方というのをわきまえてるわ。
そう。べつにあたしは女性扱いされること自体は嫌いではないのだ。
嫌なのは女性だからって理由での不当な差別。
つっぱらかって男女平等を主張するつもりはないけど、何事もフェアでなければ面白かぁないものだ。そのためのハンデとして男が紳士になるのは当然じゃね? わがまま? でもさあ。
同性でも、体の大きさで膂力に差が出るのだ。造りそのものから天与のちがう男女間では歴然たるものとなる。
より大きなキャパシティは、小さきものを愚弄するためのものではなく、補い、引き上げるためにあるのだとあたしは考えている。
ま、お先にどうぞってのは、あまねく社会的に広まってるエチケットみたいなもんだから、あたしはそれを受けただけだ。
先に降りたスカイはすでにエプロンへと回航し、滑走路はすっきり片づいてる。そこへ、シュペル・ルージュ“111”機は優美にその華麗なメタルレッドの機体をアプローチさせた。
いまでこそ〈SUPER-ROUGE〉は仮想敵機の代名詞的名機として各地の飛行訓練所に配備されているが、もともとはこれも、全天候・全環境適応型として開発された戦闘機である。当然、艦載機としての用途も考慮されていたから短距離離着もお手のものだ。
ドラッグシュートなしで済ませてあたしもエプロンへとまわりこんだ。あんましカボッションを待たすのも悪いからね。
とと。
あーあ、なによこれ! げ〜だぁ。
マジで滑走路に戻ろうかと思った。なぜって? いたのよ、スカイチームの奴らが。いずれも漏れなくべったり撃墜マークをくっつけて整然と並べられたスカイの傍に。
数は四人。これは、撃ちおとしたばっかの“V-4”と“X-2”のペアじゃなかろうか。そいつら、四人が四人とも見たわよシュペル・ルージュ“111”機を。続いて“104”が降りてくるから、奴らを墜としたのがあたしらだってことはバレバレだね。
こいつぁ、のっけから四人を相手にバトルロイヤルか?
いままでのパターンからいくと、あたしが墜とした男は助けてしまった男よりも、あの禁句を口にしちゃう傾向が高いのだ(あ、飛行訓練学校の教官はそんな可愛いことしなかったけど)。
とりあえずシュペル・ルージュの列について、のろのろとキャノピーを開く。わらわらーっと整備マンたちが寄ってきた。
「勝ち星ですね、おめでとう」
「いやーさすがっスねぇ」
ごくありきたりの賛辞に適当に応えながらコクピットを出る。その際に見えてしまった。スカイチームのひとりの唇の動き。
その表情っ。
あからさまだね「女!」だなんて!
女、だから何だってんだ?
見たとこアジア系種。わりと小柄。
いの一番に殴るのはあんただよ。
となると、あとの三人が一挙に敵にまわるからして次はリーゼントの色男、いや、金髪巻毛のボーヤにしよう。これを一発で片づけてそれからリーゼント。で、ヒゲもじゃ大男がラストね。なかなか手強そうだが──ざっとシミュレーションしてみた。ふん。
アスファルトに降り立ってからヘルメットを取った。ついでにピンが外れてまとめてあった長い髪がバサッとこぼれる。雑に手でさばいて顔を上げたら、スカイのヒゲ男と目が合った。
驚いたようにヒゲもじゃの口がぱくぱく動く。
どっかで会った?
うう〜ん? わかんないなぁ。
他の奴らは、あんぐりこんと口あけてあたしを見てる。睨んだつもりはないのだが?
いまこの場でケンカを売ってくる様子はないようなので、あたしは展開したばかりのシミュレーションをお蔵にしてオフィスに足を向けた。
そのときである。
「エ、エオス!」
力強い声が背後からあたしを呼び止めた。聞き覚えのある声だ。振り返って声の主を捜す。
え……?
まさか、あのヒゲの大男? ニコニコ笑ってこっちを見てる。くるくるって感じの人懐っこい胡桃色の目ともじゃっ髪。
「ビリー……ビリー・スミス?」
つい、かすかに笑んでしまった。
このヒゲもじゃ大男がウィリアム・スミス? そういえば、そうだ。
コクピットにおさまりきるのが不思議なくらい立派な体格と、そぐわない見事なまでの、童顔。ヒゲでカバーしてるわねぇ。
「あんただったのか」
「そう、あたし、よ」
納得したようにつぶやいたビリーに、今度はあきらかにわかるように笑いかけた。さぞや不敵に見えるであろう、あたしの十八番の表情で。
「……ミラヤマ以来だ」
とまどったように切り出した言葉に、少し鼻白んだ。
「そうね」
いま、昔のことを知っている人間とミラヤマの話はしたくないと思った。ビリーにしてもそうなのかどうか、次に何を話したもんか迷ってるらしい様子が目についた。
と──。
「中佐どの、ちょっと」
そんなときに傍にいた整備マンが声かけてくれてありがたかったね。
「なに?」
「あちらに」
彼はフェンスぎわを指し示した。ありゃりゃ、提督だ。あたしを待ってくださってるみたいだ。
「……また後で」
言いおいて彼らに背を向けた。足早にフェンスを抜けて提督に近づく。
「相変わらずなのは腕前もらしい」
にこやかに提督はすっと何かをあたしに差し出した。
「え?」
なに? 紅い、薔薇……?
「ご褒美、かな。初回から勝ち星とは頼もしいかぎりだ」
うーん、惚れぼれするような笑顔なんだよ、これが。
ただし、花束じゃなくって薔薇一輪ってとこが妻帯者のわきまえだね。
「ありがとうございます」
礼を言って薔薇を受け取る。何って色なんだろ? とってもビビットな赤。
真紅? ワイン? ううん、違うなあ。
「あ」
鼻に近づけて匂いをかごうとして気づいた。
「シュペル・ルージュの色、なんですね」
とたんに提督は笑いだしてしまった。
「何とも、君らしいよ、エテルナ。本当に君は……」
そこで提督は言葉を切り、真面目な顔であたしを見つめた。ややあって続ける。
「いまのスカイ計画はスカイの存在を実証させることがポイントでしかないが……その次の段階としての、スカイの持つ可能性を引き出すための第2次スカイ計画を、期待しても良いのかな?」
「もちろんですとも!」
あたしは直立不動の姿勢をとる。
可能性がなければ、スカイは存在からして無意味なものでしかなくなってしまう。
あたしは無意味なものなど嫌いだ。
だからスカイは、無意味なものになってしまってはいけないのだ。
「ありがとう」
極上の微笑み。
あたしの肩を軽くたたくと提督は踵を返す。
その後ろ姿に向けて、最敬礼した。
それが無意味なものならば、初めから何もしなければいい。何もつくらなければ、いい。
しかし、始めてしまったものは、つくってしまったものは、何らかの意味を持つものであるからこそ、そこに存在するのだ。
それらが無意味なものであるとどうしていえようか……?
ひとごろしの道具などに存在価値を認めてはならぬと、あるいは誰かは言うかもしれない。だがスカイが飛んだからといって、必ずしも血が流されるわけではないと……あたしは信じたい。
現代の日常生活において必要欠くべからざるコンピュータが、めざましいまでの装置に開発され、改良されていった目的は軍事的なものであったという。しかし、だからといってコンピュータを使用しない平和主義者なぞ、いるだろうか?
スカイはここにある。
あたしたちが持てるすべてをかけて飛ぶ領域内に。
パイロットたちがいる。彼らはスカイを意味あるものにするためにその生命をかけた。いまも、かけている。
あたしもそうするだろう。あたしはここにいるのだから。
スカイが飛ぶ領域に、あたしもまた存在するのだから。
── SUPER ROUGE ───────
連載です。
完結までおつきあいいただけましたら幸いです。
クラウディアさんは、エテルナが自分を階級で呼んだことを伝聞すると機嫌を損ねちゃうので、エテルナは上原大佐の前でも名前を言わざるを得ない感じです。