Act4:仮初の休息
午前と午後の合間に宿舎へ戻って昼食という微妙なスタイルは、サバイバル生活に巻き込まれた事がある雫には違和感満載のものであったが、終了の合図と共に流れる人に紛れて学生の仮住まいには豪華すぎる建物へ足を踏み入れた。
「ご飯……」
キューッとお腹のあたりが空腹を訴え、収縮しているのを感じるが、雫の目下の悩みとしては食堂が何処か分からないという点である。抑も、無理矢理参加している自分の分の料理はあるのか、あるとしてもどうやって注文をするのか、それとも部屋に設置されていた小さなキッチンで何かを作って空腹を満たすのか、はたまたハーガンを待てばいいのか、人からすれば詮無いことを考えながら雫は立ち止まり考え込んでいた。
――トン
不意に何かに衝突した感覚に雫は我に返った。
「済みません――」
空色の目に睨み付けられ、雫の体は硬直する。
大柄ではないが、小柄な雫からすれば上から見下ろされるような錯覚を抱かせるには十分だった。
隠し立てもしない敵意をぶつけるその潔さはいっそ、感服するが、害悪に晒される身としては遠慮したいのが雫の気持ちであった。だが、目の前の、ハーガンとの遣り取りを目撃し、先達てクラスに紹介された際にも睨んできた少女は雫が顔面蒼白になったことを気にしたことなく、無遠慮に見詰める。足のつま先から頭のてっぺんまでジロジロと値踏みをするように視線を動かす。避ければいいものの、雫はジッと立ったまま少女の言葉を待った。
「先生、何処が良いのかしら」
ポツリと呟かれた言葉を雫は思わず拾ってしまう。
聞き流せばいい言葉を過大に受け止め、心が悲鳴を上げる。口元が引きつったのを雫は自覚し作っていた笑みを掻き消した。
誤解をしている、と言えばそれで済む話だが、恋敵と誤解をしている相手からの言葉を素直に受け取るとは思えない。大凡、十代の頃の恋は、得ることに必死で周囲が見えず、自分の価値観に縛られている。少女が敵対行動を取っても不思議ではない。
「胸もないし、背も小さいし、足も短いし、子供だし……――」
侮辱罪になるのではないか、と雫は思わず遠い目をしてしまう。さりげなく自分の胸と相手の胸を見て落胆したのは忘れ去るべき事だ。
雫の、所謂女性的な部分を見て少女は慢罵するが雫は心は挫けるが、反論の余地はないので沈黙を保つ。ハーガンの女性遍歴でも詳らかにしてやりたい感情を抑え込み、嵐が収まるのを待つ。その、耐える姿が、他国の人間から見て滑稽で奇妙に見えても、雫にとってはこれが一番の回避方法である。
「っ――つまらない子」
嘲嗤して立ち去った少女の姿を見送り、気配が知覚出来なくなった事を確認して雫はギュッと握りしめていた拳を解いて、盛大に嘆息した。
「もう、帰りたい。なんで、喧嘩売られなきゃいけないのよっ、てか、此処何処よっ、ああ、もう食べる気萎える」
堰を切ったように雫は壁に向かって捲し立てる。無機物相手にしか強気になれない自分の小心さに呆れながら雫は人の流れの方向へと足を向けた。
人が扉に吸い込まれ、伺うように顔を覗かせると食堂ホールだったらしく食欲を誘う匂いが雫の鼻を掠める。ドア口から人の邪魔にならないように、中の様子を観察し、厨房に設置されたカウンターから料理を受け取り、席についてそれぞれ食べているのを確認する。
「ううっ、なんてハードルが高いの……」
人に対して著しい苦手意識を持つ雫にとっては、食事を取るより、食事を取らないで時間を過ごす方が余程容易いことであった。一人で食事を取ることに抵抗感はない。いつも、人形達に囲まれている所為か、一人の食事は味気ないが必要とあらば摂取するし、料理だって作ることが出来る。問題は、カウンターで人に話しかけると言う、雫にとっての難易度の高い行為である。
「ふっ……諦めよう」
グルリと食堂ホールに背を向けて雫は部屋へ戻って何か探そう、と覚悟を決める。雫の行動原理を知れば、多くの人は顔を顰めて呆れるだろうが、雫にとっての苦痛と他者にとっての苦痛の境界が違いすぎるのだ。
「あっ、雫ちゃんも、今からお昼なの?一緒に食べようよ」
なんの気負いもない声に引き留められ雫は足を止め、目の前の人物に目を遣る。食堂ホールへ丁度来た、二人組の少女に雫は捕まる。紹介した際に凝視されたが、それが好奇心からで悪意がないのは分かっていた。
「あのっ――」
「今日の、お昼なんだろうねー。あっ、あたしはサンドラだよ」
焦げ茶の色の髪をポニーテールにして、癖毛なのかその髪は緩やかにウェーブし、首を傾げる度に魅力的に動く。深緑色の目はキラキラと輝き、見る者に純真さを訴える。
「サンドラ、雫の返事を聞いていないのに先走らない。私は、ウーテだ……良かったら、一緒に昼食をとらないか?先約がなければ、の話だが」
サンドラの首根っこを捕まえた、サンドラよりも長躯な少女は金色の髪と赤茶の目をしていた。先程、喧嘩を売ってきた少女と体格は同じぐらいだが、優しい目元が威圧感を拭っていた為、雫の体は強ばることなく平素のままであった。
この二人は、大丈夫、と雫は一瞬にして存在を受け入れる。ハーガンを思慕して敵意を抱くこともなければ、利用しようという気概もない。そこにあるのは、純粋な興味だけである。興味が失われた先に怯えはするが、それでも害悪がなければそれで十分であった。
「私、とですか?」
「うん。話、してみたかったんだー」
裏表のないサンドラの言葉に雫は、羨ましい、と漠然と感じる。他者への一歩を躊躇わないその姿は敬服に値するが、その輝く双眸が失意に彩られる事を考えると寂しくなる。仮に、期待に添えられなかったらどうなるのだろうか、そんな穿った見方をする自分が嫌で堪らなかった。
「つまらないですよ、私」
それが雫の自己評価であった。
人混みに埋没する、悪目立ちはするが他者の記憶には残らない。その場限りの話の種にはなるだろう、独特の雰囲気。何よりも引き出しが少なく、共通の話題などないのだ。
「そんな事ないよっ!!ルカを言い負かした姿なんて、超格好良かったよっ!!あたし、直ぐに手が出ちゃうから、ああいうあしらい方憧れちゃうんだよね」
ルカ、と聞き覚えのない名前に雫は軽く首を傾げると、その様子に気づいたウーテが苦笑して言葉を添えた。
「朝方、貴女に突っかかったイタリア男だ。少し攻撃的だが、性根は悪い男ではないよ」
「ああ、あの……――」
期待するなよ、と告げた男の顔を思い出し雫は、渋い顔をしてしまう。
正にも負にも傾かない感情をその相手に抱いたが、それはどうでも良いというわけではない。雫にとっての普通が、それだった。
サンドラとウーテの様子を真似て、ランチを頼んだ雫は後悔していた。体格から自分に近いサンドラのメニューを適当に聞き流して、同じものを、と六文字で済ました雫にはまさしく天罰だった。
「カロリー、ダイナマイツ……――」
素直な感想を雫は漏らした。
目の前にあるコレステロールの塊をどう処理しようか、と雫は凝視する。抑も、これはなんだ、と箸はないのでフォークで行儀悪くツンツンと突っつけば、グニャリと目の前の山は形を崩す。よく見ればウーテの目の前にあるサンドイッチのような軽食の方が腹に優しそうだ、と雫は羨ましく思いながら山の一部をフォークで崩した。一口、頬張れば、口に広がるマヨネーズの味に気落ちしてしまう。
目の前のマッシュポテトの攻略に悩んでいた雫の手元に影が差し込み、雫は顔を上げれば、そこにはイゾルフとルカが昼食をトレイに載せて立っていた。
「良かった、来ていたんだな。誘おうと思っていたんだが余計だったな」
先約があったのか、と爽やかな笑みを浮かべるイゾルフの気遣いに、雫はその強面の印象を覆される。
「ごっ、ごめんなさい。待っていてくれてたんですか。私、勝手に動いて済みません」
優しいなぁ、と雫は胸がほわわんと温かくなるのを感じながら、睨むように見詰めてくるルカを窃視する。
「――っ、朝は、悪かったな」
ぶっきらぼうに告げたルカに雫は目を丸くする。
「えっ?」
なんで謝罪を受けるのだろうか、と雫は首を傾げる。睨まれるのは慣れているし、助けないというのも個人の自由だから謝られる謂われはない。
「お前、本当に助けなくて良いって思ってんだろ」
「えっ、はい。迷惑になりたくないので捨て置いてください」
ルカの言葉に雫は同意して頷いた。
「お前、おかしい」
溜息を吐いてルカはトレイを机において席に着いた。
初対面に近い人間におかしいと言われるのは初体験だ、と雫は幽かな衝撃を受ける。付き合いの長いハーガンにおかしいと言われる事だってなかった。
「君は致命的に言葉が足りないな」
フォローするようなイゾルフに雫は更に首を捻る。
「ルカは、君に挑発されたと思ってたから反発したんだ」
「あー、そうだったんですか。邪魔になりたくないんで放って置いて良いですよ」
素直な言葉を告げればルカは不快そうに眉根を寄せる。眉間に深く刻まれた皺が若干怖い、と雫は頬を引き攣らせた。
「それが、おかしいんだよ。お前、変」
真っ向から変人扱いされるのは雫としても心外である。反駁するか、と口を開きかけた瞬間、背後から腕がにゅっと伸びる。
「ぎゃっ」
「色気ない声だな、雫。ちょっと心配してたのに、仲良くなってるみたいで安心したよ。ご褒美に日本のお菓子上げる」
ハーガンの手には日本の製菓メーカーのアーモンドチョコレートの箱が握りしめられていた。外国の甘すぎるチョコレートよりも仄かな甘さの日本のお菓子を好む雫にとって嬉しい差し入れである。
「狼の群れに放り込まれた子羊の気分よ。見てたなら、さっさと助けなさいよ」
何処から見ていたのか、このマッシュポテトの山をどうするのか、と眼居で尋ねる雫にハーガンはニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべるだけで答えない。
「自分で努力しなきゃ成長しないよ、雫たーん」
「もう成長は見込めないから、お家に帰して。ストレスで心がひん曲がりそう」
項垂れながら訴える雫に、未だ大丈夫だよ、とハーガンは笑みを浮かべながら残酷にも言葉を退ける。
「雫は知らない人をもう少し信用して頼るべきだよ」
「私が頼るのは……ファリド達だけよ」
人形という言葉を公衆の面前で使う事が出来ずハーガンに分かるように名前を告げて雫は暗に自分は“魔術師”ではなくて“人形師”だと伝える。それをどう思っているのかハーガンの笑みは一向に崩れない。
「アレは頼るじゃなくて、おんぶに抱っこって言うの。もう少し自立しよう。そんなんだから『何を考えているか分からない子』って言われるんだよ」
心を抉る痛烈な一言に雫は内心打ち拉がれながらも相手がハーガンと言うことで、グッと耐えて睨み付ける。
親しくなった相手にも、他人からも雫はよく何を考えているか分からないと評されている。雫からすれば自分ほどシンプルな人間は居ないと思っているがその性質は人の“普通”とは少しばかり乖離をしているのだと言うことを最近学んでいる。
「なんにも考えてないわよっ、どうせ、頭の中空っぽよ。何?黙ってるから悪いの。ぼけーっとしてるだけよ、文句あんの?」
「いや、文句はないけど頭の中解剖してみたいなとは思うよね。分かり難いから」
長い付き合いのハーガンをして、分からないと言われるのか、と雫は思わず落ち込んでしまう。こんな時ファリド達ならば、と考えるのが雫の悪い癖である。違う個を持つ人間であるハーガンと、自分に従っている人形とを比べればその思考回路も違うのは当然なのである。
「ファリドは、分かってくれるもん」
自分の唯一の従者は言葉を告げるまでもなく何でも理解してくれる、と雫は反脣するがハーガンはまともに取り合うことなく顎に手を当てて首を傾げる。
「そうだよねー。あれが駄目さを助長してるのかな」
言葉を先回りする人形達が悪いのか、と冷静に分析をするハーガンにそんな世話は要らない、と雫は眄視するも公で怒鳴りつけることも出来ず我慢をして耐える。
「まぁ、いいや。雫たん、午後も活躍期待してるよ。俺の為にね」
「っ……――」
罵る言葉も即座に出てこない雫は腕を押し出してハーガンの脇腹を容赦なく殴る事で返答した。




