ただしくは知らない
私には嫌いな人がいる。
その人は、暗くて、奥手で、後ろ向きで、
何をするにも自信が無くって、
一人が怖いのに、誰かも怖くって。
そういう人。
その人の名前は『田中道子』。
私の名前だ。
「道子あんた最近どうしたの?」
食事中にお母さんが私の顔を見て言った。さっきまでお隣の筧さんの話をしてたから、急な転換だった。
「どうしたって、何が?」
「いやさ、あんた最近妙に明るいのよ、あんたらしくもなく」
わざわざ倒置法まで使って、らしくなさを伝えなくても良いのに。
「……気のせいじゃないかな」
「違うね、気のせいじゃないね、生まれてこの方ずっとあんたを見てきた母をなめないでね」
「そんなことないよ」
「アタシこそそんなことないと言いたいね」
見事なしたり顔だ。
私のお母さんは私とは性格が真逆だ。
明るくて、外交的で、前向きで。
そういうお母さんのことが私は苦手だ。
嫌いなんてことはなくて、むしろ大好きだ。
だけど、お母さんを見ていると私がどれだけひどいかが気になってしまう。
「……その、ちょっと、友達が出来ただけ」
私は強く言われると拒否が出来ない。それに友達が出来たぐらいを言ったところでお母さんでも、話を広げようもない。
「そうか、オトコなのね」
……広げられてしまった。
「いや、その、ね?」
反論をすればいい。
だけど事実としてお友達は男の人で。
――実際に私の好きな人だ。
「あれあれあらあらまあまあ、思わず『あ』がいっぱいになっちゃったわよ」」
それはどうでもけど。
「花のない人生を送ってきたと思ってたけど、ここにきてやっと、やっと、やっとですよお父さん!」
お母さん……お父さんはまだ会社から帰ってないよ。
盛り上がっておかしくなっているお母さんに私はどうしたらいいのかわからない。
そうなればいいとは思う。
『もし』を想像すれば、体は熱を帯びてらしくもなく、浮き足立ってしまう。
だけど、どうせ私じゃ駄目だと思う。
だって、“私”だから。
その思いは、ずっと心にある。
だから浮き上がる心の底にはいつだって重しがつけられていて……。
お母さんはまだ盛り上がっている。
私は困ったみたいな笑顔を浮かべたままで、内に巣くう虫は表にはだしたりしない。
鈍いお母さんはそんなことには気づかない。
そんなお母さんだから私は苦手で、大好きなのだ。
/
私に出来た新しい友達、高木信治さん。
友達で……それから私の思い人でもある。
彼は職場の同僚だ。同僚とはいっても、部署も職種も違い、会社も違う。
だから接点はほとんどゼロに等しい。
そんな私がどうして彼のことを知ったかといえば、たまたま自動販売機で会ったから。
そのときの私は持ち前のネガティブでもって、犯したミスにすっかり落ち込んでいた。
さらに気分転換に買ったコーラを落としてしまった。盛大に転がるコーラ。炭酸飲料を転がしたらどうなるか、子供だってわかる。
そこにたまたま買いに来たであろう高木さん。
彼は私のそれと、自分の分を交換してくれたのだった。
たぶん、私に同情してくれたのだと思う。
知り合ってわかったことだけど、彼は十人並みの、けして諸手を挙げて褒めることが出来るような善人ではない。
多少粗暴なところはあるがごくごく普通の人だ。
自分が嫌いな沢山なところのひとつに、負のオーラを振りまいてしまうというのがある。
だから、あの時の彼はそれを受けてそうせざるをえなかったのだと思う。
彼はそのことをたぶん覚えていないだろう。
それぐらいの客観的に見れば“どうでもいい”やりとりだったから。
でも、そのときの私はすごく嬉しくて、舞い上がってしまった。
それから、かろうじて知っていた、彼と同じ部署にいる内海武康さんの協力でもって、私は彼に交際を前提にした友人関係を申し込んだのだった。
一足飛びでお付き合いを申し込めれば良かったのだけど、交際経験なんてあったわけもない私には出来るわけもなかった。
この中途半端に一歩下った申し込みだって、私からしてみれば清水の舞台――いいや、それどころか、エベレストから飛び降りるぐらいの勢いだった。
結果OKをもらえたのは何かの奇跡にしか思えなかった。
それから私と彼とはメールのやりとりをするようになった。
かわいらしいデコメも出来ないし、面白いことも言えない。そんな私のメールは業務連絡のようだと友達に言われる。
高木さんに送るときもそのままで、努力を試みようとはしたけど、私自身どうにもしっくりこずにいつも通りに送ってしまっている。
――どうせ私とやりとりするなんてすぐに嫌になるだろう。
そんな彼に対する思いもある。
自覚ぐらいはあるけれど、私のこの思いは恋ではない。
これは恋に似せた何かだ。
自分の中でつくった彼というものに思いを集めて、崇拝しているような。
それは彫像に恋したピュグマリオンみたいなものだ。
だけど、作られたものでも思いがあるというのはほんとうで。
私にだってそういう思いに対するあこがれはあって。
似た何かであったって、その思いを抱いているということが嬉しいという気持ちがある。
「……メールだ」
お母さんから逃げ出して部屋に戻った私。
机の上に置かれていた携帯電話のランプが点滅し、メールの着信を示していた。
少し胸が高鳴る。
もしかしたら、と思う。
たぶんそうだ、と思う。
選択肢が少ないことがこの時だけは嬉しく思う。
そうして携帯を確認すれば、期待通りの人からだった。
『今日はどうもありがとう。映画楽しかったよ。また今度どこかに出かけよう』
知らず頬が緩んでいた。
内容は彼からしたらおそらくは社交辞令で、無味乾燥気味だった。
だけど、それでも私は嬉しかった。
私といることを否定しなかったのだから。
今日私は高木さんとふたりでお出かけした。
なんと彼の方から誘ってくれたのだ。
ふたりで流行りの映画をみた。
内容はよく覚えていない、たぶんハッピーエンドだった。
男と女がふたりで遊ぶとか、それはもう、なんというか、でぇとと呼んでいいのではないか。
少なくとも一般的にはそう言うような気がするのだけど……高木さんはどう思っていたのだろうか。
単に暇だったから誘ってくれただけだったのか、それとも少しくらいは私に好感を抱いてくれているのだろうか。
わからない。
わからないから、悩ましい。
――だけど少し嬉しい。
だってドラマや漫画の中でしかお目にかかれそうになかった、こんな心の機敏を自分がすることが出来るなんて。
そんなこと夢にも思わなかった。
――例えばそれが、勘違いの上に錯覚であったとしても。
携帯電話のキーに指を触れ、返信の文章を考える。
こちらこそ、と打ち込もうとして少し思案する。
勘違いの錯覚、それはそうなんだろう。
そうなのだから、だから、そのままでやってみたらどうなるだろうか。
そのまま、というのはこの浮ついた心をそのまま文章にしたためる。
正直言っておそろしい。
高木さんだってどう思うか。
暗い女がいきなりキャラチェンジしてテンション高くなったらどん引きするだろう。
その辺のさじ加減。
難しい。
だけど――
私は返信を送る。
文面は結局私としては気持ちテンションが高めで、客観視したらそうでもないという実に中途半端なものだった。
それでも、『私』は一歩進んだと思う。
それだけでも彼と出会えて良かったんじゃないかと思った。




