41.約束はお約束
那須に春がやってきました
那須恭平は浮き足立っていた。
洗面所にこもり、
「お母さん、恭平がキモい」
と姉に陰口叩かれるくらい。
「デート?デート?」
目を輝かせた母に詮索されようが、那須は無視を決め込んだ。何を言ったってからかわれるのは目に見えている。
『何でもいいの?』
頷く響を目の前にして、那須は逸る気持ちを必死でこらえた。
『じゃあ、今度の日曜、デー…出かけない?』
『え?誰と?』
―そこかよ!
『俺と響さん。ダメ?』
『え?何のために?』
そうきたか。暗に断ってるのかと挫けそうになるが、本人は至って真剣な表情だ。
『遊園地。遊園地行きたい』
『え?遊園地?』
ポカンと大口開ける間抜け面を、那須は辛抱強く見つめた。次の反応は何だ。どうくる。
『わあ、久しぶり。いつ以来だろう』
『……い、いいの?』
『うん!行こう!すっごい楽しみ』
満面の笑みに、那須は感動で震えていた。初めて異星人に言葉が通じたような、初めてペットの犬がお手をしたような、いや、そんな例えってどうなんだろう。
『あ、でもそんなのでお礼になる?』
不安そうに尋ねる響に、断られてたまるかと那須は慌てて言った。
『なる!あ、そうだ。響さん一人で来てよ』
『わかったよ、そんなに行きたいんだね。あ、私お弁当作ろうか?』
はにかみながら首を傾げる響に、後光が差したように見えた。
やばい、俺も相当末期だ。こんなにスムーズに運ぶなんて。遊園地に手製の弁当なんて、誰が見てもデートじゃないか。これは浮かれていいよな?
普段の邪魔ばかり入ることを考えると、その重みも増す。日曜まで指折り数えてしまうのも、お天道様に束の間の晴天を願うのも、当然だと思った。
時間になっても待ち合わせ場所には、まだ響の姿はなかった。未だ夢かと疑う那須は、残念な気持ちと少しホッとする気持ちで肩の力を抜いた。柄になく緊張しているようで、朝飯も録に喉を通らなかったのだ。
今日が全て上手くいくとは微塵も思っていない。彼女には至る所に強力な殺虫剤が用意されているのだ。―いや、俺は害虫じゃない。
そんな呪詛を頭から振り払っていると、視界に淡いピンクのワンピースを着た女性が近付いてくるのが分かった。一歩一歩と迫る距離に、声をかけられることも思い付かない那須は焦った。
「那須くん、おはよ!」
「…え?」
よくよく見ると、待ち人本人だった。
「隣にいても全然気付かないんだもん。そんなに違う?失礼だなぁ」
驚愕で言葉が出てこない那須に、響はいつもの調子で喋り出した。それがなければ分からないくらい、響は見違えていた。
ひっつめたことしかない髪は綺麗に下ろされ、ふわふわとカールしている。動き回る遊園地に相応しい格好だとは思えないが、何だこれは。そう、あれだ、子供の頃姉が持ってた着せ替え人形そっくり。ワンピースから覗く生足に目がいくのは男として仕方ない。那須の頬は熱くなった。
「い、いや、マジでわかんなかった。可愛いよ」
「はは、どうも」
さらっと流されてもめげるものか。精力的な妹たちに着飾られたのだろう。見えない理解者に感謝しつつ、那須の幸せは幕を開けた。
「今日雨振らなくて良かったねー」
「ひ、響さん、荷物持つよ」
ポシェットと別に紙袋がある。もしかしなくても手製の弁当だろうか。いや、そんな上手い話が―…。
「あ、そお?お弁当だから横にしないでね。って言っても大したものじゃないけど」
「ひいっ!これからくるだろう不幸が怖い!」
「ど、どうしたの那須くん」
響が怪訝そうな顔で覗き込む。
「いや、違うんだ。俺は警戒してんだよ。だって響さん絶対何かしでかすだろ?」
「はぁ?何をよ」
「雨降って洗濯物があるから帰る、とか夕飯の支度あるから帰るとか、戸締り忘れたから帰るとか」
悪気がないのがよけい性質悪い。
「何で全部帰る心配なの」
響は大口をあけて笑った。
「パスポート買ったんだもん、一日遊ぶよ」
満面の笑みを見たらそれ以上何も言えず、那須は一番聞きたかったことを飲み込んだ。
―誰か、邪魔してきたりしないよな?
わが国には言霊、という言葉がある。不吉なことは口に出さないべきだ。
地元の遊園地だけあって、規模はそこまで大きくないが、ジェットコースターにコーヒーカップ、お化け屋敷…など響は心から楽しんだ。
「あー面白かったね、こんなの小学生以来だよ」
昼時になって、二人はベンチで響の弁当を口にしていた。
「今まで友達と行かなかったの?」
「うん。家に妹たちがいたしね、中学の卒業遠足は暁が熱出して休んだ」
何てことはないとお茶を注ぎながら言う響に、那須はぐっと背筋を伸ばした。
「あのさ、響さん。これからもこうやって遊ばねぇ?」
「そうだよねぇ。今じゃ皆、家にいないもん」
「そろそろ自分のために時間使ってもいいんじゃない。もう十分頑張ったよ、響さんは」
那須が真っ直ぐ響を見つめてくる。横並びの二人が顔を見合わせると、互いの膝がくっつくほどの近さだった。
「あのさ」
喉仏がごくん、と動くのが見える。
「俺、そんな響さんが―…」
「あれーっ?響ちゃん!」
突如背後から大声をかけられ、響たちはギョッとして振り向いた。
「め、恵?!」
「あ、ど、どうもオホホホ」
制服姿の恵と、挙動不審なマナミの姿があった。
「どうしたの、こんなところで。あんた学校は?」
響は驚きで手に持つお茶をこぼしそうになるのを慌てて押さえた。確か今日、恵は早朝から呼び出しを受けたと学校に出向いていたのだ。
「変だと思ったんだよな、今更出席日数が足りないなんて成田から連絡網が来るとは」
「や、やあね恵。遅刻常習なのは本当でしょ?」
「偽証罪って3ヵ月以上10年以下の懲役だったっけ?」
「だっだからこうして連れてきてあげてるじゃない!何でそうねちっこいのよ!」
震えたように叫ぶマナミは、恵に怯えているように映る。
「…響さん、この人誰?」
何故か死んだような目で那須が聞く。そう言えば、マナミと二人は初対面だった。
「成田愛美さん、恵の彼女だよ」
「「違います!!」」
揃って悲鳴が上がった。
「あ、ご、ごめん。私の妄想だ。でも、二人して遊園地だなんて、デートじゃないの?」
「そこはそう思うのね…」
那須が悲しそうに微笑んだ。
「デートなわけありませんよ!響さん、その格好この前の授業参観と同じですね。素敵だわ」
「えへへ、ありがとう。慧と暁が今日これ着ろってうるさかったんだよね」
「ふん、死ねナス男」
恵が唐突に暴言を吐く。こら!と叱るが、睨むのをやめない。どうも二人は折り合いが悪いらしい。
その後、結局4人で回ることになった。最後に二人乗りの小さな観覧車で、誰と乗るか一悶着した。仕方なしに、グッパーにしようよ、と響が提案し、その場は収まったのだが。
「なんで締めがヤローなんだよ…」
響と同じパーを出したのはマナミだった。那須と恵、大男二人が窮屈そうに乗る姿を、マナミが腹をよじって笑いながらケータイで撮影していた。