3.メランンコリィ・リレイションシップ(前)
「紹介したい人がいるんだけど」
そう言って武康から聞かされた名前は田中道子。
地味な名前だった。
キラキラネームだなんだと言われるこの時代に、そんな名前を聞くとは思わなかった。
「それでその田中さんがどうしたんだ」
「お前に気があるらしい」
「そいつは……酔狂な奴だな」
「俺もそう思う」
俺がアレな人間であるとは自他共に認める事実だった。
そうして俺は田中道子と出会った。
「えっと……こんにちは、高木さん」
「ああ、はい、こんちには。高木です」
ちなみに仕事が終わった後で俺は会っているので、こんばんわが正しかった。
田中道子という女はとても地味だった。けしてブスであるとかそういったわけではない。
どちらかでいえばキレイに分類されるところだが、あくまでどちらかでいえばである。平凡というのが一番近いところだ。
ただその地味さが彼女にある陽の部分を奪ってしまっている。
陰気というほどではないが、陽気ならばそう言ってしまうことだろう。
長い黒髪はカラスの濡れ場と言っても間違ってはいないぐらいのものだったが、それも地味さを増す材料としていた。
かけた眼鏡のフレームも遊びの無い黒縁のもの。仕事終わりなので仕方が無い部分もあるが、服装も紺のタイトスカートとベストにブラウス、野暮ったい深緑のカーディガン。
「それで、なんか俺は武康に話を聞いてここに来ることになったんだけど――」
俺に気があるとは、そもそもどこで俺を知ったのか。
聞けば話は単純、同じ職場だった。
とはいえ、彼女は事務の人間。俺とはほとんど接点は無い。正社員でちょっとだけ偉い武康は接点もあるが、なぜ俺なのか。
それも当人いわく、話したことがあると。
俺の記憶には残っていないのでそれは会話ではなく、伝達とか連絡とか礼儀とかそういうものだと思われた。
「あの、高木さん!」
「へい」
気合いの入った田中さん。ちょっと困惑気味で変な返事をしてしまった俺。
「……お友達からお願いします!」
斜め四十五度で右手を差し出した。頭はがっつり地面を見ている。
昔のバラエティーでこんなの見た記憶がある。まあ、それは交際のお願いなのだけど。
さて、どうしよう。
/
「それでその田中さんとはヤったの?」
うちの猫はそんな暴言をいきなり吐いてくれた。
仰向けになった俺の上には猫がまたがっている。股間を密着させ、上下に腰を動かして、そうして交わされるのは世間話。
「お前話聞いてたか? 田中さんは友達からっていったんだぞ?」
「えー、だって信治くん、私と会ったその日にヤったじゃん」
「そりゃお前がそれ目的だったからだろ」
ヤることが目的だったやつと、交際が目的のやつでこうも差が出るものか。まあ、どちらのケースも極端すぎるが。
「いやいやいや、ちょっと待ってよ、私は宿が目的、セックスはただの金銭」
咎めるように睨めつけ見下ろし、体の動きを止めた。
快感が緩んでしまう。
猫の感情の動きはよくわからない。
よくわからないが、とりあえすの今のところは、
「どうでもいいや――」
セックスをしたいのだった。
俺は|世間話(日常)を頭から追い出して、行為を終わらせるために自分からも動き出した。
俺には週末だけの飼い猫がいる。
費用は一日五千円。
猫の名前は香苗。
本人がいうには『香苗(仮)』。
先日俺が駅前で酔い覚ましにぼけっとしてた時に、セックスさせてやるから泊めてくれと言ってきた女子高生。
翌日俺がシャワーを浴びている間に諭吉一人とメモを残して消えたヤツだった。
俺はそれっきりだと思っていたのだが、そうでもなかった。
一時期多発していた非通知の電話。
最初に非通知解除後出た電話が業者だった。だから俺はもうそうだと思っていたのだが、鳴っていたので間違えで出てしまった電話。それは香苗からのものだった。
どこで俺の番号を知ったのかと言えば、俺のケータイを調べたと。
確かに思い返せば布団の上には財布とメモそれからケータイが置かれていた。
個人情報の管理はしっかりした方が良いよと、|実行犯(香苗)の弁。
今後は気をつけるようにしようと思った。
「……また野獣に犯されてしまった」
一個しか無い枕に顔を埋めて香苗がつぶやく。さらには「よよよ」と嘘泣き以外にはありえない鳴き声を付け足す。
犯してはいないが確かにそれぐらいの勢いではあった。
そうでないと、こっちが香苗に犯されそうな勢いだからだ。
この女は顔が良くて体も良くて、セックスも上手いという恐ろしい女だった。
「枕返せ」
布団は一つ、枕も一つ。布団はどうにかふたりでもくっつけば入れるが、枕は奪われると困る。
「うぎゅ」
だるま落としの要領で香苗の頭が布団の上に落ちた。香苗の口から苦悶のうめき声が漏れたが、なんかかわいかった。
「きちく」
涙目で頭をさすっているので、どうやらほんとに痛かったようだ。だがしったことじゃねえ。
「俺は女子高生買春っちゃうような奴なんでな」
「まあもっともだね、普通誘われたからって乗らないもんね」
心底面白そうだった。当事者には言われたくない。共犯者なわけだから。
「でも、俺もまさかそれが続くとは思っても無かったけどな」
「そうなの? 私はその気満々だったけど」
だからこその諭吉っつあんだったのだろう。
香苗からの電話の内容は、なかなか出なかったことに対する恨み辛みが大半を占めた。
それというのもお前が非通知にしたのがすべての要因だと思ったが、聞く耳持たなかった。
それはともかく、香苗の本題は「今週もヨロシク」だった。
要は諭吉を持って行ったのは前払いみたいなものだという。
同意も無く進めるあたりどうかと思ったが、そのときにはコイツ相手に文句を言うことの無意味さを悟っていた。
それから毎週末、俺はセックスするために、コイツは泊まるために。お互いの同意でもっての関係が築かれた。
ようは、援交だったのが金食い虫のセフレになったようなものだった。
「でも、もしほんとに信治くんが田中さんとセックスしたくなったら、遠慮無く言ってくれて良いからね」
「……お前が何を言いたいかわかった俺はすごいと思うぞ」
要するに、『彼女が出来てアパートに泊まりにくることがあるようなら、それを優先すれば良いから』。
これでも気を使っているのだろうか。
今さらすぎる気の使い方だった。
もしかしたら、俺じゃ無くて彼女になるかもしれない誰か(今回は田中さん)に気を遣っているのかもしれない。
だけど思うこと。
俺は彼女なんて作って、それでやってけるような人間なのだろうか。
彼女、というよりも、誰かと生きていけるような人間なのだろうか。
実際に元カノは俺を捨てていった。
逆の立場であったら、その選択を攻めようとは思わない。
俺はその程度の人間なのだから。
まあ、アイツもそんな俺に勝るとも劣らない人間だから、俺だってそういう選択肢はあった。
だけど先手を切ったのはあいつだった。同程度だった相手が優位に立ってしまった、そういう敗北感。
「あーはいはい、そうなったら考えるわ」
「だよねー、そうなることもないもんねー」
軽口の応酬。気安い間柄。
だけど俺とコイツの間にあるのは体の関係。
そう、脛に傷をつけている。
それが飲酒による気の迷いだったとして、コンプレックスによる苛立ちがあったとして、それから自分でつけたものであったとしても。
傷があることにはかわりはない。
けして血は流れ落ちはしない。
赤は、イメージの中。
真実はただの自己嫌悪による、ただの自己陶酔。
俺が認めていないのに、俺を認めるようなやつは、きっと存在しない。
正直、存在していたら困る。
/
俺と田中さんの関係は、友達だった。
『結婚を前提におつきあいしてください』
――の手前。
『交際を前提にお友達になってください』
そんな感じだ。
俺と田中さんの交流は、基本的にはメール。
仕事の時に会うこともあるが、それは仕事上のつきあいにも満たない、通りすがりの行き交いぐらいだ。
というかどうにも俺を避けているようだった。
どうやら恥ずかしいらしい。
そうしてメールという運びとなった。
今時小学生でも文字だけで交遊を深めたりはしないだろう。
また、失礼ながらそれがピュアであるとは本人の雰囲気からあまり思えないのだった。
酷いたとえになるが、かわいい女の子が好きな男の子を遠くから見ているのは純愛だが、陰気な女の子になるとストーカーに早変わりする。
残念ながら田中さんは、その酷いたとえが当てはまってしまうのだ。
重ね重ねだが、基本的な外見はそこまで悪いわけではないのだ。
もし彼女が親しい人間だったなら、ちょっと明るい服着て笑ってみれば? と言ってみたいぐらいだ。
『ペットは好きですか?』
非常に簡潔でおもしろみも無く、脈略も無い、ただし疑問系。
それが彼女から俺に送られてくるメールだった。
『猫は好きです』
はい、特に好きなのは、毎週寝床をともにする、金銭がかかる猫です。
などとはいえない。
猫が好きなのは嘘では無い。
昔飼っていたからだ。
でもそれも子供の頃の話。死んでしまった飼い猫の代わりなんて見つからないだろうし、見つけようとも思えなかった。
『そうなんですか、私も猫は好きです』
……と仰っても。
軽い気持ちで好きですとか送らなきゃ良かった。あえて言うならレベルの話なのに。
だが、ここでやめるのも申し訳なくさらに返信。
『ペットとか飼っていらっしゃるんですか?』
『飼ってないです。飼いたいんですけどね』
なんともリアクションに困る。相手が男でもここまで簡素なメールの応酬はない。絵文字も顔文字もないというのは、何か彼女なりの信念のもたらすものなのだろうか。
「――っていう状態なんだけどどうしたら良いと思う?」
香苗は例外なので俺が田中さんのことを相談できる相手は武康しかいなかった。
というか話を持ってきたのは武康なのだから、その辺お前もなんとかしてくれよ、と。
「知らぬ」
だが俺の助けを武康はばっさりと切ってしまった。
「おい、てめえ責任というものはないのか?」
「責任自体ないだろ。俺は話があるって持ってきただけで、その後はお前が進めた話だろ」
進めたつもりは無い。
気がついたら流れていただけだ。
「そんなに嫌ならシカトすればいいんじゃねえ?」
「そこまでじゃねえんだよ」
そう。対応に困るだけで別にそこまで嫌なわけでは無い。
田中さんはまじめないい子なんだと思う。それは簡潔すぎるメールの節々からも浮かび上がる。
何で俺なんか、とは思うが。そんな俺に大して必要以上の緊張を持ってしまっているのも同じく浮かび上がってくる。
そのようなことを武康に話す。
「だったら一回ちゃんと腹割ってみれば?」
それが解決への最短距離であるのは事実だ。
俺が思う彼女が気のせいだったとして、逆に彼女が思う俺が錯覚だったとして、それならそれで終了となって前進はする。
もしの万が一で話が、いい方向に転がったのなら、それならそれでこのやりとりも改善がするのかもしれない。
「だけどなあ……」
「嫌なのか?」
「嫌っつうか……」
なんでそこまでお膳立てしなきゃならないんだ。
向こうがそれをするならともかく、なぜ俺がそこまでしてやらなきゃならないのか。
田中さんに対しては関心はあるけど、別にどうでもいいっていう気持ちも当然俺にはある。
「めんどくせえなあ」
武康がぼやく。腹立たしいことに、いつもと逆の状態だった。いつもは俺がこいつを適当に扱っているのに。
コレに懲りて今度からはコイツの愚痴はもっと適当に聞き流すようにしよう。




