6.ミューチュアリィ・インコンプリヘンシブル(後)
そして彼女はまた猫のように俺にじゃれついた。
わかったような、わからないような。
まあ、こいつをわかろうなんて、どだい無理な話なんだろう。
ただ、俺こいつとそんな話したことあったっけ?
それに今さら気づいた俺だった。
「つうか、超今さらの話なんだけどさ」
「うん」
「お前って何なの?」
「香苗だけど」
「それは知ってる。それ以外のことだ」
だいいち最初はカッコカリだったし。
「あ、そういえば言ってなかったね。それなりの付き合いになってるからすっかり忘れてた」
出会ってから数ヶ月、体の関係だけなら相当に深い。
実に“それなりの付き合い”だった。
「俺はお前が学生なことぐらいしか知らん」
「あ、私学生じゃないよ? 主婦」
……こいつ今なんて言った。
「もう一回言ってくれるか?」
俺は思わず体を起こしてしまう。
暗闇の中には猫がいる。
自分勝手で気まぐれで、じゃれて甘えて
それなのにふいにそっけなく
猫はいつもみたいにまあるい目でもって俺を見ている。
「だから学生じゃなくて、旦那モチのヅマヒト」
なんで業界用語なのかとか、気になるがそこは問題じゃない。
「ちょっとまて、整理するから」
「いやあ、自分で言うのも何だけど、たぶん整理できないと思うよ。そりゃ毎回制服着てくれば勘違いもするよね」
まさにその通りの勘違いをしていた。
っていうかヅマヒトが何故泊まるところをほしがる、というか何故制服を着た?
整理のしようが無い。――しようが無いが、最初から問題を考えていこう。
「まず最初から行こう。主婦であるお前は何故制服を着ていた? というかそもそもお前はいくつなんだ?」
「十九歳。ちょっと――っていってももう数ヶ月だけど――その頃までは高校生やってましたよ?」
「それじゃあもう学生じゃないんだな?」
「そうだね、これで信治くんも淫行条例におびえて緊張感に満ちたプレイも出来なくなったね」
そんな精神的マゾヒズムは俺にはない。
確かにちょっと不安はあってそれは解決したけど、どうせ買春で犯罪には違いないじゃん? 代わりに不倫とかいうのが付くだけだし。
それはこの場では置いておいて、去年まで学生やってたのだから、外見的にその年頃と大差が無いのは当たり前だった。
「それでまあ、なんで制服なんて着てたかって言うと、正直気分としか言えないんだよね。
そんなの言ったら信治くんはなんでそんな気分なんだよって言うんだろうけど」
「ああ、そうだな」
どんな気持ちになったら卒業してから制服に身を包みたくなるのか。
さらにエンコーもとい売春なんぞなんでそんな格好でしたのか。
いや、そもそもの話だ、出会った日は売春行為だったのか。
思い返してみる。
初めて会ったときのことを。
酒の入った曖昧な記憶。
駅前で出会った香苗。
彼女は「セックスしていいから泊めてくれ」と言った。
それを俺は売春と受け取った。
けれど、香苗からしてみたら、そのままの意味だったんじゃないか。
たぶん、そう考えた方がしっくりくる。
「……そうすると、俺はなんでお前に金を払ってるんだってことになるな」
「なんでそこにたどり着いたかはわかんないけど、その疑問にはいつか突き当たると思ってた」
あはは、と誤魔化しの空笑い。
「だったら、最初から言えよ、いくら俺が金の使いどころも大して無いやつだったとしても、安月給の派遣社員なんだぜ? あるには超したことがねえだろう!」
香苗に対する恨みは何もないが、必要ないぶんを払っていたのだとしたら……なんか釈然としない。
「いやほんと悪いねえ」
全く悪気無いな、このアマ。
なんだか、いろんなことほっぽっといてコイツをヒイヒイ言わせたくなってきた。
――とか考えるとまた少し高ぶってしまう。
言われあらためて観察しても、香苗が学生ではないという明確な部分はない。
あえていえば胸だが、数ヶ月で肥大化するわけもないだろう。
そう考えると、これを毎日拝めた奴らがうらやましい――いやちがう、元から発達していたのだろう。
「ねえ、なんで今度はおっぱいガン見してるの?」
「いや、お前がほんとにオトナの女かを確認してるんだ」
いや、ほんと、でかいし形も良いし、感度も良いし、最高だ。
「仕方ねぇ奴ですな……ねえ、もっかいする?」
目を細め、こびた笑み。誘う表情。
俺は迷う。
ぶっちゃけ今すぐ揉みしだきたい。
だけど、香苗のよくわからん事情を放ったままでいいのか。
いや、そもそもそんな状態で起つなよ俺。
「どーせ話せば長くなるから、説明めんどいもん。だからそれはその内ね」
香苗は俺の葛藤をあっさりと看破しそれから踏破した。
だったらそんなんすることは決まっていた。
「きゃっ♪」
俺に覆い被さられ、楽しそうに悲鳴を上げて俺を見据える。
変わらない、まあるい目。
引き込まれていく。
だけど、それでも。
俺たちはけして恋人じゃない。
ふれあいたいと思う。
だけど、心はいらない。
快楽があれば良い
他人の心なんてわかるわけがない。
わかり合えるなんて、妄想だ、幻想だ。
知った風なことを言われたくない。
知った風なことを言いたくない。
だから、だから、
香苗との関係は心地がいいんだ。
そう、知る必要なんてないんだ。
香苗がどこの誰で、どんなことしてるかなんて。
だけど、だけど。
/
俺が田中さんに正式におつきあいの申し込みをされたのは。その次の日だった。
俺が香苗と励んでいる時に、お誘いのメールが来ていた。
いつものことたけど、田中さんはタイミングがあまりよろしくない。
最中に連絡されてもケータイなんて確認するわけ無い。
そんだけ俺が毎週毎週香苗とやりまくってるとも言えるがそれはしようがないことにする。
翌日誘いにのった俺は、田中さんのふたりは車で出かけた。
彼女は免許を持っていて、それで時々出かけることもあった。
車は親のだ。運転自体がそれほど得意ではないらしく、運転中は妙に背筋が伸びて普段から寡黙な彼女がほとんどしゃべらなくなる。
よくその辺を走っているエコカーは、まだ新しいらしく、傷でもつけたら大変なことになると彼女は毎回ビビっていた。俺はそんな彼女の横顔を視界の隅に入れつつ、毎回目的地への風景をただ見ているだけだった。
けれどその日の彼女はらしくもなく言葉が多くて、しかも方向性が全く見えないどうでもいい話だった。
目的地は知らなかった。
彼女が行きたいところがあると言ったので、俺はついていっただけ。
良くあることではあったけど、そのいつもとは明らかに違う彼女に俺は何かあるのだろうと感づいてはいた。
いつもより気持ち気合いの入ったファッション。
いつもならスカートなんてはかないのに、相当無理してるんだろう。
でもそれなりに似合ってはいる。
明るい色が似合わない、なんて田中さんはずっと思っていたに違いない。
だけどそんなこともない。
明るい色とか暗い色とか。
そんなことは好きにすればいいのだ。
そんなこと、女の子を買っていることに比べればささいなこと。
そうしてたどり着いたのは海だった。
浜辺におりるではなくて高台から見下ろす形。
シーズンは過ぎているが、波乗りさん達はいた。
それを含めても良い景色だと思う。
潮のにおいと強い風。
海の青と空の青。
おあつらえ向きだった。
そうして俺たちはその景色を眺めていた。
自分で言うのも何だが、おセンチな感覚は結構に持ち合わせている。
田中さんがいるのになんだが、元カノを思い出したりもしてしまった。
あのときの俺は確かにあの子が好きだった。だけど、思い返せばそうでもなかった気がする。少なくとも今は、根に持っているだけのだけのどうでもいい話。
あとは結婚したいとか言ってる武康のこととか、何でか知らないけど香苗のこととか。
隣にいる、一番近くにいる子のことは特に思い浮かばなかった。
だけど、それは心地が良いからかもしれない。
冷たくも熱くもない、空気みたいな。
それは悪い意味だけではないと俺は思う。
「あの」
田中さんが口を開く。
俺みたいに明後日の方向に頭は行っていない。
それどころか俺の方しか向いていない。
“それ”を言って結果がどうなるのかと、怖くって逃げ出したくて、それでも精一杯でもって。
その熱意、どっかのべた惚れな彼女(本人談)にプロポーズできない奴にわけてやってほしい。
「付き合ってください」
自分のすべてをはき出すように、叫ぶ、
叫んでいるのに声は小さい。
波の音に風の音にかき消され――それがなくても声量は酷い。
でも思いは伝わる。
彼女は俺のことを知っている。
俺の表側を知っている。
深い芯までは届かない表層。
だけど、その表層だけならすべてを知り尽くしている。
例えば元カノは俺のすべてを知っていたか?
答えはそんなことはない。
表も裏も知っているけど、どれもが浅い。
そうして勝手にテメエの都合で、フケてった。
それに比べれば田中さんは俺を知っている。
それが田中さんにとっての真実。
その真実でもって彼女は俺への強い思いを伝える。
きっと、それはそれでいいんだろう。
――それじゃあ、
――例えば、
――香苗は?
一瞬脳裏を宿った、表も裏も繋がらない、だけどすべてを知っている女。
「あの……」
田中さんが俺の返事を待っている。
俺は、どうしようか?
/
「私にとってあなたってなんなのよ!」
昼ドラか二時間ドラマでしか聞かなさそうな、上っ面をなぞったような台詞。
こんなこという女がリアルに存在するのだろうか。
こんな風に相手に依存するような女は……いないことはないんだろうけど。
とりあえず今口にした奴はそんなんではない。
「それ楽しいか、香苗?」
本人の弁を借りれば雇用関係にある香苗は、それっぽい表情を作っていたが、俺に聞かれるとすぐに緩く崩した。
「うーん、それなりだね。冗談でなら口にしてもいいレベル」
それは『それなり』ではなくて『あんまり』だ。
「それで田中さんとセックスはしたの?」
「お前は前もそんなことを言ってたな。そこはこだわるところなのか?」
「べつに。でもなんとなく気になるところじゃない?」
知り合いに恋人が出来てヤったかどうか、そんなことをいちいち気にするほど性的な好奇心旺盛な中学生でもない。
だいいち気になったってそんなこと面と向かって聞かないだろう。
「まっ、どうでもいいんだけど」
ほんとにどうでも良さそうだった。
先週俺は田中さんに告白された。
いろいろと思うところはあったが、断る理由もなかった俺はそれを受け入れた。
そこに好意が存在するのだからそれでいいだろう。
そうして俺たちは恋人同士となった、
……らしい。
その辺のことを香苗に説明していた。
いつも通りに香苗とおもいっきりセックスをした後に、である。
いつもと何の違いも無く。
がっちりとガンガンと。
もしかしたらいつもより激しかったかもしれない。
その行為ってのは、もしかしたら、もしかしなくても――。
「――それって浮気じゃない?」
もっともすぎる香苗の発言だった。
交際相手がいるのに別の相手を抱く。
それはたぶん浮気だ。
もちろん雇用関係に基づくものであり、愛情行為ではなかったとしても、だ。
「……知らぬ」
事後における今としてはこう答えるしかない。
事前においてもこう答えたかもしれないけど。
「ふーん」
俺の消極的な反応に香苗は薄い反応を示し、
「まあ、いっか」
最終的にはそう結論づけた。
こういう反応の薄さにコイツと社会性というヤツに対しての隔たりを感じる。
俺もそうだけど、コイツも当事者に値する話だ。
それなのに『まあいいか』ですませてしまうという神経。
逆の立場であれば、そうは出来ない。少なくとも俺ならば。
「まあ、今後のことは信治くんに任せるよ。私からはまた今度連絡するけど――」
もう無理でしょ?
暗にそう語っている。
それが一般的な結論だろう。
俺は、どうしようか。
ほんとなら悩む必要なんて何も無い。
結論は最初から出ているようなものだ。
それなのに、俺は返答を渋ってしまう。
今この場で出せるはずなのに。
香苗はわかっていて返答を先伸ばしにして、言葉を濁して。
そんな感もある。
真相は不明。
明確化する必要も無い。
「……それにしても、人生ってなんなんだろうね」
前後もなく、唐突に香苗がつぶやく。
「なんだよ、それ、この前の哲学的ってやつか?」
「あー別にそれでも良いよ」
他意がありありだった。
でも今の俺はその他意を引き出すのがめんどくさくて、それよりも来週からこいつとのことをどうしようかとか、そんなことで頭がいっぱいで。
あとセックスによる心身の疲れで、めんどくさくて、俺は瞼を閉じる。
そうして意識が落ちる直前に、こいつのいろいろを聞き忘れたことを思い出し。
結局そのまま寝たのだった。




