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Act7:理解







 深い森は人を飲み込む。

 全長数キロメートルあり緩やかな傾斜が森という存在の曖昧さを際だたせている。日が差し込まない薄暗い地面は一度泥濘むと乾くことに時間を費やさなければならない。その中で魔術師の卵達は駆け抜けていた。互いの腕に縫いつけられた腕章が勝者の証であった。地形を利用し、腕章を奪い合い、力を誇示することが全てであった。己の腕を競い、魔術を行使して引き千切ってでも腕章を手に入れる。その渦の中に、魔術師とは掛け離れた異物が、そこにあった。

「君は本当に強いな……」

 感心したイゾルフの言葉に、立場も年齢も誤魔化している雫としては何とも言えない気分に陥るが、曖昧な笑みを浮かべる。

「あはは」

 乾いた笑いが漏れたのは仕方がないだろう。

 A組、G組、脱落した者は再補習があるのだから補講者のやる気は一層煽り立てられているが、両組とも徐々に戦力は削がれている。雫はと言えば、目立たぬように攻撃を避け、取り敢えず左腕に括られた腕章を保持している。コスプレ紛いの制服にも雫は朝、姿見で確認をして思わず項垂れたが、昨日よりも心の傷は深くはない。

「俺も負けてはいられないな」

 そう告げたイゾルフの空手にはいつの間にか、細身の剣が握られていた。雫の知る剣とは掛け離れていたが、それでも分類をするのならば刀剣が正しいだろう。例えるのならば、お伽噺の一寸法師の持っていた針のようなものだ。刺突に秀でたその刀身は刃がなく針を巨大化したようなものである。柄の部分を含め、一メートル弱のそれは中間距離用の武器――エストックと呼ばれていた。

 雫は武器には詳しくないが、戦闘型の人形を多く排出している為、職業柄武器を見ることはよくある。といっても、武器を選ぶのは人形自身で雫はそれをぼんやりと見ているのが殆どである。それでも、細身の剣が、突く為のものだと言うことは分かっていた。

「貴方は十分、強いです」

 断定するには雫には戦闘の経験があまりにも乏しかったが、少なくとも他の生徒よりもイゾルフは強いし、何よりも今この場に腕章を持って立っているのが嘘偽りのない現実である。

「そうか?と言っても、俺は全然腕章奪えていないんだがな」

 表面上雫の面倒を見ると告げたイゾルフは単独行動をしない。元々補講参加者で無い為積極的に腕章を奪おうとはしない上、他の人のフォローに回っている節があった。イゾルフにとってはこれは少しばかり緊張感のある実地訓練に過ぎなかった。他の参加者にとっては再補習の可能性がある――謂わば、休暇を懸けた重要な戦いであるがイゾルフの中での重さは些かばかり軽い。

「でも、他の人に譲ってるから、やっぱり優しいです」

 素直に雫はイゾルフを褒める言葉を吐き出す。誰だって、貶されるよりは褒める方が良いだろう、と雫は出来るだけ相手を立てる言葉を選ぶ。だが、それをハーガンは価値がない軽い言葉だと呆れるように告げるし、ファリドは、過剰な擁護は不快を引き起こすと注意喚起していた。

「君は……俺を、過大評価しすぎだ」

「……そんな、事ないですよ?」

 幽かに漏れた息は機嫌を損ねたのかと不安がるものだった。いつも、本当のことを告げているのに雫は相手のとの相互理解に至らず齟齬を来たし関係性が歪になるのである。見えているものが違うのだろうか、と雫は訝しむこともある。実際、本当に他人同士が見詰めているものが同質のものとは限らないが雫の世界は他者の持つ世界とは少しばかり掛け離れていた。

「――ああ、君は甘いんだな」

 思い至った、といった様子でイゾルフはポツリと呟いて雫に目を遣った。視界に入りそうにない小さな日本人の少女、それがイゾルフの第一印象である。侮る相手ではあるが、決して軽んじてはいけない相手である。それは、トリップス家と懇意にしてるという点でもあるが、個人的にイゾルフは雫の在り方を好んでいたし、敬服に値すると考えていた。物事に対して真摯に直向きに取り組むその様は、実直を至上とするイゾルフには何よりも分かりやすかったし、同調しやすかった。

「甘くないですよ」

 そんな評価は初めてだ、と雫は瞠目した。何時だって、優柔不断だとか、何を考えているか分からないと言われることはあるが、甘いと言われたのは初めてだ。抑も、雫は相手によく見せたいが為に擬態をしているに過ぎない。

「自分のことは、よく分からないものだ」

「……そんな事ないですよ」

 ハーガンに諭されるときと似ている、と雫は考えながら精悍なイゾルフの横顔を見詰める。じっくりと凝視することがなかったからその顔が、十代の若者特有の甘さがあることに雫は認識した。

「私は、卑怯で狡い、人間です」

 幻想が結ばれた虚像の侭、真実を伝えない時点で既に善人ではないだろうと雫は内心己を苛みながら、イゾルフの過大な評価をどうにか和らげようとする。期待され、応えられなかった場合を考えれば軽んじられ疎まれた方が雫からすれば余程気分が楽だった。

「そうは見えないぞ」

「隠してるんですよ」

 何もかもを隠している。

 人形師だと言うことも、本来ならば制服を着るような歳ではないことも、全て錯覚を利用しているに過ぎなかった。申し訳がないと、と心が痛むが、真実を告げた場合に反応も怖く雫が出来ることは偽りが崩れぬように曖昧模糊にしておくことだった。他人と関わると、面倒だ、と雫は心の中で思わず託つ。何もかもが思い通りにいかない。人形という自分を常に優先する存在に囲まれていれば、違う個を持つ他者が勘に障ることは多いだろう。実際、雫はそれを理解しながら、腹立つ己が情けなく関わろうとすることを控えていたのである。尤も、雫が努力して関わろうとしても、結果は変わらないだろうが、雫にとっての障害はとても多かった。

「……はぁ、息苦しい」

 イゾルフに聞きとがめられぬように、小さな声で雫は漏らした。

 無表情を笑みで覆い隠すことも、他者が望むような言葉を選ぶことも雫からすれば戦闘よりも余程気疲れすることだ。こうやって、醜く淀んだ己を覆い隠すことに後ろめたさを感じるのも、問題だった。せめて開き直って、割り切ることが出来たら良かったが雫はあまりにも不器用だった。

 不意に、一筋の光が背後から脇を横切り、雫はそれを避けて多々良を踏む。その光はイゾルフを狙っていたものだったから容易く避けられたのだ、と雫が認識をしたのは、黒い影がイゾルフを強襲した時だった。

 鉄のぶつかり合う音が辺りに響き渡る。

 独特の光と音に雫は眉を顰めながら戦闘をしている二人から距離を取る。A組だと言うことは分かるが、雫にはイゾルフに攻撃を仕掛けている人物が誰か分からない。ハーガンから気紛れに見せられた生徒の資料をちゃんと目を通せば良かった、と後悔したのもこの時だった。

 打ち合うこと数合。

 手を出すことも出来ず、雫はぼんやりと戦闘を静観していたが不意に殺気を感じてその場から飛び退いたが、着地しようとした足場が崩れ落ちるのを飛んでいる最中に目にする。

「くっ……――」

 まずい、と宙に魔法陣で足場を作り違う場所に着地すれば、それを見越したかのように矢が放たれる。

「うぎゃっ」

 色気のない声だ、と思いながら雫は慌てて矢を防いで叩き落とす。目こぼしされていたわけではなく、担当が違ったのか、と雫は察するが第二撃が来ない事に首を傾げる。

「引いたのか」

 優秀だからこそ、引き際も心得ているだと理解するが、イゾルフと戦っている彼は囮のようで哀れではないか、と柄にもない同情をしてしまう。己が切り捨てられる側だと重々承知している雫は弱者に対して心を痛めやすい。いつも、自分が底辺にいるのだと思っているからこそ、立場をすり替えてみるのは得意である。

 ふと嫌な予感に襲われた雫は、耳を澄ませて周囲に気を配る。音が聞こえないのは、誰かが遮断する為に結界を張ったのだろう。ならば、その理由は明白であった。

「イゾルフさん、そちらお任せします!!」

 G組でも優秀なイゾルフならば、A組の補講者に打ち負ける事はないと即座に判断した雫は、見せられた作戦地図を思い出し人が密集している筈の方へ駆けだした。

 狙われたのが自分達だけだ、といつから錯覚した、と雫は己を心の中で叱責して走るスピードを上げるが、体力なんて皆無な雫は直ぐに息が上がってしまう。近くの気に手を付き、一呼吸する。

「はぁ……行かなきゃ」

 綿密な作戦を好むA組が数人程度で強襲する筈がなかった。作戦など碌に立てたことがない雫でも、普段ファリドやグルゲスが何か事を起こす場合に慎重に行っているのは傍にいるからこそ誰よりも分かっていた。

 木々の隙間に張られた薄い膜のような結界を指先で引き裂いて、破壊する。破裂音に雫は安堵をし、周囲を探り、剣戟の音に息を呑んだ。

「っ!!」

 青々とした木々は折れ、地面は真っ赤に染まり、同じ制服を身に纏う生徒が幾人も地に伏せていた。その腕からは腕章は奪われているが、全滅ではないのか、辛うじて、囲まれながらも応戦している生徒が目に付いた。

「っくっ!!」

 助けなければ、と一瞬浮かび上がった考えに、踏み込んだ足が止まる。近接での戦いを雫は知らない。謂わば、守られる側で雫は逃げる為だけに動くのが常である。

 右腕を地面に水平に伸ばして、掌をA組の生徒へと向ける。雫の手首に一瞬で藍色の円環が浮かび上がり、手首を中心に宙に大きな術式が描かれる。強者が持つ精巧なそれに一瞬その場に動揺が走る。

 扱う魔法陣が大きければ大きいほど、精巧であれば精巧であるほど魔力の出力が大きいのは常識である。そして、今、雫が出現させた魔法陣は大木を飲み込むほどの直径二メートルの円環である。ゆらり、と宙が揺らめき、細い筋が魔法陣に浮かび上がる。

「G組の人、避けて、下さいっ」

 雫のその言葉と同時に、円環に複数の点が出現する。否、それは点ではなく、全長一メートル五十センチはある投げ槍――アキュリスの細長い穂先であった。 

「emittere《放つ》」

 その言葉と同時に、円環から複数の槍が一斉に放たれ、G組の生徒を囲んでいたA組の生徒は慌てて飛び退いた。槍の突き刺さった大地は綺麗に抉れ亀裂を残した。

「第二撃っ!!」

 追撃の手を緩めることなく、雫はG組の生徒に当たらなかった事を安堵して掌で放出先を決めるように動かし、数十本の槍を遠慮無く撒き散らす。標的を定めるなんて器用な芸当は雫には出来なかったからこれが、最善であった。

 気紛れにする鍛錬は何時だって、静止した的を狙うだけで動く人を標的にしたことはない。抑も、雫は“戦う者”ではなく“創る者”である。だからこそ、最初から身を守る術としてファリドに与えられたのは、投擲武器であった。近接など体力が無く、動体視力が優れていない雫には無理な無理な芸当である。誰か人形が傍に居ることが前提の話で、もしもの時の為に数で押し潰すための一斉射撃である。

「っ……大丈夫、かな」

 倒れた生徒が動かない様子と、巻き上がる土煙に雫は静かに息を吐き出す。戦い方を知らない雫は、保護者であるファリドに言われた通りの事しか出来ない。一斉射撃の後、標的が動かなくても、動いていても一度戦線離脱をし、人形の傍に逃げるように教えられていた。だが、今、雫には庇ってくれる人形は誰もいない。自分で判断しなければならない。いつもならば、ファリドが前に庇うように立ち、圧倒的な力量差で戦闘を終了させる。いつだって、雫は強者の側に立っていた。

「えっ……と、腕章とれば良いんだっけ」

 取り敢えず、近くで倒れた生徒に無防備に足を向けた雫は背後で動いた気配に、慌てて振り返り、腕を伸ばすが、間に合わないと即座に判断する。あまりにも距離が近すぎる。形代を使ってしまう、怪我をする、と一瞬で浮かび上がってきた考えに身体が硬直し、足が竦む。

「やっ……――」

 助けて、と喉まで出かかった声は、引き裂かれた音によって遮られた。

「えっ――」

 近づいてきた影がぐしゃり、と足元に伏す。動けない風をして、機会を伺っていたA組の生徒はその背にいた一人の気配を見逃していた。

「お前、強いのか弱いのか分からないな」

 仕方がない、といった様子で溜息を漏らしたルカは雫を爪先から頭までジロジロと不躾に見詰める。

「えっ、と、強くないですよ」

 普段から周囲に弱い弱いと連呼されている雫は素直に告げるが、ルカは渋面し、これ見よがしに溜息を吐く。気を失ったA組の生徒の傍に屈み、無遠慮に腕章を引きちぎると乱雑な様子でポケットにそれを仕舞い込んだ。

「あんな魔力放出して弱いとか、嫌味か?嫌味なのか」

 憤ったように喚き立てるルカに、雫はどう対応して良いか分からず硬直し、えっ、と、と声を漏らして視線を地面に彷徨わせる。

「危ない所、ありがとうございました」

「っ……ちっ、危なっかしい女だな」

 苛立ったように舌を鳴らしたルカに雫はポーカーフェイスを装うが内心、怖えぇぇ、とぼやきながらこの微妙な雰囲気を誰か打破してくれないかと考えてしまう。直ぐに誰かを頼る自分の考えに雫は呆れながら、ごめんなさい、と、声を漏らした。

「だから、自分が悪くないのになんで謝るんだよ。理由も分からないのに謝られて気分良いわけないだろ」

 適当に謝罪しておけばいい、と言う浅はかな考えを見抜かれた気がして雫はビクリと身体を震わせる。

 いつも、うまくいかない。

 他人を不快にさせたい訳ではないのに、距離を掴みかねる。関わらない方が互いの為なのかもしれない。不安要素を取り除けなければ雫は、他人に関わるのが恐ろしくて堪らない。

「ごめんなさいっ……――」

 顔を俯かせて、雫は両手を身体の前でギュッと握りしめる。

「だから――っ、悪い」

 薄く膜が張った雫の双眸に気付いたルカは気まずそうに首に手を掛けて視線を彷徨わせる。イタリア男として、年下の少女を泣かしたとなれば沽券に関わる話である。

「お前が変なの分かった気になってたけど、甘かったな……」

 太息を漏らしたルカは、鉄面皮をゆっくりと緩めた。

「悪かった。俺、口が悪いし、気分悪くしたか?」

「違うっ、違うんです」

 泣きたくないのに、胸に込み上げてくる時がある。これは、生理的なもので雫自身も制御しきれない。実際、神妙な面持ちをしているのに心の中ではベラベラと託つのだから雫としては心苦しくて堪らない。

「ルカさんは、悪くないです。ただ、自分が色々と情けなくて――」

 ルカに助けてもらわなければ、形代をまた一つ消費するところであったのは事実だった。ファリドに相手が気を失っているのか寝たふりをしているのか確認しろという言葉を忘れて安易に近づいたことも雫としては情けなかった。

「本当、馬鹿……だなぁ」

 己を何処までも苛んでしまう。

 別段、雫は自罰的ではない。

「お前、悪くないだろ」

 ルカの言葉に雫は静かに笑った。己を何処までも低く蔑むことで、こうやって他者からの救いの言葉を望んでいるのだ。浅ましく、惨めだ、と雫は心の中で呟く。

「ありがとうございます。勿体ない言葉です」

 救済の言葉は総身を縛り上げる。

 本当の意味で、救われるわけではない。

「本当に、私、駄目な人間なんです」

 心の底からの言葉だった。

 自分一人では何も出来ない自分を苛みながら、そんな自分は許されていると頭の片隅で考えている。

「駄目じゃないって、お前、変」

「そう言ってくれるの分かってて――私は狡い、です」

 一時の慰めの言葉に縋るなんて愚かにも程がある、と雫は自嘲の笑みを浮かべる。生涯傍にいると約束したわけでもない、気紛れで与えられた言葉に過度の重さを期待するのは相手にも迷惑な話である。きっと、今が過ぎれば、ルカも自分のことなど綺麗に忘れるだろう。それを、雫だけが引き摺るのはあまりにも迷惑だ。

「分かった。取り敢えず、俺達分かり合うことが第一だ」

 指を目の前に突き付けられて雫は目を見開く。

「えっ?」

「あのな、俺だって助けられてるのに、なんでお前が萎縮するんだよ。意味分かんねぇ」

「でも、私は勝手にしただけで――」

 他人の足枷になどなりたくない、と雫は言葉を続けるより先にルカが言葉を重ねる。

「俺だってそうだよ。だから、お前と俺は対等なわけ」

 聞き分けの悪い子供に言い聞かせているようだ、とルカはぼんやりと頭の片隅で考える。気に留めない、と思っていたが、それでも視界の端をちらつく黒い存在を看過することは出来なかった。一度、意識をしてしまえば元には戻れなかった。

「あー、もう仕方がない女だな」

 少し抜けている妹だと思えば良い、とルカは思い至る。目の前で身体を縮こませて震えている様は良心の呵責が起きる。

「俺は、ルカ」

 無理矢理ルカは目の前の少女の手を握りしめる。

 思いの外小さなそれに驚いてしまう。

「よろしく」

 照れたように直ぐにそっぽを向いたルカに気遣われていることを察した、雫はあえかな声で自己紹介をした。

「雫、です」

 良い子だ、と雫は目の前のルカを見て感想を抱く。こんな自分みたいな人間相手にも距離を縮めようとするのは余程の善人である。

 優しい。

 優しすぎて雫は泣きたくなる。

 他人と触れる度に、己の矮小さを知る。

 変わりたい――でも、変われない。







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