26. 許されざる者
『そこだァ!』
「やばっ……」
姪が剣でジャブを受け止めたところに、バトルファラビットが渾身の右ストレートを放とうと腕を振りかぶった。
直前の攻撃でバランスを崩されているので、防御も回避も間に合わない。
思わず被弾を覚悟したようだが――そうはならなかった。させなかった。僕の短剣が敵の長い耳を斬りつけたのだ。全年齢対象ゲームであるが故に切り傷や出血などは無いが、HPゲージは明らかに他部位への攻撃よりも減っていた。
『がぁっ!? 痛ってぇ!?』
「止まった……!? あんちゃん!?」
コージの読みは正しかった。獣系モンスターであるバトルファラビットもまた、僕と同じく耳が弱点だったのだ。
そうなると話は簡単だ、そこを攻撃すればいい。このゲームには弱点怯みと呼ばれるシステムがあり、弱点部位にある程度ダメージを与えると一瞬動きを止められるのだ。クールタイムや耐性の上昇があるので連続して何度も繰り返すことは出来ないが、今のは初撃だったのでちょうどいいタイミングに使うことができた。
「瑠奈ちゃん、ソイツの弱点は耳だ! 隙あらば狙ってくれ!」
「りょーかい! あんちゃんと同じで耳が弱いんだね!」
「その通りだ!」
姪とコージのやりとりがなんだか誤解を生みそうな言い回しなのが気になるが、今は目の前の敵に集中することにする。今の僕はスキルが使えないが、それでも二刀流による攻撃の手数は敵のヘイトを稼ぐのにちょうどいい。
『こんにゃろっ……』
「はい隙だらけ!」
剛腕から繰り出される反撃を軽いバックステップで躱してそのまま距離を取る。そして僕の方へ追撃しにきた敵の無防備な背後を姪が攻撃する、挟み撃ちの形だ。再び姪に攻撃し始めれば僕がチクチクと短剣でHPを削る。もちろんコージからの援護射撃も着実にダメージを与えていく。
それを理解したのか、バトルファラビットは何度か繰り返したあと憎々しげに僕の方へと言い放った。
『キツネ、お前は後だ。まずは人間の剣士の方を片付けてやる』
そして完全に姪の方へと向き直って攻撃を始めたあたり、火力の出せない僕は完全に放置しようという方針らしい。姪の頑張りもあって残りHPも半分を切りそうなので危機感を覚えたのだろう。
だが奴は致命的な間違いを犯した! 僕の姪を先に片付けるだと? それを叔父である僕が見過ごすわけがないだろうがッ!
姪は剣でなんとか集中攻撃を防いでいるもののほとんど防戦一方だった。サラさんの回復魔法だってMPの都合で限りがあるし、このまま集中攻撃されれば本当に姪は先にやられてしまうかもしれない。だったら僕を無視できなくなるほど後ろから攻撃してやる、何ならそのまま削り切る。そう意気込んで後ろから斬りかかろうと飛び掛かる途中、そうだどうせなら弱点の耳をと狙いを付けた時。
気付いてしまった、耳が後ろを向いていることに。敵がまだ、僕を警戒していたことに。
そして振り向いたバトルファラビットと目が合ったと思うと――顎に強い衝撃を受け、僕の小柄な体が舞い上がった。鋭いアッパーをモロに受けてしまったらしく、HPもほとんど消し飛んでしまった。
『かかったなアホが!』
「ぐふぁっ……!?」
「あんちゃん!!」
「サラサ、回復を!」
「わかってるわよ、≪ヒール≫! くっ足りないわね、もう1回……」
ゲームなので痛みこそあまり無いものの、思わず奥歯でも折れたかのように錯覚するほどの衝撃。結構な高さから地面に落ちて少しの間は身動きが出来なかった。
サラさんから何度か回復を貰ってなんとか上体を起こして敵の様子を窺うと、意外にも追撃はして来ていなかった。だが何故か上を見ていたバトルファラビットの掌の上に落ちてきた物を見て、思わず思考が一瞬フリーズする。
「なっ……しまった!」
『コイツは……ニンジンの欠片か?』
それは殴られた衝撃で吐き出してしまったニンジンだった。下から殴られたので上に飛んで行ったのだろう。
『食いかけだがコイツは美味そうだ! スゲー良い匂いがしやがる! ちょっと味見といくか!』
「ま、待てやめろ!」
味見と言われて思わず声を上げて制止するが、そんなことで止まってくれることはなかった。バトルファラビットは何のためらいも見せずに、そのニンジンを自らの口に放り込んだ。人間とウサギでは頭身のバランスが違うため頭部のサイズ自体が大きく、それに伴って口も僕より随分大きかったので何の苦も無く普通に咀嚼する。
『うめぇー! 独特な風味と甘味があって栄養を豊富に含んでそうなこの味がたまんねぇぜー!!』
アイテムの説明文と相違ない感想を述べたバトルファラビットはまさに幸せの絶頂といった感じであった。反対に僕の心は深い絶望に落ちていく。ゲームで受けたダメージはもう回復してもらったのに、体が上手く動かない。思考が混乱し、頭の中がグルグルする。
それでもなんとか幽鬼のように力なく立ち上がり、眼前の敵を見据える。
「おいウサギ」
『ん? なんだ、もう1本くれんのか?』
「お前は許されない罪を犯した」
そして感情をそのまま言葉として吐き出して尚、冷え切っていく心、高まる純粋な殺意。これが静かな怒りというものか。
「あのニンジンは……るぅちゃんが僕に分けてくれたものなんだ。それは気まぐれであり優しさであり愛であり……僕にとっては至高の宝物なんだよッ!」
『あぁ……? ニンジンが宝物だぁ? 色々おかしいとは思うが……そんなに取られたくなかったんなら名前でも書いとくんだなぁ! もっともオレっちはあんな上物のニンジン、名前が書いてあったとしても痛って!? なにすんだ話し中だろうが!?』
「ねぇウサギさん」
バトルファラビットは真後ろから弱点の耳を斬りつけられて話を中断した。突然のダメージに驚いて思わず跳び退いた奴の後ろには、ハイライトの消えた黄色い瞳でまるで虫けらを見るかのような目で敵を捉えている姪の姿があった。
「そのニンジン、おいしかった? あたしがあんちゃんにあげたニンジン……」
その様子は、端的に見て怒っていた。かわいい顔に不釣り合いなほどの迫力は、怒りに我を忘れかけていた僕が思わず少し正気に戻るほどである。仮にもし僕が愛する姪からあんな目で見られた日には、生きる気力を完全に失ってしまうだろう。
『あぁ? そりゃ美味かったに決まっ……がッ!?』
「≪ヘビーバレット≫。クールタイムが長いし値段も高いから1発しか撃てないが、部位破壊ダメージの高い弾丸だ」
姪に対して伝わらない返事をしようとしたところで、またもやバトルファラビットは言葉を遮られて膝をつく。今までより一際大きな銃声がした方を見てみれば、そこには非難するような目でボスモンスターを睨み付ける後衛の2人の姿があった。
「許されないことをしたわね。例え獣といっても、女の子の食べかけを勝手に食べるなんて万死に値するわよ?」
「中身がなんであれ少女の口から食べ物を奪い取るなど明確なセクシャルハラスメントだ。ウサギ社会の新人教育は一体どうなっている?」
僕のことを女の子扱いしてくるのはどうかと思うが、それでもこの2人も僕のことで怒ってくれているのだと思うと少し胸が温かくなった。
冷えきった心に再び血が通うのを感じる。そうだ、僕はただ憎しみだけで戦うわけじゃない。仲間たちと共にこのイベントを楽しみにやってきたのだ。
「……ありがとうみんな。勝とう、僕たちでアイツを倒すんだ」
『あぁん? 誰を倒すって?』
「お前だよこのクソデカウサギ。ウサギは狐に狩られるのがお似合いだ」
『へっ、弱っちぃキツネがよく言うぜ。お前の攻撃なんて軽いし全然痛くねーんだよ』
「確かに僕だけじゃ勝てないかもしれない。だけど、僕には頼れる仲間たちがいる」
そうだ、僕のために怒ってくれるような良い仲間たちがいるんだ。今なら何にだって負けない気分だ。
それが例え自分の心の中の憎しみだったとしても――
「まぁそれはそれとして僕のニンジン食ったのは許さねーけどなぁ!!」
仲間たちからの想いにより冷静さを取り戻した僕は、冷静に怒りと憎しみを武器にして再びボスモンスターに襲い掛かったのだった。




