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硝子の鳥


 空を飛ぶ鳥は自由だと言うけど、たぶんそんなこともない。

 だって、ウチら人間も、なんだかんだと結局はどこでも自由にいけるじゃん?

 逆に鳥から見たら空を飛ぶのが大変で困ってるかもしれない。

 高いところの方が気分が良いというのは、人間の神経。

 普段が高いところにいる鳥は神経が違うかもしれない。


 まあ、そもそも鳥にそんな神経(考え)なんてないんだろうけど。



 /



 私が目が覚めて最初にすることは食事の用意だ。

 朝はトーストとサラダに“サニーサイドエッグ”。

 この並びだと“目玉焼き”ではなく、こうしたくなるのは何故だろうか。

 私の趣味ではないのだけど、相手(・・)の趣味なので仕方が無い。

 完成に合わせるようにして“夫”がリビングに現れた。

 ――おはよう

 極めて事務的な朝の挨拶が“夫”の唇から零れる。

 私も同じように事務的な挨拶を返した。

 テーブルにふたり向かい合わせで座り、朝食をとる。

 会話はない。

 こうして食事をとることが儀礼的か何かであるように淡々と進んでいく。

 十数分無言のまま、食事は終わる。

 それからしばらくして、“夫”が家を後にする。

 ――いってきます

 やはり事務的な出立の挨拶。

 私も事務的に送り出した。

 あとには私一人が残る。

 3LDKの高級マンション。その無駄に広い場所に。


 私の父はどこぞの大学のお偉いであり、同時にどこぞの会社のお偉いであった。

 実家は大きく、広く、美しく、豪華で。

 家にはお手伝いさんというのもいて。

 お洋服はそこそこの高級ブランド。

 ほしい物はたいてい与えられる。


 ようするに、私は。

 金持ちの一人娘というやつだった。


 パパはまじめで温厚っぽい人。

 言われたことは受け流しているようでいて、すべて受け入れそして租借して排出する。

 ママはいい加減で適当な人。

 言われたことは耳に入らず、自分の言葉のまま排出する。

 派手なママは友達と好き勝手に。

 大人しそうなパパは愛人と裏でしっぽりと。

 それでいてふたりはそれ相応に仲良くうまくやっている。

 誤解なきように言っておくと、私は両親ともに嫌いではない。

 それなりに善人でそれなりに悪人。

 私が思うにはごくごく普通の人、だと思う。


 そんな家庭環境の私だけど自由はあった。

 富豪――なんて洒落た言い方は似合わないけど――に生まれ。

 そういうパーティー的なものとか、お嬢様お坊ちゃん学校に通ったりはしていたけど、習い事を強要されたことも特には無かったし。

 好きに、好き勝手に生きてきていた。

 ただ風向きが変わってきた時があった。

 私が十六歳になったときの話だ。

 『結婚』という話が出てきた。

 跡取りのいないこの家に、優秀な男子を迎えたい。

 余所の男を婿養子として迎えいれる。

 ニュアンスとしては政略結婚とかそういう物か。

 そういう家庭で育ったとはいえ、そんな旧時代的な代物が出てくるとは思っていなかった。

 その時はいくら結婚が可能な年齢とはいえまだ高校生だと言うことで流れた。

 それはつまり、高校生でなくなったらということ。

 大学生だって学生だけどとは思ったけど、現社会的に高校まで義務教育みたいなものだし、一応世間体とかそういうのもあるかもしれない。

 ともかく私は、そういう現実が待っているのだと理解した。

 それでもそれからの高校生活も変わらずに過ごしていた。

 友達と遊んだり、学業に片手間に精を出したり、あとは好きなことをしたり。

 それから、それなりに仲が良かった同級生と付き合ったりもした。

 その時にだいたいのはじめてというのはあげてしまった。

 ただその彼との関係もなんだかよくわからないけど、終わってしまった。

 その当たりの理屈は彼に聞いてほしい。

 ほんとうによくわからないから説明のしようも無い。



 初めての恋人との関係も終わり、そのまま学生生活が終わろうしていた。

 その時に件の話はおそらくは予定通りに立ち行った。

「きみに紹介したい人がいるんだ」

 実の娘を君と呼ぶパパが、そう言って連れてきたのが私の結婚相手だった。

 年齢は当時二十五歳。

 黒縁の眼鏡をかけた理知的で同時に冷たい印象を受ける人だった。

 一目でわかったのは、私はこの人のことを好きになれない。

 それから、この人も私のことを好きになれない。


 だって、この人は私と同類だから。



 /



 彼は単純にパパの恩恵がほしかった。

 私は、どうでもよかった。

 そういうひどく後ろ向きな理由で私たちは夫婦となった。

 夫婦としてすべきことは基本的にはひとつだけ。

 夫婦であるということを認めること。

 それ以外にはない。

 いちおう夫婦として夜の営みも行っていた。

 単なる子作りの性交渉以上のものではなかったから、大して良くもなかった。

 もしかしたら夫は下手くそだったのかもしれない。

 もしかしたらというか、私の以前の相手と比べたら確実に下手だ。

 ともあれ私も夫も外面は良い。

 私と彼、両方の親の前では仲の良い夫婦となっていたことだろう。

 実際は……まあ、あんな感じ(・・・・・)だ。

 それでも普段は、主婦らしいこともしている。

 ああ……してやってるって言い方しても良いかもしれない。

 誰に対しての上から目線かはよくわからないが、少なくとも自分のためにしていることではないから。

 炊事洗濯家事、お嬢様育ちではあったけど、どれもそれなりには出来た。

 それというのもうちのママがその方がモテるといって私に教えたから。

 女としてのスキルを身につけさせると言い換えるとそれっぽいけど、実際には単なる自分の趣味、とママは言っていた。

 そうして結婚して同居して、一ヶ月ぐらい。

 当たり前のように「羽伸ばしてぇ」となった。

 夫といると息が詰まるのだ。

 こんな関係なんだし、「週末ぐらい好きにして良い?」と聞いたら夫は首を縦に振るだけだった。

 首肯という言葉が私はなんとなく堅い感じがして、小説とかで出るたびに違和感を覚えていたのだけど、『おぉ、これが首肯か』と思った。


 そうして週末は自由になった。

 親が来るとかそういった何かしらの用事はあるので、完全な自由にあいているということは少ないけれど、それでも解放される時間があるということは素晴らしいことだった。


 /



 私は数ヶ月前まで着ていた高校の制服に袖を通した。

 何となく新鮮だった。

 あと、我ながら変態だと思った。

 そこには様々な意味はあるけれど、どう言っても変態以上の説明は蛇足に過ぎない。

 そうして飛び出したのは金曜日。

 週末とは土日を指すのだろうが、私の辞書には決戦は金曜日という言葉が載っている。少し古い歌でそんなのがあったからそこからだろう。

 そこで私はただひたすらにふらふらして、同じくふらふらしていた(ただし飲酒的な意味で)信治くんと出会い、泊まらせて貰う代わりにセックスをしたのだった。


 さて、私と夫には共通項がある。

 それは『ズレている』こと。

 他人との感覚に差異があるという意味だ。

 私は高校の時に付き合っていたときにあげなかったはじめてがある。

 それは後ろの穴だ――とか、そういう下ネタはおいといて。

 それは“好き”という感情、つまり初恋というやつだ。

 実のところ、私は生まれてこの方好きという感情を抱いたことがない。

 正確には人に対して、好きという感情を抱いたことがない。

 私だって猫は好きだし。

 デヴィットリンチも好きだ。

 あとワニは嫌いだ。

 でも、そういうのではなくて他人に対して、好きとか嫌いとかいう感情を抱くことがないのだ。

 喜怒哀楽とかそういうのはあるのだけど、それは起きた出来事にたいして抱く感情で、個人に対しての感情ではない。

 私なりに考えてみたところ、私には他人に対する興味が無い。

 他人のことも自分のどうだっていいのだろう。


 セックスは好きだ。

 とりあえず、キモチイイことは良いことだ。

 人間という物をどうでもいいと思っている私だ、セックスするぐらいはどうってことなかった。

 ただ誤算だったのは相手は人間ではなくて野獣であったことだった。

 信治くん(あの男)はちょっとヤバかった。

 前に付き合っていた彼氏はは高校生の子供だったからかもしれないけど、初々しい感じだったし、夫は言わずもがな。信治くんはそういう遠慮が一切見当たらず、ほんとに欲の赴くままにガンガンくるのだ。

 それがすごくいいとか思ってしまって。

 自分はもしかしたらMかもしれないと思ってしまった。

 ……いや、多分違う。

 悪いのはあの野獣なんだ、きっと。

 それでまあ、私もハマってしまい。

 その後ずるずると関係を続けていた、というわけだけど――


「潮時かねぇ」

 その信治くんに彼女が出来たらしい。

 となればいつまでも身元不明の美少女とただれた関係を続けることもないだろう。

 自分で言うのも何だけど、相当イケてるからもったいないとは思うけど、身元不明のマイナス感が強すぎる。

 だいたいそれ以上の関係ではないわけだし、しゃーないといえばしゃーない。

 もう終わりかと思うと、少し名残り惜しく感じた。

 それは彼とのセックスが出来ないだけじゃなくて、ほんとどうでもいいやりとり。たとえデヴィットリンチを全否定された時とか。

 私にとって誰もがそうであるように、彼も嫌いではなかった。

 だけど、私が知っている人間の中では一番嫌いじゃない、一番好きに近い存在だ。

 それは彼が薄っぺらくって弱っちくてと、実に人間くさかったからだ。

 それだけだと酷い異様なので、なんだかんだでやさしくしてくれるという部分もいちおう付け加えておこう。

 信治くんにはともかく恋人さんに申し訳ない。

 ただ好きに近くはあってもそれは恋とか愛とかそういうものではない。

 実に惜しかったね信治くん。


 でも、もし。

 もしもの話だけど――。

 信治くんと普通に会えてたら。

 クラスメイトでも、会社の同僚でも、友達の友達でも。

 あるいはどこかで運命的に出会ったでも。

 そうだったなら――。


 バルコニーで手すりに体をもたれて、手の中で携帯電話をもてあそぶ。

 とりあえず信治くんに連絡をとろう。

「でも、こゆときは、なんて送るべきかね」

 こういうちまちましたのは嫌いだから、なんて書けば良いか困る。

 電話をしてもいいけど、やめるつもりだった信治くんが、私の声を聞いて「もう一回やりてえ」とか発情してしまってもかわいそうだ。

「んー、単刀直入に『やめっか?』でいっかな? いやなんか男らしくてやだな」

 一度打ち込んだ文字を消し直す。『やめっか?」が消えて空白になる。

「かわいらしく、それでいて禍根を残さず、けれどマイルドにほのかに奥深さを感じさせながら――って、なんじゃこれ料理か!」

 思わず一人突っ込みをしてしまう。

 溜息交じりに空を仰ぎ見る。

 空には鳥が飛んでいる。

 それなりな高さのこの場所では鳥が近くを通ってもあまり不思議もない。

「お前ら自由か? 私は自由だぜ?」

 まあ、自由で良いってこともないけど。

 地上は遙か彼方、空は目の前に。

 はてさて、私はいったいどこに?

 そんな詮ないことを考えながら、ケータイを弄ぶ。軽く手の中でお手玉させてみたり、ぶらぶらしたり、回してみたり。

 鳥が雲一つ無い青空を飛ぶ。

 ただそれだけで絵画のモチーフになる、美しい風景。

 私は、それを見ながら、考えているような、考えていないような。

 心ここにあらず。 

 そんな状態で弄んでいるのだから、


 手からケータイがするりと零れる。

 それがスローモーションのようにみえて。

 乱暴にどうでもいいもののように扱って。

 実際にどうでもいいものなのだけど。

 人間には反射神経というものがあって。

 何かを考える間もなく動いてしまうのだ。

 

 私は、柵の向こうが数十メートルなのも忘れて。

 手を伸ばして――

 それから身を乗り出して――


「あれ?」


 やばい、落ちるわ。

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