4.スコーンマジック
響はスコーン作りに凝っている。…昨日から。
と言ってもお手軽にホットケーキミックスを使っただけの代物で、形も歪だが食えればいいだろと朝食に出してみた。
「おいひぃ〜あつあつ〜」
「響ちゃん、これおやつに持ってっていい?」
女性陣には概ね好評だ。しかし、
「なにこの甘い匂い」
「姉ちゃん米ないの」
「…………あるけど」
甘い物が苦手な恵と、米が大好きな哉には拒否された。舌打ちしながらドンブリにご飯を盛る。
「…それ」
「ん?スコーン?」
口数の少ない哉が珍しく話しかけてきた。
「まだあるなら、持ってく」
「…!」
ムスッとした顔で声も聞き取りにくいが、確かに聞こえた。哉には日頃ぞんざいな扱いをされて寂しかったので、喜んで包みだした。小さい瓶にジャムを詰めて、オマケについてた小口のバターを溶けないように保冷剤を付けて、慣れた手つきでまとめていく。
「はい」
「ありがとう」
「響ちゃん!俺も!」
恵が身を乗り出してきた。
「なんで」
「女子にやる!」
「やらんでいい!」
適当なことを言う恵にしゃもじで一発お見舞いしてやった。
「痛ぇー…」
「恵ちゃん、そう言う思わせぶり止したら?」
「そうそう、てかケータイ教えとけよ。家電に架ける女ってチョー痛ーい」
慧の言葉に暁も賛同する。家電とは自宅の電話のことだろうか?あんまり口を挟むと標的が自分になるので、響は黙って洗い物を始めた。
「家電も教えてねーし」
「名簿で架けてきてんだよ!」
「ナンパな恵ちゃん嫌ー」
聞き覚えのある単語を耳にして、響も会話に参加したくなった。
「……チャラ男?」
すると二人の妹は顔を見合わせて爆笑しだした。
「言われてるよー恵ちゃん」
「酷ぇ!」
恵の様子を見て、あまり褒められた言葉じゃないのかと心にメモした。いやしかし、恵と緒方くんに共通点があるなんて。いまいち意味を理解していない響は名誉なことだと一人頷いた。
「行ってきます」
バカ騒ぎをする恵たちの中から、哉が席を立った。慌てて弁当を持って追いかける。
「哉、今日夜は?」
予定ではいらないとあったが、心配になって確かめる。
「いらない」
「そっか…」
理由を聞きたいが、哉を不機嫌にさせるのも嫌なので口を閉ざすと、珍しくこちらを振り向いた。
「今日から大会に向けて練習延びる…から遅くなる」
「うん」
「だから、いらない」
哉の咄々とした言葉をもう一度頭で再生する。
「ん?遅いから?」
無表情で頷く。その様子に哉なりの気遣いだと分かった。
「ばか、待ってるよ。チンするだけだもん。どうせたくさん作るから哉が食べてくれないと余っちゃうよ」
「…行ってくる」
ぶっきらぼうに背を向けられても、響の顔はだらしなく下がっていた。今日は哉の好きなカレーにしよう。勿論一緒に食べるために帰りを持っているつもりだ。
小さな幸せを噛みしめて、響は機嫌良く学校に向かった。手にはタッパー二つ分のスコーンがある。
「おはよう!響ちゃん」
「おっおはよう」
入るなり委員長の舞子さんに飛び付かれた。
「良い匂いがするわ!」
「試しに10個持ってきました」
「まぁ響ちゃん!」
豊満な胸に顔を埋められる。同い年のはずなのにこの違いは何なのか、とされるままに思った。高校生とは思えない素晴らしいプロポーションを持つ彼女は、どこかぶっとんでいてそのテンションに誰もついて行けなかった。
響の高校は、来月文化祭が行われる。定番のメイド喫茶に決まった響のクラスは、本場のイギリス風に徹底しようと舞子さんが進言し、調理担当になった響にスコーンの試作を頼んできたのだ。
面倒だと思ったが、材料費は経費から出ると聞き、それならと引き受けたのだった。
「形が可愛らしいわね」
「すみません、適当に作ったので」
岩みたいにデコボコな形はそれだけでボリュームがある。
「美味そ~」
「委員長、食べていい?」
「皆で一口ずついただきましょう!」
派手な人の周りにはすぐ人だかりができるものだ。舞子さんが俊敏に仕切り、皆で試食することになった。
「ほくほく!これだけでも美味しいね」
苺ジャムも用意していたものの、評判は上々だった。ホッと胸をなで下ろすと、
「他のジャムだと何を付けるの?」
と後ろから聞かれたので振り返った。
「うちの兄弟はブルーベリー………っ緒方くん!」
今日もばっちり決まった緒方がいた。
「天谷ちゃんて何者?料理作れるなんてスゲー」
「そ、そうかな」
顔は赤くなってないだろうか。
「美味い。俺、明日も食べたいな」
ひゃーーーー!!!
口端の食べかすを舌で取る緒方スマイルに悩殺され、ヨロヨロと珠美の後ろに隠れた。
「こら響っ騙されんな!」
「刺激強すぎ…」
舞子さん達の改良点など熱いトークは全く耳に入らず、響は長いこと机に伸びていた。
「静かにしなさい」
騒ぐクラスを一瞬にして凍り付かせる、地を這うような低温。いつの間にか教壇の上には現国の教師、泉がいた。無愛想でシルバーフレームの眼鏡がさらに目付きを悪く見せるこの教師は、時間にうるさいと有名で、何故数学教師じゃないのかと噂されていた。
「今何時か答えなさい、片桐さん」
「9時5分です」
「君達は5分という時間を無駄にしましたね。何故ですか」
冷徹な目で真直ぐ委員長を見る。
「よくお聞きくださいましたわ!文化祭の試食をしておりました」
しかしそんな泉の視線をもろともせず、舞子さんは嬉々として語り始めた。
「ほう」
クラス全員が固唾を飲む中、泉が興味ありげに眼鏡を上げる。
「私達のクラスは本格派のイギリス風カフェを目指しております」
「アフタヌーンティですね」
「ええ!紅茶は勿論、軽食類もできる限りの尽力をしたいと思いまして。早速天谷さんに頼みましたの」
突然出た自分の名前に響はビクッと肩を揺らした。舞子さんほど心臓に毛の生えてない響は、ひたすら俯いて泉と視線を合わさないようにしていた。目で人(の精神)を殺すと言われている泉を直視なんて出来なかった。
「何を作ったのですか、天谷さん」
きたー!
「す、スコーンでございます」
緊張のあまりに舞子さんの口調が移って、周りから笑いを堪える声が聞こえた。
「成程。ぜひ僕にも試食させてほしいですね」
「お任せください!」
勝手に決めないでくれと悲鳴を上げるのを必死で飲み込んだ。奇跡的にも泉の機嫌は治り、無事授業に入っていったのだった。