8.背に腹は変えられぬ
「しまった…」
大量のコロッケを前にして、響は頭を抱えた。
―ソースがない。
シチュー、大根と鶏肉の煮物、炊き込みご飯、ホウレン草のおひたしとコロッケ、が今日のメニューだ。
男性陣はまだ帰っておらず、中学生の妹にお使いを頼んで夜歩かせるのも怖いので、響は駆け足でスーパーに行くことにした。
すぐ近くにコンビニがあるが、行き慣れたスーパーだと半値で買える。調味料を定価で買うなんてとんでもないと思っていた響は渋々『スーパーいちばん』に歩を進めた。
転倒事件…というか爆笑店員の那須に会って一週間、何かと理由をつけて行くのを避けていた。響だって気まずさや羞恥心はあるのだ。
時刻は8時になろうと言うところ。既に惣菜品には割引きシールが貼られていて、閉店の準備をしている。これなら会わないかな、とコソコソしながら調味料コーナーに向かう。やはり安い。
これだけなら牛乳も買ってしまおう。一日一本は無くなるからいつも荷物になっていたのだ。
「あれー響さん!」
ふと気を緩めていたところに、遠慮のない声をかけられた。
「…どうも」
「久しぶりじゃないっすか。最近全然顔見せないからー」
「そ、そう?」
財布を片手に買い物をする姿を、同世代に見られる居心地の悪さから、響は視線を逸らした。
「あっ!さすがに気まずかったんでしょー」
図星をさされ体が固まる。
「必ず半市には来てたのに、ぱったり来なくなって店長も心配してたんすよ」
はっはっは、と大きい体を揺すって響の肩を叩いた。が、こいつは懲りずに体格差を考えないので、響はバランスを崩した。
「危ねっ…すいません、俺またやっちゃった」
後ろに倒れそうになったが、サッと伸びた那須の腕が響を支えた。
「ありがと」
「軽いなぁ、ちゃんと食ってます?」
「食べてる食べてる」
「今日キャベツもめっちゃ安いんですよ」
「え!?」
最後の言葉は何とも魅力的に響いた。その顔を見た那須は笑いながら案内してくれる。
「ほんとだ〜安い!二つ買おう」
「ありがとうございます」
那須はなかなか商売上手だ。
結局かなりの荷物になってしまった。那須に手をふって店を出ようとすると、
「俺、もう上がりだから送りますよ」
と言い出す。
「平気平気。うちこっから近いから」
「ならいいじゃん。待ってて!」
そう言うなり、バックヤードに駆け込んでしまった。黙って帰るのも気が引けて、仕方なく待つことにする。ていうかさっきタメ語じゃなかったか?強引な後輩に自分のペースを乱され面白くない響だった。
「お待たせ!帰ろーぜ」
ひょいっと軽そうに響の荷物を担ぐ。
「いいってば!返して」
そこまでしてもらう筋合いはない。
「じゃ取ってみて」
那須は機嫌良く荷物を上げ下げする。頭一つ分以上大きいのだ。届くわけもないが、悔しくてジャンプしながら手を伸ばす。
「ははは!響さん面白ぇ」
散々笑って、那須は鞄から缶コーヒーを出した。
「じゃ、これ持って」
「コーヒー?」
「それ廃棄だったんだ。あげる」
「いいの?」
それなら喜んでいただこう。素直に受けとる響を、那須は微笑んで見ていた。
10分足らずの道の間、響と那須は色んな話しをした。何故か敬語が無くなった生意気な後輩とは壁を感じず、結構盛り上がってしまった。
高校に入ってすぐアルバイトを始めたらしい那須は、同じ高校の制服を着ている響を前から覚えていたらしい。半額市の中山さんと磯田さんのやり取りも全部見ていた…とは何と趣味の悪い。
「響さんが家事やってるんだな」
「うん。両親共働きだし、私の下に兄弟4人もいるの」
常連の店員だからか、珠美と慎一しか知らないひたすら隠していた家の事情を、素直に話してしまった。
「そっかぁ、偉いな」
すると今度は優しく頭を撫でられた。年下に子供扱いされムッとしたが、大人しく荷物を受け取る。
「俺、火金以外ほとんどバイト入ってるんだ。変な意地張らずにちゃんと店来なよ」
「んーそうだね。『いちばん』行かないと家計が崩壊しちゃう」
ふざけて言うと、那須は満足そうに頷いて帰って行った。
「―姉ちゃん、誰アレ」
「うわっっ!哉、帰ってたの」
玄関に入るなり、無愛想な顔が待ち構えていた。
「誰」
「え?那須くん?いや、スーパーの人?」
「スーパー?何でそんなのが家まで」
「違う違う、後輩だ。送ってもらったの」
「…俺、電話してもらったら迎え行ったけど」
不機嫌の絶頂な声だったが、響の顔はパァッと輝いた。
「えー?ほんと?じゃ電話しちゃおうかなぁ」
可愛いことを言ってくれる弟に喜びを隠せない響を見て、哉はハァ、とため息をついた。
「…早く、飯食おう」
リビングに行くと、
「だからっ兄はまだ帰ってきてません!ケータイに架けてよ。番号言います!いい?090…」
暁が電話を叩き付けていた。
「ただいま。どうしたの」
「ま・た架かってきた!恵くんいますか〜って」
恵が高校に入ってたびたびあることだ。苦笑しながら、ご飯をよそった。
「ったくどこがいいんだあの天パの」
「うちじゃキモいだけなのにね」
慧まで酷い言い様だ。
「学校じゃしっかりしてるのかもよ」
そういえば入学生代表挨拶したとか言っていた。5人も兄弟がいれば一人くらい秀才が生まれるのかもしれない。
「ただいまぁ〜」
「帰ってきた。でもケータイ教えてやったからいい気味」
何故か頑なにケータイの番号を教えない恵に、妹達は業を煮やしていたので清々とした顔をしていた。
「お帰り。早くご飯食べちゃって」
「響ちゃん、俺今度弁論大会ってのに出るんだ」
そのために放課後残っていると言ってきた。喋りながらコロッケをつまみ食いするので、菜箸で叩く。
「ねーねー見にきて」
「見に行けるの?」
「うん」
そう言って背中に纏わりつく。
「だぁっ暑い!邪魔」
こっちは炊きたてアツアツの米をよそってるのだ。
「うちの高校で御三家呼んでやるって」
恵の高校の他に進学校と名高い名門女子校、男子校を集めてそう呼ぶらしい。
「出たよ、自慢」
「ヤッカミはやめたまえ、数学20点」
「そっそんなに悪くないもん!」
暁が顔を真っ赤にした。
「ケンカしない!」
ここらで喝をいれないと収拾が付かなくなる。暁が頬をパンパンに膨らませていると、ケータイの着信音が鳴った。
「あ?誰だ?…もしもし」
恵が訝しげに出る。途端暁の顔が輝き、慧とクスクス笑い合う。大人しく相手の話しを聞いていた恵の顔が段々険しくなり…このあと予想される兄妹ケンカに、響はため息をついた。