懐かしい友達
最近何だか何をやってもうまくいかない。
そんな事を思いながら、由希は、アパートの郵便受けからまとめてとってきたチラシや請求書の束をテーブルの上に放り投げると、そのままドサッとベッドの上に寝転んだ。
不況で会社をリストラされて、新しい仕事も決まらない。
長年付き合っていた恋人にはフラれる。
当分収入の見込みがない為、少ない友人からの誘いも断り続け、最近の由希はすっかり出無精になってしまっていた。
そんな中、今日は久し振りに面接に行ってきた。
手応えはそれなりにあったはず……だったが、家に帰る途中で、出られなかった携帯の留守番電話に「不採用」の連絡が入っていた。
アパートの四角い天井を見つめながら、由希はギュッと目を閉じた。
「あー、疲れた」
そう呟くと、スーツを脱ぐためにノロノロと起き上がった。
ふとテーブルの上の郵便物の束に目を向ける。
見慣れた請求書や派手なチラシの中に埋もれた白い封筒。
「同窓会か」
それは高校の同窓会の案内状だった。
由希は迷わず、欠席に印をつけると、同封された葉書をそのままバッグの中にしまった。
(どうせ会いたい人なんていないし)
そう考えて、由希の頭の中に、一人の友人の姿が浮かんだ。
(……透子、どうしてるかな?)
引っ込み思案な由希は元々友達付き合いが得意じゃなかった。
そんな由希にとって、透子はただ一人、心を許して付き合える「本当の友達」だった。
高校の3年間、いつも一緒に行動して、青春の思い出を共有した大切な友達だった。
それなのに、きっかけを思い出す事が出来ないほど、些細な事で、透子と喧嘩をした。
あれから10年。
一度も透子と連絡をとる事はなかった。
由希が何度か出席した同窓会にも、透子が来る事は一度もなかったし、同級生が透子の近況を知る事もなかった。
卒業して一人暮らしを始めると、新しい生活に精一杯で、由希も連絡をする事はなかった。
でも由希の頭の片隅には、いつも透子がいて、その思い出が薄くなる事はなかった。
「うわ〜、懐かしい」
由希は押し入れの段ボールの中から、古いプリクラ帳を取り出すと、その頁をめくって、思わず目を細めた。
当時のどのプリクラを見ても、由希は透子と一緒だ。そして二人とも笑顔で楽しそうに写っている。
(透子に会いたいな)
日常生活が上手くいっていないからかもしれない。
自分が笑顔でいられた頃の懐かしい友達に会いたかった。
込み上げて来る気持ちが抑えられずに、由希はその日、携帯に入れたままだった、透子のアドレスにメールを送ってみた。
しかしながら、10年前のアドレスは、やはり存在しておらず、由希の出したそのメールは、宛先不明ですぐに戻ってきてしまった。
携帯の電話番号も変わっていた。
由希は、透子に手紙を出した。
実家宛に出したその手紙には、懐かしく思って連絡をしてみた事を書いた。
手紙には、由希の新しい携帯の番号とメールアドレスも書いておいた。
数日後、透子からメールが届いた。
『由希、
手紙をありがとう!
私は今プライベートで仕事も楽しく、彼氏もいてすごく幸せ。
時々昔の事を思い出す事もあるけど、あの頃の事は、私にとってもう思い出。
由希も、元気そうで良かった。
それではお互いにそれぞれ頑張ろうね。
さようなら。
透子』
「………………」
しばらくその文面を眺めていた由希は、何ともいえない虚無の思いが込み上げてきた。
透子のその簡潔で当たり障りのないメールは、由希の心を小さく失望させた。
(10年も経てばこんなもんか……)
勝手に抱いていた旧友からの連絡の糸口が、想像していたものとは、違っていた事に、由希はショックを隠せなかった。
メールを何度も読み返す。
しかし何度見ても、その内容は、かつてお互いに親友と認め合うほど、仲が良かった人間に宛てた物にしては、さっぱりしすぎていた。
しかしながら、ずっとそのメールを見ていると、由希の中で、疑問が生まれて来た。
どうしてわざわざ「幸
せ」と書いて来たのだろうか?
もしかして透子は今幸せとは反対の状況にいるのではないだろうか?
申し訳程度につけ加えたその一文に、違和感を感じた。
(10年も経ってるんだもの)
クールな文面になるのは仕方ない。
(せちがらい世の中だからね)
音信不通だった友達から突然連絡が来たら、訝しく思っても当然だ。
由希は自分を納得させる為に、そう言い聞かせた。
すると突然手にしていた携帯の画面が、強く光った。
そして次にそのメールを見た時には、新しい文章が浮かび上がっていた。
『由希、
手紙をありがとう!
(私は今宗教に入る気もないし、貸すお金もありません。)
私は今プライベートで仕事も楽しく、彼氏もいてすごく幸せ。
(本当は派遣切りにあって、ようやく見つけた不慣れな仕事場で、必死に頑張ってるわ。色恋なんて、ここ数年してる暇なかった。)
時々昔の事を思い出す事もあるけど、あの頃の事は、私にとってもう思い出。
(何よ、今更。私が連絡した時には、アドレス変わって連絡が取れなかった。)
由希も、元気そうで良かった。
(私も父親が死んで5年、ようやく立ち直ったところ。)
それではお互いにそれぞれ頑張ろうね。
(私と貴女はもう無関係。友達でもないわ。)
さようなら。
透子』
「……………!」
由希は括弧で閉じられ浮かび出された、その新しい文章を見て、目を見張った。
生々しい文章のそれは、明らかに透子の本音だった。
誰も宗教の勧誘をするつもりで連絡した訳じゃない。
勿論、金の無心の為に手紙を書いた訳でも無かった。
ただただ懐かしくて、連絡をとっただけだった。
しかしながら、由希はこの10年間、透子に一度も連絡をしなかった事、忙しさに甘えて、昔の友人を蔑ろにしていた事を反省した。
「私、都合良すぎるよね」
自分が忙しく、毎日が充実している時には、連絡する事もなかった癖に。
透子の父親が亡くなっていた事も知らなかった。
病気だろうか?
それとも事故だろうか?
いずれにせよ、お父さん子だった透子はきっと落ち込んだだろう。
透子には年の離れた兄弟がいたはずだ。
大黒柱が亡くなれば、家計だって大変だったに違いない。
透子が一番大変な時にも私は力になる事すら出来なかった。
「私が歳を重ねた分、相手も色々な事があったんだ」
これが10年の歳月だ。
由希は嫌という程、その年月を噛み締めた気分だった。
「お互いもう昔のままじゃいられないよね」
ずっと連絡をとらなくても、友達でいられる事もあるだろう。
でも由希と透子はそうではなかった。
二人は友達としての積み重ねをやめた時から、その関係は過去のものに変わっていたのだ。
由希は現実に行き詰まったから、過去の友達に逃げようとしていただけだったのだ。
そして透子はそれを見抜いていたのかもしれない。
その時、由希は目を覚ました。
「……夢?」
いつの間にか由希は、片手に携帯を持ったままテーブルの上に伏せて眠り込んでいた。
開いたままだった透子からのメールを見直す。
メールは最初に来た当たり障りのない文章のままだった。
「さっきの事は夢。でも現実だわ」
透子の現状は、本当に幸せなのかもしれないし、お父さんも健在かもしれない。
しかしそれすらも確かめられない程、透子からは遠い場所に由希はいた。
10年分、共有する思い出が無いという事は、そういう事だ。
由希は、メールの画面を閉じた。
プリクラの中の由希と透子は、色褪せながらも屈託のない笑顔で時間が止まっていた。
そして現実の由希は今、その過去の一瞬を眩しく眺めながら、現実の厳しさを改めて思い知った気分でいた。
いつかまた透子と一から、友達関係を築く時が来るだろうか?
その時の為に、由希は胸を張って今を生きられるように頑張ろうと一人心に誓ったのだった。