Act8:夜の交流
目の前の状況にハーガンは事情を把握しているものの、面倒極まりないと心の中で密やかに思いながら対面に座る雫を一瞥する。
「本当に、ルカ君、良い子なの。なんか、もう申し訳なくて、申し訳なくて――ちょっと、聞いてる?」
ルカからの要望によって君付けで呼ぶことにした雫はハーガンの意識が逸れていることを目敏く見つける。
凄まれても効力はない、とハーガンは呆れながら炭酸を飲んで呂律が危うい雫から目を離した。得てして、女の聞いてるか、という問いかけはあまり意味のないことだとハーガンは思っている。結局、女という生き物は自分の話を捲し立てたいのだ。他人と関わり合いを持ちたくない雫とて、近しい人間には自分の話を聞けと強請る。だが、相手が聞いているかなんて、当人には分からないことだ。実際、真剣に聞いてるように装いながら頭の片隅で詮無いことを考えることが出来る。
「あー、うん。聞いてる。聞いてる」
胡乱に答えたハーガンに、ドンと机を叩いた雫の目は据わっている。
「聞いてない。真剣に聞きなさないよ」
例え聞いていたとしても、聞いていないと絡むのだろう、とハーガンは肩を落とす。女は面倒な生き物だ。
「あれから色々と気に掛けてくれて」
「意外と面倒見良さそうだよな、まぁ、十中八九誤解してるけど」
年下の少女を放っておけないという養護心が沸いたのだろうとハーガンは当たりを付けている。誰だってオドオドとしている年下の人間を見たら、自分がどうにかしなければと心が動くものだ。
「誤解?」
耳聡く単語を拾い上げた雫はサァッと顔色を変える。
「あー、気にするな。嘘は吐いていない」
――嘘は吐いていない、黙っているだけだ。
心の中で言葉を続けたハーガンは訝しんでいる雫をどう宥めようかと考える。人の印象は初対面の三~六秒で決まるのが常である。表情、声、立ち居振る舞いで相手が自分の枠に入れて良いのか、外すべきなのか人は即座に判断する。そして、存外にその第一印象は覆りにくい。最初に抱いた悪感情を覆すには三ヶ月はかかる。つまり、ルカは最初から雫のことを受け入れていただけである。ただ、素直になれなかっただけだが、それは雫を護らなければという庇護心で頑なな心が解けただけだ。
「大人になりたい!!」
唐突な雫の言葉に、年齢は十分大人なのになぁ、とハーガンは心の中で突っ込む。
「雫、一応大人だよ」
控えめに答えたハーガンをギロリと睨んだ雫は、違うのよ、と、抗言する。
「違うの。もっと、こう大きな器が欲しいの。お姉さんって感じで安心できるようになりたいの」
無理な願いだ、とハーガンは心の中で返答する。子供が大きくなったらロボットになると、と壮大な夢を掲げているのを見詰める親の気持ちに陥ってしまう。子供ならば、まだ成長の余地がある。将来、何か突然変異が起きてロボットになれるかもしれない。だが、現状として雫は今、大人である。区分は成人であり、結婚していても不思議ではない歳だ。思慮或る大人として、大人になりたいというのは己が未熟だと自覚しているとして、些かおかしな言葉である。
「雫はさぁ、無理」
どう言い繕っても仕方がない、とハーガンは諦めて素直な気持ちを告げる。
「なんでよっ、私、ちゃんとしてるよ」
真面目だと評されることも多い雫は、自分自身のことを頑固で融通の利かない性格だと把握している。
「周囲の問題もあるし、難しいよね」
建設的な提案をしても無理なことをハーガンは知っている。女との会話は、ただキャッチボールをするだけで会話を切り上げようとしては怒りを買うだけである。雫も自分自身の心を吐露する為にハーガンにぼやいているに過ぎない。結果を求める会話ではなく、ストレスの解消の為の会話だ。
「――でも、私は変わりたい」
思い詰めたようにポツリと呟かれた言葉にハーガンは小さく眉を跳ねる。雫に対してはハーガンは必要以上に言葉を選ぶ。過剰にその言葉を受容する小さな心が破裂しない事を考慮してのことだ。それを差し引いても、ハーガンは心の中で否定の言葉を漏らす。
雫は変われない。
変われる筈がない。
変わらないと、ハーガンは信じて疑わない。
変われるのならば、疾うの昔に変わっている。そのターニングポイントをハーガンは幾つも見てきている。初恋が破れた時に奮起しなかった時点で雫は光ある道に背を向けたも同義だった。人形に依存をしている時点で、本気で雫は変わろうとはしていない。変わった時点でそれは雫ではない。嘯いて、己を慰めるだけで変化は起きない。
「そう――なれると良いね」
無情な現実を腹蔵してハーガンは笑った。
真実も虚言も口に出すことは出来なかった。
「少しずつでも、良いの。変わりたい……もっとちゃんとした人になりたい」
雫の言葉は何時だって移ろいやすい。
曖昧として確かな輪郭を持たない。
誰にとっての“ちゃんとした人間”なのか、抑も“ちゃんとした”の意味は何か流石のハーガンも追及できない。言葉に窮して、困惑する雫は好きだが手酷い扱いをしたいのではない。
「雫は、完璧主義者なのかもね」
不意に思い立った言葉をハーガンは口にし、ああ、と得心した様子で頷く。黒か白か、一か零か両極を選ぶ短慮な性質であった。幅の振り幅が大きく、中間、がないのだ。手にはいるのならば全てを、手に入らないのならば全てを放棄する――あまりにもシンプルな考え方だ。
「完璧とは違うな……なんだろ、単純?」
少し語弊がある、と首を傾げたハーガンに雫は不満そうに唇を尖らせた。
「確かに、単純だけど――」
うー、と小さな呻き声をあげて俯く雫に目を遣り、ハーガンは、面白い、と口の端を気付かれぬようにあげた。雫が悩み、挫折する様はハーガンにとって己と掛け離れていて興味深かった。ハーガンからすれば、どれも小さな、些末な事柄にしか思えないが雫は深く考える。その癖、重大な事案を呆気なく手放す。
「でもね、二十を越えると性格ってそんなに激変ないんだって、やっぱ駄目かなぁ」
ここで一言無理だと言えば、何処までも落ち込む事が分かっているハーガンは思わず口に出しそうになる。心が疼くのを押し止め、小さく笑う。
成人をすれば、己の核を変質させることは難しくなる。それは当然のことだ。個が強くなり、他者からの矯正がきかなくなる。
「駄目だったら、慰めてあげるよ」
嘘偽りのない言葉を綺麗な笑みと共にハーガンは雫に与える。
労りの言葉も、慰藉の腕も、ハーガンにとっては、“毎度”の事だ。
■■■
ハーガンとの他愛のない会話をして雫は自分に宛がわれた部屋に戻ろうと廊下に出たところで、見覚えのある青年と衝突しかかる。
「ごめんなさいっ」
咄嗟に謝罪して雫はさっさと脇を通り過ぎようとしたが、不意に腕が掴まれる。
「ちょっと、話し良い?」
そう言われて断れる度量が雫にはない。そんなものがあるのならば、ハーガンに無理矢理連れてこられた時に発揮をしている。
「A組の人、ですよね?」
噂の豆腐メンタルの人、と雫は心の中で付け加える。精神が軟弱であろうとも、雫の簡易形代を二体破壊したのは紛れもないニコラスである。
「うん、ちょっとこっち来て」
有無を言わさない口調に雫は一瞬で心が凋むのを自覚しながら大人しく、ニコラスの後に付いていく。面倒なことに巻き込まれなければいい、とぼんやりと考えながら、詮無いことだ、と己の運の悪さを恨んだ。
細い廊下を歩くニコラスの行く先は何処だろうか、と雫は周囲を見渡し考える。クラス事によって部屋割りは違うし、A組とG組以外の他の補講者もこの建物の中にいる筈である。ふと、頬を掠める冷たい空気に、外へ向かっているのだと気付く。
「ここなら大丈夫だろ」
ドアが開け放たれた先はテラスであった。
何されるのか、殴られるのか罵倒されるのか、と雫は内心ビクビクしながら手すりの傍にいるニコラスに近づく。
「……話ってなんですか?」
「あー、俺はニコラス・ロックウェル」
「存じ上げてます」
「どうせ、あれな噂で聞いたんだろ」
自分の弱点をよく分かっているのかニコラスは不機嫌そうな声で、吐き捨てるように告げた。忌々しい、といった様子のニコラスに雫は自分自身と少し似ている、と頭の片隅で考える。頭の中で創り上げた自分と現実の自分の乖離に腹が立ち、落ち込んでいる。うまく立ち回れない自分に苛立つのだ。
「私も、緊張するタイプなのでよく分かります」
「慰めてくれなくて良い」
等閑なニコラスの口吻に雫はムッと唇を尖らせて口を開いた。
「そんな事ないです。偉い人に電話する時なんて、一日ぐらい憂鬱だし台詞が飛ぶから紙に書いてから連絡しなきゃいけないし、頑張って準備しても突発的な事象には対処できないのに周囲からはしっかりしてるからって放置されるし、鉄面皮だから発表の時だって緊張しているように見えないから全然甘やかされないし――本当に私、ついてないんだから」
「っ……あっ、ああ、そうか」
雫の勢いに気圧されたニコラスは戸惑ったように目を見開くが、やがて警戒が解れたのか目元を緩めた。
「俺も、よく分かるよ。普通では出来るのに、本番になると上手くできない」
「それなのに、準備もしてない人がうまく出来るのが羨ましくて、狡くて、出来ない自分が情けないんです」
「――ああ、本当に」
雫の言葉に同意してニコラスは、過去を振り返る。思えば、下準備をしているのにしていない人間に負けかけるなど、自分は劣っているのではないか思うことは屡々あった。そういう星の下に生まれたのだ得心がいったと受け入れられたのは最近のことでそれまでは、心に黒く淀んだ何かが渦巻いていた。あまりにも不条理で、それを不平等だと思いこんでいた。
「でも、準備をしなきゃ、俺は何も出来ない。それは、分かったから十分だ」
侮ったわけではないが、事前準備が出来なかった時の惨状を思えば、相手の出方を予測するのは苦ではないと漸く気付いた。
「分かります。いつも救急セット持ってるのに、持ってない時に転けたり、捻挫したりと――不運なんですよ」
偶々、バックに入れ忘れた時盛大にすっころんだ雫は足の踵から膝の裏まで擦過傷で赤く滲んだ。鞄の中に救急セットが入っていると思いこんだ雫からすれば転けたときよりも、ないと知った時の方が余程衝撃であった。傍にいた見知らぬ人から救急セットを貸してもらうという何とも言えない結果になったのは仕方がない事だ。
「分かる分かる」
思い当たることがある、とニコラスは口元に笑みを宿して雫に同意するが、ふと、連れてきた当初の理由を思い出し口をギュッと結ぶ。
「ニコラス、さん?」
笑みを収束させ唐突に黙り込んだニコラスに雫は訝しげに首を傾げる。
「あのさ、魔術師として手の内見せられないのは分かる。分かるけど、それでも教えて欲しいんだ。俺の攻撃は当たってたのか?」
直球の尋ねに、雫はどうしようか、と悩んでしまう。ニコラスを支配している感情は不安である。当たった筈に倒れていない。ならば、当たっていないのか、と自分自身を疑っているのだ。この手のタイプが自分を疑うことを雫はよく知っている。雫自身も、いつも自分のミスに悚懼し、自滅をしているのだ。
「俺、当てたと思ったんだ。でも、当たってないのかと思ったら、すげぇ、自信がなくなって――」
ニコラスの握りしめた拳が白くなっている。
どうすれば良いのか、と雫は視線を静かに外して考える。自分を見ているようで哀れに思えてくる。その心の重荷を少しでも軽くできるのならば、一言言ってしまえばいい。だが、ニコラスはこの場にいる生徒の中で誰よりも聡い。それは、ハーガンのお墨付きだ。ならば、少しの情報で“魔術師”ではないという決定的な確証を得てしまう可能性がある。“魔術師”でないとバレたら厄介だ。だが、前途ある若者の芽を潰すのも雫からすれば心苦しい。
「……当たったよ」
損得勘定を考えた結果、雫は端的な言葉を漏らした。別段、雫には立場もない。“人形師”だと知られて疎まれたところで、なんの痛痒も感じない。ならば、悲しみの根が猜疑の花を咲かす前に刈り取るべきであった。
「えっ?」
「貴方の光弾は私を適確に貫いた。それは事実」
流石にそれ以上のことは言えないが、雫は素直に事実だけを伝える。何故動けるのか追及されたら、面倒な事になると思いながら雫はニコラスの出方を待つ。
「当たっていた?」
途端、曇っていた容に喜色が浮かぶ。
子供らしい反応に、雫の口元も思わず緩む。
「そっか、それならいいや」
承知したようにニコラスは数度首を縦に振った。
「ありがとう。すっきりした」
晴れ渡った空のように爽やかな笑顔を向けられ、雫は、あれ、と動きを止める。この後、何故防いだか追及されるかと思っていたが、ニコラスはそれ以上言葉を進めない。あまりの予想外に雫は面食らってしまう。
「教えてくれただけで、俺は満足だよ。ありがとう、雫」
熙笑したニコラスは軽く手を振ってそのままテラスから立ち去ってしまう。身構えていた自分が馬鹿ではないか、と雫は肩を落とすが、あまりの“いい人”ぶりに溜息を吐く。
「普通は何か収集するんだけどねぇ……」
悪心がないのか、と雫は天を身仰ぐ。
最近の若い者は、なんてお決まりの言葉を言えない程、生徒達は良い子だ。寧ろ、自分よりも幾分も物事を分かっている“大人”である。少し、物わかりが良すぎるのが難点だが、比較するのが昔のハーガンなどだから仕方がないだろう。
「みんな、良い子だなぁ……」
取り残された雫はポツリと呟いた。
良心を刺激されてしまう。否、己の器の小ささに辟易としてしまう。
「――大人になりたい」
何度目になるか分からない言葉を雫は小さな声で漏らした。




