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1.ライク・ア・ローリングストーン(前)


 鳴り響く裁断機の音が耳に痛い。


「――――――!!!」

 室長(偉い人)の怒声がその中に混じる。

 原因がいったい何で、それが誰によってもたらされたのか。

 それはどうでもいいが……うるさい。

 機械の稼働音よりも小さいはずの人間の怒声は、俺の耳にそれよりも大きな不快をもたらす。

 いい加減にしてほしい。へまをやらかしたヤツも、それからそれを口やかましくののしるヤツも。

 俺はただ、目の前のことを片付けたいだけだ。

 だって、俺がすべき仕事ことはそれで。

 出来の悪いのをののしり、溜飲を下げることでもないし。

 出来の悪いのだとののしられ、途方に暮れることでも無い。


 コンベアーに乗せられ流れてくる、自動車の部品。

 興味が無いどころか免許も無い俺にはどこのパーツかもわからない。

 ――知識が無い人間でも働ける、この会社は俺にそんなことを教えてくれたのでした。

 たぶん怒られているやつも、とうぜん怒ってる方も俺なんかよりもよっぽどこの部品のことはわかっているんだろう。

 だけど、こうしてただ流れてくる部品を組み合わせて、それでおおきな何かにするこの作業だけであれば俺に劣ってしまうのだろう。

 まあ、こんなことが得意でもなんの自慢にもならないし。

 だいいち、班長(ちょっと偉い人)ならもっと早い。


「――――!!? ――!!!」

 室長(偉い人)の怒声がさらにひどくなった。

 内容はわからないけど怒声というか罵声だ。

 誰が怒られているのかなんて興味は無いけど、ご愁傷様。

 それに懲りたら、同じ過ちを繰り返さないか、

 もしくはくそ会社(こんなとこ)おさらばしてください。


 それにしても、とっとと仕事終わんねえかなあ。



 /



「でさあ、彼女は何にも言わないわけだけど、俺としては不安なわけだよ」

「へぇ」

「だってさ、向こうはばりばり働いて高給取り。一方の俺はヒラに毛が生えたような立場の人間な訳」

「ああ」

「こうなると世間体とかそういうの考えちゃう訳なんだよな」

「ふうん」

「あいつはそんなこと気にする必要ないっていうけど俺としては、なぁ……」

「はぁ」

「あいつの年考えるとそろそろ結婚とか考えたいんだけどさあ」

「ほお」

「――っていうかお前さっきから聞いてるか?」

「聞いてる聞いてる」

 適当に相づちを打ちながらタバコを吸い、ビールを飲む。

 疲れた体にはビールが良い。昔親父が言っていたときにはそうなのかと思い、それから酒を初めて飲んだときには信じられず、さらには現在はよく理解できるようになっていた。

 金曜日(うちは土日休み)の仕事が終わったその後上司に飲みに連れて行かれた。

 作業と酔いの早さでは俺の部署でもトップクラスの上司(班長)は一杯目も終わっていない現時点からフルスロットルだった。

「前から思ってたけど、お前は上司に対する尊敬が日を追うごとに無くなっていくよな」

「気のせいじゃねえのか?」

「気のせいじゃねえだろ」

「じゃあそうなんじゃねえの? あ、すいません! この前のボトル持ってきてください、あと氷も」

 通りがかった顔なじみになりつつある店員さんに、一週間前と同じように、同じようなことを言った。

 武康(班長)はわざとらしく溜息をついて、短く刈り揃えられた茶色い頭髪を、がりがりとひっかいている

 いらついているていだがどうせポーズだろうから気にしない。

 俺とこいつとは同い年だったりする。今のトコではコイツの方が長いが、さほど違いがあるわけでもなく、年齢も同じなのもあってこんなに緩い関係だったりする。

 元はといえば「同い年だし敬語やめろよ。タメで良いぜ」とコレが言ったのだから。


「で、なんだっけ」

 以前飲んで取り置きしておいたウイスキーが手元に届く。それを氷をつめたグラスに注ぎながら仕切り直す。

「結婚について」

「ああ、結婚ね」

 グラスに浮かんだ琥珀色の液体はどこか芸術的だ。もしも海の色がこれであったのならば地球の神秘性は増すかもしれない。

「――死ねばいいんじゃねえ?」

 ウイスキーを口に含む。ビールの炭酸の強さと違い、アルコール純度の高さが口内を刺激する。ビールも良いがこれもまた悪くない。

「さいあく、コイツ最悪だ」

「独り身のヤツにそんな質問する方が最悪じゃねえか。デリカシーないとか彼女に言われるだろお前」

「言われないね。アイツは俺にべた惚れだから、嫌うとこなんてかけらも無いって言ってるぜ」

 胸を張って言うのがなんだか不安をあおる。


 ――ああ、そういえば元カノもそんなことを言ってやがった。

 言ってやがったわりには“あなたのことは嫌いじゃ無いけど”のお決まりフレーズ吐きやがったけど。

 聞いた噂だとあのアマはお堅い銀行員と結婚するとか。

 それだったらフレーズに間違いは無く、俺が追記するとしたら、


『あなたのことは嫌いじゃ無いけど、安定した生活とかお金とかの方が私は好きなの』


 たぶん、きっとそれが正しいんだろう。

 まあ別にそれはいいけど、俺と一ヶ月前に別れておいて、結婚するとかいう話聞くとか。

 どう考えても俺とつきあってたときからそいつに手ぇだしてたよな?


「お前がそう思うんだったらそれでいいんじゃね? んで結婚とかなんとかしたきゃすればいいだろ、俺に聞いても仕方がねえだろ」

「そうなんだけどさあ」

 だいいち無気力怠惰必要最低限で平社員どころか派遣会社からの出向で、出世なんてしようもなければ収入も増えようも無い俺に言わせれば、そんなのは嬉しい悲鳴というやつにしか聞こえやしねえ。

「まあ、なるようにしかならねえだろ」

 自己申告によると武康には学歴コンプレックスがあるらしい。

 高卒でプータローののちにやっと今の会社で定職。対する彼女さんは四大卒で外資系の大手につとめてるばりばりのキャリアウーマン。男の見栄とか世間体とか、格差というものは感じてしまうものなんだろうか。

 俺からしてみればそんなコンプレックスを抱けてるだけでも、良い方だとは思うんだが。



 /



 武康の恋愛相談(どうでもいい話)から、ヒス入ってる室長への愚痴という黄金コースをたどったときには俺のさらに追加した焼酎のボトルも空になり解散の運びとなった。

 俺はひとりの安アパートに、アイツは彼女と暮らすそれなりのアパートへと帰る。

 さすがに一個半ボトルをあけただけあって素面とはほど遠く。

 俺は酔い覚ましに武康とわかれた駅のそばにあった自販機でミネラルウォーターを買った。

 駅前にある座り心地が良いオブジェに腰掛けてひとやすみ。ふたを開けてそれを口にすると、その冷たい感覚が酔いを覚ましてくれるような気がした。ぼやけたような感覚で液体が喉を通る瞬間、自分の喉がとても渇いていることを自覚した。

「つか、ちゃんぽんなんてするもんじゃねえな」

 苦笑交じりの心証がそのまま言葉になって表れた。もやがかかったような思考は正常では無く、意図せずして発声させてしまったようだ。

 通りすがりのおっさんごめんなさい、びっくりさせちゃったみたいで。でも変な人じゃ無いんで白い目は勘弁してください。


 週末の夜、駅前は人であふれている。

 俺みたいに定時上がりの奴ばかりじゃないだろうけど、無理してでも飲みに来てるんだろうか。

 今日は残業も無かった武康も、普段の残業があるときなら誰かを誘って飲もうともしない。

 視界に入っているのは女子会(笑)みたいな人たち、背広組の集まり、あとは若いやつらの群れ。最後のはたぶん学生とかだろうか。俺も昔はあんなのあったなとか思ってる時点で、若くは無いのだろう。

 そんな話室長にしたら、昼間どやされてた誰かみたいになってしまうだろうが。


「――ねえお兄さん」

「あ?」

 視界の端に入った栗色。

 それが俺に音を立てる。

 音は声で、発信先は女。

 白いブラウス、胸元のリボン、紺のミニスカート、足を覆う黒いタイツ。まごうことなき女子高校生だった。

 長い栗色の髪、それに利発そうな眼差しは、級友男子であれば勘違いしてしまいそうな引力がある。

「なんだ?」

 いくら最近のガキがませているとはいえ、日付も変わるような時間にこんなとこ出歩いてるとは珍しかった。しかも制服姿のまま。

「何してんの?」

「見てわかんねえのか?」

 手に持ったペットボトルを、キャップの部分をもって前後に揺らした。

「何もしてないってこと?」

「そうともいう」

 腰掛けて水飲んでる。イコール何もしていない。何も間違った解釈は無かった。

「ふうん」

 曖昧な同意のあとにその女子高生は俺の隣にきて、それから俺と同じようにオブジェに座り込んだ。

「スカート汚れんぞ」

「はっはっは、そんなこと気にしてるような子がこんな時間にこんなとこいないでしょ?」

 もっともだった。

「お兄さん名前は?」

 変なヤツだった。するりと俺の空間に入り込んだが、それにどうとも思わせないように自然で。それは犬とか猫とかそういうのに似てる。

「高木」

 一般的な考えでは名乗るのは危険な気もするが、どうでもよかった。

「ファーストネームは?」

「信治」

「じゃあ信治くんだね」

 どっかのアニメの主人公みたいだから出来れば呼んでほしくはないのだが、今さらの話なのでで拒否もしない。

「お前の名前は」

「カナエ(仮)(かっこかり)。“香る苗”で“香苗”ね」

「なんだよそのカッコカリは」

「『自称無職』みたいなもん」

「あっそ」

 偽名かどうか確かめる気も無い。ただ素面だったら関わらずに帰っているところだ。

「信治くんはどこに住んでるの?」

 俺はここから四駅先にある場所を言った。

「一人暮らしだよね」

「ああ」

「それで、カナエちゃんはこんなとこで何してるんですか?」

「信治くんが帰るのを待ってるの」

「待ってどうする?」

「一晩泊めてよ」

 話がとんでもなく飛んでいるが俺もそのまま進めていく。

「……いくら出す?」

「150円ぐらい」

 ペットボトル一本じゃねえか。

「却下だ」

 ふわふわと浮いているような思考のままに、浮いた会話のキャッチボールを交わすのは、その状態でも何してんだろうかと思えてしまう。


 人の流れは絶えず。

 それは濁流のようで。

 俺とそいつはその中で、中州のようにとどまる。

 不動のまま、変わらずに。

 変わることは出来ず。


「――それじゃあ、セックスしてもいいから」

 邪に動く彼女の口元。誘う表情。犬ではなく猫。それもプッシーキャット。

「あ?」

 頭の中を空白が占めたがそれも一瞬のことだった。

 素面であれば一発でわかったのだろうが、理解に時間がかかってしまう多少(・・)ぶっとんだ話。

 それはつまり、セックスという宿泊費用。

 要するにコイツは売春をしようということか。理解すれば話は早かった。

「いくらだ?」

 いつもであればガン無視している。俺だって犯罪に手を出したいとは思わない。

 だけど今日はそういう気分だった。

 それはきっと武康から聞かされた結婚とかいう話。それからそのときに連想させた元カノ(クソアマ)のこと。

 そういうことから紡がれた、ようするに劣等感(コンプレックス)

「だから150円だって」

「じゃねえよ、俺が幾ら払うのかって言ってんだよ」

 言われた女子高生――香苗はキョトンとして俺を見た後で「そういうことか」と言った。

 なんで誘った方がわかってねえんだか。

「じゃあ樋口さんひとりでいいよ」

「安いな」

 そんなもんの普通を知らないけど、一般的には諭吉が二、三人は下らないと思われる。端的に言えばすげえ怪しい。でもやっぱりどうだってよかった。

「交渉成立?」

「そうなるな」

「んじゃあ、それ飲み終わったら行こ」

 今度はひどく楽しげに無邪気に。弾むような語尾でもって俺に感情を伝えた。


 そんな香苗はとても愛らしく。

 つぶらな瞳の猫みたいに見えて。

 それは、つまり。

 俺はこいつを動物か何かと変わらないと思っているってことだった。

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