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小さな戦士なんだが?

 無力。ひ弱。未熟。最低。人でなし。クズ。卑劣。残虐。犯罪者。殺人未遂。


 さまざまな罵倒が僕の頭によぎり、涙を流した。僕があんなこと言わなければ美沙は……

 そんな時、悪魔が僕に(ささや)いたように聞こえた。悪魔は僕に二つの選択肢を与えた。美沙のことを無視して、ここから安全な道を辿って下山するか。もしくは自分の命を投げ出す覚悟で、美沙を助けるつもりで落ちるか。


 下山してから助けを呼ぶというのも手ではあるが、下山して登れば倍の距離を歩くことになる。僕一人が下山すれば僕は確実に助かる。だが、そんなことをしているうちに美沙はどうなるんだよ。


 そして美沙を助けるにせよ、この先は未開の地。山の整備された道は安全だったが、森なんて何がいるかもわからない。最悪の場合、考えたくはないが、美沙が無事かどうかすらも。

 そしてたとえ見つかったとしても、ここからどうやって登ればいいかすらも思いつかない。崖上り? こんな急な坂を? ロープをかけて登る? どこにそんなロープが。大声で助けを呼ぶ? こんな広大な山の中で場所なんてわかるわけもない。


 そんな悪魔のような選択肢に頭を押さえ、頭痛のするほど泣きながら考え込んだ。


 ――もういい、僕はこうする。後悔はない。




 美沙は崖から落ちた数分後に目を覚ます。落ちたというより転げ落ちた。不幸か幸運、崖から下は芝生の地面で斜めになっていて、そこに当たって転げ落ちたため、地面への直撃は防がれた。もしそのまま落ちていたら命を落としていたかもしれない。


「ううっ……」


 あたりを見渡すが、木々が並ぶ森林ばかり。人工物なんてない。唯一木々以外にあるとすれば、今美沙が転げ落ちた後ろの断崖のみ。美沙は泣きたい気持ちを抑え、出口を探してさらに森の奥へと入っていった。

 しかしそれはさらに自分を苦しめるもの。森へ行けば出口はさらに遠くなり、どこに繋がっているかもわからない。まだ断崖を意地でも登って下山を目指した方が早いというもの。


 だが、美沙はまだ子供な上、ここへ来るのは初めてだったのでそんなことを梅雨知らず奥へ奥へ進む。


「怖いよ……怖いよ……誰か……誰かいないの……」


 涙を堪えながらも奥へ奥へ。空を見ればもう暗がり。闇という存在が手招きしていた。


「ひゃあっ!!」


 草が揺れ、ガサゴソと鳴る音。ただの虫が羽ばたいて草にぶつかっただけ。しかし美沙にとってはその音が雷に匹敵するくらい怖い音だった。


 ゴソゴソ、ガサゴソ、ヒュー、ビュー。草木や風の音、全てが音となって美沙に襲いかかる。


「もう嫌だ……もう助けて……もう許して……うううっ……」


 小さな叫びを出してなんとか自分の心を保とうとする。涙目になっても森に潜む悪魔は彼女を狙う。美沙には見えない敵が何かいるようにも感じた。そして自分がなんて愚かなことをしたのだろうと悔やんだ。「あいつを傷つけた挙句、自分は落ちて罪悪感をあいつに押し付けてしまった」という負の感情。今はもう、彼が無事に下山していることを願うしかなかった。


 私はダメでも、彼だけは助かってほしい。今の私にはそう願うしかできない。


 しかし、そんな感情を抱くことさえ、森の悪魔は許さなかった。ゴソゴソと大きな音を立て、足音まで聞こえる。それも次第に大きくなり、(うな)り声とともに何かが近づいてくる。


「ガルルルル……」


「い、いや……」


 ゴソゴソ。ノシノシ。ゆっくり、ゆっくりと近づく。そしてその正体が姿を表す。


「ガルルルル……」


 黒色の四足歩行の生き物。大きな鼻に、鋭く尖った歯を見せて唸りながら美沙の方向に向かって歩き出す。山犬だ。しばらく距離を詰めるとその場で止まり、美沙を睨みつけた。鋭く尖ったのは歯だけではない。

 眼光もだ。一度捕らえた獲物は逃さないような目をしている。美沙はもう標的の的となっていた。

 毛が立ち、体を震わせる。唸りは強くなり、明確な殺意すら感じられた。


「いやあああああっ……!!」


 美沙は山犬とは反対方向に走り出した。

 行き先なんてどこでもいい。とにかく走らなきゃ……! 

 奥へ奥へ。更なる彷徨いへと(いざな)われる。美沙は足は早い方。小学三年生にして、五十メートル走を七秒を切っている。

 しかし、本気の山犬には敵わない。何より美沙は転落後の疲労や山登りの疲労もある。普段のスピードなんて出せやしない。


「はあ……はあ……はあ……!!」


「ガルルルル……!!」


 いくら逃げても追いかけてくる。疲労が溜まり、スピードはさらに遅くなるどころか、山犬は野生の本能からかスピードをさらに上げる。


「はあ……はあ……はあ……きゃあっ……!!」


 足元に蔓が絡みつき、美沙は転んだ。美沙はひたすら千切ろうとしたが、蔓はかなり頑丈で少女一人の手では到底千切ることはできない。


 山犬は美沙との距離を詰め、もう二メートルほどの距離にいた。


「ガルルルル……!!」


「た、助けて……誰か……誰でもいい……誰か……誰か……お母さん……お父さん……おじいちゃん……隆くん……隆くん……お兄ちゃん……お兄ちゃん助けてえええええっ……!!」


 美沙は大声で叫んだ。美沙は一人っ子。お兄ちゃんなんていない。目の前でそう呼んだことのある人物はいない。それはじゃあ誰を指すのか、

 ――それは一人の小さな戦士のことだった。


「女相手に牙を剥き出しにした山犬が襲いかかるっていうのは……少しフェアじゃねえな……狙うなら男である僕を狙えよ……!!」


「お兄ちゃん……!!」


 美沙の前に暗闇から姿を表したのは東條隆。この男だった。彼の服装はボロボロに切り目が入っており、体からは何箇所か出血もしている。ここにくるまで何があったかは語らずとも明白だった。


「ガルルルル……」


 山犬は後ろを振り返り、標的を美沙から隆へと変更した。隆を鋭い眼光で睨みつけ、戦闘態勢に入る。


「来いよ、馬鹿犬!!」


「ガルルルル……!!」


 猛スピードで隆目掛けて走り出す。それは、美沙を追いかけていた時よりも格段に速かった。隆はボクシングなんてやったこともないのに、テレビで見たボクシングの試合に出ていた日本人選手のポーズを真似して迎え撃とうとする。しかし、それはその道のプロだから打てる一手。

 隆は右腕を山犬に噛まれながら押し倒され、地面に叩きつけられた。


「オオオオオッ……!!」


「ああああああああっ……!! ああああああああっ……!!」


「お兄ちゃんっ……!! お兄ちゃんから離れなさいよっ……!! う、足が……!!」


 山犬はかつてないほどの雄叫びを上げ、隆の右腕の皮膚をかみちぎる。ぐしゃりぐしゃりぼぎゃりぐちゃり。何度も噛みちぎり、痛みを増していく。

 美沙は助けようと必死に蔓を解いたり千切ろうとしたりするが、びくともしない。

 隆は涙を堪えながら空いている片手で自分のポケットを漁った。これも不幸か幸運か。空いている手の方にあるポケットの中にはある物があった。


「くらいやがれえええええっ……!!」


 悲痛な叫びを山犬にぶつけ、小型の懐中電灯を山犬の目の前につけた。この手だけは本当は使いたくはなく、できれば素手で倒したかった。一時的とはいえ、山犬の視界を奪ってしまうから。しかし、ここまで来ればやるしかないと踏み込んだのだ。


「ガル……ウルルル……」


 山犬は隆の腕から離れ、顔を上にあげて小さく吠えると後退って森の奥へと消えていった。隆が来なければ今頃美沙は大怪我をしていただろう。しかし、隆は腕に大きな致命傷に近い怪我を負うのだった。

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