40.一歩前進?
今日は末の妹、暁の授業参観だ。
珠美には、早々に欠席の伝言を頼んである。両親が不在の間は、響が代表して保護者会だの三者面談だのに出ていたので、そんなに珍しい話しでもない。ただし、それを他人に強いるとなると別である。
「だから、私の出番は午後だって何度も言ってるじゃないですか」
「でも、せっかくの球技大会を遅刻させて、あの、ほんと何て言っていいのか…」
「ほらほら、俯かないでください!」
先ほどから繰り返す押し問答を、マナミはちっとも相手にしてくれない。手がいくつあるのかと思うほどにたくさんの道具を駆使して、響を仕立ててくれている。
あれだけ服装についてうるさく言われた響は、さすがに自前のセンスに不安を覚え、どうしたもんかとマナミに相談した。電話で済ますつもりが、任せてくれと当日の朝に押しかけられた。いくら親切心とは言え、学校のあるマナミにそこまでさせる訳にはいかない。とは言え、マナミもマナミで今日は球技大会だから出席は内申に響かないと言い張り、気付けばこんな状態だ。
「大体、球技大会とは名ばかりのリフレッシュ活動の一環ですから」
「り、リフレッシュ?」
いつの間にそんなカッコイイ名前になったのか。
「この時期は学内考査もあって生徒たちの頭が飽和状態になるんです。だから、少しでも体を動かして頭をニュートラルな状態にさせる、勝ち負けが問題ではないんですよ」
「そうですね、勝ち負けが全てじゃありません」
分かるところだけ復唱する。
「…血の繋がりって謎だわ」
マナミの呟きは聞かなかったことにした。
「でも、恵は勉強出来てもスポーツは全然でしょ?」
「ああ、確かに。さすがに神様もそこまでの才は与えなかったようですね」
「小さい頃、スキップのやり方を口で説明しろって言われたもん」
本人曰く、体と理論が上手くリンクすれば何でも出来るらしい。結局、恵は未だにスキップが出来ていない。今日も大概、具合が悪い、行きたくないとぶーたれていた。
そんなくだらない話をしている内に、鏡の中には小奇麗な成人女性が現れた。
「出来ましたわ!」
「おおっ!こ、これは…」
ひっつめたことしかない髪が緩くカールされ、前髪が目の淵にかからない絶妙な角度を保っている。良く見れば鼻の周りのソバカスが一つも見えないし、目がキラキラしてる。これが身だしなみと言うやつか。
「す、すごい」
「お洋服は、暁さんとお買いものされたワンピースで良いと思います。肌寒いからカーディガンをはおって、公の場所ですからストッキングも穿きましょう。靴は頑張ってヒールのあるものを、ほら!まぁ素敵だわ!!」
マナミが立ちあがって拍手をする。スニーカーしか履いたことがないので、ふらつくものの、見違えるようだ。
「マナミさん、ありがとう!」
「もう!響さん、可愛い!」
言いながら、梅雨でも崩れないというスプレーを、これでもかと吹きかけられた。
マナミに何度も礼を言って、響は暁の中学校へと向かった。響の母校でもあり、道も慣れたものだ。
けれどヒールが怖くて恐る恐る歩いたせいか、時間はもう差し迫っていた。
玄関口でスリッパに履き替えてから、小走りで暁の教室へ目指す。
その少し手前に女性が立ち止まっているのが見えた。
「…當間さん?」
声をかけると、肩を上げてこちらを振り向く。爪の先まで磨かれた、萌の母親だった。
「あ、こ、こんにちは」
「暁の姉です。先日はどうも」
「えっ、あなた、天谷さん?分からなかったわ」
新人教師だとでも思ったのか、當間はギョッとして弱弱しく言う。
「どうされたんですか?中に入りましょうよ」
「いえ、私はここでいいの」
當間は頑なに動かない。
「え?萌ちゃんたち発表しますよ。せっかく萌ちゃんお得意の手芸で作ったのに」
「そんなこと…言ってたの」
「暁がすごく嬉しそうに言ってたんです。傑作だよって、見てあげましょうよ」
「いえ、いいわ。ここで。放っておいてください」
「萌ちゃん喜びますよ」
「そんなことない!」
當間は持っていたハンカチを握りつぶして小さく叫んだ。
「む、娘は私の顔も見たくないでしょう、私だってあの子のこと何も分からない」
「でも、せっかくここまでいらしたのに」
「いいんです、萌に嫌われるくらいなら」
綺麗にアイロンのかかったブラウスを着る萌の母親は、とても小さく見えた。
「…親を嫌う子どもがどこにいますか。酷い言葉は、誰よりも近い家族だから出るんですよ」
響がゆっくり話しかけると、當間は俯いたまま、肩を小さく震わせた。
「では次、6班お願いします」
担任の声かけに、一見派手な集団が立ちあがった。みんなスカートが短く、髪が茶色い。その中に暁と萌の姿もあった。
「私たちは、商店街の歴史を調べました」
少女たちが手にした大きい画用紙を広げる。途端に、生徒や父兄からも感嘆の声が上がった。一面が色鮮やかで、キラキラと輝いている。暁たちこだわりのスパンコールだろう。
「今ではもう廃れちゃってるけど、昔はもっと賑やかでした」
「お店のおばあちゃん達がまだウチらみたいに若かったころは、お祭りがあって、御神輿があって」
いいなーと生徒から声が上がる。微笑ましい様子に、くすくすと笑いが起きた。
「素晴らしいポスターでした。皆もこんな商店街行きたいわよね。活性化させるのは私たちの力が必要なんですよ」
締めに教師のまとめがあり、拍手喝采でグループ発表は幕を閉じた。
「あきらー、すごかったよ。写真に撮ってお母さんたちに見せようね」
「えっ?!響ちゃん?」
休憩時間に暁に話しかけると、暁は驚愕の表情で響を見つめた。
「な、なに?そんなに違う」
「えーアキラのお姉ちゃん?きれー!」
萌と似たような少女が声を上げる。
「あ、このワンピ!マルキューで私が選んだんだよ」
「先月号でモデルのリカちゃんが着てたやつ?」
あっと言う間に話題は雑誌に移り、少女たちは興奮して話し始めた。それを少し離れてつまらなさそうに見る萌がいる。
「萌ちゃん、久しぶり」
「…ちわ」
「あのね、萌ちゃんのお母さんにそこで会ったよ。具合悪くて帰っちゃったけど」
「別に嘘つかなくていいよ。来るわけないじゃん、あの女が」
「来たよ。楽しみにしてた」
―まだ、一歩勇気は出なかったけど。
「ほら」
響は、萌に皺の寄ったハンカチを差し出した。ブランドの、萌の母親の物だ。
「うそ…」
「これ、返してあげてね」
萌は黙ったまま、受け取った。時間はかかるけどきっと母親の手に戻るだろう。
どれだけだって時間をかけていいんだ。家族だから。
帰りも雨は振っていたが、そんなに億劫には思わなかった。