死なせないんだが?
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。山犬に噛まれ、皮膚の中が剥き出しになった右腕。痛いどころの騒ぎではない。すぐに病院に行かないとやばいだろう。それでも僕は美沙を一人にはさせない。
右腕を開いている左手で抑えながら美沙のところへ駆け寄る。
「美沙……大丈夫か……怪我はしてないか……あああっ……!!」
「怪我してるのはあんたでしょ! ちょっと、大丈夫なの……!? うっ、まだ足が……!」
僕の下へ駆け寄ろうとするが、美沙もまた足に巻かれた蔓で身動きが取れずにいた。それを引っ張ろうとしているが千切れない。でも僕なら千切ることができる、アレがあるから。
「待ってろ……今助ける……」
そう言ってリュックサックを下ろした。足でリュックサックの下の部分を抑え、空いている片手でチャックを開ける。今回の遠足のために色々持ってきた。弁当の空やらあと僅かな水筒などが入っている。その中から筆箱を取り出した。筆箱はしゃがんだ状態で同じように足で抑え、空いている片手でチャックを開けてハサミを取り出した。
そこからリュックサックや筆箱をその場に置きっぱなしにして美沙のところに再び駆け寄る。
「これでそれを切れ……お前、右利きだから使えるだろ……男の僕が切ってやりたいが、僕の右腕はこのざま……手に力なんて入らな……あああああっ……!!」
傷口はさらに広がり、じわりじわりと痛みも広がる。出血もかなりやばい。この量じゃ、下手したら血液が不足して死ぬかもな。それのことをなんて言うんだっけ。
僕がハサミを渡すと、美沙はすぐにそれを受け取った。
「ちょっと……!! い、今助けるから待ってなさい……!!」
ハサミで蔓を切り、そこから抜け出すと倒れた僕のところへ来る。傷口の上から手を押さえているが、そこに美沙は手を重ねて僕の手を放そうとする。
見られたくないのだ。
「何してるの! その手を離して!」
「見せられるわけないだろ、こんな気持ち悪いやつ……! それに、見せたところで何も変わらない……!」
「私の家は何でも屋よ! 機械だけじゃない! 私はまだ人並みだけど応急手当てだってできる! あんたこのままじゃ本当に死ぬわよっ……!!」
そうだった。幼馴染の中だから忘れていたが、こいつの家は何でも屋。いつも機械いじりばかりしている家だ思っていたが、それはシゲ爺を見ているから。そして美沙はいつもシゲ爺と一緒にいるからいつしかそんなイメージがついていた。
美沙の母は医療関係、父は経済関係では優秀。だから美沙に多少でも医療的知識があっても不思議ではない。
それでも。
「いい! こんなもの、お前に見せられるわけないだろ……それに僕が死んでもお前に迷惑はなんの掛からないだろ……!!」
こいつは僕のことを嫌っている。だから僕が死のうが悲しまない。むしろ清々するくらいだろう。だから僕はもういいんだ。
お前はこの数年間、嫌で嫌で仕方がなかった僕の顔を見なくて済むことになるんだ。最後に清々する顔くらい見させてくれよ……
「馬鹿っ!! 私が悲しむのよっ……!! あんたは死なせない……! 絶対に死なせない……!」
僕の手を力一杯どかし、背負っていたリュックサックを下ろしてその中から消毒液やガーゼやアルコールを取り出した。小学三年生の山登りの遠足ではいらないやつがほとんど。それでもこいつは、もしもの時を想定して誰かが怪我した時のために持ってきていたのだろう。
何より持ってくるだけではなく、美沙には医療知識も少しだけあったため、看護師並みとまでは言わないが、手際がかなりいいように見える。
驚きのあまり声が出なかった。痛みの叫び声すらも。美沙の医療スキルに驚いているわけではない。美沙が僕のことを本気で心配してくれていることに。
「座って」
「うん。なんで僕のこと助けてくれるんだ?」
その場に座る。僕にはわからなかった。美沙は僕のことを嫌っているはずなのに助けてくれる意味が。義理が。義務が。だから頭の中が全然スッキリしない。
「幼馴染だからに決まってるでしょ! じゃあ逆になんであんたは私のことを助けに来てくれたの?」
「幼馴染だからだ! いくら仲が悪くてもそんなやつ放っておけるわけないだろ! お前とはまだちゃんとした友達にもなってねえし!」
「それよ。私も全く同じ。だからあんたのことを助けたいと思ったの。それに、私があんなところから落ちなければこんなことにはならなかったわけだし。本当にごめんなさい」
嘘をついているようには見えなかった。真剣に謝り、涙すら流している。別にそんなことなんて気にしてすらいなかった。ただ助けたい一心でここまで来ただけだし。
「気にしてないよ。僕が助けたくてただ助けただけだし。まあ正直なこと言えば、最後の罵倒にはちょっと傷ついたが」
山頂での話をしたらそれは嘘だったと言ったあの言葉。あの言葉には過去最大で傷ついた。どんな刃物よりも鋭く、僕の心を抉り出した。
これまでのどんな罵倒でもまだ耐えられたが、あの言葉だけはどうしても耐えられなかった。
「それもごめんなさい。でも、本心じゃないの。なんか恥ずかしくなっちゃって……その……つい……嬉しい言葉が……罵倒に変わったっていうか……よくわからないけど、ツンデレ?ってやつ?」
「今の一瞬で僕にはもうツンデレの定義すらわからなくなったよ。って、嬉しい言葉? 何を言っているんだ。今日の今日まで僕のこと毛嫌いしてただろ。気持ちが悪いだの気色の悪いだの」
それもまた大きな違和感。ずっときつい言葉を浴びさせてきたやつが嬉しい言葉だのツンデレだの、全くもって正反対の言葉を使いやがる。気まぐれやからかいだっていうならわからなくもない。
だがこんな状況でそんなことはありえない。
「そんなわけないでしょ! 全部ツンデレよ! そんなことくらい分かるでしょ!」
「えええええええーーーーーっ!? 嘘だろおおおおおおおーーーーーっ!?」
ツンデレ? え? いやいやいや、だってこの六年間ずっとこの態度だったぞ!? 全部ツンデレ!? 全部ツンデレだったのか!?
いや、だってさっきもそうだが、ツンデレかという質問に対してめちゃ否定的だったし……
僕が悩んでストレスとしてきた六年間はなんだったんだよ。気づかねえよ、普通。
「そんな驚くことお?」
「人生で一番驚いたわっ!!」
腕の手当てがちょうど終わる。腕を見ると、血は包帯にまだ滲むものの、包帯がプロ顔負けなほどに綺麗に巻かれていた。途中のガーゼや消毒もしっかりとやってくれたし、今のこいつには感謝しかない。
「……よしっ。治療完了!」
「お前すげえな……ありがとう。お前は僕の命の恩人だ」
「それはこっちのセリフよ。遅くなったけど、助けに来てくれてありがとね。嬉しかった」
美沙は顔を少し赤くして俯いた。らしくもないと思いつつ、少し可愛いなと思ってしまう。なるほど、これがギャップ萌えというやつでござるか。
でも、お礼を言われるのは悪い気はしないし、素直に嬉しかった。