Act14:疑念
静寂に波紋が広がる。
「あいつ、本当危なっかしい」
不安だと訴える反面、ルカが少し嬉しそうに思っていることを察したイゾルフが苦笑する。兄貴肌であったのか、と甲斐甲斐しく雫を構う姿に感心する。
「先刻も段差に引っ掛かるし、あいつ本当大丈夫かよ」
「腕は、訓練で嫌と言うほど見せてもらった筈だぞ」
実地訓練の中で、明らかにレベルが違うのは雫である。戦いになれているというわけではないが、それでも強い。イゾルフ自身も最初は守らなければならないのかと思っていたが、それを呆気なく覆された。心の片隅で見下していた感情が一掃された。複雑な魔法陣に、幾多の投槍を射る姿は危機を潜り抜けてきた歴戦の魔術師のようである。
「そうだけど、なんかアンバランスでハラハラするんだよ」
「随分と心配性だな」
「っ――」
揶揄するようなイゾルフルの口吻にルカは反脣する。例えるのならば、幼子が目の前で一人でうろうろしているのを見るようで気を揉むだけである。決して、そこには色恋はない。ルカ自身、女性の好みは年上の出来るのならば社交性に富んだ大人っぽい“お姉様”である。雫とは真反対のタイプだ。
「そういえば、あいつ、トリップス家とベタベタしててこっちが目のやり場に困る、ってか、すんげぇ落ち着かない」
「随分と長い付き合いみたいだからな」
ハーガン誰かに気を許すことも珍しいが雫自身が他の生徒に対する態度とハーガンへと受け答えが真逆と言っても良いほど違う。気の置けない間だから甘えているとも見えるが、受け答えが雑だ。
「あの変人と長い付き合いってどうなんだよ……」
ルカの尋ねにイゾルフもそこが気に掛かっていた。雫は積極的に人と関わろうとしない。ならば、あの交流関係はハーガンが断たないように労っていたことになる。
「まぁ、お嬢様なんだろうけど……爺やとか言ってたしな」
先程の遣り取りを思い出してルカは詰まらなそうに息衝く。さぞかし大事に育てられたのだろう。言葉通りの箱入り娘だ。世界の不条理に慣れていないように目を屡叩かせる姿など無垢な子供のようだ。あどけない仕草が男心をくすぐる。
「おい、ちょっと待て。人の話をちゃんと聞け」
少し苛立ったような声が二人の耳朶に触れる。
足を止めたルカとイゾルフはA組のニコラスが横切り、その後をコレットが追いかけるのを目に留める。
「どうしたんだ?」
「行ってみるか?」
イゾルフの誘いに一瞬当惑の色を覗かせたルカだが好奇には勝てなかったのか静かに頷く。
遠ざかる背を追いかける。
真実を知れば誰かに伝えたくなる。胸の内に留めておくことが出来ればそれに勝ることはないだろうが、生憎、コレットは黙っていられるほど大人しくはない。
「だーかーら、少しは話を聞けって」
「聞いたって。雫は、トリップス家に巻き込まれて婚約の破談を目論んで来たんだろ。それだけだろ」
立ち止まってニコラスは先程コレットから聞かされた事実を端的に告げる。雫がハーガンに連れてこられたのは周知の事実である。それに婚約の破談の件が絡んだところでニコラスの印象が覆ることはない。
「それだけじゃない。あの女、やっぱり一筋縄じゃいかないって。深入りするの止めた方が良い」
コレットの忌憚ない意見を言えば、ニコラスの器で収まる女ではない。裏表が激しい。清楚として穏やかな仮面を被っているのがその裏の顔が掴めない。ハーガンと一緒にいられるところからして“変”だと言うことは容易に察せる。
「だから、分かってるって」
「分かってないって。お前は逆上せ上がってるから指摘しに来たんだ。あの女、何か隠してるって」
必要以上語らないのはその裏にある真実を隠す為だ、とコレットは心の中で言葉を重ねる。
「雫はおかしくないよ」
何を馬鹿なことを言っているのだ、と鼻で笑って告げるニコラスにコレットは、更に苛立ちが募る。
「あー、これだから男は面倒なんだ。親切心で言ってるんだぞ、あの女、絶対面倒で、厄介だって」
この場に雫とハーガンがいたのならば、よく分かっている、と盛大な拍手を送っただろうが生憎、この場にいるのは雫に対して好意的な見方をしているニコラスだけである。
「おい。うちの助っ人に何か文句でもあんのかよ」
背後から掛けられた声にコレットは肩越しに振り返ると、至極残念そうな顔をする。
「っ、なんだよ、その態度!!」
いきり立ったルカにコレットは思わず遠い目をして頭を振る。面倒な相手が増えただけにすぎない、と自分に言い聞かせ落ち込んでしまう。
「文句はない。ただ、アホな男が多いと思っただけだ」
表面上の遣り取りを喜んで真実だと思っているのか、それともそう思いたいのか定かではないがコレットから見た男性陣の振る舞いは些かずれている。
「アホって、なんだよ。大体雫はお前達と違って控えめなんだよ、苛めるなよ」
元々A組に好意を持っていないルカが雫に肩入れをするのは分かっていたが随分と夢見ているようだ、とリアリストのコレットは頭痛を和らげるためにこめかみに手を添える。この年頃の男が随分と理想的なのは分かっていたが、三人相手に言い含めるのは面倒極まりない。
「いや、先刻、痛烈なことを言ってたぞ。お陰でマルチダはショックを受けて部屋に引っ込んでしまった」
「それは、トリップスの婚約の件でだろう」
一笑に付して取り合わないニコラスにコレットは、どうして言葉が通じないのだ、とイライラとしてくる。
「婚約?」
耳慣れない単語を拾い上げたイゾルフにまた初めから説明をしなければならないのかとコレットは疲れ果ててしまう。
「この訓練で賭をしていたらしい。A組が勝ったらルイーゼ ・ヴィルトと婚約をするとトリップス家は約束をしていた。そんなの口先だけで果たすつもりがないトリップスは、あの女を介入させた。しかも、あの態度からして慣れてる」
辟易していると、腰に手を当てて息を吐き出した雫の姿は嘘を吐いているように思えない。ハーガンの色恋に嫌と言うほど巻き込まれているのだろう。
「うわぁ、雫可哀想」
「トリップス家がやりそうな事だな」
ルカとイゾルフ心底哀れむような声にコレットは当惑する。雫に同情を向けて欲しいわけではない。疑念を持って欲しいだけだ。魔術師としての警戒心が皆、薄らいでいる。出自も、戦闘スタイルも、何を研究しているかも分からない魔術師を受け入れるなんて甘いと言われても否定できる筈もない。
「あの女は装っているぞ。他人に嫌悪を抱かれないように擬態しているだけだ」
冷えた眼差しを実際向けられたコレットは、雫が見た目通り少女ではないことは既に理解している。どうでも良い、と胡乱な様子で告げる様は世間に疲れ果てた年嵩の人間を想起させる。あの歳の普通の子供が抱くような夢も希望も、何も見えず、ただそこには闇が広がっているように見えた。そのアンバランスが奇妙で仕方がなかった。
「擬態って言い過ぎだろ。仲が良い人間とそうじゃない人間への対応が違うのは普通だろう」
雫を庇うニコラスの言葉にコレットは諦めた様子で首肯する。
「ああ、別にそれは良い。私はただ、注意しておけと言いたいだけだ。何か、裏がありそうだってだけだ」
「裏、って――」
「大体、家名も分からない。今の戦い方だって本来の戦い方じゃないと本人が零した。何よりも、あのトリップス家と長年の付き合いがあって本人が嫌がっていないなんて異常じゃないか」
抗弁するニコラスの言葉を遮るようにコレットはこれまでの疑問を畳みかける。家同士の付き合いで渋々とハーガンの厄介事に巻き込まれているのではなく、雫自身がハーガンを信頼しているのは傍から見ていて分かることだ。そして、ハーガンも雫を特別扱いしている。
「随分面白い話してるね」
間延びした、だが、気配もなく降り掛かった声にその場にいた四人が身を竦める。
「俺も混ぜてくれるー?」
疑問系なのに強制力を伴うのはその立ち居振る舞いのためだろうか。雫を寝かしつけて退室したハーガンの目は笑っていない。
「っ……――」
ばつが悪い、とコレットは目を逸らす。
「君は聡いからね。有り体に言うと、君達三人が雫に突っかかったの俺は知ってるから。可哀想にほっぺ腫れちゃってたよ。あの子の身体に傷を付けると厄介だから本当止めて欲しいよね」
言い聞かすと言うよりは独り言に近い言葉をハーガンは漏らしてコレットに目を遣る。
「それは、振るって事と同義ですよね?」
「うん。悪いけど興味ないんだ。躱すのもいい加減面倒だよね」
捧げられた恋情を鬱陶しい、と退けるハーガンの冷淡さにコレットはそれ見たことか、と心の中で友人に詰責したくなる。この男は他者を必要以上に大事に出来ない。自分の興味の範疇外には指一本動かさない。
「本当に性格悪いですね」
「雫が教えた筈だけどな」
先程の会話を知っているように告げるハーガンに、監視の目が何処かにあったのかとコレットは困惑する。周囲に気配がないことを確信した上で会話を進めていた。勿論ハーガンに知られれば面倒になるかも知れないことを考慮してである。知られていた、ということに愕然とする。
「随分と仲が良いんですね」
「昔からの付き合いだからねー。雫、面白いでしょ?」
皮肉ともとれるコレットの言葉を何の痛痒も感じないと笑顔を浮かべて、ハーガンは返答する。この余裕がコレットは嫌であった。大人と子供を見せつけられているようである。
「……まぁ、いいよ。教えてあげられることは俺が教えてあげる。どうせ、もうすぐ終わりだ」
ハーガンの言葉に、実地訓練の終了が迫っていることにコレットは気づき、視線をニコラスに走らせれば、うんざりとしている様子を目の端に留める。余程ハーガンが苦手なのか、今の状況でも腰が引けてる。
「――ってか、あいつの部屋行ってたのかよ。ロリコン」
ルカの罵る声にハーガンはおや、と眉を跳ねる。
「相変わらず心外な評価だな。それに、俺は雫と仲良しだから良いんだよ。雫の護衛がうちを強襲した報告もしなきゃいけなかったからね」
「強襲……――」
「そう。無理矢理雫連れて来ちゃったから激怒しちゃって、毎度のように人の家壊していったよ。本当、容赦ないんだよね、爺や達」
ハーガンに伝えられた屋敷の損壊は思わず眉を顰めるほどであった。毎度のこと、と笑って流せるほど軽微なものではない。足止めをかねて配置をした人員もあの二人の前では道ばたの石ころのように意味のないものだ。唯一誤算だったのはグルゲスの自滅が予想よりも早かったことだ。余程、堪りかねていたのか、ヴィヴィエンの挑発が上手かったのかは定かではないが足を止めたのは功績だった。
「雫、外見も中身も繊細だから、あいつらは外に出したくないんだよ。まるで、塔の中に押し込められてるお姫様みたいだ。ああ、でも本人がそれは普通だと受け入れているのも問題かな」
鶏が先か卵が先か既に分からない話だが、結局は不毛な連鎖に過ぎない。雫が外を見ないのも、外を見ないことを容認して閉じこめる人形も正しくない。尤も、ハーガンにとって正しくないだけで、白鞘にとってそれは最善だと言うことは分かっている。だからこそ、意見はぶつかり合う。決して、分かり合うことも出来ないし、譲り合うことも出来ない。
「雫はコミュニケーション能力欠如してるんだよ――いや、他人に興味がないんだ」
パーソナルスペースの狭さはハーガンも認めている。ハーガンの人付き合いを広く浅く、と言うのならば、雫は深く狭くである。雫が認める人間は存外に少ない。瑕疵を見つければ、その瞬間に興味から外れる。
「んで、何の話だっけ?何聞きたいの?勿論話せないこともあるけど教えるよ」
「……唐突に、どういうつもりですか?」
客観性が未だ残っているのかハーガンの言葉を疑うようにイゾルフが声を掛ける。雫のバックグラウンドは確かに気になるが他人に話を聞いて好奇を宥めるような真似をしたくはなかった。
「予想ではもっと早く、あれはなんだって言われると思ってたけど、最近の子は聞き分けの良い子が多いよね」
以前、魔術師の会合に雫を無理矢理招致した際に紛糾したのは記憶に新しい。魔術師の顔も、そして、萎縮した雫も見物であった。
「彼女は、貴方の何なんですか?」
不意に耳朶に触れた低い声にハーガンは笑みを収束させる。いつも視線を逸らし、傍から見て哀れになる程、怯えていたニコラスが見据えてくる。射るが如き炯眼に背筋が、ヒヤリ、と警戒を訴える。
『二人はどういう関係なんですか』
思い出すのは、雫と引き合わせた少年の言葉だった。距絶の後、雫を詰る言葉が尽きた後、ハーガンに尋ねたのはそれだった。事もあろうに、それが重要なのかとハーガンは思わず口元を歪めてしまった。真意も確認する必要もなく、それが最重要だと判断した潔さはいっそこぎみ良かったが、ハーガンからすれば未だ足りない。
「古い、友達だよ。面白い観察対象だし」
何処までも予想を裏切り、斜め上を行く雫の思考回路は未だに理解できない。ハーガンにとって雫は興味深い観察対象だ。
「観察対象って、そんなの――」
「間違ってる?ああ、あのガキと同じ事言うんだね。結局、与えられた幸運を退けることしかできなかった奴と同じ価値観かな?少しは、雫が好きそうだと思ったんだけどな」
誰を思い出しているのか嘲るような口吻のハーガンにニコラスは訝しむ。余裕を崩さないハーガンは言葉が砕けるようなことはあっても自分の感情を言葉に滲ませることはない。ハーガンから吐き出されたのは珍しい嫌忌である。
「どういうつもりですか?」
「穴を埋めるために必要なんだよ。それに事態を変化させるにはなんらかの契機が必要だろう?俺は、どうしてもあいつに動いて欲しいんだ。どうなるか見たいんだ。恐らく、雫の従者達は許さないだろうけど――本来ならこんなところへ連れてきたのも激怒してもおかしくない。暫くは接触も認められないだろうな」
ハーガンが何かするための行動をしているのは分かるが、何をするためか全く口にはしない。それは、誰の為のものかすら分からない。
「彼女の属性は?」
「おや、魔術師っぽい事を聞くね」
コレットの尋ねに、女性は怖い、とハーガンは心の中で呟く。
「基本は四大属性。近いのは錬成術かな」
魔術師で考えると、とハーガンは頭の片隅で考える。攻撃力を考えれば、異能を祓う、降魔や祓魔に似ているが雫の本質は、創る事である。その卑屈な性格とは掛け離れた恵まれた四大属性を持っているが攻撃をすることも少ない雫では言葉通り宝の持ち腐れである。
「でも、攻撃もなんの属性もなく、投槍を射るだけでした……強力でしたが」
「言った通り雫はお嬢様なの。戦う必要なんて無いの。もっと言えば守られるのが役目。訓練で雫を前衛に持ってきたけど、本来は後衛タイプなんだよ」
前衛にファリドを置いて距離を置いたところで戦いを見守る。まるで、中世時代の槍試合を見守る貴婦人ではないか、と思うが実際それに近い。雫がするのは見届けること、ともしもの時に備えて援護魔術を掛けるだけだ。
「あれで、後衛?」
驚きの声を上げたコレットにハーガンは口の端を上げる。予想を覆されたときの人の顔程面白い事はない。少しばかり性格が歪んでいるだろうか、とハーガンは己を内省するも雫を侮って見ていたものが悪いのだ。
「あの子の性格見て分かるでしょ?真の価値は、強力な前衛がいた時に発揮されるの。普段、前に出るのは爺やの役目」
雫を背に負っている時のファリドの凶悪さをハーガンはよく知っている。少女が誰もが憧れるようなお伽噺の騎士のように何処までも真摯で直向きである。口で何を言っても、決して雫を諦めることはない。最善を選んで主を守る忠実な従者である。勝つことに固執するだけではなく、時には雫を連れて逃走を図る――良くできた守り手である。それが役目なのだから褒めそやしたところで当人は訝しがるだけだろう。
「雫の口から聞かなければ分からないでしょう」
ハーガンは薄い笑みを浮かべているだけで真実を告げているようにはニコラス思えなかった。真実に一滴の嘘を混ぜ、さも本当の事をのように告げることが可能である。
「うん。いいね、俺の言うことを疑うのは良い傾向だ。でも、俺は嘘は吐いていないよ」
「っ……――」
子供を褒めるようなハーガンの口ぶりにニコラスはカッと頬が羞恥で熱くなる。ただでさえ、苦手な相手に子供扱いされるなど屈辱以外の何者でもない。
「そうだね。面白くないね。そろそろ、最後の試験をしようか」
「試験?」
何の話をしているのだ、と四人は目を見開く。既に、補講で実地訓練をA組とG組は余計に受けているのである。これ以上試験を課されるのは避けたいことだ。
「雫の正体を暴いたら、成績に加点してあげるって話だよ」
「「なっ」」
ルカとニコラスの驚きの声が被る。遽色が滲んだ容にハーガンは面白い、とくつりと笑う。
「何を驚いてるの?情報収集も魔術師として必要なことだよ?」
「お前が雫の事情を伏せたんだろうがっ、何言ってるんだよ」
ルカの当然の抗議もハーガンは素知らぬ顔で流す。
G組の生徒の前に雫を連れ出したのはハーガンである。しかも、回りくどい説明をした後、参加するとだけ言っただけでなんの捕捉もしていない。
「本当最近の子って面白くないよね。あれだけ面白そうな逸材がいたら少しは調査するのに、動いてる人間が全くいないんだもん。度胸がないのかそれとも興味ないのか大成しそうもないな」
魔術師として情報収集に長けているハーガンにとってただ与えられた情報のみを事実として受け入れる生徒の姿には違和感を感じた。少なくとも、異物に対しては鋭敏であるべきである。雫のような異分子を放っておくなど魔術師を名乗るのならば手落ちも良いところだ。普通の魔術師であるクーエン・シャーンドールは勿論最初から雫の正体を知っていたので調査することはなかったが、ルイーゼ ・ヴィルトは己の恋情の為か既に家に申しつけて調査を始めている。
「本人だって触れて欲しくないのだろう」
曖昧な笑みで誤魔化された事を思い出したイゾルフはそう言葉を添えるがハーガンは詰まらなそうに頭を振る。実際、質実剛健という言葉はハーガンにとって何の面白みのない言葉だ。魔術に安定性を求める方がおかしな話だ。浮き沈みが激しいことも、実力主義なのも昔からで何も変わっていない。
「仕事でそうも言ってられないよ。雫みたいに泥を被ってくれる人間が傍にいる訳じゃないからね」
真綿でくるむように護られている雫は例外だ、とハーガンは言葉を付け加える。こんな事で動揺しているようでは魔術師などやってはいけないだろう。魔術師は個人主義だが、孤立をしているわけではない。自分以外を蹴落として進むだけである。
「これは、雫にとっても君達にとっても試練なわけ」
「ただの嫌がらせじゃないか」
唸るようなニコラスの言葉にハーガンは薄く笑った。
「ははは、そうだよね。でも雫の為でもあるんだよ」
何処をどうしたらそう結論づけられるのだ、と誰もが内心突っ込んだ。仮初めの希望を与えて、根こそぎ奪い取るなど嫌がらせにも程がある。しかも相手は精神的に脆い雫である。
「まるで、彼女から全てを遠ざけたいみたいだ」
与えて奪って、結果その掌には何も残らないのだと証明をするように、意識を誘導するように仮初めの幸せを与える。それは雫の孤立を煽り、孤独感を深めるだけのものだ。世界を本当に広げたいと思うのならば、無理矢理、引き合わせることもないし、引き剥がす必要もない。
「……そう評するのは二人目だな。あれは、俺をあくどい偽善者と言っていたな。失礼だよな」
あはは、と声を上げて笑ったハーガンに同意する者は居ない。寧ろ真っ向からハーガンの在り方を否定した人間に内心拍手をした。
えげつない、と痛烈に面罵されたのは片手で足りない程昔の話である。容を憤怒に彩り、雫への態度を批判した。まるで子供が玩具の強度を測るみたいに壁に打ち付けているのと同じだと言われてもハーガンはなんの痛痒も感じなかった。そんな無遠慮なことをしているつもりはなかったし、ハーガンからすれば全ては正しく間違い一つもない。自分の欲望を満たす事もあるが、雫を必要以上に傷つけないように注意を払っている。全ての基準が雫を傷つけない、安寧な世界を保つためならば人形だけで事足りる。ハーガンは人間であって、雫の為の都合の良い人形ではない。
「俺はね、雫には本物だけが相応しいと思ってるだけ。贋物なんて、いらないんだよ」
意味深なその言葉にニコラスは首を傾げる。ハーガンの告げることは比喩めいていて意味を把握するのが難しい。特に、本人が意識して何かを伏せようとしている時は更に入り組む。
「贋物――?」
鸚鵡返しに単語を零せばハーガンは面白くて仕方がないと口の端を歪める。
「そう。見てくれだけのがらくたなんて、雫の狭い世界にはおけないだろ。騙されやすい子なんだから、危険な芽は取り除かなきゃね。だから、確かめさせてもらうよ」
此処に一人の少女を調査する事が補講に正式に加えられた。




