38.すれ違い、その心は
響の回復はめざましかった。
慎一が呆れるくらい、翌日からは大量の洗濯を済ませた。
珠美から聞いた、慧の学費も手早く納め、間に入ってくれた親友に礼を言うと
「あんた、那須くんにお礼したの?」
と怪訝な目を向けられた。
「うわ!すっかり忘れてた。そうだ、何でか送ってもらったんだ」
バタバタして記憶が曖昧だった。
「『何でか』は、いらない!」
それがあると、何かもう後輩が不憫すぎる。
「お礼ねぇ…。私、家事しかできないんだけど」
「何が良いかは本人に聞きなさい」
…と言うことで、響は那須の教室まで出向いた。
彼の体格の良さは群を抜いているようで、すぐ見つけられた。女子の荷物運びを手伝ったりとなかなか好青年のようだ。
「ありがとー那須っち。ジュース奢る!」
「マジ?やりー!アンパンつけて」
「調子乗んなー」
同級生に囲まれた彼を見るのは初めてだった。響の知る那須より、随分テンションが高く可愛らしい。
そのうち、廊下に佇む響に気付いた那須が目を見開いて駆け寄ってきた。
「ひ、響さん!もう治ったのかよ」
「うん!その節はお世話になりました」
「えらい老けた感謝の仕方だな」
「うるさいな。まぁいいや、何かお礼したいんだよね。アンパン買おうか」
響がからかうと、見てたのかよ、と不機嫌になる。
「ごめんごめん。何が良い?ステーキくらいならご馳走しちゃうよ」
「太っ腹だなー。別にいいのに」
「遠慮しないの。何でもいいよ?」
「うーん…。え?『何でも』?」
「私にできること、でね」
急に那須が固まった。響を凝視したまま、必死に考えを巡らせているようだ。その様子を見て、響は不安になってきた。流石に払える額と言うのがある。でも言い出した手前、取り消すのは失礼だ。恐る恐る那須を見上げてしまう。
「な、何?」
視線を感じた那須が、うろたえ出した。赤くなったり青くなったり忙しい。
「あのう…できれば常識の範囲内で…」
「いや、下心とか別に」
二人の声が同時に重なった。
「え?」
聞き取れなくて響が訊ねると、
「え?」
と那須も繰り返した。…前にもなかったか、こんなこと。
「…何でもない」
那須が大きく咳払いをした。
「今度の日曜、デー…出かけない?」
勿論、響はまた聞き直した。
教室に戻ろうと廊下を歩いていると、駆け出してきた生徒とぶつかった。
「わっ!」
「ごめ…」
細い肩が目立つ、高田麻由だった。
「あ、高田さん」
驚く響をよそに、麻由は罰の悪そうな顔して走り去っていく。急いでいるのかそのまま振り返ることはなかった。
響が足を進めて玄関口を通ったとき、
「何なのこれは!」
と怒号が聞こえた。学年主任を中心に生徒達で人だかりが出来ている。その中に、緒方や麻由の取り巻きであるミホ達もいた。
「未成年がタバコを吸うのは法律違反なのよ!誰の物なのか言いなさい」
相当頭にきているのか、血走った目で叫び倒していた。手には握り潰したタバコの箱がある。
「私がここを通ったとき、あなた地べたに座ってたわね」
教師はミホを指差して言った。
「は?あたしじゃねーし」
「他に誰か一緒だったでしょ」
「…マユがいたけど」
ミホは目を逸らして呟いた。隣にいるミホそっくりな生徒が舌打ちをする。
「もう、マユなんじゃん?最近荒れちゃって面倒臭いし。もう付き合ってらんない」
「マユ…?高田さん?」
それを聞いた教師がすぐ反応する。
「彼女ね。全く…あなた達はいつまでもチャラチャラした格好して。そんな格好の何がいいの?恥を知りなさい」
鼻を鳴らして、風紀にうるさい彼女はそのまま説教を始めた。どうやら話は麻由が犯人と決めつけて終わろうとしている。
響の心はざわついて、思わず緒方の袖を引っ張った。
「緒方くん、高田さんなの?」
「さぁ?俺も途中から来たから分かんない」
「だって高田さんのこと知ってるでしよ?そんなことしないって言ったら」
緒方は返事をせず、肩を竦めて柔らかい笑みを浮かべた。それに言いようのない苛立ちを覚える。
「馬鹿みたいに髪を明るくして。学生なんだから、学生らしくしなさい!疑われたって仕方ないんだから」
「髪とタバコ関係ねーから」
「そうですよ」
口論に違う声が混ざり、視線が一斉にそちらを向いた。
「な、何?あなた…天谷さん」
「髪が茶色いから?そんなの、他の人にもいるじゃないですか。ほら緒方くんだって」
「はっ⁉」
突然名を出された緒方が、度肝を抜かれたように格好を崩した。周りの視線もそれに倣い、一気に緒方に集まる。
「先生の言う、『茶髪がタバコを吸う』なら彼もそうですよ」
「ち、ちょっと天谷ちゃん」
「どうなんですか。これはいいんですか」
「これって…」
緒方が呆然とした顔で立ち尽くしている。響の言い分にまともな返答が見当たらない教師は、顔を引き攣らせて何度も口を開け閉めした。
「須藤先生、どうされました」
「い、泉先生」
後ろから冷たい声がかかる。泉が通りがかったようだ。蒼白だった教師がホッと息をつき、泉にくどくど状況を訴えだした。
「近頃の生徒たちは制服一つさえまともに着れなくて、それを注意したら屁理屈まで言われちゃって」
どうやら響のことらしい。それを証拠に、学年主任の須藤はチラチラと響を睨みつけてきた。
図星だったくせに、と周りの生徒から声が上がった。響も口には出さずとも不満に思い、思わず泉を見つめる。泉は厳しいが、どの場面も公平に見る教師だ。何となく味方してくれる気がしていた。
「屁理屈ですか」
「そう、口の利き方がなってないの、天谷さん。私は本来守るべき校則を言ったまでで」
ついに名指しされ、泉がこちらを見た。
しかし、その瞳は今までに見たことがないほど冷たく、思わず息を呑む。
「まあ、煙草の件は無視できませんね。こうやって現物がある訳ですし」
「え?ええ、そうね。勿論、許されないわ」
響に八つ当たりした件はスルーされ、須藤は慌てて取り繕った。
「早急に荷物検査をしましょう。対策は早い方が良い」
「それはいいわ!教頭先生に許可を頂きましょう」
言うなり彼女は職員室に駆けて行った。
「もう昼休みは終わりでしょう、早く教室へ戻りなさい」
泉は残った生徒たちに鋭く言い放つ。
「―それから天谷さん。口の利き方には気をつけなさい」
今度は響を見もしなかった。そのまま背を向けて去って行く。
「……………」
響は言葉もなく、チャイムが聞こえるまでその場に立ち尽くしていた。