36.信じる?信じない?(7)
更新遅くなりました。待っていてくれた方すみません。これでこのシリーズは終わりです。
―暁は震える手を握り締めた。
「すいません、これ、盗みました。お金払います」
いらっしゃいませ、と口にしかけた店員は、たっぷり30秒は暁を見つめた。
「えっと…返品ですか?」
「いや、万引、きです」
喉が引きつって変な声になる。その単語には馴染み深いのだろう、店員は一気に険しい表情になった。
―ケーサツ、に行くのかな
一気に不安が煽る。姉は見捨てずに迎えに来てくれるだろうか。ても逃げちゃいけない。これで終わらす為にも。
暁は、萌たちと良く訪れるアクセサリーショップに来ていた。自宅から電車を乗り継いで20分のところにある、都心の大きいファッションビル。
鞄の奥底で、充電が切れたケータイに何十回と着信が残っているなんて、気付ける余裕はなかった。
「ちょっと裏で、話し聞かせてもらえます?」
悪いことをしたら謝る―それ以外に償いの方法を知らない暁は、頷いた。店員は余計な仕事が増えて面倒臭そうに、眉間にシワを寄せて、足を進めた。
「ああ!暁!」
叫び声に振り返ると
「探したんだぞ!何てことを…!」
長兄の恵が大声で嘆いていた。着ているカッターシャツは乱れ、濡れた天パはうねって酷いことになっている。白々しいほどのうさん臭さに暁は硬直した。
「この子の兄です。店員さん、本当にすみません。こいつ最近苛められてるらしくて…」
「はぁ?何言ってんの」
「暁、強がるな。もう無理しなくていいんだ」
そして恵は一転して神妙な顔つきをする。
「理由はあれど、犯罪です。本当に…何とお詫びをすれば…。母子家庭で転校が多く、やっと腰をおろせたんです」
「そ、そうですか」
「それなのに…っ!そんなことやらされて…何やってんだよ!相談もなく…俺はたった一人の兄貴なんだぞ!」
恵は胸が張り裂けんばかりに叫び、声を詰まらせた。あまりの剣幕に暁は逃げたくなった。何だこの兄は。本当に頭がイカれたか?
「…お兄さん、もういいですよ」
驚くことに店員は目を潤ませて、暁を見ていた。
「え?」
「妹さんもこうやって謝りにきてくれたし。あなた、良いお兄さんを持ったのね」
ぐすっと鼻を鳴らして、涙を拭う。恵は暁の頭を掴んで下げた。
「…本当にお騒がせしました。申し訳ありません」
いつになく固い声に、暁も並んで謝罪を口にした。
支払いを済ませ店を出る。雨はもう止んでいた。
「あともう1件行くぞ」
「えっ…まさか同じことやんの?」
下手くそな芝居を思い出しゾッとする。
「馬鹿が!謝って済むほど甘くないんだよ。そんな騒ぎをお前は起こしたワケ。友達守るのもいいけど、まず家族に相談しろ!」
恵は本気で暁の頭をはたいた。バシッと鋭い衝撃のあとにじわじわ腫れるような鈍痛が広がる。
「い、痛い…」
「俺も痛いわ!馬鹿野郎」
恵の暴言が何故か優しく聞こえて、暁は声を上げて泣いた。その背中を恵は黙って撫でる。憎まれ口しかきかない兄でも、心底心配してくれたのが分かった。それはきっと、慧も哉も。
「落ち着いたか?」
泣き止むのを待って、恵が言う。
「響ちゃんに電話するぞ。心配で死んでるかも」
冗談にもとれない言葉に暁は蒼白した。自惚れではなく、姉は一番に自分を思ってくれている。そんな姉がどれだけ心配しているか想像に震えた。
「…響ちゃん。…ごめん」
『あきら』
全身で安堵したような吐息が聞こえた。枯れ果てたと思った涙がまた零れていく。それを不機嫌そうな顔で恵は見守っていた。
「早く済ませて帰るぞ」
電話が終わると恵は早足で歩き出した。腹が減ってるんだ、と文句を呟きながら。その背中を追いかけて、暁は急に家を恋しく思った。
明けない夜はないと言うが、天谷家に忙しない朝はない。
翌朝―
「どけ!鼻たれガキは洗面所使うな」
「うるっさいな、天パは諦めろよ。何しても変わんないっつーの」
「もー、恵ちゃんも暁も邪魔!今日は私も急がなきゃ行けないの」
寝不足のためイライラしている慧も加わり、朝の洗面所争奪戦がいつにも増して騒がしい。哉は既に半分寝ながら家を出て行ったが、あれで朝練が出来るのだろうか。
ぎゃあぎゃあと耳に痛い騒ぎをBGMにしながら、響は目を細めて洗い物に専念した。
「「「響ちゃーん!!」」」
いや、とてもBGMにはならなかった。
「今日はね、モエと話してくるけど、絶対家でご飯食べるから」
暁がモゴモゴと言ってきた。
「行ってらっしゃい」
照れくさいのだろう。そんな妹をからかわないように、響は微笑んだ。
昨日萌が持ってきた大量のアクセサリーを、暁は学校に持って行った。あの癖のある母娘の確執がすぐなくなるとは思えないが、諦めるつもりはない。
自分に出来ることをしようと響は決心した。それだけでも一歩前進だ。
昨夜は日付が変わる頃に夕飯を食べたので、片付けは朝に回すことにした。その所為で響はとっくに遅刻になったが、慌てて急いでもどうにも体が言うことを聞かない。昨日走り回った筋肉痛だろうか。
授業が始まり静まった廊下から声が聞こえた。
「マユ、だいじょぶ?あの女マジムカつくね」
「いくらなんでもアレはないっしょー。マユの勘違いだよ」
知った名前に思わず聞き耳を立ててしまう。
「万が一準が声かけたっても、絶対気まぐれだって」
「うちらマユと準のカップル超お似合いだと思ってるんだから」
とめどなく続く慰めの言葉に、ぴしゃりと声が被さった。
「―ミホ、煙草ちょうだい」
響は思わず足を止めた。この声は間違いなく高田麻由だ。まさか校内で、と疑うがカチッと言うライターの音や息を吐き出す声に、響は飛びかかった。
「ちょっと!何してるの?」
下駄箱裏の影で、麻由と取り巻き4人が座り込んでいた。突然の叫び声に驚いて固まっている。
「な、何だ。先生かと…てか何だよ、お前」
「うるせぇな、天谷。うざいから消えて」
ぎゃあぎゃあ言う罵声を響は無視して、麻由の持つ煙草をひったくった。
「赤ちゃんがいたらどうするの?」
麻由は目を見開き、周りのギャルは手を叩いて爆笑し始めた。
「何こいつ、ホント頭古い」
「バカじゃないのー。天谷サン赤ちゃんの作り方知ってますかぁ」
一人のセリフにまた爆笑の渦がまく。唯一人、麻由は響を睨み口を開いた。
「いる訳ないでしょ」
「ちゃんと病院行った?一人の体じゃないんだよ」
「うるさいっ」
麻由の振り上げた手が響の頬を直撃した。衝撃に立ちくらみ何とか踏みとどまる。
「何で準はこんな女が好きなの…」
そのあまりにも小さい声に響は耳を疑った。聞き返そうにも唐突すぎて、頭が麻痺している。
―緒方くんが、私を?
どこをどう見ればそんなことになるのだ。しかし麻由達はどうもそれに固執しているようで、響には訳が分からない。言葉に詰まる響をつまらなそうに一瞥して、「カラオケ行こー」と連中は去って行った。
取り残された響は、足取り重く教室に向かった。何とか1限をやり過ごし、頭が重く上がらないことに気付いた。力なく机に突っ伏す。
「天谷ちゃん、顔赤くない?」
緒方に声をかけられ、顔を上げる。
「具合悪いんじゃねぇ?」
目に映る緒方が揺れて、ああ自分は具合が悪いのかと思い立った。
「ありがとう、保健室に行ってくる」
「俺、一緒に行こうか?」
首を横に振る前に、珠美が鬼のような形相で二人の間に入った。
「ちょっと、響に何の用」
「珠ちゃん、私保健室行くね」
次の授業はすぐ始まってしまう。珠美の心配を振りきって、響はふらつく体を引きずった。
熱を計ると38度もあった。先生から解熱剤を飲んで、一休みするように言われる。ベッドに入るとすぐ眠気が襲ってきた。しばらく眠っていたのだろうか、再び目を開けたとき体の節々が酷く痛んだ。
「響さん」
「え?那須くん」
那須が微笑んで響を覗いていた。
「もう昼だよ」
その言葉に思わず起き上ろうとするが、那須の手に制された。
「無理すんなよ、俺送ってくから」
「そんな、いいよ」
何故ここに那須がいるのかも分からないのに、そんな申し出に乗る訳にはいかない。
「あと2時間寝れる?一緒に帰ろう」
後ろからそうしてもらいなさいよ、と先生の声も聞こえる。
「これスープ。これだけでも飲んでさ、また寝といてよ」
「でも那須くんに迷惑が…」
恵にも以前指摘された。世話焼きの後輩に甘えすぎるのも良くないだろう。回らない頭で考える間に、半ば強引にカップスープを口に入れられ、ご丁寧にまた布団をかぶせられた。
「はい、おやすみ」
いつも弟妹達にしている看病をされてると思うと奇妙な感じだ。ぼぉっと那須を見上げていると、顔を逸らされ代わりに大きな手が頭を撫でた。火照った額の熱を吸い取ってくれるようで気持ち良い。
「自分で帰れるからね」
言いながら瞼が下がってくる。朦朧とした意識の中で、
「好きな子が倒れてんのに一人で帰せないだろ」
と呟く声が聞こえた。
また、それ。
変なの。今日は皆変なことばっかり言う…
響は深い眠りに落ちていった。