かまくら(原題:私はアナタの邪魔をする)
はぁっ、と息を吐いてみる。
溜息なんかじゃない。確かに私は溜息をつく事も多いけれど、今のはそんなんじゃない。
「ははっ、凄い白いねー」
隣で悠が楽しそうにその様子を眺めていた。
いかにも、その通りだ。
私が斜め上に吐きかけた息は、そのまま白くなって街灯にきらめいていた。自分の体の中の二酸化炭素がこんなに綺麗に見えるなんて、すこしロマンチック。
「もう今年も、すっかり冬なんだね」
なんとなく言うと、悠は「えー?」と笑いながら、
「いまさら? もう周りに雪もたくさん積もってるじゃん、ようやく冬に慣れ始めたってところだよ?」
ショートカットに被さった紺色のカチューシャがきらん、と光る。自分の頭の良さを自慢しているようなそのエフェクトに、私は思わず噴き出した。すかさず、「なにさー」とちょっとムキになって悠が怒りだす。
「ごめん、ちょっと……今の頭、面白かったから」
「はぁ? それって、私の頭がおかしいって意味なの?」
「ちがうちがう」
ふーん、と疑わしげな悠を見て笑いをこらえながら、口元を隠すように私はマフラーを巻きなおす。口元が緩んでいるのを見られたくなかったからだ。
お気に入りの黒いマフラーを巻き直してから、息を確かめるように「ふぅ」と息を吐く。
すると、マフラーの隙間からまた白い煙が立ち上っていった。
「ねぇ、優羽はさ」
ついさっきとはうって変わって、何て事ないような口調で悠が尋ねた。
「冬って好き?」
「うーん」
私は少し悩んでから、首を縦に振った。
「好きかな。温かい物がおいしくなるから」
「あったかいもの?」
「お鍋とか、ラーメンとか。あとお正月なら、お餅とか」
「ふ~ん」
ニヤニヤ、と悠は私を見る。
「なに?」
「いや、これはあくまで親友としてね? 親友として優羽に言うよ」
やけに勿体ぶってから、悠は口を開いた。
「太るよ?」
「ああ、大丈夫。私、太りにくいから」
「うっわ、出たよこういう『私全然そんな事ないんですよぉ~』的なアイドル発言。裏でこっそりダイエットとかしてるんじゃない?」
悠は恨みがましく私に詰め寄ってくる。こういう強引なところは消極的な私にとって、知り合った頃から羨ましいと同時に、こういう面倒な時もある。
「してないよ、ダイエットなんて。悠こそ、部活やってるんだし太らないんじゃないの?」
「ふふん、私は全部胸に回すからいいもんね」
「そう」
べしゃ。
湿った音とともに、私の右のほっぺたに白い塊が。
「しゃっこぉ!」
「ふふん、思い知ったか私の苦しみを」
隣で悠が勝ち誇ったようにVサインをこちらに向ける。雪を触ったせいか、Vサインは真っ赤。
「何の話よ……」
「べーっつに」
悠はぶっきらぼうに言いながら、こちらに笑って見せる。
私には出来ないようなその爽やかな笑顔を見るのが、私は好きだった。
2秒ごとに白い息を吐き吐き、道路に積もった雪をさくさくと踏みながら、私達は学校から帰路についているところだ。
お互いに学校までは徒歩30分くらい。中学生には厳しい遠さだけど、冬になるとそれはもっと顕著になる。
「まぁ、こんな田舎だし。市内に中学が1つしかないから仕方ないけどさぁ」
悠は道路に転がっている4センチ四方くらいの氷の塊を蹴りながら不満を漏らしている。
「私はもう慣れたけど……」
「ちがうんだよ慣れるとか慣れないとかの問題じゃないんだよこんな遠い道のりをか弱い女の子に歩かせてるのが問題なんだよ危ないでしょ危険でしょハイパーデンジャラスでしょ? どうして優羽にはそれが分かんないかなー」
悠の頭上にはもうもうと白い煙が立ち上っている。
「別に危険じゃないでしょ。この辺、不審者とかも出ないし、物騒な事件だってないじゃん」
だから私は安心しているけど。
そういう前に、「あ」と悠がまた新しく煙を吐き出した。
「不審者と言えばさー。こんな話知ってる?」
「?」
悠は勿体ぶるように口を開いた。
「『かまくら』っていう都市伝説」
「かまくら?」
そんなのどこにでもある。都市伝説でもなんでもないじゃん。
しかし、悠はやけに自信たっぷりに言った。
「この辺で、昔あった話なんだけどね?」
10年前――とある女子高生が、雪の降る夜に突然失踪した。
もちろん、その両親が警察に届け出て、警察はその晩中、血眼になってその女子高生を探した。雪の降る夜に失踪する人は、たいてい死亡しているからだ。
ところがその翌朝。
その人は何事も無かったかのように、家に戻ってきた。健康状態も良好で、不思議な事に体温は高いまま。
本人の証言では、「雪の中、突然ひとりになって道が分からなくなった」という。
さらに奇妙な事に、それ以降の記憶が全くないとか。気付いたら家に辿り着いていた、と。
結局、警察もそれを事件とはせず、無事に帰って来たという事でそれは終わった。
ところが――
それ以来、毎年1件ずつ、似たような事件が起こるようになった。
雪の降る夜に、突如として失踪しては、翌朝に無事なままで帰ってくる――良好な健康状態のままで。
共通点は、みんな一様に記憶をなくしているという事。
「なるほど、それで『かまくら』」
雪の中で隠れるように失踪してしまうというわけだ。うまい。
悠はそれを話し終えると、「いやー」と照れるように後ろ頭を掻く。
「先輩から聞いた話なんだけど、面白かったからさ。教えてあげたくなっちゃった」
「そうなんだ」
どう返せばいいか分からずに、適当に返した。
「ひょっとしたら、今年の被害者は優羽かもしれないよ~?」
「あはは、勘弁してよ」
私達はそんな調子で、その日の話題を『かまくら』に費やした。
正直、とても興味をひかれる話題ではあった。私の住んでいるこの小さな町には事件らしい事件なんて滅多に起こらない。最近では、雪のせいで交通事故がちょっと多いくらいだ。
そんなこの町で、そんなミステリーな事件が毎年起こっているとは――
図らずも女の子として、少し好奇心がわいてきてしまう。
「まぁ、くれぐれも巻き込まれたりしちゃダメだよ?」
最後に悪戯っぽく悠は笑って、私達は別れた。
○
「ただいまー」
「おかえりぃ。毎日夜までお疲れさん」
家に帰ると、姉さんがちょうどスーツを脱いでいたところだった。
姉さんは私より10歳年上の24歳。両親があまり家にいない私の親代りをしている。
「ねぇ涼羽姉さん」
「んー?」
「『かまくら』って知ってる?」
ふと聞いてみた。姉さんはハンガーにスーツをかけながら、
「あの雪で作るやつ? 中でお餅食べたりする」
「そうじゃないやつ」
「じゃあ幕府? 1192年の」
「え? 鎌倉幕府って1185年じゃないの?」
「何言ってんの優羽。イイクニ作ろう鎌倉幕府でしょ?」
「えー、ウソウソ。いい箱持って鎌倉幕府だよ? 今日習ったもん」
なんでー? と姉さんは言った。
「まぁ、いいや」
「いいんだ」
「それよか、早くご飯食べちゃいな。それから風呂入って。寒かったでしょ?」
そういうと、姉さんはテキパキとご飯の準備を始めた。ひょっとしたら、私が帰ってくるまで待っててくれたのかも。
「ごめんね、待たせちゃって」
「んんー、気にしないで? 私も帰って来たばっかだし」
「そっか」
私達はテーブルをはさんで食事を始めた。
味噌汁の茶碗を持ちあげると、外での寒さがすっと引いていく感じがした。
○
「じゃあ、行ってきます」
「ほーい」
翌朝。私はいつものように家を出た。
太陽は出ているけれど、気温は低いも低い。昨夜は結構雪が降ったのか、道路はいつもより雪が深い。あちこちで雪かきをしている人が見える。
下校時間こそいつも一緒の悠は、朝はだいたい一緒にはいかない。悠は毎日バスケ部の朝練があるから、毎日5時とか6時とかに家を出る。ちなみに今は午前7時。
今日も寒い。私は黒いマフラーを昨日のように巻きなおすと、隙間からまた白い息が漏れた。
「うぅっ、寒い……」
肩をすくめて、コートのポケットに手を入れる。
ひゅう、と身を切るような風。地面に積もった雪が、粉みたいに私に向かって吹きつける。痛い。寒いじゃなくて、痛い。
「もー、最悪……」
体の右半分にだけ吹きつけた粉雪をばさばさと振りおとす。
私は朝から不愉快な気分になりながら、学校へと早足で歩いた。
しばらく歩くと、私の前を歩く女子が目に入った。
白いコートと、それと対照的な黒い長髪が綺麗な人だった。背も高い。後ろ姿だけで、なにか神秘的なものを感じてしまう。
しかし、スカートの模様から察するに、その人は私と同じ中学生のようだ。この辺から別な中学に行くには、最低でも2時間はかかる。それでも私の小学校の頃の友達は、遠くの私立中学に通ったりしてる子もいるけど。
「んー。昨日の悠の話を聞いてから、私の思考は何かメルヘンに走っているような」
独り言を呟いて、私はその人の後ろを歩いた。
くるん。
いきなり、その人が私の方を振り返った。
「?」
思わず私も後ろを振り返る。
しかし、何もない。ただ白い雪景色があるだけだ。
「やだなぁ」
その女の人はくすくす、と口に手をあてて優雅に笑っていた。
「あなたに用があるんだよ、伊織さん」
「へ……私にですか?」
完全に初対面の人に名字を呼ばれた。私は困惑しながら、「何ですか?」とだけ返した。
「んー。まあ、取り立てて重要な話がしたい訳じゃないんだけどね」
「はぁ」
「伊織さん、ラーメンって好き?」
は?
「まぁ、好きですよ」
「何味?」
「味噌、ですかね」
「へぇ」
瞳を引き絞った弓みたいに細くして、その人は笑った。
「ぼくにゃんは、まぁ醤油が好きかなぁ。妥当にね」
人差し指を口に当てながら、その人は言った。なんだか不思議な人だなぁ、と思った。
「まぁ、いいや」
「いいん……ですか?」
「いいのだよ」
そう言って、その人はまた踵を返して歩き出した。
なんとなく後を追う気にはならなくて、その人の後ろ姿が見えなくなるまで私は黙って立っていた。
○
「へぇー。それって結構面白いじゃん」
「面白い……のかなぁ」
その日の昼休み、私は悠に今朝の事を話していた。
「でも、やっぱり豚骨チゲだよ。豚骨チゲは譲れないね」
「ツッコむのそこ?」
ちなみに悠が真っ先に食い付いたのはラーメンの話題だ。それをこうして引きずって話しているというわけだ。
「その人に会って、是非親睦を深めたいなぁ。この学校の生徒なんだよね?」
「うん、たぶんね」
「そっかー。で、大人っぽかったと」
「うん……だから同い年か、先輩だと思うんだけどね」
「なるほどー」
悠は頭から紺のカチューシャを取り外して、ことりと机に置いた。
「あとであやさん先輩に聞いてみようかなー」
「それとカチューシャを外したのには何か理由があるの?」
「んにゃ」
猫みたいに答えて悠は笑った。
「同じ帰り道なんだから、今日もまた会えるかもしれないにゃあ」
「そうかもね」
その日の帰り道は、雪が降らない代わりに冷たい風が吹いていた。
「うう、寒いね」
「そうだねぇ……うううううう」
2人で凍えながら夜空を歩く。
結局、その日はもうあの人に会うことはなかった。
○
次の日。
あの人に会えないかな、と半分期待、半分は自分でもよく分からない感覚を覚えながら学校に行くと、珍しい事に悠が来ていなかった。
「ああー、あいつは今日休むってよ」
バスケ部3年の藤乃先輩に聞いてみると、そのような答えが帰って来た。
「休む?」
「高坂の奴、昨日の練習で無理したのかもな。今朝『熱が出た』って言ってたらしい」
「ってことは、風邪ですか?」
「あるいはインフルだな。まぁ、もう引退したあたしから言わせりゃ、優秀な後輩には後者でない事を祈るばかりだよ」
「そうですね……」
「まあ、今日あたり見舞いに行ってやれよ。あたしもついてくからさ」
あやめー、ちょっとこっちー、という声が聞こえて、「おーぅ!」と男らしく返事をする藤乃先輩。勝手な偏見かもしれないけど、すごく運動部って感じがする。
「じゃな」
軽く手を振って、藤乃先輩はたたたっと軽い足取りでその場を離れた。
なんだか悠のいない日はすぐに終わってしまうようだ。何故かというと、一番の話し相手がいないから、何もすることがないのだ。
そりゃ、私も悠のほかに友達がいない訳じゃない。でも、悠以外の友達とはあまり話をしないのも事実だった。悠と話が出来ない時間は退屈で、過ごしている間は長く感じるのに、終わってしまうとひどく空虚な感じがする。
「だろうなぁ。高坂もしょっちゅう部活でお前の事話してるぞ」
その日の帰り道。普段は学校で自習しながら悠の部活が終わるのを待ってる私だけど、今日は悠のお見舞いに行くために早めに学校を出ていた。藤乃先輩も、部活に顔を出さずに私と一緒に歩いている。
「藤乃先輩は、受験とか大丈夫なんですか?」
ふと気になって聞いてみると、「あっははは」と実に豪快に先輩は笑った。その場にいた通行人が、何人かこちらを振り向いたが、それも気に留めていない。
「あたしは真面目だから大丈夫だよ」
「そうなんですか……」
「おう。いいか伊織。受験で楽したいなら、今のうちから勉強しておけよ? 受験で一番出るのは1、2年の範囲だって、先生にも言われてるだろ?」
171センチの高身長から先輩は私を見下ろす。ちなみに私は151センチだから、20センチの差があることになる。
「まぁ、私もそこそこの成績を維持しているつもりですけど」
「そうか。ならよかった、高坂にも見習えと言ってやろう」
「病気の人にですか?」
「それくらいの根性も無い奴は、きっと病気もなおせんだろう。病は気から、だ」
えっへん、と先輩は胸を張る。
ひゅう、と日本刀のような風が吹いたが、きっと先輩の周りだけは全く風が吹いていないんだろう。ビクともしていない。私は寒いけどね。
「寒くないんですか?」
「ん? まあ寒いけどな」
「寒いんですか」
ちなみに先輩はコートも着ていない。マフラーも巻いていない。小学生の男子みたいだ。
しばらく歩くと、ちょうど私と悠がいつも別れるあたりの道に差しかかった。
「高坂ん家はこっち」
ここからは道を知らない。私は藤乃先輩の高い背中を追いかけるような形で、半歩下がって後を歩く。
先輩は背が高いから、なんだか後をついていって安心感がある。絶対に見失わないような、頼れる私の先導者。
「先輩はどうしてそんなに背が高いんですか?」
ふと尋ねてみると、先輩は「んー」と考えてから、
「やっぱバスケやってるからだな」
「そうですか……そのうち悠も、私より高くなっちゃうのかな?」
今の悠の身長は私よりちょっと高いくらいだから、今も高いんだけど。
「まぁ、女は身長じゃねえよ。伊織は真面目なんだから、中身を伸ばせって」
「はい」
にかっ、と笑って見せた先輩は、「早く行くぞ」と照れたように早足に歩き出した。
「そんなに急がないでくださいよ」
私もあわてて後を追おうとする。
先輩は曲がり角を真っ直ぐ進もうとしているところだった。私も凍った地面に滑らないように気をつけながら急ぎ足に曲がり角に差し掛かり、
曲がった先に、あの白いコートが見えた。
「あっ……」
私は思わず立ち止まった。
「ん? おい、何やってんだ伊織ぃ。早くいくぞ?」
先輩が私の様子に気付いて、こちらを振り返る。
「ちょ、ちょっと待っててください! すぐ戻りますから」
「はぁ?」
いぶかしむ先輩に軽く頭を下げて、私はあの人のところへ急いだ。
「あ、あのっ!」
人違いだったらどうしよう、そんな不安も一瞬頭をよぎったけれど、振りかえった白いコートの人は、
「あら、伊織さん」
紛れもなく、あの人だった。
その人は黒髪を掻き上げながら、私に微笑んでみせた。
「何か用かしら?」
「え……えっ、と……」
何か用、と言われても。
確かに話しかけたのは私だけど、なんで話しかけたのかが分からない。体が勝手に動いてしまっていたみたいだ。
「おーい、伊織ぃ。お前何して……おっ!」
後ろから藤乃先輩が私を追いかけてきてくれていたみたいだ。そして白いコートに気付くと、
「京じゃねーか! 久しぶりだなー」
「ええ、久しぶりね文。元気そうじゃない」
何故か先輩と白コートの人は、気さくに話し始めた。
「あ、あの……知り合いなんですか?」
「はぁ? 伊織こそ。お前の知り合いじゃねぇのか?」
「え、まぁ知り合いというか、何というか……」
どう説明したものか。困っている私に、白コートの人がふふっ、と笑って、
「文、伊織さんと私は知り合いじゃないわ。前に偶然会った事があるだけ」
「そうなのか?」
何故か私に聞き返す藤乃先輩。「まぁ……」と返しておいた。
「そういえば、ぼくにゃん自己紹介してなかったね。ごめんなさい」
コートの人はそういうと、穏やかな笑顔で私を向いた。
「京よ。水奈坂京。京で構わないけど」
「は、はぁ……伊織優羽です」
なんとなく自己紹介を返した。そしてお互いに一礼。
京さんは藤乃先輩に視線を移し、
「文はどうしたのかしら? 伊織さんと一緒におでかけ?」
「まぁな。あたしの後輩が病気やらかしてよ、見舞いに行くところだ」
「ふぅん……」
目を細めて京さんは笑った。なんだか矢先みたいだ。人を射ぬこうとしてる、鋭い光が見える。
対して、先輩はフランクに尋ねる。
「京はなにしてんだ?」
「私? 散歩よ。このあいだ、おいしいラーメン屋さん見つけたのよ」
「マジか! 今度連れてってくれよー、もういい加減インスタントにも飽きたところでさ」
「不健康ねぇ。そんなんじゃ、ぼくにゃんみたいにナイスバディになれないぞ?」
「うっせぇっつのー。ハハハ」
その後、先輩たちは立ち話を3~4分ほどして別れた。「じゃあね」と京さんは優雅に微笑んで、皇族みたいに控えめに手を振った。藤乃先輩は「おーぅ! じゃなー」とぶんぶん手を振っていた。正反対な反応が、少し面白かった。
「京は、あたしの幼馴染。変な奴だろー? 小さい頃からそうなんだよ」
「へぇ」
再び悠の家へと歩きながら、先輩が説明してくれた。
「……ちなみに、ラーメン好きなんですか?」
「おう、大好きだぜ? あたしは断然、塩だけどな」
「ええー?」
思わず吹き出してしまった。先輩があんな薄味のラーメンを食べているとは、正直イメージと合わない。かなり濃いめの豚骨ラーメンなんかを食べている印象があるからだ。
「なんだよー?」と笑いながら尋ねる先輩は、嫌味がなくて爽やかだった。
こういうところは、確かに塩ラーメンみたいだ。
○
『KOHSAKA』と書かれた表札を確かめて、私達はチャイムを押した。
「おーい、高坂ー」
「悠ー?」
チャイムには悠本人が出た。「まぁ、入ってよ」と割合元気そうに答えてくれた。
「ありがとねー、優羽。あやさん先輩も……ご迷惑おかけして」
「なーに気にすんじゃねぇよ。こっちも元気そうでなによりだ」
悠はパジャマ姿で、布団にくるまってそれを引きずるように移動していた。体調は安定しているのか、私達にコーヒーとお菓子も出してくれた。
「で、どうなの?」
「なーに大丈夫、ただの風邪だって。ちょっと頭がぼーっとするくらい。2、3日でよくなるって医者も言ってたし」
「そうかいそうかい」
藤乃先輩は満足そうにうなずいた。
「早く直せよ高坂。お前はバスケ部の今の代の柱なんだからな」
「分かってますってぇ」
元気そうに返事をする悠。よかった、本当に大丈夫みたいだ。
それからの時間は、特に他愛ない世間話をした。
学校の事。芸能人の事。政治の事。
やっぱり、悠と話している時間は楽しかった。時折お菓子をつまみながら、「ちょっと優羽ー。取りすぎじゃないの?」と悠に突っ込まれては「あっははは!」と藤乃先輩が笑った。
私達は時間も忘れて、ずっと話し続けた。
「おや、もうこんな時間か」
藤乃先輩の言葉で私も時計を見ると、もう夜の7時になっていた。
窓から外をうかがうと、もう真っ暗だ。おまけに雪も降っている。
「2人とも早く帰りなよ。今日はありがとね」
悠は布団に隠した手を振った。お化けみたいだった。
私は「お大事にね」と言って、藤乃先輩と家を出た。
「しっかし高坂のやつ、えらくピンピンしてやがったな」
「まぁ、悠ですからね」
「まぁ、元気で良かった。伊織、お前も伝染されないように気をつけろよ?」
そう言い残して、「あたし、こっちだから」と藤乃先輩は去って行った。
「でも良かったなぁ。悠が元気で」
私はホッと胸をなでおろして、そのまま帰路に就こうとした。
ところが。
「……どこだろう、ここ?」
今私は、悠の家の前にいる。
私か今日まで、悠の家がここだと知らなかった。
そして、ここまで私を案内してくれた藤乃先輩はいない。
「ひょっとして……迷子、ってやつ?」
私は「ははは……」と力なく笑いながら、とりあえずこっちだ、と思った方向へ歩いてみた。病気の悠に「迷子になっちゃった」と道を聞く訳にもいかない。
そのまま、さくさくと雪を踏んで歩いてゆく。
しんしん、と雪は静かに振っている。息を吐くたびに出る白い煙も、少しずつだけど濃くなってきている。気温が下がっている証拠だ。
「うー……」
マフラーを口元に巻きなおす。
心なしか、道が分からないと、どんどん違う方向に歩いているんじゃないか、そんな錯覚を覚える。このまま自分は帰れなくなっちゃうんじゃないか、とか、お腹が減ったらどうしよう、とか。
「ええい、いかんいかん」
首をぶんぶんと振って、普段のマイナス思考な自分を振り払う。顔を動かしたせいでマフラーが口元から外れる。それを巻きなおす。
今日のことを思い出しながら歩こう、と私は今日の事を思い返した。
まず、悠が学校を休んで。
今日の学校、つまんなかったなぁ……でも、藤乃先輩と一緒にお見舞いに行って、優の元気な姿も見られて。
そうそう、そういえばあの白いコートの不思議な人――京さんとも会えたっけ。実は藤乃先輩の幼馴染だってことを知って、ビックリして。
それで、おいしいラーメン屋さん見つけたって京さんが言って、
「あれ?」
そこで、私は気付いた。
すぐに次のことを考え始める自分を押さえつけて、私は頭を両手で抱えるように抑えた。
思い出せ。思い出せ。思い出せ……
あの時。
京さんと会った時――藤乃先輩は、なんと言っただろうか?
『京じゃねーか! 久しぶりだなー』
久しぶり。
それは普通、昔に知り合いで、何年か何カ月か会ってなかった友達に言う言葉だろう。事実、藤乃先輩と京さんは幼馴染らしいし。
でも、おかしいだろう。
この前、悠にその京さんの事を話した時。
『この学校の生徒なんだよね?』
うん、と答えたと思う。
なぜなら、うちの学校のスカートをはいていたから。
それなのに。
なぜ、幼馴染の藤乃先輩が、同じ学校に通っているはずの友人に『久しぶり』というのだろう?
学年が違うとか?
あるいは、クラスが?
それとも、単純に私の勘違いで、京さんはうちの学校の生徒じゃないんだろうか?
私は新しい謎に、頭を回転させ始めた。
あれやこれや。いろんな事を考えた。立ち止まっているとなんとなく集中できなくて、私は簡単に体を動かすつもりでゆっくり歩き始めた。
だんだんと頭が痛くなってきたのは、寒さのせいか、はたまた面倒な考え事をしているせいか。そんな些細な事も気にならなくなるくらい、私は一生懸命考えた。
「もしかして、学校に来てないとか?」
体調が悪いとかで、長期休学してるとか。
「それとも、単純にさぼってるとか?」
変な奴、と藤乃先輩は言っていた。十分あり得るだろう。
「……やっぱり、私の勘違い?」
それが一番、可能性的に高いと思うし、高くあってほしい。それが一番平和な選択肢だから。
しかし、やっぱり考えども考えども、しょせんは私個人の妄想でしかない。
「やっぱりダメかぁ……わっかんないや」
明日にでも、藤乃先輩に聞こうかな。
はぁっ、と大きく溜息をつき、白い煙がまた立ち込める。気分が落ち込んでいるせいか、白い煙もあまり白くない。
あまり透明感がないというか、光がないというか――
「!」
気付いた時には――
私は、どこともしれない、真っ暗な場所にいた。
「……どこ?」
と聞いても、単なる土地が答えてくれる訳もない。
あたりは真っ暗で、積もった白い雪だけが頼りなく白くおぼろげな光を放っているようだ。
空から新たに振ってくる雪を、風も吹かないような静けさが演出している。しんしん、と効果音が聞こえてきそうな、怖いくらいの静寂。
だけど、不思議と怖くなかった。
私はとりあえず振り返って、来た道を反対に戻ることにした。まずは悠の家の前まで辿り着いて、そこからリトライしよう、そう考えていた。
だけど、どうしたことか。
歩いても歩いても、何も見えてこない。考え事をしている間に、どこか深い山道にでも入り込んでしまったのだろうか。
頭で不安を感じても、体はぜんぜん怖がらない。
それは私に根性があるということか、それとも寒さでその感覚が麻痺しているのか。
とりあえず私は歩くことにした。
ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ。湿った雪を踏む音が耳に響いてくる。地面は凍っていないのか、つるんと靴が滑る事もない。淡く光る雪だけが、一面に広がっている。
しばらく歩くと、さすがに疲れてきた。
そんなに深いところまで歩いてきたのか、辺りの景色には全く変化がない。あるのはひたすらな、疲労感だけだ。
私は立ち止まって、雪の上に大の字になった。
見上げると、雪が降っているのに月や星が見えていた。光の正体はあれみたいだ。
「……オリオン座……」
大きな砂時計が、真っ直ぐ私の視線の先にあった。真ん中の3つの星が強くきらめいている。
「……私……」
このまま帰れないのかな。
涼羽姉さんに心配かけてるだろうな。
それ聞いたら、悠も心配するかな。
それは嫌だな。そう思っても、もう歩く気力もない。
指の先を動かしてみる。真っ赤になった両手の指は、ビクともしない。まるで凍ってしまったみたいに。
「死んじゃうのかな、私」
白い息はたくさん出た。こころなし、とても白く見えた。濃い白。
今の、私の魂だったりして。
バカみたいな冗談を最後に思って、私は少しずつ目を閉じてゆく。自分で閉じてる訳じゃない、勝手に意識が遠のいていく。
はぁ……。
「お腹、減ったな……」
ぺしゃっ、と軽い音。
同時に、私の手にペンチで挟まれたような激痛が走った。
「痛ったああああああああああああぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ!?」
思わず反射的に体を動かして、その辺をゴロゴロゴロ……と転がった。痛い! すごく痛い! 何これ!? まるで冷えた体でいきなり熱湯のお風呂に入ったような――
「ん?」
そこで、私の意識ははっきりした。
次に、くんくんと鼻から入り込む匂い。
「……お味噌汁?」
視線を匂いの方へ向けると――
「ごめんなさい、熱かったかしら?」
白いコートに身を包んだ、京さんがいた。
両手に、2つの丼ぶりをのせた、赤いお盆を抱えて。
「京……さん?」
「なにかしら、伊織さん」
いやいやいやいやいや。
「どうしてここに?」
「あなたこそ」
「え、いや、私は……」
「まぁいいわ」京さんは適当に話を切り上げて、私の方へ歩み寄って来た。
私は上体を起こして正座する。すると、京さんは私の目の前に、丼ぶりの片方を置いた。もうもうもう、とすごい量の白い煙が立ち上っている。
「……味噌ラーメン?」
「ええ、そうよ。お腹減ったでしょ?」
「……まぁ」
「じゃあ、ぼくにゃんの自信作を食べてお腹いっぱいになっちゃいな?」
「自信作……」
自分で作ったということだろうか。
色の濃い味噌色のスープに、ちぢれた黄色い中華麺。綺麗に切られたチャーシュー、雪みたいな白ネギとシンプルな具。
確かにすごくおいしそうだ。
京さんは私の目の前に座って、同じように丼ぶりを目の前に置いた。
「こっちは私の。あげないわよ?」
子供みたいに言った京さんの丼ぶりには、醤油ラーメンが入っていた。スープの色以外は、私のと似たような感じだ。
京さんは私に白いレンゲと茶色っぽい箸を手渡し、
「じゃあ、いただきましょう」
自分も同じものを持って、手を合わせた。
「いただきます」
「い、いただきます……」
雪の上に2人で正座して、テーブルもない、卓袱台もない、ただ雪の上に丼ぶりを置いてラーメンを食べる。
冷静になれば実にシュールな光景だ。
しかし、私は自然とレンゲを手にとって、味噌スープをすくった。
そのまま口に運び、軽く息を吹きかけて口に含む。
「どうかしら?」
「……おいしいです」
「そう。ならよかった」
京さんも同じようにスープをすすっている。何だこれ。
ともあれ、次は麺をいただく。丼ぶりを持ちあげようとして、あまりに熱かったのでやめた。このまま持ちあげたら、私の手の方が火傷してしまう。ただでさえ冷えてるのに。
私は箸を使ってレンゲに麺を乗っけて、口に入れてもぐもぐ、とかむ。
「どうかしら?」
「……おいしい、です」
「そう。ならよかった」
京さんも同じように麺をもぐもぐと食べる。何だこれ。
だけど、私はお腹が減っている。
私は少しずつもぐもぐと無言でラーメンを食べ進めた。
「もう。そんなにがっつかないの」
京さんは私を見て困ったように言うけれど、私はあっという間に食べ終えた。
「……ごちそうさまでした」
手を合わせて食事終了。正面では京さんが同じように「ごちそうさま」と手を合わせていた。
「おいしかったです。ありがとうございます」
「いいのよ。喜んでもらえて、私も嬉しい」
お盆に丼ぶりを乗せながら、京さんは笑った。自分の子供を見て微笑んでいるような顔だった。
「さて、じゃあ行きましょうか?」
「どこへ?」
「帰るのよ、あなたの家に」
「あ、ああ……はい。でもどうやって?」
それを聞いて、京さんは「ふふっ」と笑って、
「私が案内してあげるわ。だから安心なさい」
○
京さんの後を追いながら、私は尋ねた。
「そもそも、ここはどこなんですか?」
「伊織さんはどこだと思うかしら?」
「ええ……分からないから聞いてるんですが」
「それもそうね」
京さんはくすくすと笑ってから、「さて、どこから話そうかしらねぇ」と遠い目をした。
「あれはそうね……ちょうど10年前かしら」
そう前置きして、京さんは語り始めた。
「私もここに迷い込んだのよ。いつの間にかね」
気付いたら、ふっとこの場所にいた。
歩いても歩いても、出口が見つからなかった。泣いたし、疲れた。まだまだやりたい事もあったのに、食べたいものもあったのにって、未練ばかり残っていた。
でも、そのまま疲れて倒れ込んで――ああ、もう死ぬんだ。そう思った。
「そしたら、不思議な『白い人』が現れてね、こういうのよ。『お主は少し前に、もう死んでいるのだよ』って」
その『白い人』曰く。
ここは何かに迷った人、何かにつまずいた人がやってくる所なんだそうだ。
だからひたすら歩いても、出口なんかないし、ただただ疲れるだけ。
「その人は、私みたいに『未練を残して死んだ人』を何人も見てきたって言ってたわ。それで、そのささやかな希望をかなえてやる、神様のまねごとみたいなものだって」
その時、その人はラーメンを食べさせてくれた。この世のものとは思えないくらいに、おいしいものだった。
それで、その人に言われた。『ここに来る人に、私と同じことをしてやれ』と。
「それでラーメンを?」
「ええ、そうよ」
京さんは悲しそうに微笑んだ。
「正直ね。自分が死んだって言われて、ショックだった。でも、死んでからもこうして出来る事があるんだって、希望も持てるようになったのよ」
そして、私に向き直って言った。
「伊織さん。あなたもきっと大きかれ小さかれ、なにかに迷ったり悩んだりしていたんじゃない?」
「まぁ。でも、すごく小さな事ですよ?」
「それでもよ。小さな悩みって、大人になってからきっと後悔する事もあるわ。人間関係に関する事なら、なおさらね」
「あ……」
「それを引きずって生きるのと、解決してから生きるのと。……私がやっているのは、そういう事よ。小さな悩みでも解決してあげる事。話を聞いてあげる事。……ほら、今の世の中、そういうふうに考えられる人、少ないでしょう? 誰かに相談するとか、人を信頼するとか」
ここにも、年に1人くらいしか人が来ないもの。
そう言って星空を見上げる京さんは、悲しそうな表情だけど、なんだか嬉しそうに見えた。
私はその話に合点がいった。
「つまり、『かまくら』っていう事件って」
「ええ、世間様ではそういうみたい」
そういうことだったのか。
「でも、どうしてあの時私に話しかけたんですか?」
「ああ、あの朝の日のこと?」
そう。それが全てのきっかけだったのだ。
「あれはただの気まぐれよ」
「気まぐれ?」
そうよ? と首をかしげる京さん。「何かおかしいところがあるかしら」
「だって、私の名前を知ってたじゃないですか」
「あれは文から聞いたのよ。後輩と仲のいい友達がいるって」
藤乃先輩が?
「なんかラーメンが好きだって言ってたし、話が合いそうだなって思って」
「ちょ、ちょっと待ってください。藤乃先輩とは幼馴染なんじゃ?」
「ん? んー……そうとも言えるわね」
思わせぶりな発言ののちに、京さんは口を開いた。
「実はね、文もここに来た事があるの。5年くらい前かしら?」
「はぁ……」
「両親が離婚した、って言ってたわね。精神的なショックが深かったみたい。塩ラーメンをあげたらすぐに元気になったけど」
「軽いですね……。……えと、つまり」
「そうね。今でもたまに町を歩いてはバッタリ会うのよ」
それで、久しぶり。
「じゃあ、その制服は?」
「これ? これは私が死んだ当時のままの姿よ。10年前の私」
ということは、実年齢25歳ってことか。
なんだか全てが解決しちゃったみたいだけど、あまりにすんなりと行くので拍子抜けしてしまう。しかもなんだかメルヘンな要素も混じっちゃってるし。
「さぁ、そろそろよ」
「ん?」
京さんが指をさすと、そこには青白く光る長方形があった。
「ドア、ですか?」
「そうよ。それを開けば、あなたの家の玄関に入れるわ」
「……」
もう一度振りかえって、京さんとその周囲の殺風景な景色を見る。
「あの。……ありがとう、ございます」
「いえいえ、気にしないで。また遊びに来てくれていいのよ?」
「遠慮します」
それは残念、と肩をすくめる京さんに、「でも」と私は言った。
「今度、また誘ってくださいよ」
京さんが私に視線を移す。
「おいしいラーメン屋さん。……悠が元気になったら、みんなで行きましょう」
「そうね。ぼくにゃんも楽しみに待ってるわ」
ありがとう、最後にそう言った京さんに私は背を向けた。
青い扉の、ドアノブに手をかける。かちゃり、と高い音が響いたのを確認して――扉を開いた。
○
家は静かだった。
「……ただ~いま~」
小さく言って、靴を脱いで、家に上がる。
テーブルの上には、涼羽姉さんからの書き置きがあった。
『ごめん今日帰れない 冷蔵庫のやつ食べといて 姉より』
「セーフ……姉さんには悪いけど、帰ってきてたら事件になるところだったよ」
一安心。私は時計を見ると、午前4時。窓から外を見ると、まだ真っ暗だ。
はぁ、疲れた。私はソファにどっかりと腰を下ろした。
「でも……」
おいしかったな、あのラーメン。
それと、面白かったなぁ、いろいろ。
悠に聞いた話だと、『かまくら』に会った人達はみんな記憶を失っているらしい。
だけど、私は覚えている。京さんの事も、あの風景も、ラーメンの味も。
「また、会えるといいな……」
ふわぁ、と口からあくびがでる。もちろん家の中だし、白い息は出ない。
私はソファに横になると、そのまま目を閉じた。
○
「藤乃先輩」
「はーいっと……おお、伊織じゃねーか。どうした?」
その日、少しだけ寝坊をした私は、昼休みの学校で先輩と話をしていた。
「ちょっといいですか?」
「なんだよー。勿体ぶらないで言えよ」
じゃあ、お言葉に甘えて。
「私も、行きましたよ。あの雪のところ」
「……あー。バレちったか」
先輩は視線をそらしながら、私に言った。
「悪かったな、幼馴染なんて嘘ついて」
「いえ、それはいいんですよ。ただ、私もあれを体験しました、っていう報告です」
そうかい、と先輩は笑う。
「……京には本当に感謝してるんだ。あの頃のあたしは、本気で死のうとも思ってたからさ。それくらい両親の離婚ってのはショックだったんだ。今のあたしが折れないでいられるのは、全部あいつと――」
「ラーメンのおかげ、ですか?」
「そうそう! なんせめちゃめちゃ美味かったからなあ。元気も出るってもんだ」
はっはっは、と豪快に先輩はまた笑った。
「でも、勝手にお前や高坂の名前を教えたのは失敗だったなー。おかげでお前をビックリさせる要因になっちまった」
「いえいえ……むしろ感謝してますよ。全然知らない人にあんな事されても、絶対混乱するだけでしたから」
「なら良かったけどな」
「ええー! 私も早く会いたいー! げっほげほ」
「ほら、大声出しちゃダメだよ」
その日も私は悠の家にお見舞いに行っていた。
さすがにあの光景をそのまま言うのは気がひけたので、ところどころをぼかしながら悠に伝えた。
「そんな不思議な人にまた会って、道案内もしてくれたんでしょ? これはもうあれでしょ、恋の予感でしょ!」
「ないない!」
私は普通に男子に恋をする……と、思うな。
「ほら、今度藤乃先輩と一緒に、おいしいラーメン屋さん行こうって約束してるし……その時に話せばいいじゃない」
「ううー……」
悠はぐずっていたけど(風邪ひいてたし)、やがて納得したように「そだね」と笑った。
「今度、悠の快気祝いってことでさ」
「うん……ありがとう、優羽」
「気にしないでよー。親友じゃない」
「へぇ、そんなに壮大な計画になってるのね?」
最近では、毎朝のように京さんに会うようになっていた。私はある日、京さんに悠の快気祝いの事を話した。
「壮大ってわけじゃないですけど」
「ふふ、ぼくにゃんは10年もこんな事してるけど、誰かとラーメンを食べられるなんて幸せ」
「そうですか? 毎年こんな事してるんでしょ?」
「あら、そういう意味じゃないわよ。あんな殺風景なところで食べるよりも、やっぱり綺麗で小洒落たお店で食べたいじゃない?」
「そうですね……確かに今になって思い返すと、あそこでご飯を食べるのは……」
「まぁ、いいわ。あの日の事は早めに忘れちゃいなさいな」
「いいえ、忘れませんよ」
私がはっきりというと、京さんはびっくりしたようにこちらを見た。
そしてその後、目を潤ませて微笑んだ。
「……じゃあ、約束の日に待ち合わせね?」
「はい。待ってますよ」
じゃあ、と京さんと私は分かれ道で別れた。
○
そして、約束の日の午前10時。
私達は一番分かりやすいところ――中学校の前に集合していた。
「初めまして、高坂悠さん。水奈坂京です」
「どもー。高坂悠です。うちの優羽がお世話になってます」
「誰が悠の優羽よ」
「もー、お前らユウとユウだから面倒だな。あたしは名字で呼んでるから関係ないけどな」
「あら、訂正なさい文。私も名字で呼んでるわ?」
「だからどーしたよ。……ほら、さっさと行こうぜ?」
藤乃先輩が、あの日のように私達の先導をする。
「じゃあ、私達も行きましょう」
それに続いて京さんが。その後に私、悠と続く。
「えと、水奈坂さんは、」
「京、でいいわ」
「じゃあ。……京さんは、あやさん先輩――藤乃先輩とはどういう知り合いなんですか?」
「幼馴染よ」「幼馴染だ」2人同時に同じ事を言うので、私達はそろって爆笑した。それを見て、京さんも藤乃先輩も笑った。
「京、どっちだって? お前のお勧めは」
「ああ、そこを右よ」
京さんの道案内にしたがって、私達は雪道を歩く。
10分ほど歩くと、「ここよ」と京さんが指さした。
そこは拍子抜けするような、でも意外としっくりと来るような外観の店だった。
「屋台じゃねーか」
「そうよ? すごくおいしいの」
「へぇー。私、屋台でラーメン食べるの初めて」
悠がわくわく、と目を輝かせる。
私も屋台で何かを食べるのは初めてだ。少しだけ緊張する。
「店長さん、また来たわ」
「おぅ、いらっしゃい。今日はにぎやかじゃねぇか」
「ええ、友達を連れてきたの。さ、みんな座って」
店主のおじいさんと向かい合って左から京さん、私、悠、藤乃先輩と座る。
「注文はなんにする? 好きなように頼んでくれぃ」
おじいさんはアバウトにそう言った。
「私は前と同じ。醤油」
「あ、私は味噌」
「私豚骨! 豚骨チゲ!」
「あたしは塩!」
「おぅ、元気がいいじゃねぇか。待っとれ、すぐ作ってやるぜ」
「へい、4人分お待ちどぉ」
気前の良さそうな店主のおじいさんは、テキパキと4人分のラーメンをこしらえてくれた。あの時のラーメンと比べると少しずつ違うけど、やっぱりおいしそうだ。
『いただきまーす』
「おぅ、やけどしねぇように気ぃつけろよ?」
がっははは、とおじいさんが笑う。
私達は割り箸を割って、一様に食べ始めた。
「んぉ! これは美味いな!」
「ホントホント! おいしい!」
「でしょ?」
京さんが楽しそうに笑う。
「どうかしら、伊織さん」
「はい、すごくおいしいです。……でも、」
「?」
私の隣に座る京さんは、不思議そうに私を見た。
「あの時のラーメンには、かなわないですね」
「……あらあら。私もお店を開こうかしら?」
「いいんじゃないですか?」
「そうね」
そんな会話をしている横で、悠と藤乃先輩は「おかわり!」「あたしも!」と争うように丼ぶりを突きだす。おじいさんは「元気が良いなぁ! よし、この1杯ずつはサービスしてやろうじゃねぇか」と気前の良い事を言っている。そしてバスケ部の2人は「ヨッシャー!」「いえーい!」と喜んでいる。
「ふふっ、2人とも元気ねぇ」
「そうですね」
私はそんな2人を横目に、自分のラーメンをすする。
また、あの時のラーメンも食べたいけど……。
今のこの楽しい時間が、このラーメンの一番の隠し味なのかもしれない。
それから私達は、4人で9杯のラーメンを食べてお開きとなった。
「冬童話2012」ように書き下ろした短編です。
実は友人と冗談半分でプロジェクトしていたものを、今回文面に起こしました。タイトルの原題「私はアナタの邪魔をする」はその設定段階のタイトルです。
本当はもっと物騒な話になりそうだったのですが、「童話」というジャンルにするにあたってライトな話になるように努力してみました。この文面で「童話」と呼べるかどうかは謎ですが。
この話では、より「童話」らしくするために、意図的に状況描写を省いている部分があります。読者の皆さんのイメージで千変万化する、という訳です。書いていて言い訳臭いんですがね^^;
また、これは若干のネタばれになりそうですが、「天日」と世界観がリンクしているという裏設定があります。
ちらっとヒントを隠しています。「天日」がある程度進んでから読んでみると、面白くなってる……と、思います。
この作品が、ぜひ多くの人に読まれますように……。