異変の予兆
地を揺らす轟音と共に疎らに生えた木々から無数の鳥が飛び立って行く。 周囲の樹木よりも高く聳え立ち、人型の巨影を映し出しているのは一体の巨人。 しかし、その姿は一般的な巨人の形態から大きくかけ離れたものだった。
その巨人は全身が異常なまでに発達した筋肉で構成されており、四本の腕には刃物の様に鋭い鉤爪が生えている。 石柱の如く地に屹立する逞しい二本の脚は、人間程度なら造作もなく踏み潰してしまえるだろう。 そして何よりも異質と言えるのはその頭部である。 奇妙な事にその魔物には一つ目巨人の頭が三つついており、それぞれが独立した意思を持っているのだ。
遠方に巨人を捉えて、真っ直ぐと見据えるはフロース姉妹。
「また妙なのが出てきたわね……」
「頭が三つある巨人ですか…突然変異による新種でしょうか?」
巨人とは魔力の影響により巨大化した亜人の一種である。 分類としては粗暴で知性の乏しい破壊的な種と、穏やかで人型種族と意思疎通が可能な種に分けられるのだが、この個体に関しては圧倒的に前者であると言えるだろう。
「実は心優しい性格だったりしないかしら?」
「確かに見掛けだけで判断するのは良くないですわね」
フロース姉妹の希望的な観測は次の瞬間に打ち砕かれる事になる。 三頭の巨人の眼から放たれた破壊的な光線によって。
「……どうやらあっちはやる気みたいよ?」
「そのようですわね、姉さま」
即座に剣を構えたフロース姉妹は、光の魔力を魔力付与した刃を巧みに操り、巨人から放たれた光線を軽々と弾き飛ばす。 いつの間にか殲滅者の纏衣を発動させていた姉妹は、魔力により編まれた紅いドレスを身に纏い、戦闘の準備を万全に整えている。
「私が引き付けておくから、その間にエリスは挟撃の構えをとって、百合魔法で一気に片をつけるわよ!」
「承知しましたわ、姉さま!」
リリアは巨人の放つ光線の間隙を縫って、何処からか取り出した大量の投げナイフを巨人に対して投げつける。
"殲滅者の纏衣"により限界突破した力が加わったナイフは、音すら置き去りにする疾さで巨人の頭部目掛けて無数に炸裂した。 しかし、巨人にはさしたるダメージはないようで、鬱陶しげに頭部を手で覆い、形ばかりの防御の構えをとっている。
「さすがにこの程度の小細工で倒せる相手ではないみたいね…… 」
「いえ、充分ですわ姉さま」
巨人が見せた一瞬の隙を突いてエリスは走り出す。 瞬間的超加速により一直線に巨人の真下を潜り抜け、背後に回り込む。
巨人が防御の構えを解き、反撃に移ろうとした時点で、既にフロース姉妹は敵を死の間合いに捉えていた──即ち、百合魔法の効果範囲内に。
「「破滅の大地!」」
フロース姉妹が唱えた百合魔法は大地を引き裂き、地割れを発生させた。 裂け目からは煮えたぎる溶岩が覗き、哀れな犠牲者を飲み込もうと待ち構えている。
奇怪な叫び声を三重に上げて、巨人は地割れに巻き込まれたが、辛うじて四本の腕を支えに踏み止まっていた。 巨人はどうにかして地割れから逃れようともがいていたが、それを許すフロース姉妹ではない。 彼女達は母であるレヴィに、敵に対して徹底的に止めを刺す事を教わっている。
「さあ、準備はいいかしら、エリス?」
「勿論ですわ、姉さま!」
目の前の勝利を確実なものとすべく、湧き上がる想いを力に換えてフロース姉妹は真っ直ぐに駆け抜ける。 その目的はただ一つ。 愛する者との間に立ち塞がる存在を討ち滅ぼす事だけだ。
膨大な魔力を付与され、究極の速度で振り抜かれたリリアとエリスの光の刃は、巨人の頭部を三つまとめて無慈悲に刎ね飛ばした。 頭をなくした巨大な胴体は、大地の怒りに飲まれて跡形も無く燃え尽きる。
「お疲れさま、エリス。 どこか怪我してない?」
「大丈夫ですわ、姉さま。 ところで、地形を大幅に変えてしまう魔法の使用は控えた方が良いのではないでしょうか?」
「これはいわゆる巻き添え被害というものよ。 勝利の為の致し方ない犠牲ね……」
なんたる地獄絵図であろうか。 この光景を久遠の守り手であるフィーリアが目の当たりにしたなら、フロース姉妹の魔法的脅威度について再考せざるを得ないだろう。
フロース姉妹の本質は決して邪悪なものではない。 しかし、誰かを愛する強い心は、時として世界を破滅に追いやる程の危うさを秘めている。 愛は世界を救う事もあるかもしれないが、世界を滅ぼす事もまた同様にあり得るのだ。
「またも変異種ですわね… この前の飛竜といい、どうなっているのでしょうか?」
「さあ? 私は大して興味ないわね。 竜の目撃情報があったから来ただけだし、また無駄足かしら?」
フロース姉妹の現在地は王都の北に位置する都市、コルリスの近傍である。 この街は魔王の支配する闇の領域に隣接しており、姉妹の育った帰らずの森の近くでもある。
「せっかくここまで来たなら、オリーブ母さまに会いたいですわね……」
「私だってそうしたいわよ…でも母さんに会ったら甘えちゃいそうだし、次に会う時は全部終わらせてからって決めているから…」
寂しさを埋めるように姉妹はお互いに抱き合い、口づけを交わした。
「んっ、姉さまぁ…」
「エリス、面倒だけどエスクードに今日の報告を終わらせて街に帰りましょうか…」
フロース姉妹が竜の情報と引き換えに王都の冒険者ギルドのマスターである、ライアス・エスクードから与えられた依頼は、ここ最近、闇の領域との境界付近に発生している異常な性質を示す魔物の討伐と、調査報告である。 フロース姉妹は音と映像を遠方に届ける魔法具"遥か見の宝珠"を使い、ライアスに報告を行った。
昨今、冒険者ギルドに寄せられる数々の調査報告──超巨大なスライムだとか地を埋め尽くす触手溜まりや、姿の見えない合成獣などの発生が指し示す答えは一つである。 再び闇の領域から魔王の侵攻が始まろうとしている。
コルリスの街へと帰る道すがら、フロース姉妹を出迎えたのは、闇の領域から溢れ出した夥しい数の魔物だった。
「大層なお出迎えね…… 疲れてるところ悪いけど私達でやるわよ、エリス!」
「ええ、勿論ですわ姉さま!」
かつてない戦いが始まる──世界の行く末を決める魔王と人間、そして一体の竜と少女の戦いが。
序盤を大幅に改稿する為、次回の更新は少し遅れます!