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33.信じる?信じない?(4)

パタパタと追いかけてくる足音に、泉は振り返った。

「何で走るんですか」

「先生が歩くのが早いからです!」

キッと眉をあげて反論された。その強気な態度におや、と思う。今までなら土下座されるところだったはずだ。まぁ意味もなく畏怖されるのも気味が悪いので構わないが。そんなことを思ってたからだろうか、ぼうっとしていると暴言を吐かれた。

「何ですかっ?人のことジロジロ見て。セクハラですよ」

「な…」

泉は絶句した。生まれて初めて暴言をなすり付けた人物は、生徒の分際で腕を組み踏ん反り返っている。

「濡れ鼠なんか趣味じゃありません」

「これは雨ですっ」

「梅雨の時期に傘を持たないなんて誰が信じますか。少し乾かしてきなさい」

そう言って、泉はハンカチを差し出した。響は訳分からず、受け取ってしまう。

「あ…ありがとうございます」

さっきと打って変わった殊勝な言い方に、泉はフッと笑った。

「日直の仕事は『貸し』にしときます」

口をあんぐり開ける間抜けな顔を見て、泉は更に笑みを強めた。

この天谷響と言う生徒はなかなか自分を笑わせてくれる。弱味でも握ってしまったか?と思うほどに怯えられ、かと思えば説教を垂れてきたり。でもその生意気な態度は不愉快ではなかった。

さっき渡したハンカチも『貸し』にしておこう。雑用を押し付けたときの顔を見るのが楽しみだ。泉は意気揚々と(見た目には分からないが)教室に入った。




綺麗にアイロン掛けされたハンカチを手に、響はとりあえず保健室に向かおうとした。その通り道に見慣れた顔があり、つい声をかけてしまう。

「緒方くん」

響にとって疫病神かもしれない彼は昇降口の隅に腰掛けていた。

「おー。おはよ」

お互い気まずい空気を感じている。それもそうだ、修羅場に居合わせたからか、何となく仲違いしたように避けていたから。響も見ないフリをすればいいのに、つい声をかけてしまうのだ。

「なんで濡れてんの?」

「えっと、雨で」

ふぅんと意味あり気に返された。

「またサボり?」

「特別自習です」

「考えたって無駄じゃない?高田さんと話しなよ」

「…天谷ちゃんも言うね」

苦笑する緒方に、ハッと口を押さえた。いくら暁のことで余裕がないからとは言え、余計なお世話だ。

「すごい泣いて…可哀相だったから」

「俺だって泣きたいわ」

ガクッと頭を垂れる緒方の嘆きように、響は目を見張った。

「で、でも妊娠なんて女の人はデリケートになるよ、多分。緒方くんが支えてあげなきゃ」

「あれ嘘だよ。俺、失敗してねぇし。何であんなこと言うのか分かんない。面倒な子なら手出さなかったのに」


響の眉が釣り上がった。何て言い方だろう。本当か嘘かは置いておいて、緒方の節々にある思慮の無さに不快な気持ちが走った。

誰にでも好かれ、それを平等に返す緒方が憧れだったのに、一方的に相手を傷付けるなんて最低のすることだ。

沈黙が続いた。


「…俺、最低だな」

「うん」

「分かってたけど、今一番後悔してる」

「……」

その声は、やんわりと響の怒りの火を鎮めた。


変わりたいと言っていたあの言葉は、ふざけていても本気だと信じている。

だって信じる方が易しいのだ。疑って警戒するよりずっと楽。


響は緒方の隣りに腰掛けていた。少し動けば肘がぶつかる距離でも、緒方は決して響に触れなかった。




響が帰宅した途端、電話が鳴った。

「はい、天谷です」

相手は、暁の担任だった。入学して間もないから直に話すのは初めてだ。保護者の在宅を尋ねられ、両親が不在の間は自分が変わりだと言うと、明らかに狼狽えだした。

『あの、暁さんが友達を階段から突き落として…いえ、事故だと思いますが相手の子が怪我をしてしまって』

響の顔はサッと青ざめた。

「すみません。相手の方の怪我の様子は?」

『幸いにも捻挫、と言う感じで大事ないのですが…相手のお母様が、その、どうしても謝罪すべきだと』

まだ新任なのかもしれない、響とそう変わらない若い声色の教師は泣きついた。

「分かりました。両親からは後日伺うとお願いして、とりあえず私が今から行きます。お名前は何と言うのでしょうか」

『―當間(とうま)さん、當間(とうま)(もえ)さんです』



雨は強くなっていた。着替える時間も億劫で制服のまま走る。

「天谷さんのお姉さんですか?」

「はい。いつもお世話になってます」

「担任の阿部です。こちらは学年主任の佐々木先生です」

出迎えた可愛らしい女の先生の隣りに、貫録ある年配の先生がいた。

「ご両親は海外ですって?親戚の方は?」

威圧感たっぷりに言われ首を振る。こういう見方をする人もいるのだ。響はできるだけ固い視線を返し、少しでも年上に見られるようにした。

「妹はどこでしょう。話しを聞きたいです」

「話しも何も、ただのケンカじゃないかしら。それでなくても騒がしいのに。まぁご両親がいらっしゃらないんじゃ、叱りようも、ねぇ?」

「え、えぇ…」

佐々木に同意を求められ、若い阿部は体を小さくした。その力関係を見て、響は口を噤んだ。



通された会議室には、不貞腐れた暁と、ケータイをいじる女子生徒、その隣に母親らしき人がいた。

「お待たせしました」

あきら、と駆け寄りたい気持ちを我慢して、睨みつけてくる女性に頭を下げた。

當間(とうま)さんですか、暁の姉です。このたびはお嬢さまに怪我をさせてしまって本当に申し訳ありません」

「ご両親はお仕事なのかしら?」

「はい、今海外に行っており、連絡がつきません。なるべく早くお電話を…」

はぁーと大きいため息が響の声にかぶさった。

「信じられない。うちの娘はね、あなたの妹さんに怪我をさせられたの。しかも階段から突き落とそうとしたらしいじゃない」

「違うよ!」

暁が叫んだ。

「モエがバカなこと言うからっ」

「ほんとじゃん」

初めて当事者の萌が顔を上げた。暁に負けないくらい睫毛が長い。

「アキラのお姉ちゃんチョーださい」

「モエのお母さんもババァじゃん。チョー厚化粧」

「な…っ」

突然始まった悪口の応酬に、萌の母親が真っ赤になった。

「まー母親(こいつ)は頭もいかれてんもん」

萌が笑って長い爪をいじる。響は驚愕して母娘を凝視したが、母親は聞こえないふりで通すらしい。

「てかアキラ、最近うるさすぎー。イイコぶんのやめてくれない?別にアキラには関係ないじゃん」

「マジで言ってんの?」

暁の目に怒りが灯った。

「頭おかしいのはモエじゃないの?ふざけんなよ。マジでキレるよ」

血管が浮き出ている拳は、怒りで震えている。暁がこんなにも怒るのを初めて見た。


「―ウザいっつーの。ほっといてよ」


ガタッ!と暁はイスから飛び上がり、萌に向かって掴みかかろうとした。

「あきらっ!」

響が慌てて止めに入る。暁は必死に唇を噛んで自制を保とうとしていた。

「なっ何なのこの子は!今見ました?娘に暴力を奮おうと…信じられない!教育委員会に報告してくださいっ」

「と、當間さん、それだけは」

「いいえ、娘の怪我もきっとわざとよ。立派な犯罪だわ!」

耳をつんざくような声で當間は喚いた。佐々木がすがるように取りなす。響はゴクッと生唾を飲み込み、叫んだ。

「申し訳ありません!妹は興奮しているんです。悪気はありません。もう二度とさせませんから許してもらえないでしょうか」

「何で謝るの?私は何も悪いことしてない!」


―バシッ!


響は暁の頬を叩いた。手が焼けるように熱い。

「どんなことがあっても、怪我をさせたら謝りなさい」

「……」

「あきら!」

「…もういい。何が『信じてる』だよ。嘘吐き」

暁はそう言って、教室から走り出した。待ちなさい!という佐々木の声も無視して。

一連の騒動に言葉を失っている當間に、響は再び頭を下げた。

「私が代わりに謝ります。萌さん、本当にごめんなさい。お母様にもご迷惑おかけしました」


ウソツキ、と言う声がずっと耳に残っていた。


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