35.信じる?信じない?(6)
雨は大粒から徐々に細い雨へと形を変えて、今にも止もうとしている。響はかじかむ手で傘を畳んだ。
駅やショピングビルをくまなく探して1時間。暁の姿はまだない。恵たちからの連絡もない。
留守電のアナウンスしか聞こえないと分かっても、響は慣れない手付きで繰り返し暁に電話をかけた。
「あきら、お願い。家に帰ってきて」
祈るように伝言を吹き込むと、着信があった。飛びつくように出る。
『あ、響ちゃん?』
慌てた声の、慧だった。
『いま、家に萌ちゃんがきたの』
「え?」
『すぐ帰っちゃったんだけど…。目が真っ赤で泣いてたみたい』
萌の必死に我慢する姿が思い浮かんだ。
『暁に渡してくれって袋預かったの。…ネックレスと口紅がたくさん入ってて』
「…?」
慧の意図が全く読めず、眉をしかめた。
『お母さんが、買い占めたらしい。萌ちゃんが欲しいと思ったのかな。でも自分はいらないからって』
―萌は、目を逸らしたまま慧に吐露した。
『ムシャクシャして、適当にピアス、盗んだの。それアキラにバレてめちゃめちゃ怒られた。そんなに欲しいなら私が買ってやるって。』
『あたし、今まであんなに怒られたことなかった。もうしないって約束したんだけど…色々イヤになって。ほんとはお金なんていくらでもあるんだ。ウチ、金持ちだから。』
『でもあの親の金だと思うと、使いたくなかった。』
『それで盗った…。欲しいわけじゃない。どうでも良かった。そんでアキラが欲しいって言ったやつ、カバンにこっそり入れた。ネックレスも、口紅も』
長い長い告白を黙って聞いた慧は、一つだけ質問した。
『…これ、ほんとにもらっていいの?』
何拍か間をおいて、コクン、と萌は頷いたと言う―。
「…え?それで終わり?」
『うん!』
「暁がどこにいるか知ってた?」
『あっ聞くの忘れた』
「………」
響は脱力して座り込んだ。こんなときに天然を発揮しなくても。いや、落ち着こう、萌が知ってればあちらから言ってきたはずだ。萌なりに勇気を振り絞った告白は、きっと彼女の中で変化があったからだろう。
―暁と良く話をして、萌と仲直りしてもらおう。
一人納得して頷いた。
それなのに、顔を上げたらポロッと涙が零れた。鼻がツンと痛む。頭では前向きに考えていても、心はついていかないようだ。
人気のない公園で、響の頭には最悪のことばかり思い浮かぶ。暁に何かあったら?事故や犯罪に巻き込まれていたらどうすればいいんだろう。このまま連絡がなかったら、学校に電話して暁のクラス全員に電話して警察に…。
―こわい!
響は震える体を抱き締めた。両親がいたらどんなに心強いだろう。とうの昔に閉じ込めたはずの叫びが溢れ出る。しっかりしなくてどうする!ともう一人の自分が叱咤する。
そのときだった。
「天谷さん?」
ジャリ、と砂を踏む靴の音がした。
「何してるんですか、こんなところで」
「先生…?」
響を凝視する泉だった。
「何時だと思ってるんですか」
不審がる顔を見ると、途端、響の目から涙が溢れ出した。
「あ、暁がいなくなった。どうしよう、私、私のせいだ」
「…え?」
「もう何時間も連絡ない。ケータイも繋がらないし」
「落ち着いて。一体何が」
泉の声は耳に入るが、心に溜まった不安は止まらない。
「私があんなこと言ったから」
「天谷さん」
「暁はまだ中学生なの!なにかあったら…。だめだ私、もう。私がいなくなれば良かったのに」
一度吐き出した弱音は、涙と一緒に暗い公園に落ちていく。
取り乱して泣き叫ぶ響に、泉は顔を歪めてグイッと体を引き寄せた。
泉の胸辺りに、頭を押し付けられている。
驚いて、体を離そうとするが響の頭に周った腕はびくともしない。上質なスーツにどんどん涙が染みていく。あんなに冷たい視線をしているとは思えないくらい、泉の体は温かかった。そのぬくもりに体の強張りが溶ける。
ひとしきり泣いて、涙を拭うように顔を押し付けると、泉の体が一瞬硬直した。
「……すみません」
鼻を啜りながら顔を上げる。すると突き放すように光速の速さで腕が解かれた。
「いや、誤解のないように言いますが、あくまでもあなたが泣くからですね」
「はぁ」
「これと言った意味はありません。指導の延長の…」
泉が唐突に喋り出した。意味が分からなくポカンとしていると、大きく咳払いをされた。
「―事情を聞きましょうか」
あ、いつもの先生だ、と思った。堅い声で尋問でもするような目付きだ。でも響はすっかり安心して、話し出した。思えば『大人』の人に話すのはこれが初めてだ。
泉は短い相槌を打ちながら、響の下手くそな説明を文句も言わず聞いてくれた。
「大変でしたね」
仏頂面で言われたので、理解するのに時間がかかった。
「僕が思うに、それだけ責任感の強い妹さんならば、万引きされたとする店に謝りに行ってると思います」
「…え?」
響は目を剥いた。確かに、ネックレスも口紅も暁が持っている。
「その勇気は見事です。しかし、未成年と言うだけで信用に足らないと判別する大人が多いのも事実。誠意とは伝わるのに時間がかかるものです」
「じゃ、じゃあ暁が一人で言ったところで…」
「保護者の確認を取るでしょう。自宅に電話があるんじゃないですか?」
突然、派手な着信音が鳴った。
響は驚いてケータイを掴む。
『響ちゃん?終わったぜー』
「め、恵?」
『暁見つけたよ。万引きした店にいた。代わる?』
響は頷いて、これでもかと耳をケータイに押し付けた。
『…響ちゃん。…ごめん』
「あきら」
いつもより元気のない、しょげた声。叱られた後の暁の声だ。
「暁、大丈夫?心配したんだよ。寒くない?お腹減ったでしょ?早く帰っておいで。私も酷いこと言ってごめん。仲直りしてくれる?」
『………うん』
電話越しの声は涙に濡れていた。響も零れる涙を止められなかった。嗚咽しか聞こえなくなったとき、恵の声がした。
『響ちゃんは大丈夫か?とにかく暁も無事だから、早く帰ろう。哉にも連絡したから』
響は安堵して、電話を切る。その様子で把握したらしい泉が微笑んでいた。
「見つかりましたか?」
「はい!先生の言った通り」
「無事に帰宅できるということは、弟さんが上手く立ち回ったんでしょうね。さすが、僕の後輩です」
恵と同じ高校出身の泉は、そう比喩した。
「でも、さっき僕が言った通り『大人』が必要な時もあります。そういうときは、一人で抱え込まないで一番に相談しなさい」
「…はい!」
何て心強いんだろう。響は泣き腫らした目をこすって笑った。泉も、優しく笑っている。
「先生って、お父さんみたい」
思わず本音をこぼすと、バシっと頭をはたかれた。
「!?」
痛みより驚きが先にくる。目の前の泉はまた元の仏頂面に戻っていた。
「せ、先生?痛いです!」
「僕はまだ27です」
怒りを含んだ声だった。
「え、意外に若いんですね」
「…帰りますよ」
泉は恐ろしい顔のまま歩き出した。響はその後ろ姿を慌てて追いかける。多分、送ってくれるのだろう。この先生の隠れた優しさに響は気付いていた。…怒り所は分からないが。
今日は何を作ろう?
食べる頃は日付が変わってるかもしれないが、暁が食べたい物なら何でも作ろうと思った。
次でこのシリーズ終わると思います…