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Act9:欺くひと






 音もなくドアが開く。

 全ての元凶が姿を現し雫は小さく息を漏らす。

「おや、朝から浮かない顔だな。どうした?これから外出るんだぞ」

 既に訓練の準備はしている筈だろう、と暗に尋ねたハーガンに雫は一瞬で渋い顔をする。容に浮かぶのは、純粋な戸惑いだ。

「あっ、あのさ、私が魔術師じゃないって知られたら大変、だよね」

「何、バレたの?」

 遽色を浮かべることなく、仕方がない子、と呆れたような眼差しを向けるハーガンに雫は頭を振る。まだ、知られているわけではない。

「違うっ、別にそういうわけじゃないし」

「雫」

 咎めるようなハーガンの声に雫は身体を竦め、視線を背け息を吐いた。観念したように雫は声を絞り出した。 

「あの豆腐メンタルの子」

「おや、随分と察しが良いのに知られたね」

「知られてない。ただ、当たったって教えただけ」

「ああ、なるほど」

 漸く合点がいった、とハーガンは頷いた。

 朝食からニコラスは随分と雫を意識していた。その理由が分からず不可思議であった。尤も、その雫はルカに甲斐甲斐しく世話をされていて気がついていないだろう。

「雫は、変なのに気に掛けられるからね」

 自分のように、と心の中でハーガンは付け加える。少なくとも雫の中で、ハーガンは真っ当な“普通”な人間という評価である。それを覆す謂われはない。

「えっ、あの子変なの?」

 気付かなかった、と神妙な顔をする雫にハーガンは否定をするように小さく笑みを漏らす。

「ちょっとずれてるけど、おかしな子じゃないよ。それより、襤褸を出さないように注意しな」

「分かってるよ。私、ちゃんと――」

 近づく複数の足音に気付いた雫は視線を上げると、ハーガンも気付いているのか小さく同意するように頷いた。

「雫ちゃーん、そろそろ時間だよ」

「準備は出来ているか?」

 慌ただしくドアを開けたサンドラとそれを咎めるように腕を引くウーテ、その背にはルカとイゾルフが揃っている。

「随分仲良しだね、雫」

 ハーガンの意地の悪い尋ねに雫は反脣する。

「わっ、悪い?」

 オドオドとしながら、雫は言葉を退けるように語気を強める。

 愉快ではない、と心の中で返答してハーガンは巧笑した。

「変化があることは良い事じゃない」

「っ……そうよね」

 恐らく、不穏なことを考えているのだろう、と雫はハーガンの言葉を額面通り受け取るのを控える。

「おい、ちゃんと準備できてるのか?」

「だっ、大丈夫です」

 軫憂を孕んだルカの声に雫は、胸を張る。予め事を備えるのは雫にとっては当然の行為である。

「そそっかしいんだから、注意しろよ」

 大股で部屋に入室して雫の脇に寄ったルカはジロジロと雫を見渡して、用意が出来ている事に安堵の息を漏らす。苦手なハーガンが居るのは無視している一度目も視線を向けることはない。

「強いからって余裕ぶっこいてたら腕章とられるからな」

 昨日からルカの態度の軟化しているのは、泣いた為だろうか、と雫は心苦しく思うが目の前のルカはまるで同年代の少女に対するように振る舞ってくれる。

 良心がチクチクと刺激される。

 後ろめたさばかりが心に広がる。

 縋るように、そっと視線をハーガンに向けても、自分のことは自分でどうにか処理しろと言いたげな様子で無視される。

「っ~~~~」

「危なくなったら、直ぐに声を上げろよ」

「はっ…はい」

 ルカからの注意に雫は心做し俯きながら頷く。

 助けろ、とハーガンに念じるが分かっていて素知らぬ顔をする友人の意地の悪い部分を理解している為行動にはでられない。

 開始の時間だ、と向かい始めた四人についていくように雫は足を動かすが、不意に視界を掠めた存在に足を止めた。

「ハーガン、どうしたの?」

 どこかぼんやりとしているハーガンに雫は気づき声を掛けると、我に返ったのか、あっ、と小さな声を漏らした。その様子が珍しく、雫は目を屡叩く。

「ぼけた?」

 気を張っていないように見えて常に気を張っているハーガンが何かに気を取られるなど珍しいことだった。

「いや、少し考え事をね」

「ふ~ん。じゃあ、行ってくるね」

 ヒラヒラと手を振った雫は四人を追いかけるように部屋から出て行く。

 笑い声と足音が遠ざかる。




「――やっぱり、少し面白くないなぁ」




 誰もいなくなった部屋でハーガンは声を漏らした。

 集団の中にいる雫に違和感を感じる。

 あの歪を、誰よりも真に理解しているのは、唯一人だ。








 そこにあるのは鬱蒼とした森だった。

 日本から飛行機と車を乗り継ぎ、多少のタイムロスはあったが、目的の場所にファリドとグルゲスは無事に到着をした。

「いつ見ても、ムカツクぐらいでかいな」

 狭い日本の家屋とは違い、名門家のトリップス家は広大な土地に城と見まごうばかりの屋敷が建てられ、周囲を自然という名の要塞で囲んでいる。平素であれば、数多くの使用人が働き、賑わっている筈だが人の気配がしない。

「……早く――はやく、いきましょう」

 急いたように漆黒の門を押し開けたグルゲスにファリドは幽かな違和感を感じながら後を追う。

「どうやら、戦える人間以外は出払ってるな。好き勝手にしろって事か」

 門から車が横付け出来るように広い幅広い道を歩きながら、ファリドは最初から分かっていて行動しているハーガンに悪態をついてしまう。

「っ、ええ」

 迎合を打つ、グルゲスの声は幽かに震えている。

「大丈夫か?」

「――大丈夫、です」

 頼りない声だったがファリドは白鞘の人形として尋ねることを躊躇う。毎度のことを憂慮するのも面倒だった。

「そうか――」

 気付かなかったことにしてファリドは、漸く辿り着いたドアの前で立ち止まり、スッと息を吸い込んだ。

「お邪魔しまーす」

 木製の重い両開きのドアを足で無理矢理こじ開け、周囲には木の裂く音が響き渡る。

「………………」

「………………」

 ドアを開けて広がった光景に二人は沈黙し互いに目を眇める。

「ここは、玄関ホールだった筈だよな?」

「記憶が確かな筈なら、吹き抜けですね」

 豪奢な作りの玄関ホールは灰色に塗りつぶされていた。

 広がるのは一面の壁だ。

「突貫工事したのか。右と左どっち行く?」

 確認するようなファリドにグルゲスは、手近の通路を指差す。

 二つ分かれた通路はどちらかが正解でどちらかが行き止まり――もしかしたら、両方不正解かもしれないが、二人で連んで行くよりも別れた方が、執事であるクロギオ・サヴァリッシュを捕獲できる。ハーガンが催すゲームの最後はいつだって、情報を持つ執事を掴まえる事が重要だった。

「じゃあ、取り敢えずいつも通りな」

 先に見つけた方が合図を送る、とファリドは声を掛けて足を右の通路へと向けて、ゆっくりと歩き出す。

「分かりました」

 ファリドの背を穏やかな笑顔で見送ったグルゲスはその背が遠ざかったのを確認し、表情を収束させる。

 先程まで浮かべていた笑みは掻き消え、鉄面皮のように無表情だ。

 左の通路へと足を踏み出して、足早に歩を進めるが、途端に、足に力を込めて駆け出す。


 はやく、ハヤク、と心が急く。


 雫に、一秒でも早く、会いたい――それだけが、グルゲスを動かす衝動だった。








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