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9.カッコ良い負け、カッコ悪い負け(前)

その晩、久しぶりに母から国際電話が架かってきた。


『もしもーし、響?』

「お母さん!今どうしてるの」

『今ね、パタゴニアにいるのよー』

「パッ…!?どこそれ」

『南米。良いところよ』

「お父さんは?」

『一緒。皆元気にしてる?』

「うん、相変わらず」

『ここの仕事落ち着いたら帰国するわ。イベント事はビデオ撮っておいてね!チャオ♪』

…それはイタリア語じゃないのか。既に電子音しかしない子機に呟く響だった。



1、2ヵ月はざらに帰ってこない両親。それでも成長過程は見たいと最新のビデオカメラを買わされていた。

仕方ない、先日恵が言っていた弁論大会とやらを撮ってこようじゃないか。カレンダーと照らし合わせ、予定を見直した。


そんなある日、地方紙に哉の中学が記事になっていた。

『神川中学陸上部、県大会出場決定!!』

しっかり三度読んだので間違いない。響は逸る気持ちを必死で押さえた。

こんな話しは一度も哉から聞いていない。しつこく言ってまたダメ出しを食らうと厄介だ。響は大会の日程をチェックして、絶対に応援に行こうと決めた。こっそり行ってすぐ帰ってくればバレやしないだろう。


哉の帰りは、日に日に遅くなっていた。風呂に入って食事を掻き込むとすぐ寝てしまう。キツい練習をしているのかな、と少し逞しくなった弟を見て思った。



「きたわね!響ちゃん」

「磯田さん、聞いてください。今日私は牛肉を狙います」

「「「えっ!?」」」

―おい、店員。会話に入ってくるな。

響は恒例のスーパー、水曜半額市に並んでいた。今週の土曜が哉の大会なのだ。げんかつぎに肉を振る舞いたかった。

「どうしたの」

すっかりおばちゃん達と意気投合した那須が、尋ねる。

「弟が大会に出るの」

「あらっ!」

「ま〜哉ちゃんが?」

「はい!本人から何も聞いてないんですけど、こっそり応援に行きたくって」

「哉ちゃん、部活頑張ってるもんねぇ」

「那須くん、恩赦ちょうだいよ!」

中山さんの声に、那須はたじろいだ。

「えっそんなこと俺にできませんよ」

「まぁケチねぇ」

「そーだー!ケチー」

客の枠を乗り越えて会話に入ってくるからだ、と響も舌を出して援護した。

「…響さん、知りませんよ。俺はこう見えて口が軽いんです」

「……!」

いきなり敬語を使ってきた食えない奴は、案に学校の連中に話すと脅してきた。

なんて、なんて非情な男なんだ。響はそれきり口を閉ざした。



まぁこの争奪戦のベテランである響はしっかり物をゲットしたのだった。

「那須くーん、取れた!」

嬉しくてピースサインをする。

「良かったな。怪我ない?」

「大丈夫だよ!」

「このやり方どうにかならないかなぁ」

那須はため息をついた。

「俺、心配で見てられないもん」

「そぉ?」

周りを見渡してもピンピンしてるおばちゃんばかりだ。家庭を影から支える主婦は強いのだぞ。

「ま、いーか。俺がいれば」

那須は一人で納得していた。訳が分からない響は首を傾げながら帰宅した。



「珠ちゃん、今週の土曜暇?」

「部活だけど」

「そっか…」

「どした」

響は珠美に哉の大会の話をした。すると、珠美も日曜に親善試合があるため前日は一日練習だと言う。

「哉くん、すごいじゃない。応援行けなくて残念だなぁ」

「ううん、珠ちゃんも試合なんてね。私日曜応援行くよ!」

「あっじゃあ、アレ作ってきてくれる?」

「任せて〜」

響は、珠美の試合の度に蜂蜜付けのレモンを差し入れていた。

「やったね。あれすごい好きなんだ」

「珠ちゃんガンバ!」

と言って気付いた。珠美が所属するテニスクラブには緒方もいるはずだ。いつも黄色い声援に隠れて披露される勇姿に見惚れていた。

「…緒方は出るか分かんないよ」

「なんで?」

「さぁ?あいつ本当やる気ないからね」

軽蔑を含んだ言い方に、響は何も聞けなかった。以前緒方に会ったとき練習に厳しいはずの部活をサボったと言っていた。あんなに長い手足をしてるのにもったいないなと思った。



「うそー!響ちゃんステーキ!?」

「珍しいー」

「オホホホ、特別よ。たんと食べなさい。でも肉のおかわりはありません」

足りない人には白菜とひき肉の煮込みを作ってある。少食の慧でも、ステーキなら喜んで食べるだろう。やはり若い輩は牛肉が好きだ。

「どーして?」

慧の問いかけにドキッと心臓が跳ねた。

「安かったから、たまには」

まさか明日哉の大会だからとは言えない。言ったら応援に行くと知れて、哉は食べてくれないかもしれない。響は哉のことをとんでもなくナイーブな思春期と思い込んでいた。



翌日。早朝に出発した哉を見送って、自分も手早く準備を始めた。変装用の帽子とビデオカメラは忘れてはならない。天候にも恵まれ、響は心踊りながら会場に向かった。


哉は短距離の専門だった。予想以上に大きいトラックに幾つもの団体がいる。個人戦とチーム対抗リレーが今日の種目だった。

2年生の哉はリレーのみ出場するようだ。響は徐々に緊張で胃が痛み出した。こんな勝負ごとはスーパーいちばんでしか経験したことがない。たった数分のために長い間鍛練を積んで競い合う、真剣な空気に触れるだけで感動した。


頑張れ、哉。悔いが残らないように。

遠くから願掛けをした。




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