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プロローグ「月光」  作者: 藤原神羅
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最強武士畏憚

嘉応二年(1170年)四月六日丑三つ時、深夜だというのに月はまるで太陽のように大きく、強く輝いていた。月は十数年に一度その威容を見せる。そんな夜には巨星が落ちる。


この夜の望月は海岸に一人立つ白糸縅の鎧「八龍」を神々しく照らしていた。七尺(2メートル10センチ)の巨漢も相まって、その威風は、まるで異国の守護神像のようである。


難陀・跋難陀・娑伽羅・和修吉・徳叉迦・阿那婆達多・摩那斯・優鉢羅…鎧を覆う八匹の龍がまるで月の光を吸い込み今にも咆哮するがごとく漆黒の海を睨み付けている。


「八龍」の鎧は「源氏八領」の一であるが、代々一族最強の猛者に引き継がれてきた。しかし、この「八龍」は本物ではない。もちろん紛い物ではないが、別誂えの特注「大型八龍」である。本来の「八龍」は彼には小さすぎたのだ。


本来の「八龍」は、甥の悪源太(源義平)に譲られたが、平治元年の平家との戦に敗れた折、兄義朝と雪中逃避の中で脱ぎ捨てられ喪失したらしい。後に回収され牛若に譲られたとも聞く。


「皮肉なことだ。前回の大月の夜の戦で敗れた我が、この日まで生き長らえ、勝者の兄は既にこの世に無い。」


八郎は海上の望月を見上げながら呟いた。やがて静かに視線を海上に落とすと、沖には篝火を焚いた軍船が一面を覆っている。百艘はあろうか…


「保元の戦では、一矢で同時に二人の武者を射抜いたが、今日は一矢で多くの武者を葬った。南無阿弥陀仏…。」


八郎が使う弓は「五人張り」である。弓矢は反り返った竹を逆に反り返らせ弦を張ることで初めて矢を射る威力を得る。

もちろん反り返りの力が強いほど強弓となる。

「五人張りの弓」とはいかなるものか。すなわちこの竹の反り返りを逆に反り返らせる作業に5人掛かりでないと弦が張れない尋常でない反発力を持つ強靭な弓なのである。

これだけ強靭な弓は通常一人で扱うことはできない。ところが八郎はこの強弓を軽々と一人で撃つ。

この弓より放たれる矢は鎧を着た武者を軽々と貫き、さらに後方の武者を串刺しにする。馬上の武者であれば人を貫き馬ごと地面に串刺しにすることも可能だ。

保元の戦の際は、平清盛の家人を矢一本で二人を貫き撤退させている。また、兄義朝と対峙せざるを得なくなった時は、威嚇のため義朝の兜の星を射抜く正確無比の神業を披露している。

八郎は将に天下無双一騎当千の侍なのである。

しかし、この弓を弾くのは久方ぶりであった。

保元の戦で敗れた折、兄義朝の懇願によりその命を救われた。

しかし、時の後白河朝廷は八郎の剛を恐れるあまり、二度と弓を引けぬよう右腕の腱を切断させていた。さらに二度と都に戻れぬよう、はるか離れた此処伊豆大島に島流しにしたのである。


「何故、今頃になって都とは縁もないこの孤島にまで兵を向ける必要があるのか」


平治の戦に敗れ、かつての有力源氏武将は後白河・平家のここ十年の執政において、そのほとんどが根絶やしにされていた。

伊豆大島への島流しと雖も、都にとっては生き残りである鎮西八郎が脅威であることは重いしこりとして残っていたのである。

その日、後白河朝より大島に送り込まれた船は百艘、兵は五百を超えていた。船団の頭は工藤茂光であり伊豆の土豪宇佐美、伊東、北条氏を従えていた。


「たった一人の手負いの我に念のいったことだ。面白い。一矢をむくいてやるか」


八郎は、海岸に迫る船団の先頭の一艘に狙いを定めると、徐に「五人張りの弓」を取り出すと、海に向けて左手で弓を構え、照準を合わせた。

そして、状態を確かめるように何度か右手の平を握り開きを繰り返すと、腱を切断されたはずの腕でゆっくりと矢を引き始めた。そして苦痛に軋む顔で弓と右腕を目いっぱい引き込み、一瞬息を止めたかと思うと、静かに矢を「パアン」と放った。

放たれた矢は、まるで大筒のように「ゴー」という海風を切り裂く豪音とともに100メートルは離れている船の船主に「ドンッ!!」という重い音とともに命中した。

矢は船体を船首から船尾まで完全に貫いた。船上の家人は何が起きたのかもわからず、船内を見渡すと足を吹き飛ばされた者、腹部に穴が開いた者が転がっている事に気づき始めて陸より攻撃を受けたことを悟った。


「そんな馬鹿な!」

「島に兵はいないはず。弓を使えなくなった八郎だけでは…」


そうこうしているうちに、船首・船尾に開いた穴から海水が流れ込み、見る見る間に船は沈み出した。

無傷の兵たちは慌てふためくがあっという間に船もろとも海水の中に沈んでいく。

完全防備の鎧は錨と同じだ。泳ぐこともままならず、負傷したものはもちろん乗船兵は溺れ海中に消えた。

八郎は一矢も外すこともなく続けて数艘の船首を貫いた。

これを見た工藤茂光は事態を飲み込み蒼白となった。そのまま船団は一寸たりとも船を浜へ進めることが出ず、海上で夜を迎えることとなったのである。

茂光は驚愕した。右腕を切ったはずなのに何故弓を弾ける。


「鎮西八郎は健在だ。この兵力では手に負えない!」


夜になっても上陸すらできず混乱する朝廷兵をよそに、八郎は春の夜の海風を浴びながら望月の照らす美しい海と海上に浮かぶ篝火を眺めていたのである。


「そろそろよかろう。」


実のところ既に八郎には朝廷軍と一戦をまじえる気などなかった。

昼間に船団を見た瞬間、もはやここまでと悟り、一人息子の為頼を自ら手にかけていた。まだ九つの可愛い盛りではあったが一人残すわけにもいくまい。

八郎は、屋敷に戻ると「八龍」を脱ぎ丁寧に蜀台に置くと、朱色の柱を背にして腰かけ、懐をはだけると三尺五寸の愛刀の刃元に衣を巻き、刃を直に掴み自らの脇腹に押しあてた。


「これで皆の元に行けるか…為義父、義朝兄。

しかし、源氏の行く末は、いかなるか。まだ鬼武者、牛若は健在だと聞く。鬼武者は聡明で、牛若は我に遠慮して八男にも関わらず九郎と名乗っているが、中々の偉丈夫とか…あの二人が力を合わせれば必ずや混沌の世を治め源氏復興を成し遂げるであろう。もはや思い残すことも無い。」


そう呟くと八郎はまず横一文字に一気に腹を切り裂いた。

激痛を伴うも、これでは死に切ることはできない。


「そもそも武士の本分とはなんぞや。お上にさぶらうものなり。お上とはなんぞや。治天の君か…摂関家か。いいやそうではない。民こそが我らがさぶらうべきものなり。」


後の切腹と異なり介錯などない。

八郎は、さらに縦一直線に搔っ捌いた。内臓を包んでいる腹膜と大網膜が開き内臓が体外に零れ落ちてくる。もはや蘇生は不可能な状態である。これでも即死はできず、暫くはのた打ち回るような苦しみがあるが、これこそが切腹による自害の本懐である。


「我ら源氏の願いは、敵味方になろうと皆、同じであった。父上、兄上…。願わくば世の安寧を…」


やがて、八郎の意識は遠のき言の葉も切れた。

無残な最期ではあるが、八郎はこの死に様により、いかなる権勢にも媚び諂うことの無い自らの誇りを守り抜いた。

日本歴史上これをもって『切腹』の初めとする。


 その後も、朝廷軍は八郎を恐れるあまり相も変わらず上陸できず、三日間海上を漂った。

しかし、その間、浜辺に八郎が現れないことに漸く気付くと、逃亡したのではないかという考えが芽生えてきた。茂光は加藤景廉に命じ島の様子を探らせることとした。

景廉は鎧を外し島人に成りすまして島影より上陸し何人かの島人を通して八郎の消息を追った。すると、八郎が屋敷の中ですでに息絶えているという噂が耳に入り、早速、茂光に伝えることとする。


「まさか、あの八郎が抵抗もせず自害をするとは考えられない。さらに探索を進めよ。」


そうして茂光が漸く上陸したのは一週間後であった。

屋敷に入ると、果して八郎の躯があった。

柱を背に前のめりの姿は、誰の手も借りず、自らの刀で命を絶ったことを魅せしめていた。

その姿を見ても茂光の一団は遠巻きに躯を囲むだけで近づくことすらできない。


「まだ生きているのではないか。」


茂光は景廉にささやきかけ暗に確認を求める。


「既に腸が毀れております。これで生きていたら人ではない。」


あきれ顔で景廉は八郎に近寄り躯の前で膝を付き手を合わせ、一礼すると脇差を抜き、


「ご無礼!」


と一声かけ一気に首を落とした。


 こうして源氏最強、いや日本史上最強の武者である源鎮西八郎為朝は最期を遂げたとされている。


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