5.ミューチュアリィ・インコンプリヘンシブル(前)
相も変わらずやかましい。
いつも通りの機械の稼働音と、エラい人の怒鳴り声。
右から左へ受け流そうとするが、脳を経由する時にノイズとなり残ってしまう。
機械の音はいい。
それは仕方が無いことだ。
俺たちはそれが仕事なのだから、それぐらいのことは受け入れる。
だから、問題は。
なんでこのおっさんはこのクソ忙しい中で説教とかいうクソどうでも良いことで時間つぶしてんだよ。
「なあ、高木」
「なんだよ?」
「正社員って大変なんだぜ」
「へぇー」
タバコを吹かす。
肺に入ったニコチンが、なんとも嫌な感じで良い感じだった。
「残業代つくけどタイムカード打たされるから実質支給されないんだぜ?」
俺はほぼ定時上がりだ。
「上司が仕事終わんないから俺がやる羽目になるんだぜ?」
俺は流れ作業だから、トチらなければなんにも無い。
「クソ生意気で頭が悪いガキと常識がねえ上にマトモだと勘違いしてるババアを教育しなかならないんだぜ?」
俺は無関係――ではないけど、そこまでは関係ない。
「それが正社員。そんな素晴らしき正社員、どうだお前もならないか?」
「嫌だ」
「……だよなあ」
今までの話を聞いて、正社員っていいなってなると思う奴がいるのだろうか。
それはおいといて気になるのは、
「何で急に正社員とか言い出したんだ?」
今までそんな話をしたこともなかったのに。
「前述の事情により俺のストレスが限界突破五分前だ。だからお前が同僚になることで少しは俺の負担が減るかと思った。以上」
「五分か、じゃあ一服終わる頃には突破してるな」
「……そうだな」
いちおう冗談で言ったのだが、笑えないあたりマジできついらしい。
ただこいつがこんな状態になるのも初めてのことじゃあない。
どこの業界もそうだが繁忙期というのがあり、現在この会社はまさにそれの渦中にあった。
だからその内落ち着くだろう。
もしくはコイツがぶっ壊れるか、だが。
俺たちはいつぞや俺が発見された、構内の端にいた。
俺と武康だけが利用する喫煙スペース(ただし本来は禁煙)だ。
俺は基本昼休憩の間ここにいるのだが、武康はいたりいなかったり。俺とは違い付き合いもあるらしいし、仕事があったりもするらしい。
ぶっちゃければ、いないほうが静かでよろしい。
しかしそんな風に考える友達がいのない俺でも心配になるぐらいには、武康は疲労している。
見ればわかるし、頬なんかあきらかに痩せこけている。
「がんばれ社畜」
「ぉう」
がんばって言ってみた感がある、とても小さな同意だった。
「しかし、そこまでして正社員というものであり続けたいのか?」
むち打つようなことをするのも気が引けたが、気にはなった。
俺も以前は正社員として働いてはいたのだが、いろいろとあって辞めてしまった。
そうしてふらついてるのもなんなのでと、なんとなく働いて今に至る。
実際のところ、俺と武康には稼ぎの差もそれほどない。
けれど業務における扱いは雲底だ。
こうして死にそうになっている奴を見ていると申し訳ない気持ちもなくはないのが本音だ。もちろんほんの少し気づかう以上の行動をするつもりはない。
将来の話は俺からは見えてこないが、そんなでも続けていけば良いことでもあるのだろうか。
「微妙だな」
俺の疑問に対して当の本人からも曖昧な回答。そんな気はしていた。
「長くつとめれば良くはなると言うけど、実際に五年持たない人間が多いからなこの会社」
「どこもそんなもんだよなあ」
「ただ俺にはいちおう世間体というのがあるんだ」
「世間体?」
「ああ。ほら俺結婚しようかとか思ってるわけじゃん? 彼女が良いって言ってくれたって、親御さんのこととか考えるとプーじゃな」
そもそも、俺の知っている女というのはそれ以前に年収とかで判断する、クソのようなのばかりなので、そう思える時点でこいつは幸運だと思う。
「向こうの親とは会ったことないのか?」
「いや、めっさ親しいけど。でも、だからこそその辺しっかりしとかないと」
「そか」
つか相手の親とめっさ親しいとかどんなんなんだ、コイツは。
「お前だって田中さんとつきあうのに、今のままでいいのか?」
話題を逸らすつもりもないのだろうけど、そんな風に武康は言った。田中さんとか言うなんかすげえめんどくさい話になりそうだった。
「なんで田中さんが出てくるんだよ」
「最近田中さん明るくてなんか評判良いぞ。お前ら、付き合いだしたんじゃないのか?」
「知らん」
それは知らないが、確かに明るくはなってきた。
身だしなみも清涼感を持ちながらも派手目なものになり、外見的な雰囲気も変わった感もある。
とはいえひいき目に見て“ちょっとかわいいかもしれない”であり、ひいき目なしに見れば“ふつう”である。
「知らんってお前……いやいいわ。若いもんは若いもんにまかすわ」
言って武康は新しいタバコに火をつけた。
面倒にならなくてよかった――けどお前誰だよ。
/
――俺と田中さんは付き合っているか?
俺は武康に「知らん」と答えた。
それでは実際のところはどうかというと、答えは同じだった。
つまり俺と田中さんの関係というのはとてつもなく曖昧だった。
デート、と呼んで良いのかはしらないけれど、香苗に言われふたりで映画館に出かけてから田中さんは変わった。
武康が言っていたように明るくなったのだ。
それに俺の影響がないといえば嘘になる。俺は別に明るくて元気な子がいい、というわけでもないけど、陰険な子とどっちがいいかと言われたら前者を即答する。
そんなわけで、一緒にいたときに服装をああだこうだと多少口出ししたり、彼女は俺に気があるので、どういう好みなのだとか聞いてくれば当然彼女の本来のベクトルでない方に向かう。
だから俺の影響はある。
――けど、それだけじゃなくて彼女自身がそういう変化を受け入れられるように変わったように見える。
出かけるときに俺が誘ったのは最初だけで、その後はだいたい彼女の方から誘ってくるようになった。
元々の彼女からすればらしくもない行動に、何か悪いものでも食ったんじゃないかと思ったけれど、まあそれはそれで。
いったい彼女に何があったのか、俺にはわからない。
ドラマや漫画じゃあるまいし、恋愛で人が変わるとは思わない。
いや、そういう人がいないとは思わないけど、俺に対してのそんなんで変わるとは思わない。
あんな遊戯みたいな付き合いで変われるのは高校生までだろう。いや、いまどきじゃ中学生が限界かもしれない。
ともあれ、だ。
俺と田中さんの関係はそれからどうもなっていない。
お付き合いを前提にお友達という話だったから、今はもうお付き合いになっているのかもしれない。
でも、俺としてはただ一緒に遊んでいるだけの感覚だ。
普通結婚を前提にお付き合いだって、プロボーズを経て結婚となるはずだろうし。
同じような感じであれば、お付き合いに発展するもの、ようは告白とかがあるはずだがそういったものは無いし。
俺としては……どっちでもいい。
田中さんが進展を望むのならそうすればいいし、このままでいたいならそうすればいい。
彼女との関係は心地が良い。
曖昧でうわべをなぞるような深い関係。
触れているのに触れていない。
どこまでいっても非接触で。
どうあがいたって、けして芯まではつながれない。
それは、“猫”と戯れている感覚に近いものがある。
いつも通りの週末。今日もまた猫と戯れる。
俺と田中さんの関係が変わっていないのと同じで彼女との関係も変わっていない。
『メシ時々セックスまれにレンタルDVD』
それぐらいの関係だ。
毎日がただ過ぎていく。
そこには苦痛が多数をしめている。
人との関わりに仕事のあれこれ。
それから自分のふがいなさ。
いつだってまとわりついているそれをいつだって見ないようにしている。
だけど、そんなのがあるというだけで不快ではある。
それが、セックスをしているときは感じられない。
そりゃそうだ、キモチイイんだから。
快楽に余計なことはいらない。
多大なる現実逃避、偉大なる現実逃避。
セックスの後のまどろみ。
本来であれば甘い時間。
俺と香苗の間にあるのは……なんなんだろうか?
「なあ、俺たちってなんなんだろうな?」
「おぉ……」
変なうなり声が聞こえた。香苗が『ザ驚愕』っていう表情をしていた。
「信治くんが哲学的な発言をしている……」
「いや、哲学的じゃねえだろ」
「つっこみどころがそこなあたり分をわきまえてるね」
「うるせえ」
「信治くんのそういうとこ嫌いじゃないよ」
まったくもって好かれたいポイントではない。
「で、質問に答えるけど、何って人間とかそういう話じゃないよね?」
「関係性の話だ」
「関係性ねえ。また小難しい言葉を引っ張り出してきて。まあいいや、関係は……雇用関係じゃない?」
「雇用はしていない」
「それじゃあ――どうする? 買春っていうには付き合いが深すぎるし、セフレっていうには表層的すぎるよ」
表層的とはまた小難しい言葉を引っ張り出してきた。関係性よりずっと小難しい言葉だ。
「だけど、雇用関係じゃしっくりこない」
「あーもう、めんどくさいねえ」
頭を乗せている胸部にヘッドバッドを食らった。女とはいえ骨の硬さはかわらない。地味だが痛かった。
「私は面倒なことは嫌いなの。だから――」
俺に覆い被さり舌なめずり。
そうして香苗の唇と俺の唇が触れあう。
それから俺の唇と歯を、香苗の舌が強引に割り侵入する。
香苗の舌が俺の口内をまさぐる、歯茎をそれから舌を。
俺の舌を吸ったり、それから唇を舐めたり。
うねうねとぬめぬめと淫らに。
それは、やっぱり、キモチイイ。
「――こういう関係ってことで、いいんじゃない?」
顔を話した彼女は、淫らに艶やかに、朗らかに愛らしく。
笑った。




