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37.風邪の功名

泉は添削し終わった小論文の束を揃えた。一学年300名を超える膨大な量に息をついたとき、紙の端でピッと指を切ってしまった。

大した痛みはないが、思わぬ失態に眉を顰める。手持ちの絆創膏も切れており、どうしたものかと一巡して席を立った。


そうだ、保健室に行こう。自分の受け持つ生徒も保健室で休養しているらしいし。

保健医にカットバンをもらいがてら、様子を見るのもいいだろう、ついで以外の何者でもないと泉は足を進めた。


「あら、泉先生」

ちょうどドアを開けようとしたとき、保健医が出てきた。

「どうも」

「何かご用?」

「指を切ってしまって…」

「ま、珍しい。絆創膏渡しますね」

手慣れた様子で白衣のポケットから絆創膏を渡される。わざと中に入らない様子の彼女に、泉は口を開いた。

「あの、中に生徒が」

「ああ、天谷さん?熱が高いから休んでます。でも、彼が来たから大丈夫みたい」

「…彼?」

その言葉の意味することが分からないはずはないのに、泉の口からあまりにも間抜けな声が出た。

「ふふふ」

悪戯な笑みを浮かべて、保健医は外から中を覗いた。つられて泉も中を覗くと、男子生徒が、ベッドに横たわる天谷響に何やら餌付けしていた。その距離は近すぎるくらい、親密なのだと見てとれた。

「…あら?泉先生、傷痛みますか?」

「え?」

振り返った保健医が心配そうに言う。


「だってすごいしかめっ面」





結局熱が下がらなかった響は、那須の手を借りて帰ることになった。それを聞いた珠美が手早く荷物をまとめ、後輩に託す。何かあったらすぐ呼んでくれと伝えて。


「おーい緒方、彼女〜」

クラスの男子が冷やかしながらドアを指差した。外には珍しく無表情の高田麻由の姿があった。


校内一可愛いと評判の彼女はその期待を裏切らず、声をかけられるたびに威張らず、しかし臆することなく堂々と相手に微笑み返していた。その彼女には、手癖はどうあれ容姿は相応しいとされる緒方が隣にいる。

その図は、校内では当然と二人だから許されると、皆が思っていた。


「んー、サンキュー」

相手を見てスッと冷たい視線になった緒方に、珠美は気づいてしまった。

皮肉なものだ。どうして響が巻き込まれてしまったのだろう。異質な存在は、明らかに響なのに。



「天谷さん、いる?」

慌てた様子で担任が話しかけてきた。

「響なら、保健室ですけど」

「ああ、そうだ具合悪かったんだ」

「急ぎの用ですか?伝えておきます」

「うーん…」

言葉を濁す担任に、ピンときた珠美は切り出した。

「家庭のことですか?それなら私も知ってます」

「え、そう?あの、妹さんの学校から連絡があったんだけど、後期の学費の件で…。親御さんに連絡取れないからって彼女にね」

「ああ、もうそんな時期か」

保護者が立ち入る話を納得するように聞く珠美を見て、担任は目を丸くした。

(さとい)ちゃんですよね?私立だから手続きが面倒で。いつも響がやってるので、ちょっと忘れただけだと思います。2、3日期限あります?響の体調が落ち着いたらやると伝えてもらえませんか?」

「あ、ああ、そうね。助かるわ。先方の電話待たせてるとこだったから」

「宜しくお願いします」

担任はバタバタと駆けて行った。



両親がいない内は、あの家の代表は響だ。下の弟妹たちに何かあれば、いつもこうやって響に連絡がくる。珠美も慣れたものだったが、ふと寂しい気持ちになった。

元気なうちは良い。でも、風邪をひいたときでさえ自分のことを考えられないなんて。

あんまりだ、と珠美は唇を噛んだ。





「響さん、もっと寄っかかっていいから」

「ん……」

那須にほとんど体を預けながら、響は歩いていた。

「あきらが…」

「え?」

「ご飯食べるって、待ってたのに…」

「元気になったら作ればいいさ」

くしゃっと笑う那須の顔に、響は肩の力が抜けた。風邪をひいたのも久しぶりだが、こうやって誰かに頼るのも久しぶりだった。

「……ありがとう、那須くん」

体の芯がじんわり温かくなった気がした。




その日の夜は、響の心配をよそに弟妹たちが我先にと争って看病に徹するのだった。熱が一旦下がるまで、皆に見守られていたことを響は知らない。


そのまま響は丸三日間も寝込んだ。


「うう…」

腰が痛い。硬くなった体を捻って響は起き上がった。胃が空っぽで力が出ない。お粥でも作ろうとキッチンに立つと、バタバタと足音がした。

「響ちゃん!もう大丈夫なの」

(あきら)、まだ起きてたの?」

「だって心配で…」

ごにょごにょと言葉を濁す妹に、響は頬を緩めた。

「もう大丈夫。お腹減っちゃったんだ」

「え?何か作るの?私も食べたい」

「あんた、今夜中だよ?」

食欲旺盛な暁に目を見開く。

「だってさ、響ちゃんがいない間はアノ人が料理作ったんだ。何か慣れなくって」

暁は手振りをつけながら必死に訴えた。響が寝込んでいた間、料理に困った弟妹たちは何とマナミに家事を頼んだらしい。二つ返事で飛んできた彼女に、弟妹たちは説教を受けた。響が過労で倒れたとでも思ったのか、般若のような顔をして出された料理は、緊張で味が分からなかったとか。

「やっと説教が終わるってときに、メグ兄が『言われなくても分かってる』ってケンカ売るからもぉ大変で」

目に浮かぶ光景に、響は苦笑した。

「そっかそっか。あとでお礼しなきゃ。暁も作ったなんて言わないの。作ってもらった、でしょ?」

「はあい」

深夜に二人でお粥を食べた。

こうやって暁と向き合って食事をするのがとても久しぶりのことに思えた。

「響ちゃん…ごめんね」

「ん?」

「…お粥!ご馳走さまでしたっ」

何がそんなに恥ずかしいのか、言い出した途端部屋に駆け出した妹に、響は小さく笑った。


―風邪も、たまにはひいてみても良いかもしれない。




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